第20話 特異点
がしゃがしゃと霊治の目の前の席からずいぶんと賑やかな音がする。
メイシャが机の中からペンやら書類やらを中身丸ごとひっくり返すかのようにして漁っているのだ。
「これと、これと……あとコレも必要だったかしらっ! さっそく申請書をゴウちゃんに出さないと!」
機械オンチなメイシャは申請に必要になる書類などは常にデスクのトレイの中にプリントアウトして入れているのだが、そもそも彼女の出張自体が最近はレアケースになりつつあったため、自分自身で何をどこにしまっているかを忘れてしまっていることも多いようだった。
「あったわ! よーしっ! ゴウちゃ~~~んっ!」
それでも何とか申請書を見つけ出したメイシャはプリント数枚を手に持って、意気揚々とゴウちゃん(転生トラブル解決課の課長で、今年で45歳になる)の元へと持っていく。
ちなみに、その課長という人は一見すると『その筋の人』に見えるようなイカツい雰囲気で、実際に数年前までは自身も現場でバリバリと転生者を誅しまくっていた筋肉バキバキな肉体派の『強面バリ硬おじさん』である(メイシャ談)。
そんな課長をあだ名で呼んで、フランクに接することができるのはこの課において誰よりもぶっちぎりで最年長なメイシャくらいのものだった。
「なんというか、倒錯的な光景っすね……」
「まあ、同意しますよ」
斜め向かいの席の
実際はその真逆、不老のメイシャにとっては課長さえも自分の子供のようなものだろう。
「昔は課長もメイシャさんに相当『揉まれた』ようですよ」
「なんスかそれ、詳しく教えてください」
ボソリと言った霊治へと大太が耳ざとく反応する。
「メイシャさんに何度も特異点に連れていかれて、何度も死にそうになったらしいです」
「ああ、そういう……」
何を想像していたのかは知らないが大太が肩を落とす。メイシャに見抜かれて雷が落ちるようなことを考えていなければいいが、と霊治はため息を吐いた。
大太はそんな霊治の内心の心配などつゆ知らず、「あれ?」と言って再び霊治へと向くと、
「そういえば先輩、この前の問題解決のとき、メイシャさんは異世界出張には行けないとかなんとか言ってませんでしたっけ?」
と訊いてきた。
はて、と霊治は首を傾げるが、ふいに思い出す。
確かにこの前のピンチの時に応援が呼べないなんて会話をした時に、大太へと詳細な説明を省いてメイシャが異世界に行けないといった話をしていた。
「ええ、普通の異世界は行けませんよ。ですが、今回メイシャさんが向かうのは『特異点化した異世界』なので問題ないんです」
「トクイテンカした異世界……? なんスか、ソレ?」
まったくの初耳ですといったようすの大太に、霊治は説明を重ねた。
「みんな特異点と略して呼びますが、正式名称は『総力的特異点』と言います。特異点化した異世界とは、その異世界で理論的・仮想的に定義され導かれた力の総量をその異世界にいる1人の個体が実際的に持つ力が上回り、結果として総力量の等価式にエラーが生じてしまうことで、あらゆる物理的・概念的な矛盾が許容されるようになる現象が起こってしまっている状態の異世界のことです」
「は、はぁ……?」
霊治なりに必要なところをかいつまんで分かりやすく行ったつもりの説明だったが、それでも大太にとっては難しかったらしい。大太は目を回したように頭を押さえて「え? カソウテキな送料のチカラがジッサイテキなエラーで許容がムジュン……?」なんてうわ言のように呟く。
「……つまり、世界中の力を合わせたものよりも強い力を持つ転生者が生まれてしまっておかしくなった世界のことです」
「なるほど、それならわかりやすいっす!」
要因などをほとんど省いたその説明で、ようやく大太がパっと明るい理解の表情を見せる。
「しかし、ははぁ……世界の力の全てよりも大きな力を持つ人間っすか。……って、あれ? それ、ちょっとおかしくないっすか?」
大太はタチの悪い冗談でも聞いたかのような困り顔で、
「だってその合わせたっていう世界の力にはその転生者の力だって込み込みでカウントされてるはずっすよね? だったらそれを超えるなんてできっこない。100グラムのアンパンの中に、あんこが200グラム入ってるってくらいありえないっす」
と言う。
その例えはどうなのかと思ったが、まあ言わんとしていることはわかるなと霊治は苦笑した。
「しかしですね、実際にその矛盾が起こってしまっているんですから認めないわけにはいかないんですよ。だから私たちはこれを『特異点』と呼んで普通の異世界とは区別するわけです」
「うーん……なんつーか、前の現場でも思いましたけど、転生者ってホントなんでもアリっすね」
大太が実感の込められたため息を吐いていると、その横にメイシャがスキップでもしそうなほどに上機嫌で戻ってきた。
「押印もらってきたわ! これでもういつでも異世界にいけるわよっ!」
「なんか、すごい張り切ってるっすね……」
「それはそうよ。だって約半年ぶりの出張だもの」
「半年ぶりっすか? それはまたずいぶんと間が空いたもんスね」
「ホントにね。ようやく有り余った力を発揮できるってものよ」
腕を組んでしみじみと答えるメイシャに、大太は続けて、
「そういえば、これはいまさっき先輩から訊いたんスけど、なんでメイシャさんは普通の異世界には出張できないんスか? この前俺たちの戦ったランクA相当のやつとかもかなり厄介でしたし、特異点じゃなくても強い転生者はいっぱいいると思うんスけど……」
と訊いた。
メイシャは「ああ、それね」と軽く応じると、こともなげに言った。
「――だって、私が普通の異世界に行くと『そこが特異点になっちゃう』もの」
「は……はいぃっ⁉」
アゴが外れんばかりに驚く大太の反応をクスクスとメイシャが笑う。
「特異点が発生する仕組みは知ってるかしら?」
「え、えっと、さっき先輩から簡単には教えてもらったっす。確か転生者の力が世界のすべての力よりも大きくなってしまう矛盾のせい、ですよね?」
自信なさげに答えた大太に、メイシャは1つ頷いて言葉を続ける。
「そうよ、ちゃんとわかってるじゃない。私が行くと異世界が特異点となってしまう理由もそれと同じなの。私の力が大きすぎて、1歩でも異世界に踏み込もうものならその時点でその世界の物理法則やらなにやら、すべてが吹き飛ぶのよ」
「なにそれ、コワっ‼ えっ⁉ 俺たちのこの世界は大丈夫なんスかっ⁉ いきなり爆発したりしませんっ⁉」
「人を爆弾みたいに言わないでほしいわね。いやまぁ、確かに吹き飛ぶとかなんとか言ったのは私だけどさ……」
椅子を引いてすぐにでもデスクの下に飛び込みそうな様子を見せる大太の怯え方に、メイシャは口元を引きつらせながら言う。
「大丈夫よ。この世界は私が生まれてくるということを前提にした調整が行われたみたいだから、急にドカンッ! なんてことにはならないわ」
「そ、そっすか……それならよかったっす……」
あからさまにホッとする大太に対してメイシャはげんなりしたようなため息を吐く。それから「さてと」と気持ちを切り替えるように、それまで2人のやり取りをただ見ているだけだった霊治の方を向いた。
「じゃあ、さっそく行こうかしら」
「ええ、お気をつけて」
送り出すつもりで言った霊治のその言葉に、メイシャは10人審査員がいれば10人が可愛いという判定を下しそうな仕草で首を横に傾げて、
「あら、何を言ってるのかしら霊治くん。あなたも『いっしょに』行くのよ?」
なんていう、霊治にとって不可解極まりないことを口にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます