第19話 霧谷メイシャという人

 日本輪廻生命保険会社の自社ビルに昼の12時を報せるメロディが鳴り響いた。

 転生トラブル解決課のブースから、弁当を持参していない組の社員たちが早足で出ていく。

 霊治は毎日の昼休みの恒例行事となったそれを横目で見ながら、自身はカバンの中からこれまた恒例になりつつあった弁当箱を取り出して、中身を広げた。

 

「あら、霊治くんは今日もお弁当?」


 手前の席からそんな声がかかる。手入れの行き届いた朱色の綺麗な髪をサラサラと揺らしながら、霧谷メイシャがモニターの横から顔をひょっこり突き出して霊治のデスクを覗き込んでいた。


「最近多いわよね。もしかして自炊に目覚めたの?」


 その問いに対して霊治は少し気まずげに目を逸らしながら、


「ええ、まあ……。そんなところです」


 と答える。

 するとその反応だけですべて察したのか、メイシャは「はは~ん」とイジワルそうに目を細めた。


「あぁ~なるほどなるほど……。ふふふっ♪ どうやら減給の件がけっこう響いてるみたいね? 『業務命令無視』の霊治くん?」

「……はぁ」


 やはりというかなんというか、どうあがいてもメイシャのことはごまかせないらしいと霊治は嘆息するしかなかった。

 

 すべては先日の問題解決トラブルバスターの1件が原因だ。

 大小さまざまな怪我を負ったものの、手術の必要もなく1週間の入院のみで職場に復帰できたのは霊治にとっては不幸中の幸いだったのだが、不幸はさらにそのあとにも畳みかけてやってきた。


 課長の撤退命令を無視したということが、当然ではあるが問題視されてしまったのだ。

 その結果、霊治は会社役員やら課長にこってりと絞られたあげく、3か月のお給料カット宣告を受けてしまっていたのだった。


 そして今月で給料カット2ヶ月目を迎えたわけだったのだが、まったくもってメイシャの言う通りそれが家計に及ぼす影響ははなはだ大きく、霊治は今や近所の安売りスーパーで簡単な自炊をして日々を過ごさなくてはならなくなっていた。どんなに控えめに言っても『自炊に目覚めた』とは言い難い、とても消極的な理由だったのだ。


「その苦しさを忘れないことね。間違っても『喉元過ぎれば熱さを忘れる』なんてことにならないように」

「はい……」


 メイシャは霊治に釘を刺すと、やはりいつものようにカバンから弁当箱を取り出して自席に広げた。

 その中身は霊治の茶一色の弁当とは雲泥の差があるほどに彩り豊かで、見ただけで美味しいだろうなと想像するに難しくない出来栄えをしていた。

 

「メイシャさんはすごいですね。毎日そんなに手の込んでいそうなお弁当を作れるなんて」

「そ、そうかしら?」


 少し照れたように首を傾げるメイシャに霊治は頷いた。卵焼きや野菜炒め、おひたし、ベーコンアスパラなどのおかずの種類を見るに、ひとつひとつを作るのには相当な早起きをしなくてはならないことだろう。最近は毎日定時で帰れるとはいえ、霊治には到底できる気がしなかった。

 もしかすると100歳を超えてしまうと肉体年齢は若いままでも自然と朝早く目覚めるようになってしまうのだろうか……なんて思考がうっかり霊治の頭をよぎったところで


「霊治くん♪ あなたいま何を考えているのかしら?」

「い、いえ……何も考えていませんとも」


 満面の笑みのメイシャに針のようにチクチクとした圧を向けられて、霊治は慌てて手を横に振った。


「まったく、霊治くんは……。ちなみに私のお弁当だけど、別にそんなに早起きしなくても作れるのよ? ほとんどが昨晩の残り物だったりするんだから」


 メイシャはお弁当箱を霊治に見せて「コレとコレと、あとコレも」なんて教えてくれるが、霊治としてはそれでもやはりすごいものだなと感心しきりだった。残り物を詰め合わせるにしても、そんなに料理のバリエーションを持っていない彼の身からしてみればすべて尊敬の対象になってしまう。


「今朝作ったのは卵焼きとベーコンアスパラだけね。霊治くんのお弁当は……うん、圧倒的に緑が足りないわね。ベーコンアスパラ1個食べる?」


 メイシャはカラフルなつまようじに刺さったそれを1つ摘まんで見せた。


「いえ、そんな悪いですから……」

「遠慮しないの。転生トラブル解決課の美少女エースの手作り料理を食べられるなんて、そうそうあることじゃないわよ?」

「それを自分で言いますか、自分で」


 そうツッコミをしつつも、しかしそのベーコンアスパラはやはり美味しそうだったので、


「それならばありがたく」


 と弁当箱のフタを差し出した。そこに載せてもらおうと思ったのだ。

 しかし、


「それじゃあ。はいっ」

「っ⁉」


 そのフタの上を通り越して口元へと差し出されたベーコンアスパラに霊治はぎょっとする。

 それは、いわゆる『あーん』というやつだった。


「いえ、あの……メイシャさん?」

「どうしたの? 早くお食べなさいな?」


 ニッコリと、霊治のどういうつもりかを問いたげな視線は何の他意もなさそうなメイシャの笑顔に返される。そこに恥ずかしげな様子は微塵もなく、いかにもそれが自然のような振る舞いだ。

 なんだか自分だけが過剰に意識してしまっている気がして、霊治は少しそれを恥ずかしく感じた。


「そ、それでは、いただきます」


 そしてパクリとメイシャの摘まむベーコンアスパラをくわえようとして、


「――えいっ」


 寸前でそれを引っ込められて、霊治の口は空を切った。


「…………」

「ふふふっ♪ ちょっと1回やってみたくって♪」


 霊治は深いため息を吐いて、それから無言でスッと再び弁当箱のフタを差し出した。

 すると今度は普通にそこへと載せてもらえた。

 

「どう? ドキドキした? 楽しかった?」

「なんというか、どっと疲れました……」


 満悦そうなメイシャにそう答えて、霊治はもらったベーコンアスパラを食べる。肉も野菜もジューシーで美味しかったのが、なんだかとても悔しく感じた。




 ◇ ◇ ◇




 午後の業務が始まって、しばらく経ってのこと。

 珍しいことが起こった。

 リロリロリロッと内線電話が甲高い音を奏でる。

 それは普段なかなか鳴ることのない、メイシャの席においてだ。

 

「はいっ! 霧谷です!」

 

 威勢よくメイシャは電話に出て、「はい。はいっ。はい……っ!」と通話先に応じるごとにそのテンションを上げていく。


「霊治くんっ! アクセスサーバー名『A-0002906』よ。調べてみてくれる?」


 内線を切るなり、メイシャは霊治の席の後ろ側に回り込んできて「はやくはやくっ」と調査を催促してくる。


「もしかして? 『アレ』ですか?」

「『アレ』かも、ですって!」


 霊治の問いに爛々と瞳を輝かせて応じるメイシャを背中に張り付けつつ、霊治は自社製ソフトウェアの検索欄にサーバー名を入力してエンターキーをタッチする。

 返って来た結果は赤文字の『Not Accessible. Server is Destroyed.』という1文だった。


「……アクセス不可、ですね。これは――」

「間違いないわっ‼ 『特異点』の発生よ‼」


 霊治が言い切る前に、メイシャの心底嬉しそうな声がブースへと響いた。

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