第28話 その意図
頭上から蒼色のエネルギーが消え去って、霊治は深い安堵の息を吐いた。
それと同時に失憶廻天の状態を解く。すると身体を微かに覆うように漂っていた紫色の魔力は霧散し、前頭部に生えていた角も乾いた粘土細工のように崩れて宙へと消えていく。
グラリと、霊治の身体が傾いた。
「おっと」
ポスン、と。前へ倒れ込みそうになった霊治の身体が受け止められる。
暖かく、とても落ち着く甘く爽やかな香りがした。
「お疲れさま、霊治くん」
顔に当たる骨ばったような硬い感触からして、どうやらメイシャの胸へと抱き留められているらしい。と、そこまでの思考が反射的に霊治の頭の中でなされてしまい、メイシャの手に力が込められる。
「れ~い~じ~く~ん~?」
「イタっ、イタイ! 痛いです‼」
「いま、何をもって私と判断したのか言ってご覧なさいな♪」
「すみません、すみません‼」
側頭部を両側からグリグリと締め付けられて、霊治の口から情けない声が出る。慌てて足に力を込めて、霊治は立ち上がる。
「まったく……それで、大丈夫?」
「すみません……身体の方は大丈夫です。ちょっと気が抜けただけだったので」
霊治はそう言うと、それから改めて辺りを見渡した。
メイシャの活躍により崩れていくディエルゴが生み出した色とりどりの巨大な花々、そして上空で連なって奇妙な踊りを踊る白色の人型の集合体が霧散していくのを見て、霊治はつぶやく。
「終わったんですね……」
「ええ。ちょっと手こずっちゃったわ。やっぱり霊治くんを連れてきて正解ね」
「……本当は、もっとはやく出てこれたんじゃないですか?」
「うん? なにが?」
訝しむように訊ねた霊治の言葉に、メイシャは自然な素振りで首を傾げる。それを見て、霊治は諦めの息を吐いた。
おそらく、メイシャに答えるつもりがないのだろうということを悟ったのだ。
「さて、特異点の原因も排除したことだし、私たちは帰りましょうか。あとはこの異世界を管理してる神サマのお仕事よ」
メイシャはそう言って、さっそく無線機を使ってゲート管理担当のナギへと連絡を入れていた。霊治はその横で空を見上げる。先ほどまでの蒼一色の空はその色をオレンジ色へと変えていて、再び世界の営みが正常に戻ったことを教えてくれる。
「ふぅ……」
霊治は、深く安堵の息を吐いた。ディエルゴを無事に処理できたこともそうだったが、それよりも、なんとかギリギリのところで自分の能力を制御して厄災の魔力がこの星全体へと及ぶことが阻止できたことに対して。
――自分の力で『再び』誰かを殺すことにならずに済んで、本当によかったと。
「霊治くん」
用事が済んだのだろうメイシャが、師のような母のような、そんな温かな目で霊治を見ていた。
「あなたはね、誰も殺してなんかいないわ。あなたはいつだって人々を救ってきたんだから」
「いえ、ですが、私は……」
「もしあなたが『あの時』のことでいまだに自分を責め続けているのなら、もうやめなさいな」
言いかけた霊治の言葉は、ピシャリと有無を言わさぬようなメイシャに阻まれる。
「もちろん、いくつも失敗はあったでしょう。自分の力不足が原因で、納得のできない結末や不条理を迎えることがあったでしょう。それでも、それがあなたが人々を救おうとしてたどり着いたものであることは変わらないわ。だからね、あなたは決して誰かを殺してなんかいない。それはただ、『救えなかった』だけなの」
「……」
霊治はメイシャの視線をさけるように俯いて、無言だった。それはいつの日かにもメイシャから言われた言葉であり、霊治はやはりその時にも沈黙せざるを得ないでいた。
メイシャがどれだけ言葉を尽くして自身の罪を
メイシャはそんな様子の霊治を見て、しかしクスリと笑った。
「でも、今日は『救えた』わよ。まぎれもない、あなた自身のその
「――っ!」
霊治はハッとしてメイシャを見やる。メイシャはとうに背を向けて、いつの間にか開いていたゲートに向かって歩いている途中だった。
歩きながら、彼女は言葉を続ける。
「私たちにはいつだって救えない存在がいるものよ。でもね、できることを増やせば救える人々だって増やすことができるわ。霊治くん、あなたにはすごい力があるじゃない。半世紀前、この霧谷メイシャに苦戦を強いた、『異世界最強の覇王の力』がね」
メイシャが先にゲートをくぐり、その姿を消した。霊治はそれを見送ってから、再び大きく息を吐いた。
それは安堵のため息とも後悔のため息とも違ったもので、自分が考えていた以上のことをしてやられた感という表現が一番しっくりくるものだ。
「私に無理やりでも失憶廻天を使わせることが目的かと思っていましたが……優しいな」
メイシャと課長がいつも部下たちに向ける温かな視線を思い出して、霊治はひとり微笑んだ。
メイシャがディエルゴにやられたと思われたその直後に、霊治にはこの特異点に自分が呼ばれた理由におおよその検討はついていた。
これは失憶廻天を使わなければ世界が滅びるという状況に霊治を追い込むための舞台なのだと。
そうでなければメイシャが『星ひとつを思いのままにできる程度』の転生者に負けるハズがないのだから。
だが、それだけではなかった。
この舞台は、少なくとも霊治に無理やり失憶廻天を使わせて制御できるようにさせようという一方的なものではなかった。
課長とメイシャは霊治なら自身の力を制御できると信じて、かつて失敗しか経験していない霊治に、その厄災の魔力であっても人々を『救う』ことができるという経験を積ませてくれたのだ。
「誰よりも自分を信じられていなかったのが自分だったなんて、いやなオチだ」
霊治は高く大きく広がる空を仰ぎ、目をつむった。
――千秋さん。私はこれから少しずつ、この力を使えるように成長しようと思います。もう2度と、誰にもあなたと同じ結末をたどらせないためにも。
目を開くと、そこには紫と赤の入り混じった黄昏の空が広がっていた。
1羽の鳥も飛んではおらず、生命の脈動の感じられない空だった。
霊治は思い返す。
この星の失われてしまった生命と同じく、もう二度と戻らない日々を。
未熟な霊治のせいで救えなかった千秋との。
いまは遥か遠い思い出の中にある、その日々を。
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