第26話 ワナ

 ――なんだ、コレは……!


 メイシャと転生者・ディエルゴの戦いを、霊治はテレポートしてきた場所からただの1歩も動くことなく、見ていることしかできないでいた。

 いや、正しく言うならば『視えて』すらいなかった。


 霊治の視界いっぱいに、剣戟や魔法のぶつかり合いで火花が散り、残像すらも作ることのない早さでの攻防が繰り広げられている。

 霊治は、もしかしたら、メイシャからもらったこの剣があれば転生者のスキを突いた攻撃を仕掛けて、メイシャのアシストをすることくらいならできるのではないかと考えていた。

 しかし、その認識は甘すぎた。

 

 霊治は、戦場に向けて足を踏み出そうにもその取っ掛かりすら掴めない状態で、その場に釘付けされたように動けない。

 なんてザマだと悪態を吐きそうになったその時、


「は――っ?」


 グンッと引っ張られるようにして腕が勝手に横に向けて振られた。

 そして直後、真っ赤に弾ける強烈な光と腕に圧し掛かるような衝撃が右側面から霊治を襲う。

 

「がぁ……ッ‼」


 腕の反応に遅れることゼロコンマ数秒、霊治はようやく顔を動かして自身を襲ったその現象を目の当たりにする。

 

 ――そこでは赤色の光球が、霊治の手に持った剣に受け止められて火花を散らしていた。


 剣はまるでそれ自体が意識を持っているかのように、光球の中心をその刀身で受け止めている。そしてそれを滑らすようにして動かすと、光球を別の方向へと逸らした。


「――はぁっ……はぁっ……‼」


 たった一瞬の出来事だったにもかかわらず、霊治は肩で息をしていた。自身の認識の外側から襲った光球にまったく反応することができなかったというその事実に、冷や汗が背中を伝う。

 もしも、この剣がひとりでに反応して攻撃を防いでくれていなければ……。その先の想像は難しくなかった。


「くそ……ッ!」


 せめて失憶廻天を制御できたなら――と霊治は考えて、しかしそれを頭から追いやるように頭を掻きむしる。

 その力を頼ればどんな結果が待っているのか、自身が一番よくわかっている。だからこそ、そこに希望を見出そうとする思考をするべきじゃない、と。

 

 だから霊治は、もはやカカシと化す他はなかった。その場に立ち、ただただメイシャの勝利を願うだけのカカシだ。


 ――問題ない。メイシャさんは地球最強の存在だ。これまで百にも及ぶ特異点を救ってきた実績を持つ転生トラブル解決課のエースなんだ。だから、きっと今回だって大丈夫。

 

 霊治は祈るように、自身へと言い聞かせるように、そう考える。

 

 だがしかし、突然にその事態は訪れた。


 青いピラミッド型の小さな箱が、突然、地上に現れた。

 そして次々に、より大きなピラミッドが現れて、まるでマトリョーシカを作るかのようにその前に現れたピラミッドを吞み込んでいく。

 そしてそれは最終的に、そのピラミッド1つに小さな町が入るのではないかというほどの大きさにまでなると、急速にそのサイズを縮めていき、ディエルゴが差し伸ばした赤い花の、その花びらへと載った。




「――フフッ! フハハハハハッ‼‼‼」




 そして笑ったのは、ディエルゴだった。

 これ以上ないほど愉快そうに、青く大きな花のその身体をのけ反らせて身体を揺すっていた。


 あたりの戦闘音はとっくに止んでいる。

 それが何を意味するのか、霊治は呆けたように数瞬固まって、ようやく理解が及んだ。

 しかし、いやまさか。そんなことがありえるのかと、理解してしまったその結論を否定したい思いと認めざるを得ない現状が交差して、滝のような汗が霊治の頭から流れ落ちた。


 ――メイシャさんが……負けた……?

 

 ディエルゴはひとしきり笑うと、それからピラミッド型の小さな箱へと呟くようにひと言、


深淵群青次元エメラルディメンション


 そう発すると、赤い花を中心として、まるでゲートと同じような深い青色の空間が現れた。


「さらばだ、不作法な女剣士。まぁ、なかなかに強くはあったが……想定の範囲内だったな」


 そしてその小さな箱は、沼へと沈むように青色の空間へと消えていった。

 

「――ディエルゴ・エルジェ・ロマーノ」


 呆然と、その成り行きを見るしかできなかった霊治が、ようやくその口を開いた。

 花の頭をぐにゃりと曲げて振り向いたディエルゴは、


「ああ、お前か」


 と、そこでようやく霊治の存在を思い出したかのような反応をした。


「それで、なにか用か?」

「お前は……メイシャさんを、いったいどうした……?」

「メイシャ……? ああ、あの女剣士のことか」


 忌々しげな表情をしながら、ディエルゴは答えた。


「『封印』したのさ。何重もの結界に閉じ込めたうえで別次元にな」

「封印だと……?」

「ああ、というか、お前には見えてなかったんだな、俺たちの攻防が」

「……っ」


 見下す視線を感じるが、しかしそれは事実である以上、霊治は何も言い返すことができなかった。

 黙り込む霊治へと、なんの感慨も無さそうにディエルゴが言葉を続ける。


「あの女の力の出力は尋常じゃなかった。正攻法で倒すのには時間がかかり過ぎると思って罠を張った。空間移動の直後を狙った時限式の封印術式を仕込んでな。俺は気づいたのさ、あの女が空間移動を連続で使用しない――いや、使用できないことをな」

「連続で使用できない……⁉ そんな……」

「よく観察すればすぐにわかったさ。戦闘の至るところで空間移動を使った方が有利な場面があったにもかかわらず、あの女はその使用を控えて、自らの圧倒的な運動神経にモノを言わせて攻撃を仕掛けてきていた。空間移動を使うのは、決まって攻撃の離脱の時か逃げ場を失った時だけ。つまりあの女にとって空間移動は緊急避難のためのとっておきの力だったわけだ」


 霊治は思い返す。確かに、メイシャが空間移動を連続で使う場面はこの世界に来てからなかった。それでもテレポートや高威力の魔法など、人を超越した能力をこともなさげに使うその姿に、霊治はメイシャの秘める力に際限など無いのだろうと思い込んでいた。

 そして霊治自らは、何もせずに『メイシャなら大丈夫だ』なんて無責任に思い込もうとしていたのだ。


 ディエルゴが霊治を見定めるように凝視する。


「お前は……」


 そして、うなだれたような霊治を見下すように、

 

「わざわざ俺が消すまでも無さそうだ。蒼き芸術の波に呑まれて我が作品の一部になるがいい」


 そう言って空を抱こうとでもするように、ディエルゴは花の身体の枝葉を広げて天を仰いだ。

 

「この技は消耗が激しくて使いたくはなかったんだがな……お前たちが汚してくれた大地のこともある。もう一度この地を、すべてを癒し救済する『空色』に塗りつぶさなければ」


 すると、ディエルゴの身体を成す青い花の身体全体に急速にエネルギーが満ちていく。代わりにメイシャとの戦闘中に生えてきた赤や黄色の花々は萎れて、枯れていった。

 地面から、いやこの星そのものからエネルギーを吸い上げて自分のものへとしているのだと霊治が気づいた時にはすでにディエルゴの準備は終わっていた。


「ああ――美しき蒼よ、再び世界を染めたまえ……ッ‼」


 ひと筋の細く、しかし多大なエネルギーを凝縮した濃紺の光線がディエルゴの身体から天へ突き立つように昇っていく。そしてその光は大気圏をも抜けたのではないかというほどの高い位置で拡散して、空全体を包むように広がっていく。


「こ、これは……ッ⁉」

「世界を清める色の膜さ――ホラ、見ろ」


 ディエルゴが見上げた空を覆った光は濃紺から群青、群青からコバルトブルーへとその色を薄く変えていく。そしてその色が真夏の青空のそれとなった時、


「さあ、今度こそ作品を完成させよう……!」


 ――空の一面から、舞台の幕が下りるように『蒼色』が地上に向かって落ちる。


 その光景を見て、霊治は悟った。これが地上を包んだとき、今度こそ間違いなくこの星の生命は尽きてしまうと。

 恐らくジュラ紀に落ちてきた隕石の何百倍もあるほどの圧倒的なエネルギー量を持つ、『ただこの星を蒼色に染め上げる』ためだけのそれが目的を果たすのは一瞬のことだろう。

 

「最悪だ……最悪すぎる……」


 霊治は天を見上げたまま、剣を持っていない方の手で顔を覆った。

 すべては自業自得。自身の楽観が招いた事態で、他人任せにしたツケなのだ。誰かのせいになんてできない、正真正銘、霊治1人の罪だった。

 だからこそ――。


「私に――『私にやれってこと』なんでしょう……⁉ メイシャさん……ッ‼」


 やられたという思いで、霊治の頭はいっぱいだった。これは『ワナ』だ。メイシャが自分を連れてきたのはすべてこの状況を作るためだったのだと、ここにきて気が付いた。しかしもう遅い。

 痛いほど脈打つ心臓を押さえつけるように胸に手をやりながら、霊治は片手に持っていた剣を横へ、放り投げるように手放した。

 

 そして祈り、願い、そしてまた祈る。

 どうかこの力が人々を救いますように、と。

 霊治は片手を目の前にかざして、その言葉を告げた。


「――失憶廻天オーバーリロード

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