第31話 動き

「明日から少しお休み? ええ、わかりました。大丈夫ですよ」


 15時を少し過ぎた昼下がりの酒場、カウンター内で頭を下げるハザールに、ナイルは快くそう答えた。


「ありがとうございます。突然で本当にすみません」

「いえいえ、最近はお客さんも少なくなりましたから、ロシェと2人でもなんとか回せるでしょう。何か急なご用事ですか?」

「ええ、昨夜手紙が届きまして。親戚がここから南へくだった先にある隣町にいるのですが、どうにも至急の用件があるとのことで呼び立てられまして……」

「ははぁ、それでですか……。しかしそれなら……」


 ナイルは言いかけて、チラリとカウンターでエールを流し込むシューニャを見る。

 その視線に気づいて、シューニャが肩をすくめて答える。


「いやね? 俺も1人で大丈夫だと言ったんですがね、ハザールが一緒に行くと聞かなくて」「あたりまえです!」


 キッとした表情でハザールが振り返って言う。


「町が消えるなんて現象が起こっているこの時世ですよ? シューニャ1人ではもし万が一の時に『対応できない』かもしれないでしょう?」

「……はぁ」


 シューニャはため息を吐いてナイルに両の手のひらを向けて、上げる。降参のポーズだ。


「こんな感じなのでね。申し訳ない」

「いえいえ、確かに危険極まりないこのご時世だ。何が起こるにしても、家族はなるべく一緒にいるべきでしょう」


 そんな話をしていると、モップを片手に持ったロシェが、


「おいおい! 出稼ぎに来たくせにもうどっか行っちゃうのかよぉ!」


 と顔をしかめてシューニャへと突っかかる。


「いつ帰ってくるんだ? もう帰ってこないとかじゃないよなぁ?」

「なんだ、寂しいのか?」

「んなわけねぇだろ! 授業がまだ途中なのにどっかに行く無責任ヤローを教師にした覚えはないっつってんだよ!」

「大丈夫だ。たぶん数日もすれば戻るからな」

「ホ、ホントかっ⁉」

「ああ、ホントだよ」


 シューニャの言葉に、ロシェは不安げな表情を消し去り嬉しそうに頬をゆるめた。


「だからまあ、それまでは今までの復習でもしておけ」

「ち、ちぇ~、偉そうにさー……」


 生意気な物言いだったが、しかしロシェのその表情は和らいでいる。その様子をカウンター内のハザールもナイルも微笑ましげに見ているのだった。




 ◇ ◇ ◇




 ――2人は、もちろん隣町へと親戚に会いに行くために休みを取るわけではない。


 それはあくまで建前で、本当の目的は別にあった。

 

「キュゼーター氏が南の町に向けて出立するのは明日の朝で間違いありませんね?」


 酒場での仕事が終わって宿への帰り道、ハザールが小さな声でそう問いかけてくる。シューニャはそれにひとつ頷いて答えた。


「ああ、間違いない。宝石店に商品の買い付けをしに来た本人がそう言っているのを陰から聞いてたからな」


 シューニャがその情報を得たのは今日の昼前だった。

 宝石商人のフォルス・マッドア・キュゼーターが怪しいとにらんでからは、シューニャはほとんどの毎日を彼に密着するようにして過ごしてきた。

 本来、行商人というのは長期間同じ町に腰を据えないものなはずだったが、しかしフォルスは何か思うところがあるのか、シューニャが張り付くようになってからもなかなか動きを見せようとしなかった。

 しかしどうやらそれも今日までらしいと、シューニャは状況がようやく動くことに少なからず安堵の息を吐きながら言う。

 

「なにが理由で隣町への行商に行こうと思い立ったのかは知らないが、なにかしら理由があるから動くんだろうさ。それが能力を使うためだっていうなら僥倖ぎょうこうだ。被害を未然に防いだ上で処理できる」

「そう、ですね……」

「どうしたんだ? なにか不安要素でもあるのか?」


 シューニャの問いに、ハザールは考え込むように足元を見ながら口を開く。


「不安要素というより、ただ単純にしっくりこないと言いますか……。仮にキュゼーター氏で『アタリ』だとして、どうして隣町へと行く必要があるのでしょう? 私たちは町の人口規模的に、この町が次の標的になると予想をしていました。1か月もこの町に滞在しておいて、今さら隣町へと行くメリットはなんです?」

「そうだな……たとえば、向こうさんは俺たちの存在にとっくに気づいていて、この町での能力使用ができないと判断したとかはどうだ?」

「……なるほど。メリットを得るための行動ではなく、デメリットを回避するための行動であるということですか。それはあり得ますね」

「ああ。自身にまつわる情報まで消して、俺たちへの対策をしてくるくらいには慎重な転生者だからな。だとしても、それが俺たち2人だということまでは特定できていないようだ」

「……その根拠は?」

「ここまであまりにも俺たち2人に対する直接的な干渉が無さすぎる。個人の特定ができているのであれば、この町という拠点を放棄して別の町に移るよりも他にもっと良いやり方があったはずだ」

「……確かに、そうですね」


 シューニャの言葉にハザールはあいまいに頷いて、視線を前に戻した。

 それから2人はしばらく無言で歩き、食品などが売られているテントが集まった市場に差し掛かったあたりで、


「――おやっ」


 とハザールは、路地へと視線を向けてそう声を上げる。

 

「あれはキミの相方のロシェくんじゃないですかね?」

「え……? あ、ホントだ」


 視線の先にいたその少年は、確かにロシェで間違いなかった。ハザールよりも先に今日の仕事を上がったはずの彼は、なぜか家にも帰らず、細い路地のむき出しの地面に向かって木の棒でなにかを熱心に描いているようだ。


「……というか、なんだよ相方って」

「いえ。ただキミたちはよく似ているから」

「どこがだよ。それにしてもしかし、アイツはあんなとこで何をしてるんだ……?」


 シューニャが目を凝らしていると、ハザールがコホンと咳ばらいをして、


「――それじゃあ、私は先に戻って明日の出立の準備を進めておきますから。キミもあまり遅くならないように」

「え? いや、ちょっと」


 それだけ言い残し、止める間もなくそそくさと立ち去ってしまう。

 シューニャは大きなため息をひとつ吐くと、それからロシェへと近づいた。


「よぉ。何してるんだよ」

「――ッ⁉ げっ、出稼ぎ弟!」

「げっ、とはずいぶんなご挨拶じゃないか。それで? お前はここで何をしてるんだ?」


 そう言って地面に描かれているものが何かを覗き込もうとすると、ロシェはそれを隠すように身を乗り出した。


「コラ、勝手に見んな!」


 そう言うやいなや、ロシェはシューニャを両手で後ろに押しやると、足で乱暴に地面を蹴って描いていたものを消してしまう。


「ん?」


 ただそれでも完全には消し切れていなかった。

 地面に描かれていた見覚えのあるその跡に、合点がいく。


「それ、今日俺が教えた数式だよな?」

「……そうだよっ! 悪いかっ!」

「いや? なにも悪いことはないだろ。さっそく復習してるなんてむしろ偉いじゃないか」

「…………そ、そうかよ」


 ロシェはチッ、と舌打ちをして照れたように顔を背けた。

 努力を他人に見られたくないタイプなのかもなと、シューニャは1人納得して肩をすくめた。


「なぁ、出稼ぎ弟」

「なんだガキンちょ」

「お前ってさ、ハザール以外に家族っていんの?」

「――ああ、いるぞ。故郷にな」


 その突然の質問に少し面喰ったが、シューニャはすぐにいつも通りの声のトーンでそれに答えた。そのあたりの設定もちゃんと事前に作り込んでいたおかげもあって、変な間も開けずに済む。


「ふーん、そっか」


 何が聞きたかったのかわからずシューニャは首を傾しげたが、しかし話はそこで終わりではなかった。


「出稼ぎにきたってことはさ、お前もハザールもその故郷の家族のために働いているってことなんだよな? なんでだ?」

「なんでって……そりゃ大切だから、かな」


 シューニャは予想外の質問に少し戸惑いつつもそう答えた。


「なんで大切なんだ?」


 いやに食いついてくるロシェに何を考えているんだとその目を見る。

 しかしその瞳の色は真剣そのもので、決してふざけているわけではなさそうだった。


「よく考えたことはないが、自分のことを特別に想ってくれている人、だからじゃないか?」

「ああ、まあ確かにハザールはお前のこと、特別扱いしてる感じがするもんな」

「……は?」

「ん? なに赤くなってんだよ? 弟だからなんだろ?」

「あ、ああ。そうだな、そうだ……。なんでもない」


 なにを動揺しているんだと、シューニャは内心で自身を叱りつけた。

 ロシェはそんなシューニャの様子に首を傾げつつも言葉を続ける。


「もちろんシューニャにとってもハザールは特別なんだろ? でもさ、どうして特別になったんだ? きょうだいだと特別になるのが当たり前なのか? キッカケとかはないのか?」

「キッカケ? あー。まあ、そうだな……」


 シューニャには思い当たる節が当然のようにあった。

 もちろんそれはこの異世界上の設定のきょうだいとしてではなく、地球で、赤の他人だったハザールと出会って、そしてこうして大人になるまでの間の長い時間をともに過ごしてきたそのキッカケだ。

 シューニャはその『運命の日』を振り返る。

 ひとりぼっちだったシューニャを、ハザールが救い出してくれたその日の思い出を。

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