獣人アンナ


 入口で猟犬ガルちゃんは止められてしまったけど、わたしは息を乱したまま階段を駆け上がって闘技場を見たわ。女剣闘士の恰好をしていたから、私だけはすんなりと入ることが出来たの。


「!!」


 味方は居なかったの――。


 観客席は騒然としていたの。四対一の決闘などあるはずがないわ。あの骸骨兵士は一瞬で勇者の剣の錆びにされるだろう。誰もがそれを疑わなかったの。


 ファイアボールが黒煙を巻き上げる中、骸骨兵士は素早くジグザグに後退したわ。勇者の暫撃をスレスレでかわし、戦士の棍棒を飛んでよけたの。


 受け流した勇者の剣は、地面に突き刺さったわ。骸骨剣の水と風を駆使して、度重なる攻撃をかいくぐったの。隙を作って渾身の一撃を狙っていたに違いないわ。手のひらにびっしょりと汗をかいたわ。

  

 何度か危険な場面があったけど、勇者と戦士は息があがりはじめ、互いにバランスを崩してもつれあったの。


 ガイの剣が光ったと感じた瞬間、足元を取られたの。きっと場外から誰かが魔法を使ったんだわ。魔法使いも僧侶も、そんな暇は無かったんですもの。


「ひ、卑怯よっ!」


 前のめりに倒れた骸骨に僧侶は、躊躇なく聖なる矢を放ったわ。光に包まれた柱が立ち上ぼり、人々は目を細めて見守ったの。わたしは両手を口に当てて言葉を失ったの。気も失いそうだったわ。


『……』


 地面に残されていたのは、剣闘士の丸盾だけだったわ。追い立てられ、光に消えた骸骨兵士を観客は誰も笑わなかったわ。静まりかえった闘技場を見下ろし、演者は続けたわ。


『こ、今宵はヴェルファーレの戦いを再現しております。魔物たちの攻撃は、ひ、卑怯な待ち伏せであったが、勇者は――』


《違うぞっ、人間! 人間は魔物の村に突然あらわれ、焼き払い、殺戮をはじめたのだ。なにも害をなさない魔物たちを!!》


 演者は肩を上げてハンス王子を振り返ったわ。静まりかえった舞台に額は汗だくになり、指示を待っていたの。


「ここは、あの残された魔物を解放するべきではないでしょうか? あのシルフを黙らせないと観客は……」


「駄目だ、皆殺しにしろ。貴様も死にたいのか」



 シルフはグリフォンの千切れた羽の中に腕輪を見つけ、そっと自らの腕にはめたの。ドラゴンの鱗が嵌め込まれた腕輪。本物の不死のドラゴンの鱗、つまり竜鱗の腕輪よ。


 彼は壮大な記憶の流れに身をゆだねたの。骸骨兵士の前世の記憶。骸骨兵士の前世は骸骨兵士だったの。その前世も骸骨兵士だったの。ほとんど骸骨同士で剣の修行をしていたわ。


 ……でも前前前世は違ったわ。


 シルフは慌てながら、両手の指をを合わせ山を作ると精霊の力に集中し、ゆっくりと息をはいたわ。骸骨兵士は自分が何者だったか覚えていないの。


 自分がドラゴンハーフの剣士だった頃を覚えていないの。


 ハンス王子は演者の前に立ち上がり、こぶしを突きだしたわ。親指が下を指せば、残された魔物たちの命はないのよ。


「キャーキャー!」

「ワー、ワー!!」


 自分に向けられた歓声に王子は口角を吊り上げたわ。人々は物語になどに興味はない。醜い魔物の血が見たいのだというように。


「ふっ、ふははっ。殺せっ!」


 ハンス王子は親指を下に向けたわ。でも、その歓声は王子には向けられていなかったの。誰も王子を見ていなかったわ。


 土が盛り上がり、盾は真上に浮きあがったの。ただれ、ボロボロの革鎧を着た兵士が甦ったのよ。シルフは叫んだわ。


《これは彼の物語だっ!! 彼の住む魔物の村は平和だった。はじめ……人間は、友好的に現れた。互いに生きようと交渉を始めた》


 現れたのは骸骨兵士ではなかったの。黒髪に、螺旋の角が、こめかみから耳をグルリと包んでいた青年。観客は目を擦って見ていたわ。


「………なんだ」


「おい、俺達は何を見せられてるんだ!?」



 擬人化したドラゴンと人間の間に生まれた……ドラゴンハーフだったわ。 悪魔のような角と肩から腕に、鱗があったの。でも、醜いとは思わなかったわ。


《彼の村は人間によって、焼き払われた。魔王などいない。ただ、魔物の持つ魔石をかき集めるのが、軍に与えられた任務だったからだ》 


 変化へんげの指輪と……竜鱗の腕輪、魔法陣の描かれた丸盾。わたしたちの目的は人間と争うことじゃない。うちの天才パピィはこの条件で観客に魅了チャームを掛けてこれを見せようとしたんだわ。


 シルフの目には赤い血の涙が流れていたわ。


         ※



 暗い森の向こうに村が真っ赤に燃えているのが見えた――。


 村が奇襲によって壊滅したとき、彼だけは生かされていた。かつて人間と友好的な関係を築きつつあった日に、こう言ったからだ。


『はははっ。俺は今度、生まれ変われるなら人間になりたいな』


 ずっと半獣人として蔑まされて生きてきた彼にとって、たった一言の過ちだった。子供のころから村に居場所を求めていた。


 親の無い半獣人を育ててくれたのは森のはずれに住んでいた骸骨スカル師匠だった。


 育ててくれたとは言えない。師匠は剣術以外に興味はなく、食べず、眠らず、無駄な会話も交流も好まない、ただの亡霊だった。


 剣を合わせることだけが、師匠との会話だった。生活は貧しく頼れるものは居なかったが、彼は腕を磨き、村に害をなす魔獣を倒して日銭を稼いだ。


 村人は少しずつ彼を受け入れてくれた。襲われそうなシルフを助けると、何人かの友達が出来た。


 だから彼は人間の訪問に胸を躍らせた。水田を作れば生活が豊かになるとか、この村でとれる黒曜石を加工すれば街で商売が出来るとか。彼は積極的に人間を受け入れ、彼らと友達になろうと努力した。


 川で取った魚を持っていったり、人間の持つ知恵を少しでも吸収しようと思った。そんな彼の努力に数人の村人は答えてくれた。


 彼は村に住む美しいシルフと結婚をした。いつか、魔獣から助けた娘だった。親の居なかった彼にとって、それは奇跡だった。産まれてくる我が子のことだけが気がかりだった。


 自分とは違う……とは信じていても、自分が友達や恋人を作るのは至難の技だった。そんな思いをさせたくは無いと思った。


 この子はひとりぼっちじゃない。両親も守ってくれる友達だっているのに、つい口に出てしまった言葉だった。


『人間に生まれ変わりたい』だなんて。


 誰も公には婚姻を祝ってはくれなかった。村の役場に行き、腰の曲がったオークに紙切れを渡しただけの婚姻だった。

 

 オークは半日待たせて、おめでとうの一言も言わなかったが、彼はそれでも幸せだった。薄暗く小さな家を買ったら一文無しになった。


『踊りたい気分だけど、俺はダンサーみたいに上手に踊れない』


「あはは。かと言って話が上手い訳でもない」


『ぷっ……暗くて狭い家でごめんよ。お化けがでそうだね』


「ううん。貴方は怖い?」


『俺に怖いものなんかない。キミは少し怖い』


「真面目な顔でよく言えるわね。もう無理、あはははははっ」


 それでも彼は心から彼女を愛し……愛された。二人は恥ずかしそうに笑い、手を繋いだ。彼女のお腹に手を当て、命の鼓動を感じた。そんな幸せが永遠に続くことを祈った。


「心配ないわ。貴方の為に祈ってあげる。無条件の愛を与えるわ」


『いつから?』


「…がっつくわね」


『あはははははっ』

「あはははははっ」


 その晩、人間に連れ出された彼は、膝をついて叫んだ。炎に包まれた村を見つめて。


「何故だっ……何故……こんなことを。どうして……俺だけ……生かした」


『半分人間の貴様は利用価値がある。また魔物との橋渡しをしてくれよ。クックッ、おかげで仕事がやりやすかったぜ』


 彼は人間を許さなかった。剣をとり、最期の最期まで人間と戦って……死んだのだ。


 何者にもなれず、産まれてくる我が子を見ることも出来ずに、短い人生を終えたのだ。


         ※



《本当に再現されるべきは…彼の戦いだ!》


 彼は英雄でもなければ、聖人でもなかったわ。不器用で惨めなただの男だったの。観客は、そんな彼の姿に自分を映したわ。彼は自分たちそのものだったの。


 ドラゴンハーフはシルバーソードを構え、向きなおったの。勇者たちは固まりになり魔法使いが防御シールド魔法を展開していたわ。


 殺気に満ちた剣がオーラを纏ったように揺らめいていたわ。わたしは闘技場に向かって塀を飛び越え、彼のもとに走ったわ。


 ラストアタック。渾身の一撃を撃ち込んだとしても、あの魔法障壁は崩せないわ。彼は今度こそ、粉々に消しとんでしまうだろう。それで、いいと思っているんだわ。


 私は……彼に言った言葉を思い出したわ。


『ガイは、私のお父さんなんだからねっ。ずっと一緒にいてもらわなきゃ』


 転生されたのは、貴方じゃ無く私の方だったんだ。私はガイの想いを全身で感じて、そう思ったの。


 そして人間に生まれ変わりたいという願いは歪んだ亡霊の姿で彼を甦らせたわ。


 何度も……何度も、中途半端な骨だけの人間の姿で転生したんだわ。もう彼を苦しめるのは辞めて。もう一人で死なせるなんて、させない。


『ファイアアアア!!』

「ファイアアアア!!」


 私は剣を抜き、彼の跳躍ジャンプに合わせて火の用心を発動したわ。まだ成功したことは無かったの。上手くいく保証なんて無かった。


『ボーーーーーン!!!』

「ボーーーーーン!!!」

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