013 蜜豆

「いらっしゃいませ」

 ベルを鳴らして入ってきた人物に反射的に挨拶をして、顔を見た瞬間わたしは逃げた。厨房の中へ入り込み、ダグの腕を掴んで屈み込む。

「え? イレーヌ?」

「父様がいる」

「えええ!」

 ぽつりと答えたわたしにダグが大きな声を上げる。慌てて口を塞ぐも遅すぎる。

「イレーヌ、ちょっとおいで。ダグは仕事して」

 ミルズはやさしいし、尊敬している。けれど仕事に対しては厳しい。特に今は事情もわからないままお客様の前から逃げた。これが胸を触ろうとしたりする不逞の輩なら別だけど、まだ普通に店に来たお客様だ。

「聞こえたけど、いい機会だから普通に仕事している姿を見てもらいなさい」

「……はあい」

 わたしの呟きは拾われていたようだ。怒ってはないけど許してもくれてない。仕方なくミルズが代わりに案内してくれた父様のところへ向かう。

 仕事なんだ、とわたしは言い聞かせて背筋を伸ばす。俯きそうになるのを我慢して、笑顔を浮かべる。

「さ、先ほどは失礼しました。ご注文はお決まりでしょうか?」

 じっと見つめられるのはやりづらい。ウエイトレスの格好が珍しいのだろうか。それとも家でも使ったことがないような言葉遣いだろうか。むずむずしていると、やっと父様はメニューに目を移す。

「星のシュガージュースと蜜豆を頼む」

「かしこまりました」

 なんとか注文をもらうとホッとしながら厨房へ入る。シュガージュースはわたしの仕事だ。いつもの手順でアイランの花の種を煮詰めていく。


「お待たせしました。星のシュガージュースと蜜豆です」

 注文のグラスとお皿をテーブルの上に置くと、そのまま背を向ける。逃げたい気持ちが強すぎてさっさと離れたかったのだ。

「イレーヌ」

 けれど呼び止められてしまった。

「……はあい」

 いやいやと向き直ると、苦い顔の父様の顔がある。

「連絡くらいは入れなさい」

「う、はい。ごめんなさい」

 怒られた。でも声はそこまで怖くない。気がする。

「ここのクランから連絡をもらった」

「え、ミルズさんが?」

 驚いて彼女を探すけれど、今は他の方の接客をしているようだ。

「いや、マリンという冒険者だ」

「ああ……、マリンさん」

 色んなところを飛び回っている彼女ならわたしのことも調べられただろう。

「逃げるほど本気ならばきちんと挨拶に来なさい」

「……無理矢理連れて帰りたいんじゃないの?」

 てっきり駆け落ちしたのを怒っていると思っていた。連れ返しに来たのかと思っていた。

「最初はそうしようと思っていたが、彼から結婚したいと手紙を預かった……」

 渋々と口にする父様はなんだか拗ねているようだ。顎で彼と言いつつダグを示す。ダグはちらちらとこちらを見ながら仕事をしていて、ミルズに怒られている。

「ここの暮らしは楽しいのか」

「……うん。すごく」

「家には帰ってこないのか」

「今はまだ。店は他の人に継いでもらって。わたしはダグと生きたいの。店のための結婚なんて嫌」

「彼が店を継ぐのならあるいは」

「父様!」

 代々の店をずっと大事にしているのは知っている。だけどわたしは店に興味がない。見所のある店員にでも継いでもらった方がいい。

「そのうちちゃんと挨拶に行く。ダグと!」

「……孫が出来たらすぐに言いなさい」

「気が早いわよ!」

 まだ、そんな、考えられるどころじゃない。真っ赤にして叫ぶと少しだけ父様の口元が緩んでいるのがみえた。

「蜜豆は持ち帰りもあるのか?」

「あるわ」

 甘さ控えめな豆菓子はどうも男の人に人気のようだ。ミルズの試作品に手を加え、ダグが作りやすく改良した蜜豆だ。使っている蜂蜜のせいか、さっぱりとしている。ぴよ豆は茹でるのではなく、炒って少し焦がして風味を更にあげている。保存食として持って行く冒険者もいるらしい。

 最近の新メニューである。

「また来る」

 持ち帰りように蜜豆を渡すと、父様はわたしの頭を撫でる。昔小さい頃によくしてくれたように。

「お待ちしています」

 わたしは精一杯の笑顔で送り出す。


 後でダグには色々聞かなければならないな、と思いながら。

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