第13話 戦う理由

 ――私はここに残って、このまま戦います。

 

 それはつまり、独りきりで、あらゆる武器や兵器を生み出すことのできるチート能力を持つサロキスと対峙するということ。それも、切り札である『失憶廻天オーバーリロード』を使った状態の大太さえ手も足も出なかったというのに、そんな奥の手をいっさい持たない霊治がだ。


「な、なんで……ッ‼ どうしてっすか⁉ 撤退するんじゃないんスか⁉」

「大太くんは撤退してください。判断としてはそれが正しい。むしろ私が間違っている」

「え……は? 間違ってるって言いましたか、いま?」

「ええ、言いました。このまま戦うなんて馬鹿げた話です。私の判断は業務上、確実に間違っている」


 唖然あぜんとしている大太に申し訳ない気持ちになりつつも、言葉を続ける。


「実はね、さっきの無線での本社とのやり取りでも撤退を命令されていたんですよ。私もこのまま100%に近い勝算が思いつかなければ大太くん個人の撤退を勧めるつもりでした。ですが先に君自身の口からその提案を口にさせてしまいましたね。とても言いにくいことだったでしょう? 本当に申し訳ない」


 謝罪には先輩も後輩も関係はない。霊治は頭を深く下げる。意図的に情報を伏せていたのは本来後輩に、いや同僚である仲間にやってはいけないことなのだ。だからこそ誠意を見せなければならない。


「や、やめてくださいよ……! 頭を上げてください、そんなこと今はどうだっていいんスよ。ただ、本社から命令されているなら、なおさら一緒に撤退しましょうよ!」

「それは嫌です。私は諦めたくはない」


 霊治はきっぱりとそう言い切った。しかし大太は食い下がる。


「別に撤退はこの世界を諦めるわけじゃないっすよね⁉ また日を改めて、今度はあのサロキスの野郎を確実にぶっ殺せる戦力をそろえて戻ってくるだけっすよ⁉」

「そうですね、その通りです。この世界を諦めるということじゃないと、それはわかっているんです」

「それじゃあ、なんで……」

「少なくとも、この王国を諦めることになるからです」


 2人がどんなやり取りをしているのか、ほとんどわかっていない様子で横に立つキルンを見る。自分たちがここを数日でも、いや数時間でも離れることが何を意味するのか、大太もそれだけで悟ったようだった。


「私は前世で大きすぎる罪を犯しました。そしてそれを償うチャンスを得て今この瞬間にこうして生きています。本来ならあり得ない、2回目の人生です。特別過ぎることでしょう」


 それは転生トラブル解決課に身をおいていると忘れがちなことだ。ほとんどの同僚が別の異世界から転生してきている人間である以上、どうしても命の価値基準は『2回目の人生を歩む者』としての視点で定められるものになってしまう。

 しかし、だ。


「この世界の、この王国の人々は私たちとは違うんです。私たちだけじゃなく、死亡保険に転生サービスが付いてくるような地球人たちとも違う。2度目の保証なんてどこにも無い、たったの1度きりの人生を今この瞬間も精一杯に生きている。私はそれを、『どうせ1度死んだ身だから好き勝手やってみよう』やら『自分は2回目の人生を歩む特別な人間だから何をしてもいいだろう』なんて自分勝手な理由で奪っていく転生者たちを見過ごせない、いや、見過ごしたくはないんです」

「それは……その気持ちは、もちろん俺にもわかるっすよ……わかるっすけど、でも……!」


 悲痛そうに声を震わせながら、苦々しい顔をしながら、大太が叫ぶようにして言う。


「そうやってこの王国の人たちに尽くして、その結果に負けて死んで、地獄よりも最低なあの場所に落ちるとしても、それでいいって割り切れるんスか⁉ そこまでのリスクをしょい込む理由は何なんスか⁉ 問題解決トラブルバスターが無事に済んだとしても、王国からの見返りなんて何にも無いんですよ‼」


 それは言葉にするだけでも身を焼かれるような、そんな心の内側にあるマグマのようにドロドロと赤黒い本音の部分だった。

 霊治が助けようとしている人々は、言ってしまえば自分たちにとって赤の他人よりも遠い存在だ。世界単位で異なる地に根を下ろし、キルンのように業務で関わり合いになる現地人もたまにはいるが、しかしそれも問題解決という仕事が終われば二度と会うこともなく、そして現地人側には記憶の改変が適用されるため自分たちのことを思い出すこともなくなる。

 そこには自分の死後の魂を懸けるほどの価値はないだろうと、その大太の言い分は霊治にとってもよくわかるものだった。

 だが、それでも。


「……約束をしたんです」


 遠い過去にしたそれを、思い出す。


「約束……?」

「ええ。自分の気持ちに決して嘘は吐かないと、この魂に誓ってそう約束したんです。私の恩人であり、そして私にとって永遠の憧れの人にね――」


 霊治の頭の中に、今は遥か遠い日の情景が、声がリフレインする。


――――――――――――――


『きっと……きっとだよ? これからもキミは、キミが救いたいと思ったその心に嘘を吐かないで。それが私との、たったひとつの――約束』


――――――――――――――


 その言葉があったから、今までずっとこうして自分を見失わずに済んできた。自分の罪と向き合ってこれたのだ。

 霊治は再び、大太へと頭を下げる。今度は浅い、そしてかすかに微笑みを伴ったものだった。


「すみません、そしてありがとうございます、私を心配してくれて。ですがどんなに説得されても私は私の気持ちを変えられはしない。王国の人々を助けたいと思った気持ちに嘘は吐けないんです」


 大太は口を開いて、しかし、喉に何か詰まったように言葉は出てこない。

 自ら死地へと向かおうとしている上司を引き留めようとしてくれている、そんな後輩の姿に霊治の心はそれだけで温まった。

 

「ありがとう、大太くん」

 

 自分の決意を、しっかりと目を合わせて伝える。


「……どうしても、一緒に来てはくれないんスね?」

「ええ」

「勝算はあるんスか?」

「一応、作戦はありますよ。成功率は多く見積もって……20%ほどでしょうか」

「……ッ」

「大丈夫ですよ。これでも修羅場は結構くぐってきていますので」

 

 霊治が再び神器を差し出すと、大太はようやくそれを受け取ってくれる。『万物は慧目な秤にかけられしアストライア・ウアジェート』、物質的な壁も次元の壁もすべてを透過して自分が見たいと考えた物を見ることができる片眼鏡だ。これから王都の外の地雷を避けて森まで逃げるのに役に立つ。


「キルン」


 少女の名前を呼んで、大太は手を差し伸べた。


「俺と一緒に森まで逃げるぞ」

「えっと……うん」


 コクリと頷いたキルンは、その手を握る。


「ごめんな。本当に、ごめん」

「? どうしてだいだらさんが謝るの……?」

「俺は自分の中の損得勘定だけで、リスクだの見返りだのそんなことばっかり言っちまってた。キルンにとっては大切なたったひとつの場所だってのにな……しかも、俺はお前を1人森に置いて、自分だけで向こうに逃げることになる……」


 大太は顔を伏せた。繋いでいない方の拳は硬く握られて震えている。胸の奥から込み上げてくるなにかを必死にこらえるようにして、唇を噛んだ。

 

「ごめんな、俺はどこまでも自分勝手な悪い奴だよ……」


 大太がそう言った、その直後だった。


「――違うよ」


 キルンは間髪入れずに、ハッキリとそう言った。大太が驚いて顔を上げて、その視線が重なった。


「だいだらさんは悪い人じゃないよっ! だって、わたしのことを助けてくれたもん! あの悪い人形たちから守ってくれたもん!」


 大太の手を小さなその両手で握って、必死に訴えるように顔を覗き込む。


「だいだらさんも、ならかさんも、わたしにとっては正義の味方だよっ! 悪い人なんかじゃ、ぜんぜんないよっ!」

「――っ‼」


 ストン、と。膝から下が無くなったのかと思うほど唐突に、大太は崩れ落ちてその場にしゃがみ込んだ。顔を覆って、そしてその図体に見合うだけの肺活量を存分に使って、大きなため息を吐いた。


「あー……。やめてくれよぉ、ホント……あぁー……」


 胸の中の何かを吐き出すような、意味の無い声を出しながら、大太は髪をぐしゃぐしゃにしながら頭を覆った。


「あぁぁぁあぁぁあ~~~~~~ッ! くそぅ……ちくしょぉぉぉお……っ!」

「ど、どうしたのっ⁉ だいじょうぶっ⁉」


 大太はしばらく声を出し続けたあと、心配するキルンの頭に手を載せながら、


「俺だって……俺だって見捨てたくないっ‼ 助けてぇよ……‼ 徳を集めるとか、そんなもん抜きにしたって、目の前で殺されてく人たちを、キルンをこのまま置いていくなんてしたくはねぇよっ‼」


 血を吐くかのように苦しげにそう言って、頭へと爪を立てる。

 良心が、道徳が、刃となって大太を傷つけていた。


「大太くん……私としては、あなたには撤退をしてほしいと思っています。本心から、です。今回の戦いの勝算はかなり低い。そんな状況で、ここが初めての現場となるあなたに無理をしてほしくはない。しかも撤退は業務命令なんですからサラリーマンである私たちは従うべきなんです。命令に背いたって何も良いことは無い」

「そうっすよね、そうなんスよね……」

「そうです」

「このまま帰るのが正解で、俺に悪いとこなんてなんもないんスよね……」

「そうです」


 霊治の言葉をなぞるように、肯定するように、大太は繰り返す。

 だが、しかし。


「――でも、ダメだぁ。俺」


 そう言うと勢いよく、震える瞳で、しかし確信の込められた表情で霊治を見上げた。


「今キルンを置いて1人で帰ったら、俺、一生後悔しちまう気がするんです……‼ ずっとずっと、このクソ辛い気持ちを引きずって生きていかなきゃいけない気がするんです……‼ だから……どうしても逃げたくないッ‼」


 大太の胸の内側を焦がし続けていた熱い想いが吐き出される。それは優しく強い想いで、けれどそれゆえに危険な兆候でもあった。

 それは一時の感情で自分よりも他人を優先して、そして訪れる結末に後悔をしてしまう、そんな破滅の未来の可能性だ。


「……大太くん。確かにこのまま本社へ帰れば辛い思いをすることになるかもしれません。でも、それでも生きてさえいれば、徳を積んで『虚無の牢獄』を回避するチャンスがあるんですよ? ここで死んでしまえば問答無用でそこに行くことになってしまう」


 その言葉に大太は震えながらも、しかし、


「いや……俺は、決めましたよ。先輩」


 覚悟の固まった、こわばった顔で霊治を見返す。


「もし、俺が死んじまったら……そんときゃたぶん先輩も一緒っすよね? そしたら牢獄でも仲良くしてくださいっす……‼」


 そう言って無理やりに勝ち気そうな微笑みを作った。

 霊治はその答えにため息を吐く。やれやれという気分だった。忠告も危険も全て受け入れて出した答えがそれだというのなら、もうこれ以上何も言うことはできないだろう。


「――わかりました。それでは改めてよろしくお願いしますよ、大太くん」

「ウッス‼」


 握手のつもりで差し出した手を、パチンと軽快な音を立ててはたかれて、霊治は痺れる自身の手を見つめる。ハイタッチ? 位置的にハイではないが。もしかして体育会系だったのだろうか、大太は。


「ところで俺が加わったら勝算はどれくらいになるっすかね?」

「どうでしょう? 40%くらいですかね?」

「ははっ! 国をひとつ救う賭けだってんなら高い勝率じゃないっすか?」

「……そうかもしれませんね」


 その軽口に、霊治も笑って応えることにする。

 さて、それじゃあ改めて作戦を練る時間だ。大太を含めて、一番確実な勝ち筋を見極めるために。

 しかし、その前にひとつ言っておくことがあった。


「大太くん、さっきの話ですが……」

「さっき?」

「ええ、牢獄でも仲良くしてくださいって言っていたアレ。行くことになるのは虚無の世界なので、そもそも私たちは二度と会えませんからね?」

「それっていま言う必要ありました⁉」


 憤慨した様子で勢いよくツッコミを入れる大太を見て、出会って初めて、キルンは快活そうにカラカラと笑うのだった。

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