第3話 プロフェッショナル

 天井に貼りつくほどの高さにその身体を浮かせるアークに対して、霊治は肩をすくめた。


「まったく……傍若無人ぼうじゃくぶじんな割に慎重な人間ですね、あなたは」

「おいおいおいwwwwwwwww‼」


 アークは傷口を押さえつつ、苦しそうに荒い息を吐きながらもあざけり応える。


「さっそく負け惜しみかよwww‼ 言っとくがテメーも楽には殺さねーぞッ‼ 燃やして凍らせて串刺しにしてミンチにして、たっぷりと遊んでやるから覚悟しやがれッ‼」


 そう言ってアークが魔法発動のために両手を突き出す動作よりもしかし、一拍早く、何かが霊治のジャケットの裾から落ちた。ソレは綺麗に足の甲、革靴の上に乗る。

 そして霊治はサッカーボールでも扱うかのようにして、ソレを天高く蹴り上げた。

 その直後、再び、意識を丸ごと持ち去っていってしまいそうなほどの閃光と鼓膜を貫くような高音がアークの脳を揺さぶった。


「~~~ンなぁァァあ――ッ⁉⁉⁉」


 アークは反射的に手で目を押さえ、耳を守るように肩を上げて身体を縮こまらせる。何も考えられはしない。ただただ目と耳を守らなければならないということ以外、頭の中には残っていなかった。

 だからこそ。

 グシャリ。

 その音が鳴り響いたのは必然だった。

 それから少しして、光が収まったことを確認した霊治が目を開ける。


 ――そこにあるのは地面に叩きつけられて血まみれになったアークの姿だった。


「知ってますか? 人は突然に圧倒的な光量と爆音にさらされると正常な思考能力を数秒ほど奪われるそうなんです。そしてその間に反射的にとる行動というのはたった1つ、『身体を丸めて苦痛から逃れること』だけなんだそうでしてね、それはどんなチート能力持ちの転生者であろうと同じです」


 いくら優れた魔法適正能力や演算能力があろうとも、考えることができなければそれはただの肉塊に過ぎない。数瞬でも思考の奪われたアークは、自身が飛行魔法を現在進行形で使っていたという事実すらも頭の中から消し飛ばされてしまっていたのだ。

 空中で、自失する。

 墜落は当然の結果だった。


「スタングレネードをご存知でしょうか? 閃光と高音を周辺に巻き散らすだけの武器なんですが、実はこれほど人を制圧するのに向いた武器はなくてですね、私は業務遂行の上でかなり重宝しているんですよ――って、さすがにまだ耳が聞こえていないですよね? というか生きてます?」


 霊治が話している間ずっと、アークはさながら地面に落ちて潰れた卵のような体勢で床に沈み込むようにして動いていなかった。


「もしもし?」


 かけた声に、かすかにアークの指先がピクリと動いた。意図的かそうでないかはわからないがまだ生きてはいるようだ。霊治は近づいて、アークの状態をしげしげと観察する。


「あぁ、左上半身が潰れて、それに首の骨も折れてるようですね……これでもまだ生きているとはさすがこの世界の高位光属性魔法、『即死回避』を使っているだけのことはあります」


 アークはもはや意味の通じる反応を返すこともできなかった。ただ、覗き込んでくる霊治の顔をおぼろな瞳で見上げるだけだ。


「ただいくら即死回避の魔法だからといって、物理的に回避不可能な攻撃に対しては効果は薄いでしょう……?」


 霊治はナイフをアークの首へと当てると、体重をかけて押し込んだ。

 切れ味のよいナイフは包丁の刃が豆腐へと入るように肉の中を沈んでいき、そしてプツンと太い血管を切断した感触が霊治の手元へと伝わってくる。


「確か『蘇生』や『自動回復』に関する魔法は習得していませんでしたよね? これで作業完了だとありがたいのですが」


 アークの首元から噴き出して床に広がっていく血液を眺めながら霊治はつぶやき、念のためと警戒を緩めない。ただその心配が現実になることはなかった。

 しばらくして霊治はアークへと近寄って首元に指を添える。脈はない。胸ポケットからペンライトを取り出して明かりを目に当てる。反応なし。


 ――アークは落ちて潰れた卵の体勢のままで、無事に魂の抜けた死体へと成り果てていた。


 霊治はその成果に満足したようにひとつ頷くと、ジャケットの内側のポケットから小型の無線機を取り出す。

 

「お疲れ様です、捺落迦です。処理対象の転生者の死亡を確認しましたのでこれから帰社します」

『はいはい~! お疲れさまです! 『ゲート』を開くのは霊治パイセンが今いる場所でおーけーです?』

「ええ。この場所で問題ありません。それではよろしくお願いします」


 無線機から聞こえたのは舌ったらずさとフランクさが幼さを感じさせる女性の声だった。

 霊治は端的に会話を締めくくると無線機を再び内ポケットにしまう。

 するとそれからすぐに霊治の目の前の空間が歪み始め、そして割れる。その割れ目からは真っ黒に渦巻く、底の見えない暗闇が覗けていた。それはこの世界とは別の世界へと通じる門――『ゲート』の開き始める合図だった。


「ま、待ってくれ……」


 ゲートが完全な形になるのを待っていた霊治の背中に声がかかる。


「あなたは……意識が戻っていましたか」

「あ、あぁ……。わたしはレオナルド。レオナルド・ゴルドーと申す者だ」


 レオナルドは地面に臥したままではあったが、それでもなんとか霊治へと顔を向けて、


「あなたが何者かはわからない……それでもあなたがヤツを倒してくれたんだろう? 深く、深く感謝する。本当にありがとう。この世界はあなたのおかげで救われた」

「いえ、それほどでも。私は自らの職務を果たしたまでですから。それにしばらくの後には恐らく『あなたがそこの転生者の男を倒した』ことになるはずですので、その時は英雄としての受け皿をよろしくお願いしますよ」

「――は? 今、なんと……?」

「そういう歴史改変が適用される予定ですので。さて、それではそろそろ時間のようだ」


 霊治の目の前のゲートはいつの間にか開き切っていて、光を反射させないほどの完璧な黒の穴を空間に作っていた。


「待て、待ってくれ……ならばせめて、何か謝礼を! 金でも武具でもなんでも言ってほしい! このままじゃこちらの気が済まない!」


 追いすがるように言うレオナルドに対して、霊治は微笑んで答える。


「その気持ちもまた、1日経てば綺麗さっぱり忘れるでしょう。それに個人的な謝礼はいただけませんよ。私は会社から月給を貰って雇われている身。業務として任されたこの転生トラブルの解決は正社員プロフェッショナルとして当然の務めなんですから――」


 霊治はそう言い残すと、ゲートの真っ暗闇の中へと消えていった。そしてすぐにその異様な空間への入り口もまた周りの景色に溶け込むようにしてその姿を消した。

 議事堂の大ホールへ残されたのは数多の死体とレオナルド・ゴルドーのみだった。


「――彼は神か、あるいは神のつかわした偉大な兵士か……? 願わくばこの恩を忘れたくないものだ……」

 

 静寂が占める空間へと、レオナルドのこぼした言葉だけが広く響いた。

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