第32話 過去
周りの子供たちと、いっさいの
そう、少年に前世の記憶がよみがえる『その日』までは。
「――ィッ」
それはいつも通りの朝、通学中の出来事だった。
自身がこの地球に生まれてからの年月、それを遥かに上回る膨大な量の記憶が、唐突に少年の頭の中へと流れ込んできたのだ。
燃える星、破壊される都市、苦しみの果てに互いを殺し合いながらも生を懇願する弱者たち、それらから奪い、殺し、犯し、すべてを搾り取って残った死体、死体、死体。
映像化された記憶の数々が少年のその脳内を駆けめぐり、彼は道の真ん中で白目を剥いて倒れて救急車を呼ばれる羽目になった。
「こんにちは。――くん」
病院の個室で少年が目を覚ましたとき、彼の目の前にいたのは黒いスーツに身を包んだ男だった。
その後ろの椅子には顔をおおって泣き崩れる母とその肩を抱いて慰める父がいて、そしてその横に、目の前の男と同じような恰好をした知らない男たちが、部屋の出口をふさぐようにして立っていた。
「前世の記憶が戻ったようだね。きっと今は混乱していると思うが、次第に慣れる」
それからその男は自分たちの素性を語り始めた。
少年のようなケースの人間を『逆輸入的転生者』と呼んでいて、自分たちはそれが行われた瞬間を察知して、その転生者が自暴自棄になって能力を暴発させないようにケアするための『秘密機関』なのだと。
少年はその話をほとんど聞き流しながら、ただ茫然としていた。
自分自身が前世に犯した罪に、これから待ち受ける『虚無の牢獄』への恐怖に押しつぶされそうになりながら、母のすすり泣く声だけに耳を傾けていた。
――少年はそれからずっと『独り』だった。
周りに同じ境遇の、それも同い歳の子供などそうそういるはずもなく、誰も少年の自己嫌悪や恐怖を真に理解できない。
いつの間にか周囲の人間関係に壁を作ってしまい、少年は孤立していた。
元友人たちにからかわれたり、いじめを受けるようなこともあったが、少年にとってそれはささいなことに過ぎなかった。何人がかりで殴り掛かられても、前世の記憶が戻った状態の少年の実力は、そこらの大人だってひと捻りにできるものだったからだ。
そうしてやられたらやり返すというシンプルな行動をしていただけだったが、周りから見ればその時の少年は荒れていた。相手が同級生から上級生に、上級生からさらに上の学校の人間に変わっていくのにそう時間はかからず、少年は腕っぷしの強い不良生徒としてその名前を学内外を問わずに広げていった。
そんな荒んだ生活をして2年の月日が過ぎて。
――その『運命の日』はやってきた。
「キミが、この辺りで『ぶいぶい』言わせているとかいう、有名な不良生徒ですね?」
「あ……? 『ぶいぶい』……?」
公園のベンチで足を投げ出して座っていたところに突然そう声をかけられて、少年はにらむようにして目の前に立った人物へと顔を向けた。
最初は、また懲りもせずこの辺りの不良が腕試しに挑戦してこようとしているのかと思った少年だったが、しかしすぐに違うと気がついた。それはケンカを売りにきたにしてはあまりにも柔らかい物腰だったし、なにより声をかけた相手の身体の線は細く、とても荒事に向いてる体格には見えなかったのだ。
ついでに言うと、小さな顔にかけられた大きな丸眼鏡がとても不格好で、向かい合っていると気が抜けてしまいそうな雰囲気を放っており、かけらの悪意もみられなかったということもある。
「なんの、用だよ……」
人に、それもおそらくは同年代である人間に話しかけられるのは久しぶりで、目的がわからずつい警戒するような返事になってしまう。
しかしそんな険のある言葉を気にした様子もなく、その相手は柔らかい笑みを浮かべて言う。
「『だいじょうぶ』ですよ」
「……は?」
突然かけられたその言葉に、少年はポカンとした。しかし、『なにが』とか『なに対して』などと聞き返す前に少年の手は羽毛のように柔らかで温かな両手に包むようにして取られて、そして言葉が続けられる。
「私はぜんぶわかってますよ。私もキミと同じですから。恐いのも、悲しいのも、苦しいのも、気持ちが悪いのも、ぜんぶぜんぶわかっています」
そう口にしたその線の細い身体の内側にある、ある種の気配を感じた少年は瞬間的にすべてを察した。
ああ、この人もまたあの忌まわしい記憶の世界を知っている人間なのだ、と。
だからこそ、
「――はっ」
少年は鼻を鳴らして、あざ笑うように答えた。
「なにが『だいじょうぶ』、なんだよ……!」
少年は初めて自身の手を包む相手に真正面から向き合って言う。
「さんざん人を殺してきた記憶をもったまま、今まで通り生きられるとでも言うのか? 『虚無の牢獄』行きが決まっている人生を前向きに生きろとでも言うのか? 無理だろ? 無理だよ、そんなのは……!」
血を吐くようにして放った霊治のその言葉をぶつけられて、しかし当人は微笑みを崩さなかった。それどころか、すべてを受け入れる沖合の海のように穏やかな表情で言う。
「恐いんですね、キミは」
「あたりまえだろッ‼ お前はこれが恐くないとでも言うつもりかっ⁉」
少年は包むようにして握られていた手を乱暴に振りほどこうとするが、しかしその手は細く見えるその腕からは想像できないくらいに強く握られていて外れなかった。
「おい、放せよ……ッ‼」
「いいえ、放しません」
「俺に構うなよッ‼」
「イヤです」
「なんで――」
あまりのしつこさにとうとう本気で怒りをぶちまけそうになった少年は、しかしそこで息を詰まらせるようにして言葉を止めた。
「――なんだよ、その顔……」
自分を見つめているその相手は、微笑みながら、しかしとてもよく見覚えのある表情をしていたのだ。
それは毎日のように鏡で見る少年自身と同じもの。他人に決して理解されない絶望を胸の中に押し留め、刺すような痛みを伴う不安と罪悪感に青白くなった顔だ。
「本当に、わかるんです。キミの気持ちが痛いほどに。私だって恐いから。でも、」
口元に微笑みを残したまま、瞳だけを真剣な色へと染めて言葉を続ける。
「――キミは、独りじゃない」
「……っ」
たったのそのひと言だ。
それがなぜか少年の心の内側へと深く染み込んで、冷え切った身体に湯をかけられたように痺れる。
「とても恐いけど、でもキミも私も独りじゃないんです。同じ罪を背負い、同じ絶望に震える私たちがいる。お互いに分かり合える。だからもう、そうやって独りきりで抱え込まなくていいんです。キミにはもう、私という仲間がいるんですから」
そう言って、今度は引っ張るようにして少年をベンチから立ち上がらせる。背は少年よりも小さく、肩幅だって狭い。でもそれなのに少年にはその相手が大きく見えた。
「私といっしょに歩きましょう。2人ならきっと、その恐さも悲しみも、ぜんぶが半分になりますよ」
気づいた時には、涙が少年の頬を流れていた。
初めて自分のことを真に理解してくれる人がいたこと、自分と同じように前世に怯える人がいたこと、そして自分が本当に欲しかったものに気づけたことに、救われたような、はたまた悲しいような、あるいはとても嬉しいような、そんなごちゃ混ぜの気持ちがあふれ出していた。
そうして少年は、過去ばかり見てきた2年を後にして、ようやく未来に向けて歩き出すことができたのだ。
◇ ◇ ◇
――なんて、そのままロシェに話して聞かせたって、ワケがわからないだろうな……。
そう考えたシューニャは、その思い出話を少しばかり改変して伝えることにした。
「そっか……出稼ぎきょうだいも、苦労してたんだな……」
「ん、まぁ。そうだな……」
話を聞いたロシェはそう言って、何事かを考えるように黙りこくってしまう一方で、シューニャはいまさらながら恥ずかしさがこみ上げてきた。
この話で例えたところの『少年』はもちろんシューニャのことで、そのシューニャの前に現れた『子供』がハザールだ。
子供のころの話とはいえ、自分の痴態をつまびらかにしてしまったようでため息がもれ出てしまう。
シューニャが顔を覆っていると、
「――俺にはそういうの、無いんだ」
とロシェが小さく、しかしシューニャへと聞かせるように言葉をこぼし始める。
「父親も母親ももういない。よく覚えてないけど、たぶん俺がまだ小さいときに俺を捨ててどっかに行っちまったんだ。だから俺はただ、今が貧乏だから、金持ちになりたくて勉強してるだけなんだ。だって、金が無いときっと誰にとっての特別にもなれないって思ってたから」
「……そうか」
「いつか俺にもできるのかな、誰かのためにとか、そういう意味がさ」
「……ああ、きっとできるさ」
シューニャは明るい声を意識して、そう答えた。いや、そう答えるしかなかった。
「ロシェ。俺がこの土地にいる間に、基本的な勉強はぜんぶ教えてやるからな」
「な、なんだよ急に……」
自分にできることはロシェがこれからの人生に必要だと思ってしている努力を応援することだけだ。その人生すべてを背負ってあげることは到底できやしないから、だからこそ、今できることはなるべくすべてやってやりたいと、シューニャはロシェの頭をひと撫ですると立ち上がる。
「お前は頭が良い。だからきっといつかは見つけるさ。ロシェだけの特別ってやつをな」
「……」
ロシェは黙ってそっぽを向いたが、なんとなくそれが悪い反応ではないとシューニャにはわかって、思わず頬が緩む。この1か月とちょっとの短い間だったが、それでもそんな感情の機微をとらえられるまでの関係を築けたんだなと、それが少し嬉しかった。
「じゃあ、またな」
「……はやく帰って来いよ、出稼ぎ弟」
憎まれ口を背中に受けながら、シューニャは手を振って立ち去る。
それからシューニャは帰りに商店に立ち寄って、紙とインクを買った。
ペンはすでに宿にあるのでそれを使えばいい。もし南の街で転生者を倒すことになってそのまま帰らなければならなくなった時のために、計算の教科書代わりになるものくらいは残しておこうと、そう考えて。
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