猟犬ガル

 ワンワン!

 ワンワン!


 俺は置いてきぼりの猟犬ガルだ。衛兵は、俺を追い払っていい気になっていた。俺が獲物に粘り強く食らいつくハンターだと知らないらしい。


 脇道に入り、小さな下水道に飛び込むと暗い小路を一気に駆け降りていく。細い石畳には水が流れており、段々と細くなっていた。


 ワンワン!

 ワンワン!


 足を滑らせ超スピードで闘技場の真下に入ったはいいが……体がはまってしまい、前にも後ろにも進めずヘルプの意味で吠えているところだ。


「……」


 四本の足は真っ直ぐ伸びたまま、後ろに固定されている。これ以上、はるか遠くに見える光に吠えていても拉致があかないようだ。


 勿論、形態変化は考えた。真っ先にな。だが、こういう閉鎖空間で体の大きさを変えれば場合によっては圧死しちまうんだ。この体より小さくなる方法はない。


 このまま、ここで餓死するのでは!? いや……痩せれば進めるから、それは無い。あとちょっとなんだ。困ったときに、何度も助けてくれた俺さまのシッポを使って脱出するしかないと思った。


 クゥーーン。


 シッポはびくともしなかった。俺の感情は焦りと怒りに満ちていたからだ。ダークサイドに落ちた猟犬にテイルズフォースは微笑まないらしい。


 シッポパワーの源は愛だと気付かされる。俺は愛でいっぱいの気持ちになるように、想像力を働かせた。それで石畳に面したシッポが俺を前に突きだす算段だ。


 村にいた三匹のメスわんと遊んでいるところを想像した。可愛いチャムとセクシーなラブ、シャイでおしとやかなアニー。


 くそっ、上手くいかない。三匹と同時に遊んだことなんか無いから想像のしようがない。失礼、一匹ならあるような言い方だったが、それもない。そのせいか浮気がバレて問い詰められる予感しかしない。


 正直に認めよう。俺は三匹とも付き合いたい。最低だというかもしれないが、待つんだ。そう、結論を急ぐな。三匹と付き合う前にこれを告白したんだから、まだ最低ではない。


 危うく最低なダークサイドに落ちるところだったのを、俺の正直で美しい心が止めたようだ。なら……どうやって三匹とイチャイチャするのか、それが議題だ。


 三匹と遊んで丸く収めたい。倫理的に節操を貫くかどうかが問題だ。人間は死ぬ間際、やったことより、やらなかったことを後悔すると言う。この際、議題は置いておこう。愛の力でシッポパワーを動かすのが優先だ。


 セクシーわん公とイチャイチャするイメージをするんだ。すごくいい子たちなんだ。シッポは反応しなかったが別の場所が反応した。


 クゥン……ック!!


 余計に身動きが取れなくなった。犬も歩けばナンとやら…つっかえ棒があたるとか。そんな言い伝えがあったはずだ。


 アウアウ……アウアウ。


 また俺は分からなくなった。愛とは、こんなにも辛く苦しいものなのだろうか。いや、これは愛なんかじゃない。欲望と愛は別の場所にあるのだ。表で振られるのが愛の旗で、裏で振られるのが欲の棒。


 ワオッ……ワオー……ン。


 完全にロックされた体が悲鳴をあげていた。欲望に取り付かれたら最後、盲目になるとは聞いていた。ただの猟犬なら、八方塞がりだと諦める状況だ。

 

 だが俺は違う……しつけが良すぎた。犬のしつけ十ヶ条、その四。自粛待機マテを発動する。これは、如何なる欲望も一旦セイフティゾーンに置いておけるという便利な技だ。


 特別な訓練が必要で、マスターするのに五年はかかった。俺の体はジリジリと下に滑りだした。萎縮したのは精神だけでは無かったようだ。しおしおでスルスルだ。


 ワンワン!

 ワンワン!


 やった。俺は狭苦しい水路を飛び抜け、石の螺旋階段を駆けあがった。地下道は川に繋がっているみたいだ。なかなか複雑な作りだが猟犬の鼻を舐めてもらっては困る。



 ――――ザッ。


 闘技場は静まりかえっていた。さっきまで歓声が飛び交っていたが、大きな衝突音と地鳴りがすると、嘘のように静かになっていた。


 マジックシールドが砕け散った痕跡……魔力が漂っている。広々とした円形闘技場に立っているのは一人だけだった。防具としては頼りないビキニアーマー、剣闘士姿をしたアンナ様だ。


「……」


 俺は自慢の鼻を効かせて状況を確認した。シルフは集団催眠を使ったようだ。そのなかの状態で魔法障壁が破壊されるほどのビックインパクトが起きたらしい。


 一帯の人間、魔物を問わず、目を開いたままショック状態に落ちたようだ。パピィなら仮想現実からの復帰にタイムラグが生じてるとでも言うのだろうか。


 あらゆる誘惑チャームを無効化する自粛待機マテを発動していなければ、俺自身も同じ状態になっていた。危なかったぜ。


 ともかく、アンナ様が無事ならそれでいい。散らばっていた骸骨を集めて、蘇生を待つことにした。まったく手のかかる骸骨だ。足しかないけど。


 先に他に九匹いた手負いの魔物を起こしてやることにした。地下道から川に出て、さっさとこの場を引き上げたほうが良さそうだ。


 なかなか骸骨が蘇生しないので、アンナ様を起こした。足元に触れて甘噛みすると、アンナ様は片膝をついて深く呼吸をはじめた。


「ハァ……ハァ……ハァ……。猟犬ガルちゃん? ありがとう。ガイは」


 ワンワン!

 ワンワン!


 バラバラにされてるが、元々ガラクタだから大丈夫だろう。不思議なことに骸骨は適当な部品が三割もあれば、間違いなく蘇生する。足りない部品はどうしてるか? 本人に聞いてくれ。


 それよりアンナ様のほうが心配だ。汗だくでふらふらしてやがる。もしかして、一人で全員ぶっ倒したのか。元々中隊長だから、無くもないが。


「みんなを逃がしてくれるのね。ガイもお願い、私は一番後ろから行くわ」

 

 ワンワン!


 アンナ様はまとめた骨をロープで繰ると俺に縛り付けた。確かに先頭でシルフやオーガに道を案内してやる必要があった。


 ワウワウ!

 ワウワウ!


 みんな付いてこい。今のうちに地下道から川に抜けて脱出するぞっ。番犬ケルベロスが俺さまを尊敬の眼差しで見ていた。


 地下の水脈に着くとオークドルイドは小さな丸い浮輪マジック魔法フロートを造り出した。俺は爪をたてないように優しく浮き輪に捕まり、後ろ足を掻いた。


 パシャパシャ

 パシャパシャ


 ハッ……ハッ……。


 魔物は次々と暗い洞窟の中に吸い込まれていった。子供も作れる初級魔法だが、役にたつ。頭が一つしかない番犬ケルベロスが俺の浮き輪に同乗した。


 ワンワン!

 ワンワン!


 俺たちの掴まった浮き輪は水の流れに乗って進んで行った。ふと振り向き、不安になった。おい……アンナ様は? まだ闘技場にいるんじゃないだろうな。


 ワンワン!

 ワンワン!


 俺は魔物たちの一番後ろにアンナ様がいることを祈った。


 水流は強くなり、セレーヌ川に続いていった。番犬は言った。『貴方、やるわね。皆が魅了されてたってのに、自由に動けるなんて』


「……」


 番犬は……メスわん公だったのか。気の効いた事を話したかったが、メスわん公となれば、俺は萎縮しちまうんだ。


『口数が少ないわね。それじゃモテないわよ』


「ああ……正直いうと吐きそうになる」


『ひっ、酷いわね』


 彼女は悲しげな顔をした。傷だらけの自分が醜いから、そう言われたと思ったのかもしれない。


「かっ、勘違いするなよ。俺は緊張するんだ」


『えっ!?』


 実をいうと猟犬の暮らしは男社会だ。主人への誓いといって去勢される奴も沢山いる。


 本当はメスわん公と喋ったこともないし、住む世界が違うんだ。俺なんかを相手にする訳がない。


 戦闘では真っ先に死ぬのが猟犬なんだ。エリートのケルベロスには縁のない種族さ。


『でも、命の恩犬だわ。貴方は英雄よ』


「よせよ。甘噛みして起こしただけだ」


 愛を知らない猟犬が英雄のはずがない。本当は可愛いメスわん公じゃなくても構わないんだ。最低だと思うだろうが……誰だっていい。


『まあ、私みたいに醜い傷モノが、生きながらえて…どうしようってのかしらね』


「さあな。プライドが高いから、そう思うんだろう」


 寂しかったんだ。マイロみたいな兄妹や家族が羨ましいと思った。勿論、アンナ様と骸骨、パピィは家族だと思ってる。それでも、親子みたいな家族には憧れちまう。


 ブスわん公でもいい。もし、俺を好きだと思ってくれるメスわん公が居たとしたら、こう言うつもりだ。毎日毎日、一生だ。


 綺麗だよって――。


『いま……なんて?』


 お、お前に言ったんじゃない。と言いそうになったが、辞めた。彼女は、ポロポロと涙を流していた。


『あ、ありがとう。貴方は優しいのね』


「よせよ。俺は誰にだって優しいんだ」


 俺にメスわん公の気持ちは分からないみたいだ。容姿を褒められただけで、あんな顔を見せるなんて。あんな、悲しげで幸せで……切ない顔をするなんて。




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