四年に一度しかでない曲のわけ

チクチクネズミ

もうすぐ四年に一度

『清水さん。今年はいよいよあの年ですね』

『ええ、東京オリンピック楽しみにしてますよ』

『違いますよ。清水さんの新曲です。ハハハ冗談がうまい』

『ああっそうだった。東京オリンピックのチケットの抽選が外れたからずっとそのことが頭に残ってて』


 冗談だと受け止めた記者の質問に、清水はもみあげまで伸びる一本のあごひげを触りながら笑ってごまかす場面でテレビを消した。

 まったく、記者って聞くだけしか脳のない人ばっかりなんだね。あの人は本当にオリンピックのことしか考えていないんだよ、バーカ。

 テレビが消えて真っ暗になった画面に淡く映る清水樂満を睨んだ。清水樂満それは先ほどテレビに出ていた男であり――口にするのも嫌になるがである。


 清水樂満という音楽家とネットで検索すれば、天才だ。職人だ。変人だと実物を知っている人間からすれば的外れな言葉や人物像ばかり出てくる。振り向けばその『天才』清水樂満は数日前までテレビ出演のためにきれいに整えたあごひげが手入れのしていないマリモのように伸びっぱなしで、休日からビールと駄菓子のチーたらを飲んでいる。


「お父さん、飲んだらちゃんと片づけてよ」

「これも創作活動の一環だ。無造作に散らばる音が俺のインスピレーションを」

「はいはいわかりましたわかりました」


 インスピレーション。インスピレーション。そればっかり。毎日飲んでいるばかりで曲なんて音符の一つもできてないのに音楽ができるものか。

 清水樂満は四年に一度しか新作を出さないのだ。四年に一度というスパンは若い音楽家やアーティストがひしめく音楽業界で残るのはきついのは素人目線でもわかることなのだが、どういうわけか父の新曲は出したら常にオリコンチャート一位を取るのだ。

 私が生まれた年も、四歳の時も、八歳の時も、十二歳の時も全部。

 だが新曲発表の今年は親父の部屋からはまったく曲の一音すら気配がない。わかってはいるが、あのダメ親父、今年は新曲を書けてないのだろう。いやそうであってほしい。あの親父が天才だなんてありえないのだ。


 そうでなきゃ、お母さんばっかり働いているのが不条理だ。でもお母さんはあの人はきっと今年も書くと言ってはばからない。そんなはずない!


 でも私の頭にはあの親父がもしも新曲を完成していたらという嫌な妄想が浮かんでくる。新曲ができないと金が入らないため憂う事態なのはわかっている。でも失敗してほしい願望がある。

 自分の過去曲を鼻歌でビールを飲んで一人楽しんでいる親父の目を盗み、親父の作曲部屋へ忍び込む。物が挟まっているのか、ドアは開きにくくできるだけ音を出さないよう静かに中に入ると、スラムが形成されていた。紙の束に古いコンプが乗せられ、ポテトチップスの空の袋やスルメイカの袋が床ではなく椅子の上に鎮座している。なかなかにカオスな様相を呈していた。

 こんな中で作曲なんてできるはずはない、だんだん自分の中の妄想が現実となって期待が膨らんでくる。親父の無駄に豪華なマホガニー材の作業机を覗き込むと素には真っ白な譜面が一枚。けどその隣には『愛娘日記』と唾をかけたくなるような文字が表紙に書かれた分厚い日記が文鎮のように鎮座していた。


「見ちまったか」


 いつの間にか後ろに親父が立っていた。


「そうだよ。書けてないんだ音符のひとつも。来年書く、来年書くと自分に言い聞かせて。笑えよこんな音楽家をさ」


 クックックと赤い顔をしながら自虐すると椅子の背中にもたれる。何を言っているんだこの親父は。……酔っているな。


「俺はさぁ、お前が生まれる前まではてんで売れなくて。お前が生まれてきたことを書いていたらさ売れてよ。他の曲書いても上からは常に没喰らって、結局四年に一度にお前のことを書いた曲書いたら売れたのさ。でも今度はさっぱりさぁ。俺の才能なんて結局ないのか」


 ああ、これは完全に酔っているやつの言葉だ。自分を天才だと思っているやつの常套句「俺には才能なんてない」だ。いつもなら話半分聞いて受け流す私だけど、胸の奥で目の前の酔っ払いをぶっ潰したい欲求が湧き上がった。


 


 くるりとドラマのワンシーンの子役タレントになり切って、感動の場面的な潤んだ声を出して演出した。


「私が可愛くなくなったてこと?」

「違う。俺がお前を可愛いと思えなくなったからだ。だから題名が真っ白なんだ。俺は天才だじっくり腰を据えて書けば売れる人間だと思っていたツケが来ただけだ」


 なんて簡単に引っ掛かってくれたのだろうこのダメ親父は。私がそんな素直でいい娘だと思っているのだろうか、自分を才能が枯れた天才音楽家と思っているのだろうか。そして涙ながらに、娘の言葉を受けて引退宣言でもしてしまうのだろう。

 大歓迎だ。お望み通りの引退の花道への演出と三文芝居を売ってやるよ。


「もういいんじゃない」

「ん?」

「私、清水樂満は。この四年間何も書けず音一つ出せず。家事を娘任せにして、可愛いと思うこともできなかったダメ親父だって。何も宣言しないままできなかったよりも幕を引いたら」


 すると親父は染みができた薄汚れた天井を仰ぎ見てしばらく何か考えると、ポツリと口を開いた。


「そうかもな。その時期かな。いままで苦労をかけてすまんかったな」


 そう言うと親父は机の周りを自分から片づけ始め、真っ白な譜面ごとゴミ箱の中に捨て去った。

 私は名残惜しそうな表情を作ってドアを閉めると、我慢していた口元の筋肉が引きつった。

 ざまあみさらせ。


 一週間後、あの親父が緊急会見という形でテレビにでていた。中継しているニュースキャスターはいよいよ引退宣言かと現場から中継している。


 やるじゃんこのキャスター。よく見たらさわやかイケメンだし、この人が出ているニュース追っかけようかな。


 いよいよ親父が会見場に入場する。黒のスーツに、特徴だったあごひげはきれいさっぱり剃られて葬式に出るみたいな悲壮感を漂わせていた。


『皆さま、私清水樂満は常に四年に一度しか出していませんでしたが、これは私の職人的な感性ではなく、完全な怠慢でした。作曲はいつも締め切りギリギリの一月前で、その時は娘の思い出をもとに書いてました』


 告白した親父にはカメラマンたちが眩いシャッターを何度も切る。まるで犯罪者のようだ。いい気味だ。

 つらつらと私のことやファンや関係者に対しての反省の言葉がつらつらと続けられついにあの言葉がでた。


『このような失態のままファンの期待を裏切ることはできないと思い。決断しました』


 そして深々と頭を下げた。ああ、これであいつは天才ではなくなったと留飲が下がった。だが頭を上げた親父の顔は――超満面の笑みだった。


『心機一転してこれからは毎年一曲づつ出してこうと思います。清水樂満の新曲の題名は『ダメ親父』です。この曲のアイディアと背中を押してくれた私の娘に感謝を』

「あのクソ親父じいいいぃぃ!!!!!!」


 その後清水樂満はまたも新曲で一位を例年通り取り、マンネリ気味だった父の印象も同じ親父層から受けてテレビに出演する機会が大幅に増えていった。


 私は結局また、天才ダメ親父の新曲の出汁にされてしまったのだ。

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四年に一度しかでない曲のわけ チクチクネズミ @tikutikumouse

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