トラブルバスター編

第4話 ただのサラリーマンです

 捺落迦ならか霊治れいじはごくごく普通の民間企業に勤めるサラリーマンである。


 今日もその勤め先の企業、日本輪廻りんね生命保険会社の自社ビルに昼の12時を報せるメロディが鳴り響いた。

 フロアの空気がいっきに緩む。デスクでまっ黒なターミナル画面を映し出すワイドスクリーンに向かい合っていた霊治もまた顔を上げた。


 ――やっと昼になったか。


 霊治はメガネを外して眉間を揉む。昨日は大立ち回りだったから、疲れが残っているようだった。『異世界転生』に付きものとなっているトラブルを解決するのも気楽じゃないなと息を吐いた。


 そう、『異世界転生』。


 過去にそのワードがフィクションとして流行った時代があったが、当時は夢物語だったそれが現実に可能なものとなってからすでに数十年が経過していた。

 

 神も魔法もその実在を証明されて久しい。


 各保険会社は異世界を管理する神々たちと個別に取り引きをして、地球上の人々を対象とした『異世界転生サービス』という死亡保険の付帯サービスをリリースし始めたのだ。


 保険料はかなり高額になるため全員が全員利用できるわけではない。しかし自分が死後行きたい世界や転生の際に得たい特殊能力などを決めることができるという点は人々にとってかなり魅力的なのだろう、多少無理をしても加入するという人もとても多い。


 今では死後にも新しい人生の楽しみを用意しておくというのが終活の1つの選択肢に数えられるほどだ。


「――霊治くん、昨日は異世界出張お疲れさま。それにしたって、今日はなんだかずいぶん疲れてるみたいじゃない。今回の転生者は手強かった?」


 ブースを見渡してひと息入れていた霊治の、その目の前の座席からこちらに笑顔を覗かせたのは霊治の同僚であり先輩社員の霧谷きりたにメイシャだ。長い朱色の髪をサラリと流して首を傾げている。


「お気遣いありがとうございます、メイシャさん。手強かったかと言われればそれほどでもありませんでしたが……。私も歳ってことですかね」

「まったく、何を言っているのかしら。30代前半なんて男の人は1番はたらき盛りな年頃じゃない。もしかして相手の手ごたえがなさ過ぎたことに肩透かしを喰らって、その勢いでどこかむち打ちでもしちゃったんじゃない?」


 メイシャはクスクスと笑っていたずらっぽく目を細めた。やはり、いつ見ても美人だ。1人の男としてはそんな表情に胸を動かされてしまったりもすることもあるのだが、しかし霊治は内心でいやいやとかぶりを振る。

 メイシャは20代前半、場合によっては10代にも見える外見ではあるものの実際はもっと長生きだ。彼女は他の異世界から地球へと転生してきた『逆輸入型転生者』であるため、異世界転生者と同じような特殊能力を持っているのだ。

 なんでも彼女の前世は不老で無敵の聖剣使いだったそうで、その特性が今世に引き継がれているらしい。

 ちなみに今が実年齢的にどれくらいになるのかといえば、自分が入社した頃には100を超えていたらしいのだから……なんて霊治が考えていると、

 

「いま、なにか失礼な計算をされてる気配がするわ♪ 霊治くん?」

「いえ、別に私は何も……」

 

 メイシャのそこはかとない怒気を含んだ笑顔が向けられて、肝を冷やしながら霊治は思う。

 どうやらメイシャはこの地球に生を受けて30年やそこらの人間が考えることなど手に取るようにわかるらしい。やっぱりこれは自分の手に負える女性ではない。これ以上我らが転生トラブル解決課の最強ベテラン社員のことを、たとえ心の内であっても詮索せんさくするのは止めておこう、と。


「それで転生者のランクはいくつだったの?」


 メイシャはそれ以上の追及を止めて話題を戻してくれる。霊治はホッと胸をなでおろした。


「転生者ランクは出張前に集めた情報通り『B』でしたね」

「あら、またBだったの」

「ええ。まぁ例のごとく一芸に秀でているタイプですね。魔法レベルは脅威でしたが、それ以外に特殊能力があったりするわけでもなかったので比較的スムーズに処理は済みましたよ」

「ふぅん……そう」


 メイシャはうれいを帯びた表情で息を吐く。


「最近はめっきり高ランク転生者に対しての『問題解決トラブルバスター』案件が減っちゃったわよね。ひと昔前なんて世界終末戦争アルマゲドン級の案件が3連日だったり、四半期ごとに起こる神々の滅びの日ラグナロクに備えて会社に缶詰めしたりでてんやわんやの充実ライフだったのに。こう言ったら不謹慎だけど、なんだかちょっと寂しいというか、つまらないわ」

「物騒な……私はご免ですよ。労働は楽なことに越したことはないんですから」

「あら、枯れてるわね。老けるわよ?」

「……」

 

 実際ちょっとばかり実年齢と比べて老け気味ではあるかな? と最近鏡に向かい合って思っていたところだった。

 もしかすると若さを保つ秘訣とはこういった祭り好きというか、らんちき騒ぎが好きな性質にあるのかもしれないとしげしげとメイシャを見る。


「なんだか不快な視線を感じるわね♪ 何かしら♪」

「い、いえ、別になんでも……。さて、私は昼ご飯を買いに行かなくては。メイシャさんはもしかして今日も?」

「ええ。いつも通りお弁当よ……。なんだかすごく誤魔化された気がするんだけど気のせい?」

「きっと気のせいでしょう」

「まあいいわ。今日のところは勘弁してあげるから、はやくお昼を買いにいってらっしゃい」


 憮然ぶぜんとした様子を少し残しつつも自席にお弁当を広げ始めるメイシャを背に、やれやれ危なかったと霊治が腰を上げかけたその時だった。

 リロリロリロッと霊治の席の内線電話が甲高い音を奏でる。

 思わずあからさまな渋面を作って振り返った霊治に対して、目の前の席からクスッという失笑とともに「タイミング悪いわね」というメイシャの声が聞こえる。

 昼休みなんだから無視したい、しかし仕事である以上は電話を取らないわけにもいかない。霊治は渋々受話器を上げた。

 

「はい、こちら捺落迦です」

『捺落迦さん、お疲れ様です。保険適用申請のお電話がございましたのでご連絡です』


 やっぱりか、と霊治は数秒のあいだ天を仰ぎ、ため息をこらえて、


「……承知しました」

『後ほどメッセンジャーで必要情報の連携をしますので、急ぎ適用申請調査とその後の対応の方をよろしくお願いしますね。先方、相当焦っていらっしゃるようなので』

「かしこまりました、善処しましょう。ご連絡ありがとうございました」


 受話器を下ろすと、深いため息を吐く。待ちわびたように手前から声が掛けられた。


「霊治くん、もしかしてまた『問題解決トラブルバスター』案件だったり?」

「もしかしなくてもそうでしょう。ウチの『転生トラブル解決課』に直接内線がかかってくるなんて、ソレ以外ありえないですから」

「あらあら~それじゃあ今日の昼休みは返上かしら。それはお気の毒様だわ~♪」

「なんですかそのうっぷんを晴らせたみたいな表情は……」


 霊治は再び重いため息をついてからPCへと向きなおった。まあ『問題解決』の案件は多くの人命にかかわる業務なのだから仕方がない。

 空腹に鳴きそうになる胃袋を引き締めて、さっそく調査作業に取り掛かるのだった。

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