カクヨム4周年記念 KAC2020連作短編集

野森ちえこ

【お題1:四年に一度】フジツな彼と、四年に一度のバースデー 〜譲歩の誕生日会〜

 四年に一度といえば、オリンピックとうるう年をあげる人が多いだろうか。ほんのすこしの特別感にソワソワするような、なんとなく得した気分になるような、一年三百六十五日に一日プラスされる、二月のおまけみたいな日。しかし長利ながとし多恵子たえこにとっては、わかりやすく大切で、特別な日だった。


 娘が、この世に生まれた日なのだ。


 おめでた婚とかマタニティ婚とか授かり婚とか、ひと昔まえならできちゃった婚とか、いろいろ呼びかたはあるが、つまり多恵子の結婚は妊娠がきっかけだった。


 相手は――まあなんというか、呼吸をするように女と遊ぶ浮気男で、多恵子も複数いる『女友だち』のひとりでしかなかった。しかし彼は、とにかくマメでほめ上手でやさしい。一緒にいると、自分がお姫さまになったような気分になる。

 だから、多恵子にとっても『遊び相手』としては最高の男だったのだ。まちがっても本気でつきあう相手ではない。そう思っていたし、避妊だってしていたのに、まさかの妊娠だった。


 てっきり『堕ろせ』といわれると思っていたのだけど、そういうところは妙にまじめな人だった。彼の口から『結婚』という言葉が出たときは、妊娠以上に驚いたかもしれない。

 ひとりでも産む覚悟をきめていた多恵子だったが、自発的にほかの女とすべて手を切った彼を見ていて、これなら大丈夫かなと、結婚に踏み切ったのである。が、やはり甘かった。


 浮気は病気だとよくいうけれど、ほんとうにそうだと思う。けれど、彼はうまく隠しているつもりでいたから、多恵子も気づかないふりをしていた。そうしていれば、うまくいくと思った。家にいるときは、やはりやさしくてよく気のまわる、いい夫でいい父親だったから。


 だが、あるときふと思ってしまった。あたしはなにをしているのだろう。なぜ、なんのために、この人の妻でいるのだろう――と。


 多恵子には、本妻なのだからと構えていられるような度量も、平静をたもつ懐の深さもそなわっていなかった。毎晩ちがう女のにおいをかぎつけては落ちこむ自分がむなしくて、しだいに笑顔をつくることも億劫になっていった。


 そんなある日。


 ――人生やりなおすなら、今のうちだよ。


 多恵子にそうアドバイスしたのは、ほかでもない、小学校六年生になった娘の希実のぞみだった。

 女の子は敏感だ。希実もまた、父親から女の気配を感じとるようになっていたのだ。


 ――あたしを離婚できない理由にしないでね。


 ハッとした。子どものために別れない。それはつまり、夫婦関係を子どもに背負わせるのとおなじだ。そして心のどこかで、希実を自分たちが夫婦でいる『理由』にしていたことに気がついた。これでいつか、あなたがいたから別れられなかった――なんて、うらみごとを口にしてしまうようなことがあったら最悪である。


 おかげで、ますます夫婦関係をつづける意味がわからなくなり――そこから離婚を切りだすまでにそう時間はかからなかった。


 彼はなかなか了承しなかったけれど、希実に『ここでゴネるなら、もう父親とは思わない』と一刀両断されて、さすがに言葉を失ってしまったようだった。そうして、希実が小学校を卒業するのと同時に離婚が成立した。


 希実の名字も、藤津ふじつから多恵子の旧姓である長利に変更して、母子ふたり実家近くのアパートで新しい生活をはじめたのが、今から約四年まえのことである。



 離婚しても希実にとって彼は父親だ。多恵子としては、ふたりが会いたければ会えばいいと思っていたのだが。


 ――この先二度と女の人と遊ばないっていうなら会ってあげてもいいよ。でも口先だけじゃダメ。それくらい、ちゃんとわかるんだから。


 その条件は、彼にはまず不可能ではないかという気がした。彼自身そう思ったのだろう。自業自得とはいえ、希実のことはほんとうに大切にしていたし、そのときの死刑宣告を受けたような顔はすこしかわいそうに思えた。


 希実も多少は同情したのかもしれない。自分の正真正銘の誕生日、四年に一度の二月二十九日だけは会ってあげてもいい――と、ふんぞり返りながらも譲歩したのである。


 だから、希実の誕生日プレゼントは毎年必ず届いていたけれど、離婚以来、直接会うのは今年がはじめてになる。娘の誕生日だ。せっかくだから三人でお祝いしようということになった。


 はたして、この四年に一度の誕生日会はいつまでつづくのだろう。希実は今日十六歳になって、四年後は二十歳だ。そのころには恋人だってできているかもしれない。これが最初で最後になる可能性もある。

 もっとも、藤津が女遊びを卒業すれば、誕生日でなくとも会えるようになるのだろうが、彼のそれは、不治の病みたいなものだ。


「お母さん、おかしくない?」


 藍色のワンピースに身を包み、髪をアップにした今日の希実は一段と大人っぽい。


「うん。大丈夫。きれい」

「お父さんびっくりするかな」

「ひっくり返っちゃうかもね」


 家庭にはまったく向かない人だったけれど、希実の母親になれたことだけは彼に感謝している。十二歳から十六歳。子どもから少女へ。少女から女性へと変わっていく、この時期の四年間はとてもおおきい。


 藤津の反応が楽しみだ。



     (おわり)



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