『肉』の日

《伝説の幽霊作家倶楽部会員》とみふぅ

『肉』の日

2月29日。語呂合わせによって『肉』の日とも呼ばれる、4年に1度のちょっぴり特別な日。


朝、目を覚ますと俺の身体は筋肉マッスルになっていた。


比喩ではない。文字通り理想的なまでの筋肉ムキムキマッチョマンになっていた。テレビとかのCMで見るやつ。


……すまない、頼むから待って欲しい。俺は特別な運動なんてしてないし、昨日まではどこでも見かけるような標準的体型の持ち主だった。現に今着ているパジャマは膨張した肉体に耐えきれず、どっかの世紀末覇者みたいな感じになっている。もちろん変な薬なんて飲んでない。それが何故、朝目覚めたらこんなことになっている?


隆司たかし、起きてるー?」


コンコンガチャリ。


「え、恵美えみ!?ちょっと待っ……」


扉を叩く音から続けざまに、俺の返事を聞く前に扉が開けられる。そこには隣人であり幼馴染でもある恵美が立っていた。




……ムキムキの筋肉姿で。


「なんだ、起きてんじゃん。早く着替えなよ。おばさん、もう朝食作ってるよ」


そんないつもと変わらぬ調子の恵美に俺は。


「お、お前、本当に恵美か……?」


思わず声を震わせて尋ねた。


「はぁ?どうしたの隆司。珍しく起こす前に目覚めてると思ったら唐突に頓珍漢なこと言って」


怪訝に浮かべられた表情。その愛らしい顔付きも、ゆらゆら揺れるポニーテールも変わらない。


ただ、その体つきだけは違った。どっかのプロレスラーを彷彿とさせるような逞しい腕と、服の上からでも分かる腹筋。もうなんか、うん、俺の知ってる恵美じゃねぇ!


「俺の知ってる恵美は愛らしい顔にスレンダーな体型のやつなんだよ!断じてお前みたいな霊長類じゃねぇ!」

「ちょっ、失礼にも程があるんだけど!?私のどこが可笑しいのよ!?」

「顔は良いんだよ!身体が異常すぎんだろ!!」

「あ、顔は認めてくれるんだ……嬉しいな」


その体躯で顔赤らめても、違和感が凄すぎて可愛いと思えねぇ……。


「……ごほん。とにかく隆司は錯乱してるみたいだけど、学校行くよ。遅れたらただじゃすまないんだから」

「あ、あぁ、分かった。先に降りててくれ」

「……それと隆司、いつまでも女子の前で半裸なのはどうかと思うよ」

「いやぁぁぁぁぁぁ!!?」









その後、準備を整えた俺は恵美と共に学校へと向かった。


出会う人出会う人、どいつもこいつも筋肉ムキムキ。子供も大人も赤ちゃんも老人も。挙げ句の果てにはワン公も。


……なにこの地獄絵図。


しかも俺以外誰も不思議に感じた風ではない。当たり前であるかの様に行動している。


俺か、俺が可笑しいのか?





「よく来たなウジ虫ども!今日も貴様らを筋肉が擦りきれるまでミッチリしごいてやる!これが終われば貴様らも耳カス程は最強の霊長類に近づけるだろう!返事は!?」

「Yes、muscle!!」

「え、え?」

「ウジ虫隆司ぃぃぃぃ!!返事をせんかぁぁぁぁ!!」

「ひぃぃぃ!い、Yes、マッソォォォ!!」


学校も、俺の知る場所では無くなっていた。

在校生徒は皆muscle。教員は言わずもがな。

本日のスケジュールは1に訓練、2に訓練。3に鍛練、4に鍛練。

……うん、なんだこれ。


恵美に遠回しに聞いた話では、12年前に降り注いだ隕石の衝突の際、隕石内部で眠っていた未知なる生物が地球内部に侵入。地殻に根を生やしながら増殖し、やがて人類を襲い出したらしい。


そんな生物に対抗するために特別な訓練を積んだ兵士に俺達を仕立てあげるのが、この学校の教育理念だということだ。


とはいえ。



ヒップレイズ!サイドベント!


ダンベルカール!ハンマーカール!


プッシュアップ!ベンチプレス!


サイドクランチ!ハイクリーン!


レッグカール!ハックリフト!


バックプレス!サイドレイズ!


ベントオーバー!ラットプルダウン!


『とどめの一撃サイドチェストォォォォォ!!』


モストマスキュラー大変素晴らしいだウジ虫どもぉぉぉぉぉ!!」


ごめんなさい、ついていけません。





ゴゴゴゴゴッ――。


「な、なんだよこの揺れは!?」

「っ、隆司!右に跳んで!」


唐突な事態に狼狽えていた俺は恵美の声が響くや直ぐに指示通り跳ぶ。すると先程までいた足元からはたこの様な吸盤のついたものがそびえ立っていた。


まさかあれが……!


「隆司!あれが私達が倒すべき敵よ!」

「構えるがいいウジ虫ども!貴様らは未だウジ虫のままだが、今このときをもって、貴様らはやつを狩る獅子となるのだ!」


皆が武器を構える中、次々と地面から太い触手が姿を現す。


「筋肉は期待を裏切らない!行くぞ!!」

『おぉぉぉぉぉぉぉ!!』

「お、おぉぉぉぉぉ!!」


そこからは、死に物狂いだった。


触手の猛攻を掻い潜り、手に持った斧で傷をつける。暴れる触手から距離をとり、機を伺ってもう一度斬りつける。そうして何度も繰り返してようやく一本の触手が千切れ落ちる。

安堵するのも束の間、仲間の一人が触手に絡めとられ放り投げられる。運が良かった者は軽微で済んでいるが、運が悪かった者は重傷、もしくは死亡している。



死にたくない……俺はまだ、死にたくない……っ!



「きゃあぁぁぁぁぁ!!」

「っ、恵美!?」


目を向けた先では恵美が何本ものぬるぬるとした触手に両手足を拘束されていた。恵美は必死にもがいているが、さすがにあの数が相手では分が悪い。


「っ、離しやがれぇぇぇぇ!!」


恵美を縛る触手に向かってがむしゃらに斧を振るう。全身の筋肉が悲鳴をあげるが、お構い無しに叩きつける。


「うおぉぉぉぉ!!」


ブチリ、ブチィ!


どれほどの時間だったか。一瞬か、あるいは数刻だったか。


斧が盛大な音をたてて壊れると同時に、触手が重力に従い落下してくる。ズドォンと砂煙が舞った後には、触手の上で尻餅をついた恵美がいた。触手がクッションの役割を果たしたのだろう、傷は見たところ無いようだ。


「よかった、無事か、恵美」

「……うん、ありがとう隆司」


くっ、やっぱり恵美の笑った顔は可愛いよな。これで下が普通だったらな……。




そんな余裕の隙間を縫うかのように、気付けば俺は触手に縛られていた。しかも御丁寧に、先程の恵美と同じ状況だ。


「隆司!?」

「くっ、大丈夫だ……こんくらいなんとも……え?」


あの、なんか服が徐々に溶けていってるんですけど?しかも触手達が動いたせいで、仰向けだった体勢がうつ伏せになったんですけど?なんか俺を縛ってるのとは別に大きな触手が近くに生えてきたんですけど?



すっげぇ嫌な予感がするんですけど?


「お、おい、お前らまさか……」


まるで地面がそこにあるかの様に、俺を空中で四つん這いの姿勢にすると、背後から触手がにじり寄ってくる。



そして触手はゆっくりと俺の身体の一部――お尻を撫でると、距離をとり、ぐぐぐと力を込める。まるで今にもそこへと射出せんとばかりに。


「お、おい、ばか、やめっ……」






ズブン!!!






「アッ―――――――――♂ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!??」


がばぁ!!


辺りを見渡すと、そこは自室だった。


「はぁ……っ、はぁ……っ、ゆ、夢かよ……」


あまりにも衝撃的な夢に、思わず自分のお尻を撫でる。

な、なんともないよな……。


日付は2月29日。時間はいつもよりも少し早かった。


「隆司、起きてるー?」


コンコンガチャリ。


「なんだ、起きてんじゃん。早く着替えなよ。おばさん、もう朝食作ってるよ?」


そこには、愛らしい顔にスレンダーな体型の、見慣れた姿の少女がいた。


「……隆司、どうしたの?なんかツチノコでも見た様な顔してるけど」

「……なんでもない。なんでもないんだよ」

「普段なら『どんな顔だよ』ってツッコミそうなのに。どうしたの、風邪でもひいた?」

「なんでもない。本当になんでもないんだよ。少し夢見が悪かっただけだ……」

「ふーん、まぁいいけど。そういえばさ、隆司にやって欲しいことがあるんだよね」


やって欲しいこと?


「ほら、隆司ってヒョロ長じゃん。だから少しは筋肉つけるべきだと私は思うんだよね」


恵美がガサゴソとカバンから取り出したのは、パンツ一丁の筋肉モリモリマッチョマン達がポージングする雑誌。


「これを読んで鍛えれば、もやしな隆司でも少しは――きゃっ!?」


ガシィッ!!


俺に両肩を掴まれた恵美は、思わずと言った風に雑誌を床に落とす。


「た、隆司……?」

「恵美、お願いがある」

「な、なによ……」


顔を赤らめ、目を背ける恵美に、俺は目を反らすことなく、俺の想いを伝えた。







「頼むから……頼むから、筋肉はしばらくお休みにしてくれ……」






もし、2月29日にもう一度夢を見るのなら。




次は筋肉じゃなくて、豊満な肉にしてくれ。

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