#18:第8日 (8) 最後のターゲット

「君は寝不足だから、帰って寝る方がいいと思うよ」

「私が寝てる間に、あなたが帰ってしまったら困るじゃないの」

「どうしても今日じゃないとダメなのかね」

「ダメだから言ってるの。私が研究員になれるか、今日中に見込みを立てて欲しいから」

 高校生が何言ってやがる。とにかく両親ともう一度相談してこい、と言って、ヴィラの前でガキどもブラッツと犬を降ろす。未成年を一晩中引き回したら、普通の親ならかんかんに怒るぜ。

「私も相談に参加してくるわ」

 あれあれ、我が妻メグまで降りてしまった。君、どっちの意見に加担するつもりなんだ。何だか嫌な予感がする。

 しばらくしたら、我が妻メグとサーニャだけが戻って来た。嫌な予感は当たった。

「だって、本当なら一晩中お話をしてもらうはずだったんだから。それが今から昼までになっただけよ」

 後席に座ったサーニャが、さも当然といった感じで言う。自分の権利をひたすら主張するところなんて、まるで合衆国民だ。

 とにかくシェラトンへ。しかし、俺はまず船着き場へ行かなければならない。我が妻メグとサーニャは先に部屋へ行っておくように言う。

 船着き場には、あの船が着いていた。ついさっき着いたばかりだそうだ。車の方が早いに違いないが、寄り道をしていたので同じくらいになったのだろう。が、しかし。

「あの令嬢、着いた途端に意識を取り戻して、礼を言ってどこかへ行っちまいましたよ。今回のことは忘れてくださいって……」

 船乗りセイラーが残念そうに言う。マルーシャめ、もしかしたら素早くホテルの部屋に戻って、一晩中いたかのように振る舞うかもしれないな。ティーラの目をどうやってごまかすかが問題だけど。

 とにかく船乗りには改めて礼を言い、チップを奮発して、帰す。ホテルの部屋に戻ると、我が妻メグとサーニャが着替えを終えて待っていた。二人でシャワーを浴びた? サーニャの服はどこから調達したんだよ。また我が妻メグが自分の服を、適当にピンで留めて長さを調節したりして着せたのか。デザインが大人の女向けだから、サーニャにはまだ似合わないな。

 俺もシャワーを浴びて着替える。地下室で座らされたりして、あちこち汚れてるから。

 すっきりした後、窓際の椅子にサーニャを座らせ、論文の説明を始めようとしたら、我が妻メグは「マドモワゼルのご機嫌を伺ってくるわ」と言う。やっぱりもう戻ってるのか。でもまだ7時前だぞ。早すぎるんじゃないか。

「起きたらすぐ来て欲しいと、メッセージをもらったのよ」

 我が妻メグはとても嬉しそう。いいよ、行きなよ。君がいなくたって、こんな子供ブラットには手を出さないから。

 で、その子供ブラットは小難しい顔で俺の“講義”を聞いている。眉を顰め、目を細くして。眠くなってきたかい。やっぱり寝不足が祟ってるのか。こうなるとさすがに美少女ニンフとは言えないなあ。

 しかししまうことはなく、かろうじて踏みとどまっている。そして30分ほどしたら我が妻メグが戻って来て、「そろそろ朝食をどうかしら」と言う。

「マドモワゼルがご一緒にいかがと……」

「私も食べるわ。さっきからずっとお腹が減ってたの」

 言いながらサーニャが立ち上がって伸びをする。頭を使うには血糖値が上がっていた方がいいとは思うけど、食ったら眠くなるんじゃないのかね。まあいいか。

 レストランに行くとマルーシャが待っていた。昨日の憔悴した感じからだいぶ復活している。でも君、夜中の地下室ではまた違う表情をしてたよな。

「ティーラは?」

「彼女は早朝にウィーンへ出発しました。私も一緒に行くつもりだったのですが、体調が戻りきっていないのか、うっかり寝過ごしてしまって。そうしたらティーラは『後で来て』というメッセージを残して、一人で行ってしまったんです」

 相変わらずティーラをうまく操ってるなあ。彼女が出て行ったのって、君がいない間だろうに、どうやって決心させたんだ。しかしこれで一人でターゲットを捜す時間を確保したと。あと5時間もないけど。

 俺の食べるものは例によって我が妻メグが選んでくれるのだが、それだけでなく彼女はマルーシャやサーニャのものまで選んでいる。マルーシャには消化がよくてエネルギーになりやすいもの、サーニャには目が覚めて頭の働きがよくなるもの……って、そんなことまでできるのか。

 マルーシャはいつもの食欲を抑えて、我が妻メグのお勧めに従って食べている。サーニャは元気を取り戻し、食べている間にも俺に論文のことで質問してくる。こんなことじゃ俺の消化に悪い。

 そもそも講義どころじゃないんだよ。俺はターゲットを探さなきゃならないし、ゲートも見つけなきゃならない。いくらドゥブロヴニクが狭いといったって、4時間と少しで両方探し出せるのかって。ターゲットは捨ててもいいけど、ゲートは絶対見つけ出さなきゃならないんだ。

 しかし食べ終わると部屋に戻って講義の続き。我が妻メグはまたマルーシャの部屋へ話しに行ってしまった。

 サーニャは頭がすっきりと冴えたらしく、高校生らしからぬ鋭い質問を連発してくる。俺の論文を――いや本当は俺のじゃないはずなんだが――理解する最年少記録を作りそうだ。おまけに表情は活き活きして美少女ニンフらしさまで取り戻した。ニュー・カレドニアのモデルにも負けてないんじゃないか。

 9時になった。残り3時間。いったん休憩を挟む。寝不足のせいか、俺の方が疲れてきた。我が妻メグがいないので、自分でコーヒーを淹れる。インスタントで十分だ。

「私、あなたの子供として生まれたかったわ」

 また立って背伸びをしながらサーニャが呟く。突然、何を言い出すか。

「どうして」

「そうしたらあなたにいろいろ教えてもらえるもの。頭もいいに違いないし、18歳で財団の研究員になれると思うわ」

 そんな訳あるか。俺がこんな講義をできるのは第二仮想記憶のおかげだよ。地頭はたいしたことがない。せいぜいAマイナスだ。フットボールIQだけは、自慢できるほどあると思うけどな。

「頭の良さなんて遺伝じゃないさ。俺の同僚の親の職業で、一番多いのは保険の外交員だ。親子で研究員なんて数えるほどしかいない」

「あなたの両親は?」

「アパレルのセールスマンと専業主婦だ。親父に似たのは口先がうまいところだけだな」

「学問のことは教えてくれなかったの?」

「全く。フットボールの投げ方は教えてくれたがね。頭脳より体格や運動能力の方が遺伝しやすいだろう」

「そうかしら」

 そうだって。だからこそ、ヘルツォーグ教授と秘密結社は遺伝の研究を……

 あれ? もしかして。

 ターゲットは、そういうことなのか?

 で、ゲートも……

 ふむ。この考えが合っているとすると、残り3時間なんて、十分すぎるじゃないか。1時間でもいいくらいだ。希望が湧いてきた。

「今日はランニングしないのね」

 君がいるからだろうが! どうしてそんなに話題がころころ変わるんだ。頭の切り替えが早いことを見せたいのか。

「何なら今から走ろうか」

「いいえ、もっとお話が聞きたいから、今日は中止してくれる方がいいわ」

「なぜそんなことを思い出した。ペネロパの散歩を忘れてたからか」

「そうよ。でも今日はヨシップの番だし」

「何か芸を仕込んでやりなよ。あれはかなり優秀な血統だと思うぜ」

「そうね。考えておくわ。財団では研究対象にしないの?」

「犬の心理学は対象外なんだよ。インタヴューができないから」

 休憩を終えて1時間。また休憩してさらに1時間。11時になったら、我が妻メグが戻って来た。

「そろそろ出発する準備をしないと。アーティー、サーニャ、研究会を終わってくれるかしら」

「お昼までっていうことだったのに!」

「ごめんなさいね。でも12時までに空港へ行かなきゃならないのよ」

「私も付いて行っちゃいけない?」

 空港までか、それとも合衆国までか。

「ヘイ、サーニャ、続きはまた今度だ」

「じゃあ、夏になったらここに来て。私も夏休みだから」

「それは構わんが、報酬が必要だな」

「何? お金? それとも……」

 何だ、その目は。俺は子供ブラットなんて相手にせんぞ。

「それは君を家まで送って行ってから言おう」

 もちろん、ターゲットのことだよ。外れてたら困るけどな。

 部屋を出て、フロントレセプションでチェックアウトの手続き。手荷物は俺の鞄と我が妻メグのキャリー・バッグだけ。その他はロジスティクス・センターへ送る。ロビーにマルーシャがいた。まだ車を借りているから、彼女を空港まで乗せて行く、と我が妻メグが言う。それでもいいか。彼女は俺からターゲットを奪ったりしないだろう。「言えなかったこと」も言わなきゃならないし。

 ホテルを出て、車に乗る前に我が妻メグが「マドモワゼルに、子供はいつ頃になりそうか、訊かれたわ」と笑顔で言う。何だ、君までヒントをもらって来たのか。

「もうしばらくはない、って答えたんだろう?」

「ええ、そうよ。もう何度か、こうしてあなたの出張に付いて来たいもの」

 そんなこと言って、次のステージでは「妊娠していて同伴できません」ってことになったりするんじゃないだろうな。ないとは思うけど。

 三度みたび、サーニャのヴィラへ。こうして日のある時に見るのは初めてだが、三角の屋根を載せた姿が、大きな犬小屋に似ていないこともない。

「それで、あなたが要求する報酬って?」

「簡単だ。ペネロパの子犬を1匹。もちろん、生まれてからでいい」

 サーニャが呆気に取られている。

「そんなのでいいの?」

「ペネロパが俺の妻マイ・ワイフにあんなに懐いてたんだぜ。子犬はもっと懐くに決まってるじゃないか。どうだ、マイ・ディアー、欲しくないかい?」

「そうね、あなたが仕事に行っている間は寂しいから、ちょうどいいかもしれないわ」

「もう産めるのかしら」

「1歳を過ぎれば産めるはずよ」

「夏までに生まれるかしら」

「妊娠期間は9週間」

 どうして我が妻メグはそんなことまで知ってるんだ? コンシエルジュの仕事と何の関係もないはずなのに。

「じゃあ、すぐに相手を探さなきゃ!」

「その前に譲渡契約書を作ってくれよ」

「そんなの作らなくても、憶えてるわ」

「大人の世界では必要なんだよ」

 サーニャにノートブックを持って来させて、契約書を作る。「今年の夏までにペネロパに子犬が生まれたら、ミスター・アーティー・ナイトに1匹あげます」。日付と、俺とサーニャのサインを入れて完成。

 で、これがターゲットだよな? 早速確認する。さりげなく腕時計にかざすと、我が妻メグとサーニャの姿が固まって半透明に変わり、周りに黒幕が下りてきた。ボナンザ!

 車の後席に座っているマルーシャは、そのままの姿。ターゲットを奪っても、意味ないよな? だって俺の名前が入ってるんだから。

「アーティー・ナイトがターゲットを獲得しました。ステージ終了まで残り30分を切っています。ゲートの場所は、犬舎ア・ケネルです。速やかに退出してください」

 俺の横に立っていた我が妻メグが、笑顔を無表情に変えて言う。犬舎ア・ケネル犬小屋ア・ドッグハウスの違いって何だ? 待てよ、確か"kennel"には犬の繁殖や飼育を行う場所という意味があるな。つまり俺がもらうべき犬が生まれる場所という意味だ。じゃあここで合ってる。

 あるいはロクルム島の訓練施設のことかもしれないが、他のゲートから出たって構わないんだし、ここでいいだろう。

「ヘイ、ビッティー、質問なしでも90秒はこの中にいられるんだったな。他の競争者コンテスタントに別れの挨拶をするまで待っていてくれ」

「ターゲットを奪われないようにお気を付けください」

 そんなことまで注意してくれるのか。優しいね、君は。

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