第2話 夏の終わり、または高校生活最後の夏休み




 最近、よく目が合うヤツがいる。

 鷹藤(タカトウ)良和。

 おれが加藤であいつが鷹藤。

 一学期にあった小テストでおれとあいつがたまたま六位と七位になった教科があって、続けて名前を呼んだ先生が「カトウ・タカトウってコンビ名みたいだな」って笑って。おれはあいつの席がどこにあるのかさえ知らなくて、首をブルンと振って窓際にいるのを確認したけど、あいつはこっちを見ることもしなかった。


 つるんでいるヤツらも違う。おれがふだん一緒にいるヤツらは、教室内のにぎやかし担当。去年までは他校の女子と合コンしたって騒いでたりもしたけど、さすがに三年の二学期ともなるとそんなことも言ってられない。

 鷹藤はフェンシング部だったこともあって、一緒にいるヤツはたしかみんな元フェンシング部のヤツら。背が低いのも高いのも、みんな揃って姿勢がいい。この前の体育で、ジャージを脱いだ時に、腕のあたりとかガッシリしてるんだなと思った。おれも身長はそれほど変わらないけど、部活とは中学で縁を切って、高校三年間は帰宅部と予備校通いに励んでいるおかげで中肉中背のまま。


 目が合うっていうのは、相手がこっちを見ているんじゃなくて、自分が相手を見ているというだけのこと。だから、変な勘繰りをしちゃいけない。


 けど。

 目が合うってことは、あいつも多少おれの視線を感じているわけで。ただ、それ以外はおれも鷹藤も、周りのヤツも一学期の頃とさほど変わっていない。……ということは、あいつはあの日にあったことを誰にも話していないってことだよな。もちろん、おれも誰にも話していない。


 手を止めて、ガラにもなくハァ~ッと息を漏らす。中庭を掃きながら、おれは今いったいどういう種類のため息をついているんだろうか。竹ぼうきの先に絡まった落ち葉の中から、赤と黄色が混ざり合った一枚を指の先でつまむ。見上げた校舎の窓はところどころピカピカだったり、くすんでいたり。その向こうにある空は「天高く――」なんて声に出したくなるぐらい、どこからどう見ても秋の空だった。





 こんなふうに鷹藤を意識するようになったのは、夏休みの終わりのあの夜から。

 予備校の帰り、腹が減ったなーと思いながら階段を降りていると、視線の先に見覚えのある男がいた。駅前のロータリーの手すりに浅くケツを乗せて、足元にはスケボー。なんか、こっちを見ていた。だから目が合って、誰だったか思い出すのに少し時間がかかったけど、そいつのほうに向かって歩いていくうちに鷹藤という名前を思い出して、「よっ」と声をかける頃にはセーフ。

「何してんの? 誰かと待ち合わせ?」と訊くと、「いや、別に。あ、いや。そうそう」って、何かごまかしているのが丸わかりでおかしかった。そのまま、手すりに座った鷹藤を残して「じゃ」って帰るのもなんか違う気がして、「スケボーって意外だな」って足の先でつついたら、「加藤は、やる?」「おれはやらねー」「なんだ、それ」ってあいつが笑って。


「おれ、腹減ってて。予備校行く前に食う時間なくて」

「……帰るか?」

「や。鷹藤、時間ある? 何か食いに行こうぜ」


 おれって人間は、友達はそんなに多いわけじゃないけどコミュ障ではないんだよな。だから、ロクにしゃべったこともないクラスメイトとファミレスでサシで飯を食うなんてことも平気でする。不思議だったのは、沈黙が続いたらどうしようとか思う以前に、シンとした空気が流れなかったこと。進学先はもう決めてんのかとか、学校が始まったらダルいなぁ、でも夏休みも結局こうやって予備校行ったりしてダルいよなとか。ダルくない人生っていつ頃やってくるのかなぁとか、どうでもいいことばかり話していた。おれがひとりでしゃべり続けるわけでもなし、鷹藤はおれが何か聞けば答えて、ときどきボケたことを言ったり、うなずいて話に耳を傾けてたり。


 ファミレスを出て、そこからちょっとだけ距離があるけど、スケボーができる広めの公園に向かった。肩を揺らす鷹藤の笑い方は豪快で、おまけにスケボーがめちゃくちゃうまかった。意外な気もしたけど、その時にフェンシング部だったと聞いて納得。バランスのとり方とか、おれなんかとは基本的な運動能力の差があるんだなって。

 時計を見ると二十三時ちょっと前で、母親から届いたばかりのメッセージには『先に寝るから、帰ったら戸締り忘れないでよ!』とあった。ベンチに座って、ジャーッとタイヤの音を立てながら薄い板に乗って近づいてくる長身を眺める。ちょっと休憩、と隣に座ったヤツと「やるか? スケボー」「だからやらねーって」と、さっきと同じ会話を繰り返して、同じように笑って。


「なんかさ、どうでもいい話なんだけど、妹に彼氏ができて」

 ふん、と鷹藤は相づちを打ち、「心配なのか?」と首をかしげる。

「いや、全っ然。それより、そんな話を晩メシの時にキャッキャ言いながら親に話してて。おれにもし彼女とかできたとしても、絶対にそんな報告しないわと思いながら無視してたら、突然矛先がこっちに向いて。『ところで、お前は彼女は?』って父親が言い出したと思ったら、『モテないわ。ほんとにもう勉強しか能がなくて』とか、すっげー食い気味に言うわけよ、母親が。はぁ? だよ。おれ何にも言ってねぇし。ていうか、今始まったことじゃないけど本当、うちの親ってブレまくりなんだよ。中学の時は『部活ばっかりやってないで勉強しろ』ってさんざん言ってたくせに今頃ナニ言ってんだっつーの」

「あはは! 加藤のご両親、おもしろいな。てかさ、親とそんなふうにメシ食ったり、話したりするんだ。仲良いんだな」

「よくねぇ。お前こそ、家ではどんなんなんだよ」

「俺は一生反抗期だな。親の顔なんて見たくねー、話すのもめんどくせーって気配を放出してるからか、父親も母親も話しかけてこない」

 鷹藤はそう言うと、くっくっと笑った。笑ったけど、おれも一緒になって笑っていいものなのか、その時ちょっとだけ考えたんだ。いや、むしろ「高三にもなって反抗期かよ」とか、フツーに笑って返せばよかったのかな。


 そろそろ帰るかってヤツが言って、「駅まで送るわ」「そりゃどうも」なんて言いながら、さっき来た道を引き返した。よく考えたらスケボー持参の男を駅まで送るも何もないよな。けど鷹藤はニコッて笑って歩き出した。

「あのさ、全然関係ないこと言っていい?」と聞くヤツにどうぞどうぞと身振り手振りで返したら、


「俺、今日誕生日なんだ。今日で十八歳」


 そう言った時のあいつの顔をいまだに覚えている。

 おれは鷹藤の左側を歩いていて、左脇に抱えたスケボーに目をやるようにうつむきがちにそう口にしたあいつは、夜目にもわかるぐらい照れくさそうだった。誕生日云々よりも、その表情にちょっとした驚きを覚えて、「お、おめでと」といった声が変にかすれてしまった。だからって、咳払いすんのもちょっと空気を壊してしまいそうでためらわれる。けど、そんなこっちの思惑をよそに鷹藤は、「サンキュー。いいな、誕生日におめでとうって言われるのって」と、さっきまでとは一変してうんと晴れやかな顔を見せた。


 おれがカバンの中を探りながら「ごめん。何もないけど」と言うと、鷹藤は大げさに上半身を折るような前傾姿勢で笑いながら、「当たり前だろ? 今初めて誕生日だって言ったんだし。それに、お前、いつもアメとかガムとか持ち歩いてんの?」

「そんなんじゃねーよ。うちのババアじゃあるまいし」

 鷹藤の笑いは止まらなかった。記録的な熱帯夜が続いた八月も、そろそろ終わる。夜の匂いがする中で、カラカラと風車が回るような笑い声が妙に心地よかった。


「加藤の母さんに逢ってみたいな」

「やめとけやめとけ。ていうか、いつまでも笑ってんじゃねーよ」と、つられるふりをしておれも笑った。

「さっきの妹さんの話だけどさ、加藤はこれまで彼女がいたことはあるのか?」

「まぁ、ここだけの話……、ない」

 笑われることはないと踏んでいた。その通り、ふーんと鷹藤は言い、「意外なことに俺もないんだ」


 それは確かに意外だった。世界中の男を『男前』と『それ以外』に分けたなら、確実に『男前』の看板がかかった部屋に案内されるに違いない。そんな見た目をしてんだぜ。鷹藤って。とはいえ、


「意外ってナニ? 自分で言うか?」

「だって、今そう思っただろ?」


 ばっかじゃねぇのって、さっきみたいに大口開けて笑っているうちに駅前に出た。ロータリーに続く信号の手前で、「じゃ、ここで」とヤツは言い、「今日はありがとな。また学校で」と手を振った。


 おれは三秒ぐらい立ち止まっていたと思う。

 不思議だった。数時間前にここでバッタリ出くわしたクラスメイトと、たぶん初めてしゃべって、メシ食って。それが妙に楽しかった。ヤツの誕生日だった。


 数時間前。この駅で、鷹藤は確実に誰かを待っていた。

 あいつが住んでいるのは隣の駅で(って、さっき聞いて知った)、もしかして、お前もあの下級生みたいに学校外に付き合っているヤツがいて、そいつと待ち合わせしてたとか。そいつが来なかったから、おれと――? ただの憶測だったらいいけど。

 ……ん? いいけど? 『いい』って何がいいんだ?





「……とう、加藤、いつまで掃除やってんだー」


 職員室の窓から呼びかけられて、ハッとした。

「はいー!」と答えて、竹ぼうきを返すべく用具室を目指した。




 そうなんだよ。後になって、あの夜、鷹藤とファミレスでしゃべってたことを不意に思い出したんだ。夏休みの課題は終わったかって聞かれて、

『まだ。三分の一ぐらい残ってる』

『うっそ。そんなこと言って、ホントは終わってんだろ?』と笑いながら、『加藤はそういうの、早めに片付けるタイプだと思った。成績も良いし。一学期の物理の小テストも俺より上だったし』

『上っつったって六位と七位じゃ変わんないだろ。しかもあの教科だけだし』

 ま、それもそうか。と言いながら、『けど、加藤はいつも真面目に授業聞いてるだろ』とヤツがこっちを見た。そうでもないよとか答えてその時は特に何も思わなかったけど、よーく考えてみたんだ。

「いつも真面目に聞いてるだろ」ってさ。なぁ、鷹藤。お前は授業中のおれを見ているのか? おれは、あの物理の小テストが返ってきた時まで、お前がどこに座っているのかさえ知らなかったのに。

 なのに、今になってなんか妙にお前のことが気になり始めているんだよ。


 別に口止めされたわけでも、したわけでもない。ただ、あいつとおれだけが知っていることがこの世にたった一つあるという事実。あいつの十八歳の誕生日に初めて一緒にメシを食って、どうでもいい話をして、それが楽しかったこと。

 それが高校生活最後の夏休みにあったということ。

 なんかそういうのが、ちょっと大切に思えた。

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