ステージ#18:終了

#18:バックステージ

 黒幕が下りてから、マルーシャの方に振り返る。乗っていた車は消えて、彼女はディレクターズ・チェアに座っていた。いつもより若干生気に欠ける目で俺を見上げている。

「さて、時間がないのであまりムードを作れないままに言ってしまうことを許してもらいたい」

「構わないわ」

「まず君が島に船を呼んでくれていたおかげで、ここへ早く戻ってくることができた。それについて礼を言うよ」

「どういたしまして」

「しかし君自身が船に乗る気がなかったのはなぜだ?」

「終了を待つのはどこでもいいから」

「なぜそんなにやる気をなくしている」

「あなたが知らなくてもいいことだわ」

「俺は一つ思い付いたことがあるんだが、君は詮索して欲しくなさそうだから、言うのをやめておこう」

「そうしてくれると嬉しいわ」

「俺自身のことを話しておく。ニュー・カレドニア以降、もしターゲットを獲得することがあれば、君に言おうと思っていたことがあるんだ。俺は現実に戻ることになるかもしれないからね」

「そうね」

「現実世界も含めて、君は2番目に好きな女性だ。1番は言うまでもなくメグ。そして君とティーラは同順タイ

「マリヤも同順タイにしてあげて」

「マリヤ……君のもう一つの人格? 俺に時々笑顔を見せてくれていた」

「ええ」

 やはりそういうのがいたのか。

「じゃあ、君はハンナなんだ」

「そう」

「マリヤとは別のステージ……オデッサでたくさん話すことができた。もちろん、君の中にいるマリヤと同一人格と信じている。彼女ももちろん好きだよ。君やティーラと同じだけ」

「ありがとう」

「ティーラにもそう伝えてくれ」

「ええ、もちろん」

「ヘイ、ビッティー、あと何秒残っている?」

「30秒です」

「十分だ。君からは何かあるかい」

「あなたは私にとって、最も好きな存在だわ。アルテムがいない世界で」

「そうか。そのアルテムって奴の代わりになれなくて申し訳なかった」

 マルーシャは俺を見つめたまま、何か言いたそうに口を小さく開いたが、すぐに閉じてしまった。「残り20秒です」とビッティーの声。

「もしこのターゲットがブルーなら」

 俺は契約書をマルーシャに見せながら言った。

「もう君とは会えない。仮想世界の中では。でも、現実世界で諦めてるわけじゃないんだ」

「それは……私ではないわ。あなたのことを知らないもの」

「俺にとっては同じことだよ。記憶喪失になった恋人を、それが故に嫌いになれるものかね」

 マルーシャは、また何も言わなくなってしまった。ビッティーが「残り10秒」。

「『また会おうシー・ユー・スーン』って挨拶を、ウクライナ語では何て言うんだ?」

Побачимосьポバーチェモス……」

また会おうポバーチェモス、ハンナ、そしてマリヤ」

 返事がないまま、残り時間が過ぎて、「再開します」とビッティーが言った。周りの黒幕が上がっていく。

「ところで、夏に来る時はまたシェラトンに泊まるの?」

 半透明から普通に戻ったサーニャが訊いてくる。彼女はなぜバックステージに入れるのだろう。もしかして、ターゲットである契約書の当事者だからか。ペネロパもそうだったし。

「さあな。夏はハイ・シーズンだから予約できるかどうか」

「うちに泊めてあげるわ。言ったと思うけど、夏だけヴィラとして営業してるの。そうすれば研究のことをたくさん教えてもらえるし」

 いや、こんな防音のちゃちなヴィラでは、夜中の我が妻メグの声が、建物内だけでなく近隣にまで聞こえてしまう。なのに我が妻メグは「それはよさそうね!」と嬉しそう。

「どんな部屋か見て行く? まだ時間はあるんでしょう?」

「ええ、5分ほどなら」

「彼女を……アンナを泊めてあげた部屋がいいと思うわ。一番広いの」

 言いながらサーニャは我が妻メグの手を引いてヴィラに入ろうとする。我が妻メグは笑顔で俺を促す。俺はマルーシャを見たが、彼女は首を振るだけだった。

「5分だけ待っていてくださいますか」

 我が妻メグはマルーシャに言い、サーニャに続いてヴィラに入る。もちろん、俺も。入ったところにマットが敷いてあって、ペネロパが寝ていた。気配を感じたか、起きてサーニャと我が妻メグに向かって一吠え。俺は無視かよ。契約の当事者だぜ?

 別棟に行き、2階の上、屋根裏ロフトまで上がるとそこが宿泊室。シーツの掛かっていないシングル・ベッドが二つ。広さは十分だが、窓からの景色は今一つか? 海が見えない。我が妻メグは「十分だわ」と喜んでいるけれど。さて……

確保だポゼッション

 腕時計に向かって呟く。我が妻メグ、サーニャ、そしていつの間にか付いて来ていたペネロパが、半透明のアヴァターに変わる。やはりここがゲートで合っていた。外で待っているマルーシャも、ここから出られるに違いないが、どうする気かな。


裁定者アービターはターゲットの確保を確認しました。確保者はアーティー・ナイト。カラーはブルー。ステージ内にいる他の競争者コンテスタンツが全て退出するか、または規定の時刻に達した時点で、ステージをクローズします」

 ついにブルーを確保した。これで7種のターゲットが揃った。俺は現実世界へ帰ることができる。それは我が妻メグとの別れを意味するのだが……

 幕が下りきると、サーニャとペネロパの姿は消え、無表情の我が妻メグ、いやビッティーだけが残った。この姿を見るのも、これで最後。

「アーティー・ナイトは7色のターゲットを獲得しました。現実世界へ帰還する選択をすることが可能です」

 ……あれ、それだけ?

「ヘイ、ビッティー、講評はないのか」

「ありません。講評は次のステージにおける行動指標とするためのものです。あなたは次のステージがありませんので、講評を聞くことはできません」

「聞くことはできない……あるけれども?」

「はい」

 そういうのは先に言っておいてくれないか。

「じゃあ、このステージに対する質問は」

「できません。理由は同じです」

 そういうのは先に言っておいてくれないか。

「じゃあ、何ができるんだ」

「現実世界へ帰還する選択です」

「選択肢が一つしかないものは選択と言わないだろう。他に何ができる? ステージを続行できるのか」

 それはできないと聞いたような気が。

「続行はできません。他にできるのは、バックステージに滞在し続けることです」

「君とずっと会話してられるのかい」

「質問が終了した時点で裁定者アービターとの通信は切断されます。以後、呼び出すことはできません」

 何だ、それは。真っ暗な、誰もいない空間の中で、俺の意識だけが残り続けるってこと? どんな拷問だよ。消えるより嫌だろ。

「現実世界に戻るとすると……どの時点だ」

「あなたの意識が凍結された最終時点です。仮想空間に再現します」

 少し離れたところに、別のスポット・ライトが下りてきた。ソファーに座っている。もちろん、あの時の家具屋の中だろう。

 両手を挙げた。そして銃声。俺が記憶しているとおりだが……

「この瞬間に戻るのか」

「はい」

「俺、撃たれたじゃないか」

裁定者アービターは現実世界へのを通知されていませんが、このような場合によくあるのは、弾が急所に当たらないことです」

 急所から外れてたって、痛いものは痛いじゃないかよ! 頭や胸や腹に当たらなきゃいいってものじゃないだろ。腕や足に当たったら、フットボールができなくなる。それは死ぬのと同じこと、とまでは言いたくないが、現実に帰れても嬉しくないじゃないか。

「命が助かっただけでもありがたく思え、と?」

「私があなたの命運を握っているわけではありません」

「解ってるよ、ビッティー。クリエイターに言いたいだけさ。奴と話はできないのかい。仮想世界に招待した挨拶をしてくれたんだから、帰りに何か一言あってもいいだろ」

「現実世界へ帰還する選択をした場合に、全体評価を聞くことが可能です。ただ再質問は一切できません」

「別れの挨拶は?」

「クリエイターから返事があるとは限りません」

 礼状を読み上げてるのと変わりゃしねえよ。クリエイターじゃなく、ビッティーに代読してもらいたいくらいだ。

 しかし、そろそろ質問も尽きてきたようだ。しかし俺が質問するんじゃなく、ビッティーが手続きを詳しく説明してくれた方がよかったんじゃないかなあ。あんな一言だけじゃなくてさ。

「ヘイ、ビッティー、もちろん君に礼を言う時間はくれるんだろうな」

「どうぞ」

「18週間、俺をサポートしてくれて本当にありがとう。君に会えず、声すら聞くこともできないステージもあったが、我慢して乗り越えることができたのも、君のおかげだよ。君の声を聞きたいためだけに、呼び出したことがあったことからも、解ってくれると思う。君の声は常に無感情だったが、俺はそれがとても気に入っていた。俺にも、常に冷静でいろと言っているように聞こえたからね。現実世界に戻っても、君のことは忘れないよ」

「いいえ、不可能です。仮想世界の記憶は一切消去されます」

 そういうのは先に言っておいてくれないか。

「いいや、絶対に思い出すね。現実世界には、君に似た誰かがいるはずなんだ。君とは違うかもしれないけれど、俺はその女性に君と同じ思いを抱くに違いない。それは君を忘れていないのと同じことなのさ。だから『さようならグッド・バイ』は言わない。代わりにこう言うんだ。『またすぐ会えるよキャッチ・ユー・レイター、愛するビッティー、そして愛する我が妻マイ・ワイフメグ」

承りましたアイ・アクセプテッド

 うん、その返事で十分だ。メグからの返事を聞けないのは、仕方ない。しかしきっと彼女は言うだろう。「あなたの帰りを待っているわアイル・ウェイト・フォー・ユー・トゥ・カム・バック」と。

「では、現実世界への帰還を選択する」

「クリエイターからのコメントがあります」

「18週で七つのターゲットを集めたことについては、Aマイナスの評価とする」

 ビッティーのアヴァターが消えて――ずっと見つめていてよかった――天から男の声が降ってきた。妙に威圧感のある、あの声。

 で、Aマイナスってことは意外に高評価なのかね。平均よりはかなり上ってことだろ?

「ただし、負けたステージの内容がことごとく悪い。勝ったステージでも高評価を得たのはごく少数だ。運の良さに頼らなかったことは評価しよう。よって君の思考特性は“不安定な天才”タイプだ。これに分類された競争者コンテスタンツはまれで、君はサンプルとしては貴重だったと言える。ご苦労だったサンクス・フォー・ユア・ハード・ワーク。以上だ」

 サンプルとして貴重って何だよ。全然高評価じゃない、希少種レア・スピーシーズ扱いだ。気に入らねえコメントだなあ。まあ仕方ないか。

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