第17話 決意の日

 霊治たちの頭上を覆っていた黒雲が晴れる。

 そして再び青く澄んだ空が顔を現した。

 

「先輩~っ‼ やったっすねっ‼」


 大太が駆け寄ってくる。その右腕はすでに平常のサイズへと戻っており、手のひらを高く掲げてハイタッチの構えだ。しかし、あいにくとそんな元気は今の霊治には無かった。


「って、うぇぇぇえっ⁉ めっちゃ重症っ‼ 先輩、めっちゃ怪我してるっすよっ⁉」

「知ってます……」


 全身に弾がかすめてできた傷、左肩は撃ち抜かれていて出血量がともかくひどい。このままだと気を失いかねない、それくらいの手負いだった。


「応急処置に必要な道具は持ってきてます。大太くん、『天翅可夢偉アマハネカムイ』の中から私のバッグを取り出してくれませんか」

「あ、はい」


 別次元の空間へとあらゆる物を収納する神器、『天翅可夢偉』。大太はジャケットの内側へとしまっていたらしいその織物を取り出すと、その中へと手を突っ込む。


「あ、キルンのヤツももう取り出していいっすかね?」

「取り出すって、君は……。人は物扱いするものじゃないですよ。まあしかし、もう安全だと思いますから出してあげましょう」


 そうして大太はゴルフバッグ並みの大きさのリュックを織物の中から取り出して霊治に渡し、それから子猫を持つ時のように首根っこを掴んでキルンを連れ出した。


「わっ……! な、ならかさんっ! ケガっ!」

「大丈夫ですよ。これくらいすぐに治ります」


 霊治は外界に出てきて真っ先に霊治のありさまに気づいて心配してくれるキルンのその頭を撫でる。横で「俺の時とずいぶん反応が違うっすね……」なんて冗談じみた声が聞こえたがそれはスルー。

 それからバッグの中に用意していた簡易救急箱の中から消毒液、ガーゼ、テープを取り出す。手当てのためにジャケットにワイシャツを脱いだ霊治のその姿に、息を呑む声が聞こえた。


「もっと安全な方法も……ありましたかね……? 俺がもっと、役に立てば……」


 大太がポツリと呟くが、しかしそれには霊治が首を横に振って答えた。


「これが最善でした。まず作戦の第一段階としてのおとり役は私以外にあり得なかった。サロキスの恨みを買っているという点でもそうですし、何より君は彼のバリアを破ることができる力の持ち主でしたから」


 もし大太を囮約としたら恐らくサロキスはあそこまで楽しむということをしなかっただろうと霊治は考えた。自分の命に届く反撃の一手を持つ人間相手に悠長に遊ぶほど馬鹿とも思えない。


 だからこそ、霊治は最後の詰めの直前まで大太の存在を隠すことにしたのだ。


 あらかじめ広場の中で『天翅可夢偉』の中に入り、霊治とサロキスがやってきて不発弾が爆発するのを待つ。そしてその攻撃でサロキスが死んでいなかった場合は『万物は慧目な秤にかけられしアストライア・ウアジェート』を使って、次元の壁も舞い上がる土煙も透視し、絶妙なタイミングを見計らって奇襲をかける。それが大太の仕事だった。


「不発弾の爆発のあと、驚きと負ったダメージのせいでサロキスの頭からは完全に君の存在が抜け落ちていたようでした。おかげでこちらは最大の攻撃力を不意打ちに使うことができ、そうして得られた結果が今回の勝利です」

「そう……っすか」


 ひと通りの処置を終えて、霊治が上着を羽織り直す。そしていまだに落ち込んだ様子の大太を見る。

 どれだけ言葉を重ねても、それでも大太は自分を責めてしまうらしい。


 ――自分にもっと力があれば、回せる頭の良さがあれば、短絡的な行動をしていなければ。霊治にここまでの傷を負わせずとも勝てる方法を見出すことができたのではないだろうか。


 きっとそんなことを考えているのだろうなということが、霊治には手に取るようにわかった。

 霊治自身にもそんな経験があったからこそだ。

 そんな時、霊治を救ってくれたのは上司の言葉だった。

 だからこそ、霊治もひとつ咳ばらいをすると口を開いた。

 

「――不発弾を使った攻撃ですが、もし君が本社の命令通りに撤退してしまっていた場合、あれは私にとっての最後の詰めの攻撃になる予定のものだったんです」

「……え?」


 うつむき顔を上げた大太へと、霊治は言葉を続ける。


「あれが通じなかった時点でつまり、私1人じゃどうあっても勝てなかったということですよ、大太くん。君がいてくれてよかった。君がいなくては勝てなかった。本当に、ありがとうございます」

「……っ! は、はいっ‼」


 その表情が少し晴れたのを見て、霊治は安堵の息を吐いた。


 それから霊治は背を向けて広場の隅、2人からは離れた位置に移動した。

 問題解決トラブルバスターは完了だ。そうとなればもうこの異世界に留まる理由はない。霊治は無線機を耳に当ててゲート管理担当へと連絡を入れる。

 1、2つの事務的なやり取りを済ませたあと、


『あ~そういや課長がすっごいおかんむりでしたよ~??? がんばです~!』


 なんてエールを送られてしまった。

 泣きっ面に蜂とでも言おうか、いやしかし業務命令違反をしてしまった以上は自業自得だ。霊治は深いため息を吐きつつ、大太に声をかける。


「時間です。行きますよ」

「えっ……もうっすか⁉」


 大太の問い返した言葉に答える必要はなかった。霊治のすぐ横の空間に、行きに使ったものと同じ『ゲート』が開き始めたからだ。


「そ、そんな……っ! だって、それじゃキルンが……っ!」


 ここに、1人で取り残されることになってしまう。この瓦礫がれきと化した王都に、たったの独りきりで。それは霊治にもわかっていたが、しかし。


「私たちはこの世界の異分子なんです。転生者を排除できた時点で、それ以上のことに関わりを持つべきではありません。それはせっかく平和になったこの世界に新たな矛盾点バグを埋め込むことに繋がりかねませんから」


 しかし大太は未練を残したような顔をこちらに向ける。


「でも、まだ不発弾とか地雷とかあるかもだし、それにキルンの親だって――」

「大太くん」


 霊治がその言葉を遮った。


「残った兵器や武器に関してなら問題はありません。サロキスの能力は『指定秒数だけ兵器・武器を具現化し、指定秒数だけその状態を維持すること』です。彼が死んだ時点で具現化を『維持』する能力が消えて、地雷も不発弾もその全てが消失しているはずですから」


 そこまで言って、そして大太の肩へと手を置いた。


「それにね、大太くん。私たちが生きているのはこの場所ではありません。『もしも』のことがあったとしても、私たちが持ってあげられる責任なんてこの世界には無いんですよ」

「……っ」


 悲しげにうつむいた大太に、それ以上かけてあげられる言葉は見つからなかった。

 いま彼が思っていること、感じていることのすべては、霊治だって思い、感じていることだったからだ。


 ――キルンはこのあと、いったいどんな人生を歩むことになるだろう。


 少女の両親は健在だろうか。もし死んでしまっていたとしたら彼女は孤児となってしまうのだろうか。瓦礫と化した王都で今日のご飯は? 寝る場所は? 明日からの生きていく術は?

 何もかもわからないし、わかったとしてそれを手伝ってあげることもできない。なぜなら自分たちは異邦人であり、恐らくもう2度とこの世界に足を踏み入れることはないのだから。

 こういう時、自分たちはどうしようもなく無力なのだと痛感させられる。

 

 ゲートだけが次第にその形をはっきりと大きくさせて、霊治たちの帰還の時が近いことを教えていた。


「どこかに、帰っちゃうの……?」


 キルンの寂しげな声がかかる。


「また会える……?」


 霊治は首を横に振って応えた。大太は何やらこらえ切れずに後ろを向いてしまって、使い物にはならなそうである。


「もう会えません。ですがキルンさん、明日にでもなればあなたは私たちのことを忘れることになるでしょう。そう決まっていることですから。だからこの別れを悲しむ必要はありませんよ」


 キルンは首を傾げる。

 そういった反応が返ってくるのはわかっていた。こんな話をしても彼女には理解できないだろうということは。


「すっごく遠いところに行っちゃうの……?」


 キルンのその解釈は真実と少しズレてはいたが、しかし霊治は無言で頷いた。キルンは「そっか……」と少しの間だけ悲しそうにしてうつむいたが、しかしすぐに顔を上げる。


「あのねっ、ありがとうっ! いっぱい助けてくれて、いっぱい優しくしてくれて。ならかさん、だいだらさん、わたしね、ゼッタイに忘れないよっ!」


 真っすぐに霊治を、そして大太を見上げて言う。


「あのねっ……! 2人が会えないくらい遠い場所に行っちゃうとしても……わたし、いつかきっと会いに行くから! 大人になったらこの王都を出て、それで旅に出るのっ! その時にゼッタイ2人を探し出してみせるからっ! だから……」


 キルンの目が必死になって訴えかけてくるその想いに、霊治は微笑んで、そしてまた頷いた。

 

 ――少女は、大人になったそのあとの自分の道を信じていた。


 旅に出るのだと。どれくらい後になるのかは本人にも誰にもわかりはしないだろうが、しかしそれでも自分の未来を思い描いていた。

 だから霊治もまた、それを信じることにした。別の世界に生きる身でできることは信じることだけだから、だからひと際に強く、強く少女の未来を信じることにした。

 キルンがいつか大人になって、この世界を大いに巡り行く時がくることを。

 

 大太に目線をやって訊ねる。大太もまた、腕で顔を覆い隠しながらもウンウンと大きく頷いていた。スラックスの後ろポケットに入れてあるハンカチを渡すことにする。


「わかりました。それではさようならは言いません。キルンさん、いつかまた、どこかでお会いしましょう」

「げっ……元気で、なっ……! また、絶対に会おうな……っ‼」


 2人はキルンと握手をして、再会を誓う。

 

「きっと、きっと会いに行くから、待っててね……っ!」

 

 ゲートは開き切った。

 少女は最後まで笑顔でこちらに手を振って――。

 

 霊治と大太は空間にぽっかりと開いたそのゲートの暗闇に、身体を沈めた。




 ◇ ◇ ◇




「――はい~。問題解決トラブルバスターお疲れさまです~」


 ゲート管理担当の間延びした声がかけられる。

 霊治と大太の身体は行きと同じく一瞬で地球へと戻ってきていた。

 白いタイル貼りになっている無機質なゲート管理室の情景がそこにはあった。


「えっ……? 霊治パイセン! なにその怪我‼ やばくないです⁉ あと……そっちのデカい子はなんです? なんで泣いてるんです……?」

「いえ、ちょっとね。放っておいてもらえると助かります」


 大きな図体で天井を仰いだっきりになっている後輩を指さしたゲート管理担当を霊治は適当にあしらう。

 ゲート管理担当は肩をすくめて了解すると、「救急車を手配しておくですから、なるべく早く地上に出るですよ?」と言い残して、それから別室へと引っ込んだ。


「大太くん、大丈夫ですか……?」

「……俺っ」

「はい」

「俺、はやく1人前になりたいっす……っ‼ あんな悲しい世界を、俺はもうこれ以上作りたくない……っ‼」


 霊治は無言でその肩に手を置いた。

 そして大太を促して、ゲート管理室を後にする。


 ――残念ながら、これからもそんな悲しい世界はいくらでも現れるだろう。


 問題解決トラブルバスターとはそういうものだ。問題が起こってから現地に飛ぶ以上、数々の悲劇は避けられない運命にある。

 しかし、と霊治は思う。

 それでも悲しい世界を作りたくないという信念に顔を背けずにいれば、きっとその運命をくつがえすことのできる異世界もあるに違いないと。

 

「大太くん、君ならできますよ。きっと――」


 大きな身体を、嗚咽によって揺らす後輩の背中を叩いてエールを送る。

 そしてエレベーターに乗って、地上にある本社を目指した。

 これからまだやることは山積みだ。でもまずは本格的な治療からだろうなと自分の身体の状態を思い返して少し笑った。課長に怒られるのは後回しだ。

 壁に背中を預けて目をつむる。

 狭い空間の中で聞こえる大太の鼻をすする音に、昔を思い出した。

 

 ――千秋ちあきさん。あれから10年。私も、少しは1人前になれたかな……?


 失血量が思ったより多かったのだろう。

 霊治の意識は端の方から緩やかに暗く染まっていく。

 ぐらりと身体が傾いた。名前を呼ばれた気がしたが、その音がとても遠い。

 しかし不思議と霊治には、恐れなどどこにもなかった。

 なぜなら訪れた暗闇は冷たい洞窟のようなものでは決してなく、どこか温もりの感じられる、安らかな夜のひと時に似たものだったから――。






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ここまでお読みいただきありがとうございました!

トラブルバスター編はこのエピソードで終わりです。

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