第30話 異世界での生活
チリンと酒場の入店をしらせるベルが鳴って、モップを手に持っていたその少年は入口へと向き直り、そしてあからさまに顔をしかめる。
「おいおい、またアンタかよ。出稼ぎ弟」
「いい加減その呼び名はやめろ、ガキんちょ」
口さがない少年にそう応じたのは、動きやすそうなシャツとジーンズに身を包んだシューニャだった。少年はふんぞり返るように腰に手を当てて、
「アンタがガキんちょ呼ばわりを止めたら考えてやるよ、出稼ぎ弟」
なんて負けずにシューニャに言い返す。
「ふふっ、相変わらずですね。キミたちは」
そんな2人の愉快なやり取りを聞いて、カウンター内でグラスを磨いていたハザールは笑いながらシューニャの方へと歩み寄る。
「やあ、シューニャ。もう今日の仕事は終わったんですか?」
「まあね。今日の荷運びはいつもより楽だったんだ。とりあえずエールを1つ」
「はい、まいど」
「おごりで頼むよ」
「身内びいきはしない主義でね。作業靴を売ってでも払って帰りなさい」
そのハザールとシューニャの『きょうだい』のやり取りに、酒場のマスターは思わずカウンター奥で噴き出した。
――ハザールとシューニャの2人が異世界にやってきて、はや1か月が経とうとしていた。
2人は情報収集のために積極的にこの町と関わっていく方針で動いていた。
ハザールは狭く深い人脈を築くことで確実性の高い情報を手に入れるために酒場に腰を据えて、そしてシューニャは広く浅く町の人々と関わることで質よりも量の情報を集めている。
努力の甲斐もあり、2人はだいぶこの町に馴染むことができていた。
特にシューニャはこの酒場で小間使いとして雇われている少年・ロシェにずいぶんとと懐かれており、ハザールもその人当たりの良さから酒場の看板バーテンダーになりつつあった。
「シューニャくん、ツマミにナッツでもどうだい?」
奥から、この酒場のマスターであるナイルが出てきて微笑みを向けた。
「そうだな、それならいただこうかな」
「やっぱりエールのお供には塩気が合うからね。じゃんじゃん飲んでいってよ。もちろんお代はしっかりと払ってもらうことを前提に、ね」
「へいへいわかってますよ」
置かれたナッツを口に放り入れて、それを泡立ったエールで流し込むシューニャの横の席に、「なあなあ!」とモップを壁に立てかけたロシェが飛び乗ってくる。
「なんだよ? お前は仕事中じゃないのか」
「んな固いこと言うなよ。出稼ぎ弟以外に客はいねーじゃん!」
ロシェはシューニャのことをずっと『出稼ぎ弟』と呼んでいた。
ハザールと『きょうだいという設定』になっているのだから間違いではないものの、ハザールのことは『ハザール』と普通に名前で呼んでいるので、シューニャにはそれが解せない。
「なあ、それ飲んだらまた計算教えてくれよ! 計算をさ!」
「おいおい、こっちは1日の肉体労働で疲れた身体を休めにきてるんだぞ? なにが楽しくて教師のまね事をしなきゃいけないんだ」
「そんなこと言うなよぉ。いいじゃんか、身体使ったあとは頭を使うに限るぜっ?」
食い下がるロシェに、シューニャは深いため息を吐くが、
「いいじゃないですか、少しくらい。教えてあげなさい」
と、ハザールが微笑んでロシェの援護射撃をしてくる。
「ほらほら! ハザールだってこう言ってるしさ!」
「う……っ。いやぁ、でもホラ、マスターがなんて言うか……お前を雇ってるのはマスターなんだからな?」
シューニャはそう言って、カウンター奥でアイスピックを使ってきれいなアイスボールを作るナイルへと目を向けると、彼もまた中年男性の色香を漂わせるような笑顔でもって、
「もしシューニャくんがよろしければ勉強を見てやってください。いつも一生懸命に仕事をしてくれていますからね、それくらいは目をつむりますよ」
なんて言われてしまう。
「……まったく」
長い諦めの息を吐いたシューニャは、それから横できらきらと瞳を輝かせるロシェへと渋々と向き合った。
「仕方がないなぁ……」
「おっしゃ! じゃあこの前の続きからだからな! なんだっけ? かけ算ってやつ!」
「はいはい……」
ロシェはそう言うと、胸ポケットからシワだらけになって折りたたまれた紙を取り出した。どうやら以前にシューニャが気まぐれで計算を教えた時に使っていた紙をずっとそこにしまっていたらしい。
「やれやれ」
シューニャは肩をすくめてカウンター越しにハザールが差し出してきたペンを受け取った。
「じゃあ、やるとするか」
「おうっ!」
初歩的な計算式がびっしりと書かれた紙に真剣に向き合うロシェに、シューニャは自身でも知らずのうちに柔らかい表情になって、九九の段から1つ1つ丁寧に教えていくのだった。
◇ ◇ ◇
ハザールの仕事も終わって、夜。
2人は宿屋のハザールの部屋に集まっていた。
「さて、どうでしたか」
ロウソク数本が照らす頼りない明かりの中で、ハザールが話を切り出した。
「1つ、進展があった」
シューニャはそう返してポケットからメモを取り出す。
こうして毎日、夜の同じ時間に情報共有の場を設けるのが2人の日課となっていた。
「転生者の候補がだいぶ絞れてきた感じはする。ホラ、この前ハザールが怪しいかもって言ってた行商人たちがいたろ?」
「ああ、私がナイルから聞いた情報から推測した件ですね?」
「そう、それだ」
それは、1週間ほど前のこととだった。
『街が消えてしまうなんていう怪現象が起こってから、特に行商人たちは大変だよなぁ。命がけであちこちの街を行き来しなきゃいけない』
酒樽をカウンターの奥に運びながら、世間話の一環としてナイルが言っていたその言葉にハザールはピンときたのだ。
行商人という職業はなにひとつ不自然なこともなくさまざまな町の行き来ができる職業であり、これまで消えていった町に足を運んでいた可能性も高い。仕事をよそおって町へと赴き、そこで能力を使用したのかもしれない。
そう考えたハザールは、シューニャにこの1週間のあいだ行商人たちのことを調べてもらっていたのだ。
「これまでに消えた街のすべてを渡り歩いていて、なおかつ今もまだ生きている行商人は3人しかいない。そして、今日は青果卸し市場で積み下ろしの仕事がてらに色んな人らに話を聞いてきてな、ようやくすべての情報が集まった。その3人のうち、この1か月間ずっと俺たちのいるこの町に滞在しているのはたったの1人だけだったんだよ」
「それは?」
「名を、『フォルス・マッドア・キュゼーター』。どこにでもいる農家の生まれながらにして、たったの1代で富と名声を築き上げた宝石商人だ」
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