[Super Week] 土曜日-2066年2月13日

 たった4日間のことだが、日の出が早くなったのを実感してしまった。俺がボード・ウォークに下りてくるのが、毎日1分と違わないせいだろう。明るさよりも、どれくらい遠くが見えるかで感じる。見える距離が少しずつ長くなっている。それに気付くほど、毎日同じような天気であるというのも不思議なことだ。

 それはいいとして、犬連れの姉弟がようやく現れた。男の子ブラットは俺に気付いて一人走ってくる。歩道ウォークの床板がガンガン鳴り響く。姉は犬のリードを持っているが、犬が男の子ブラットを追いかけないように踏ん張りながら歩いて来る感じ。男の子ブラットは「サインオートグラフ!」と言ったが、差し出したのはサッカー・ボール。勘違いしてるわけじゃないだろう。きっとフットボールを持ってないんだ。わざわざペンまで持ってきているのだから、書かないわけにはいかない。

「あなた、アーティー・ナイトでしょう? ジャガーズの」

 ようやく近くまで来た美少女ニンフが言うが、犬が吠えているので聞こえにくい。ボールを男の子ブラットに返してから「そうだ」と答える。

「両親は信用してくれなかったわ。ホテルに泊まってるはずがないって」

「それで今日まで来なかったのかい」

「いいえ、他の日は散歩のコースが違うだけなの」

「ありがとう、アーティー! スーパー・ボウルはストリームで見るよ!」

 男の子ブラットはボールを頭の上で抱えてぴょんぴょん跳ねながら回る。フットボールの動きをしていない。

「楽しんでくれ。しかし終わるのは11時頃だぜ。それまで起きていていいのか」

「大丈夫!」

「相手のカウボーイズって強いの?」

 美少女ニンフもどうやらフットボールを知らないらしい。せいぜい相手チームを調べてきたくらいなのだろう。

「スーパー・ボウルに出るのは強いチームだよ。しかしジャガーズだって強いし、勝つチャンスはあるさ。何が起こるか判らないから、最後まで見てくれ」

「私、ルールを知らないの」

「ゲームが終わった時に得点が多い方が勝ちだ」

「それくらいは解るけど……」

「子供向けのわかりやすい中継もあるはずだ。探してくれ」

「ここで教えてくれないの?」

「これからスタディアムへ行くんだ。5分では難しいな」

 ジェシーだって何も知らないところから見始めて、2ヶ月でプレイの分析ができるようになったんだぜ。君、彼女より年上だろうから、やる気さえあれば同じことができるはずだろ。

「じゃあ自分で調べるわ」

「そうしてくれ。ところで君たち、名前は?」

「サーニャ・イェラチッチ」

「ジョセフ!」

「OK、サーニャ、ジョセフ、よい一日をハヴ・ア・ナイス・デイ

「ありがとう、アーティー、あなたも」

「バイバイ!」

 二人と別れる。これで将来のフットボール・ファンを二人増やしたかもしれない。犬とは最後まで解り合えなかったが。

 散歩を終え、駐車場に行くと巡査部長サージャントが待っていて「昨日の女性はどうなりましたか」と訊いてきた。幾分、嫉妬の混じった視線で。

「単なる貧血だったようだ。病院へは行かず、医務室で昼前まで寝ていた。後で、彼女の姉が来て連れて帰ったよ」

「そうですか」

「ただ、ちょっとした有名人らしくてね。ウクライナのピアニストで、エステル・イヴァンチェンコというそうだ。そしてその姉がマルーシャというオペラ歌手で」

「ピアニストは知りませんでしたが、マルーシャは知っています。市警察内で通達が回っていました」

「要人警護のため?」

「要請が出ているわけではありませんが、世界的に有名なVIPが滞在している時には、何らかの被害に遭わないよう挙動に注意しろということで」

「旅行中だったのか。でもジャクソンヴィルにオペラ劇場なんてないだろう?」

「滞在の目的は、少なくとも公演ではありません」

「リゾート都市でもないのに、何をしに来たんだろうな」

「存じませんが、スーパー・ボウル観戦以外には……」

 100回記念ということで、世界中のVIPを招待してるらしいからねえ。中継でも有名人がスタンドにいる姿がたびたび映し出されることだろう。

 いつものように尻を追いながらスタディアムへ行き、食堂へ。女コックが「モーニン、サー」と例の面倒くさそうな挨拶。どうして笑顔を見せようとしないのか。

「今日は新メニューはないだろう?」

「ええ、味付けを少し変えただけよ」

 それでも俺に感想を訊きたいのか。昨日の2品だけじゃなくて、月曜日の3品も? 全部だと食べ過ぎのような気がする。チーズ・エンチラーダだけで3種だぜ。まあいいか。

「どれも辛味が少し強めになって……いや、それだけじゃないな。何だか複雑な味わいが加わってるような。香辛料が違うとか……」

「何の味かを当ててもらう必要はないのよ。違いが判ればそれでよくて……」

「とにかくどれもうまい。前よりうまくなってる。これを食べると、他の店のは食べられないな」

「!」

 ヘイ、女コック。今、笑顔になりそうだったけど、気のせい? 慌てて表情をごまかしたように見えたけど?

「君の店、イタリアンだっけ。他の料理も食べてみたいが……」

「べ、別に新メニューだけ作ったわけじゃないのよ! よく見なさいよ、他の料理だってこんなにあるんだから!」

 そうか、そういえばパスタやピザなんかもあるんだった。これ全部、君が味を調整したのか。道理で昨日の昼には、うまくなったような気がしてたんだよ。明日までしか食えないのが残念だなあ。

 午前中のミーティングの後、キッズ・クラブのガキどもブラッツが待つ会議室へ。体験エクスペリエンスの仕事割り当てを発表する。概ね希望どおりになっているはずなのだが、部屋へ入る前にHCヘッド・コーチのジョーと攻撃オフェンシヴコーディネイターのラリーに呼び止められた。

「ジェシー・スティーヴンスの件だ」

「スポッター・シートに座らせないのかい」

 希望したのは彼女だけだったはずだが。

「ゲーム中にお前と有線ワイアードで直接会話したいと言っているぞ。彼女の言うことを聞くつもりはあるか?」

 ドライヴが終わってサイド・ラインに戻って来たら、有線通信機ワイヤード・コムでスポッターからの評価やアドヴァイスを聞くことがある。いつもはラリーが聞いてから俺に伝える形になっているが、直接話すこともまれにある。

「もちろん、聞くよ。ただし大きい声を出してくれないと聞こえないかもな」

「よし、その条件付きだな。事前にテストしよう」

 何だよ、そんなことが聞きたかったのか。テストはいつするんだ。今日これから? まあ練習中にできるか。

 会議室に入って、ジョーが挨拶の後、割り当ての発表。カウボーイズ側に当たった子供も、それほど不満はなさそう。そもそもスーパー・ボウルのフィールドに立つことだけでも、友人に自慢できるんだから。ジェシーなんて、スポッター補助アシスタントに割り当たったと聞いて、顔が紅潮している。

 参加の際の服装の注意や集合時間をジョーが説明し、解散。ジェシーだけがラリーに呼び止められている。

「ではアーティー、フィールドに下りてくれ。俺は彼女をスポッター・シートに連れて行く」

「了解」

 会議室を出ると、見たことある女がいた。デボラだっけ。

「アーティー・ナイト!」

 フル・ネームで呼ぶんじゃない。アーティーだけでいいんだ。そもそもどうして彼女がここへ。

「やあ。ジェシーの付き添いかい」

「そうよ。彼女の希望は通ったのかしら?」

「そう思うね。彼女に確認してくれ。ところでどうして君が付き添いに?」

「彼女の両親はレストランの仕事があるの」

「それは知ってるけど、君は彼女とどういう関係なんだ?」

「とても仲がいいお友達よ」

「ずっと前からか」

「いいえ、つい最近から」

 確かに彼女は友達が少なかったはずだけど、どうしてイスラエルから来た女なんかと友達になったんだろう。謎だ。しかしジェシーは嫌がってないようだから、俺が文句を言うこともない。

 フィールドへ行って、サイド・ラインからスタンド上段のスポッター・シートを見る。人がいた。有線通信機ワイヤード・コムを探し出して、呼びかける。

「ヘイ、聞こえるかい? そっちからもしゃべってみてくれ」

「アーティー、聞こえる? ジェシーよ」

「今は聞こえるけど、ゲーム中は3倍大きな声を出さないと聞こえないぜ」

「! アーティー、聞こえる!?」

 1.5倍くらいにはなったけど、まだまだだな。

「君と仲良しのデボラに、大きな声の出し方を教わってくれ。明日の夜までにな」

「解ったわ!」

 本当は大きな声を出さなくても聞こえるのだが、小声だと早口になってしまう。大きめの声を出そうと意識すると、自然にゆっくり話すことになるので、判りやすくなるというわけ。

 準備運動を始めていたら、また見た顔が現れた。日本人のナカムラ。

「ハイ、ナカムラ・サン、今日はプレスが来るとは聞いてないよ」

 だってスーパー・ボウル用のスペシャル・プレイを練習するんだぜ。見られたら話にならない。

「あれ、そうだったかな? しかし入り口でプレスIDを見せたらすんなり入れてくれたんですよ」

 いつもより若干愛想のいい笑顔を見せてるけど、本当かね。今日の練習は間違いなく非公開のはずなんだぜ。

「何か極秘に訊きたいことでも?」

「ああ、一つだけ。4年前、UCLAとのゲーム中に何があったんです?」

 なぜそんなことを訊きたがる。

「UCLAの公式発表が全てだよ」

「それ以外に何かあったはずなんですがねえ」

 なぜそんなことを知っている。

「じゃあ、今からロスへ飛んで調べてみたら? 明日のゲームまでには帰って来られるよ」

「そうした方がいいかもしれませんね」

 曖昧な笑みを見せているが、どうするつもりだろうか。日本人ってのは、表立ってやらなさそうに見えて、裏でこっそりやっていたりするからなあ。

 本日の練習は短めで終わり、夕方からは前夜祭イヴのプレス会見。ヴェテランズ・メモリアル・アリーナへ行く。しかし歩いて行くのに、どうして巡査部長サージャントの先導が必要なんだ。しかも俺だけ。よく解らん。

 会見に臨むのは俺だけではなく、HCヘッド・コーチ攻撃オフェンシヴ守備ディフェンシヴの両コーディネイターと、プレイヤーが12人。プレイヤーはプレスの希望を元にチームが選抜する。もちろんQBクォーターバックは必ず含まれる。しかし俺のところへ来ているプレスの数より、ダラスのカウフマンの方が圧倒的に多いのは解りきっている。失礼ながら記者の質も……

「明日のゲームもまた逆転カムバックで勝つつもりですか」

 こういうことを訊いてくる奴がいるんだから、どうしようもない。

「勝ち方はいろいろあるが、負けていれば逆転を狙うというだけだよ。それはどこのチームでも同じことだろう。そもそも序盤に点が取れないこと、相手に点を取られすぎることが問題で、そこはぜひコーディネイターに質問して欲しい。俺も常々疑問に思ってるんだ」

 これがジョークに聞こえないところも問題だと思う。ありきたりの質問に答え、飽き飽きしてきて早く終わらないか、などと考えていると、妙な質問が飛んできた。

「4年前、UCLAとのゲーム中に何があったんです?」

 人混みの後ろから声が飛んできた。声の主は見えないが、昼間のナカムラと同じ質問だ。もう全て片が付いていて、ここで出してはいけないトピックのはず。当然、周りの記者もざわついている。

「ヘイ、君、どこの記者? 名前は?」

「ポーランド通信社のハンナ・エレンスカです」

 顔を見て驚いた。絶世の美女。しかも、昨日貧血になったのを助けたティーラというピアニストにそっくり。シャンパン・ブロンドの髪に、東欧系の高貴な顔立ち。彼女の姉ではないかと思ったが、確かオペラ歌手のはずで、それがここで俺に質問をするわけがない。

「それについてはUCLAの公式発表が全てだよ」

「フィリス・テイラーは関係ないのですか?」

「公式発表の中にその名前がなければ、関係ない」

「では、クリスティン・テイラーは?」

 なぜその名前を知っている?

「繰り返すが、公式発表の中にその名前がなければ、関係ない」

「では、関係があるという証拠を見つければ、話してもらえるのですね?」

「その場合でもチームの広報を通して話すよ。個人では受けない」

「解りました」

 ポーランド美女はそれだけ言って姿を消した。他の連中はまだざわついている。いったい、何だったんだ。

「皆さんにご注意申し上げますが」

 突然、後ろの方からよく通る綺麗な声が響いた。聞き憶えがあるな。

「明日のゲームに関係ない話をアーティーにする場合、代理人エージェントである僕を通してもらえますか」

 ジゼル! にこやかに話してるけど、いつの間に君が俺の代理人エージェントになったんだよ。ただの代理人デピュートだろ。さっさと例の契約を済ませてくれ。

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