第27話 厄災の魔力
星に蒼色の
「
そう唱えた霊治の身体だけが、その内側から噴き出すようにして出たスモッグのような暗い紫色の
ディエルゴは空を見上げたまま、地上のその霊治の姿に気づくことはない。だが、変化は確実に起こっていた。
その紫色の靄の中から、片腕が突き出した。不気味なほどに真っ黒な、人の腕だ。そしてそれは空に向けられる。
その、直後のことだった。
「は……?」
ディエルゴから間抜けた声が出る。
彼の見上げる先の空では、今まさに地上に注がれようとしていた蒼色の光がまるで何か別の力が働いているかのように、地上から押し返され始めていたのだ。
「なんだ……何が起こっている……っ?」
「――フフ、フフフ……っ」
ディエルゴは自身の足元から聞こえる気味の悪いその笑い声を聞いて、視線を下に向ける。
立ち込める靄は少しずつ晴れていき、そこから霊治がその姿を現した。空へと掲げた片手を真っ黒に染め、額の右側から1本の黒い角を生やし、アメジストのごとく怪しげな紫色をたたえた瞳を持つたその姿を。
「お前か……⁉ お前の仕業かッ⁉」
「ええ、まあ……そう、ですね」
詰問するようなディエルゴの問いに、霊治は頬に汗を伝わせて苦しそうにしながらも答え、そして。
「ふぅ――ッ‼」
力を込めると、今度はいっそう強力に降り注ぐ蒼色を空へと押し戻した。
「バカなッ⁉ お前、その力をいったいどこに隠し持っていた……ッ⁉」
「フタをしたはずの記憶の、その内側にある、遥か過去に……ですよ」
理解の及ばない顔をするディエルゴに、霊治はさらに言葉を重ねようとして、
「――グッ⁉」
しかし、内側からの逆巻くような『厄災』の奔流に、それは妨げられる。
霊治は胸を押さえて、ソレが外にあふれ出ないように必死になってこらえたが、しかし決して防ぎきれるものでもなかった。
ドロドロとシトシトと、あるいはグラグラと、何百何十年と煮詰めたジャムが腐って泥と化したような、そんな醜悪な黒の魔力が霊治の全身から漏れはじめる。
「なんだ……? なんだこれは……」
ディエルゴは周辺に満ちていくそれらを見て顔をしかめた。それは自らが信奉する美しい蒼色とはまるで正反対に位置するような汚らしい黒だ。しかしそれをただの魔力だと侮って、漂わせるがままにさせていたのが間違いだった。
「ガハッ⁉」
黒の魔力がディエルゴの身体へと触れた瞬間、その箇所に深く細かい無数の針を突き刺されたような激痛が襲った。花の身体の端々が少しずつ紫色に侵食されていき、血流をさかのぼるような不快感が全身を巡る。
「これは、まさか毒かッ⁉ クソッ‼ それなら――ッ‼」
ディエルゴの周辺へと新しく、大地を割って美しい白色の大きな花が彼の身体へと絡まるように現れた。そしてほのかに光り始めたかと思うと彼の身体を侵す紫色の毒素の浄化をし始める。
しかし、その毒素は一向に引くことがなかった。むしろ霊治の真っ黒な魔力はまたたく間に白い花をも紫に染めて枯らし尽くしてしまう。
「な……なんなんだこれは……ッ⁉」
「毒というのは、少し惜しい……」
混乱を極めたようなディエルゴに、霊治が息荒く苦しげに表情を歪めながらも言った。
「これは毒であり、そして病魔であり呪いでもある。この世のあらゆる『厄災』を集めた、そんな魔力なんですよ……」
「厄災、だと……ッ⁉」
「ええ……ああ、しかし、ようやくです。ようやく少しばかりの余裕ができました」
霊治はそう言うと深く息を吸い込んで、周辺に広がった真っ黒な自身の魔力へと意識を集中させる。そして、それらを散らばった糸を巻き取るように自らの身体の中へと引きずり込んでいく。
「この力は、決して、外に出していいものではない……」
そして周辺に立ち込めていた黒の魔力はすっかり無くなった。
ディエルゴが安堵の息をもらす。すでにその身体を蝕んでいる厄災の魔力はいまだに残ってはいたが、しかしいま以上の侵食は防ぐことができた。
しかし霊治がいったい何を目的として、その漂わせるだけで相手を弱らせる魔力を引っ込めたのか、その理由がわからないことが彼に
「んん……?」
だが、それが解消されるのはすぐのことだった。
「ぐ……ッ‼」
片腕を空へと掲げている霊治の表情が歪んでいた。
ディエルゴが上を見上げれば、先ほどまで霊治がこともなさげに押し返していたはずの蒼色の光が、徐々にではあるが再び地上へと迫りつつあったのだ。
「――フハッ! おいおい……」
ディエルゴはすべてを察したように鼻で笑って霊治を見る。
「その『厄災』の魔力を取り込んで何をするのかと思いきや、まさか『抑えつけるだけ』だなんてな。しかもそのせいで表に出せる力が弱まっているとは……」
ディエルゴは確信していた。厄災の魔力を霊治が自らの内側へとしまい込んだのは何かしらのメリットがあるからではなく、『外部へのデメリットを与えないため』なのだと。
彼はこの星にいまだに生きて存在する人間がいることは知っていたし、メイシャと霊治がそれらの人々と接触したことも知っていた。
だからこそ、その結論を導き出すことができた。
霊治は厄災の魔力で人々を殺さないように、多大な力を割いてその魔力を身体の内側に押し留めているのだと。
「まったく、甘いやつだ……それでお前が死んだら意味が無いというのに。本末転倒という言葉はこういう時に使うためにあるんじゃないか?」
「そうかも、しれませんね……」
ディエルゴへと、霊治は自虐的な笑みを浮かべて、しかし。
「それでも私は、もう『二度と』あやまちは繰り返さない……ッ‼」
そう言って、ただただ空に向かって力を込めた。
だがやはり力量差はくつがえることがなく、着実に蒼色が空全体を支配して大地へと迫りくる。
「お前が何を言っているのかサッパリだが……まあどうでもいい」
ディエルゴは再び赤い花々を自らの周りに咲かせて、そこから赤い光球を生み出して言葉を続ける。
「とりあえず偉大な芸術の確実な完成のために、お前には早々に退場願おうか」
「いや、たぶんそれは無理だと思いますがね……」
「ほう? その厄災の魔力を抑え込むことに大半の力をつぎ込んだうえ、我が清浄の光を支えているその身にまだ余裕があるとでも? ならば、確かめさせてもらおうか」
ディエルゴがそう言うと、それらの光球がさまざまな軌道を描き、前後左右から霊治へと群がるようにいっせいに飛来する。
霊治は上空の蒼のエネルギーを支えたまま動くことはなく、しかしその顔に疲れた笑みを浮かべて言った。
「――これがすべて『彼女』の仕掛けたことならば、もうとっくにその目的は果たされているハズですから……」
赤い光球はいっさいの手加減なく、必滅の勢いで霊治の目前まで迫ったが、しかし。
それらは1つとしてその身体へと届くことはなかった。
「がんばったわね。霊治くん」
幾十の光球はそのすべてが霊治の手前で弾け、消えた。
そして彼の目の前にあったのは1つの背中。朱色にきらめく長い髪をたなびかせてそこに立っていたのは、片手に剣をたずさえた『霧谷メイシャ』、その人だった。
「遅いですよ、メイシャさん……」
「あら、それはごめんなさい。ちょっと封印から出てくるのに手間取っちゃってね?」
そう言ってウィンクするメイシャのその声色は、まるで公共交通機関が遅延して仕事に遅れてしまったときくらいの軽いもので、霊治は深いため息を吐いた。
「バッ――バカなッ‼」
ディエルゴが目を見張り、メイシャを見る。
「封印を、解いたッ⁉ 何重にもしたアレを⁉ そのうえ出口の無い次元に放り出したんだぞッ⁉ 帰ってこられるハズがないッ‼」
「実際にこうして戻ってこれてるじゃない。あなたがどう思おうが結果がすべてよ」
「どうやって……どうやったッ⁉」
「えぇ? 封印を破って次元に穴をあけて帰ってきただけよ?」
「だから、それをいったいどうやったと」
「どうでもいいじゃない。あなたはこれから死ぬんだから」
「な――ッ⁉」
ディエルゴは目に見えるほど
しかしメイシャはそれに答えることはなく、むしろディエルゴに対して関心のかけらも向けることすらなく、懐かしむような微笑みの表情で霊治を見る。
「それにしても『久しぶり』ね、その姿。そういえばそんな感じだったっけ」
「メイシャさん……とりあえず、話は後回しでお願いします。もう長くは支えられそうにないので……!」
「あぁ、そう? それなら仕方ないわね」
メイシャは名残惜しそうに正面へと向き直って、ワケがわからないと表情を歪めるディエルゴへと剣を突きつけて言う。
「じゃあ、さっさと終わらせましょうか。あなたにはちょっと期待してたんだけど、残念だわ」
「ク、クソ……ッ‼ だが封印を破ったからといってそれがなんだというのだッ‼ もう一度ここで――ぇ?」
ディエルゴの頭、花の身体の花柄から柱頭にかけてが切り刻まれて、そして燃え上がったのはそれから一瞬にも満たない出来事だった。
「っ⁉ っ⁉ っ⁉」
ディエルゴの片方の目が、空中へと投げ出されながらもグルグルと左右にめぐる。その視線がバラバラになって燃えている自身の頭だったもの、その中のもう片方の目とかち合って、彼はようやくなにが起こったのかを悟ったようだった。
「あなたは霊治くんのいい錆落としになったわ。でも、私を砥ぐにはちょっと弱すぎよ。真っ黒に燃え尽きて出直しなさい?」
メイシャが手を高く掲げると、地上を突風が吹き抜けた。さらわれるようにしてディエルゴのバラバラになった身体が運ばれていく。
そして風に揉まれて、焦げ付いた肉片はボロボロとその形を崩して塵となった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます