#18:第8日 (6) 仮想世界の真実

「君が知っていることだけでいいから、教えてくれよ。それとも、俺の考えを聞いて、当たっているかどうか答えてくれるかい」

「そちらにしましょう」

「まず彼らは……国際的な秘密結社シークレット・ソサエティーだ。ただし名前は判らない」

 いきなりこれだよ。情けないことこの上ないね。

シオン修道会プライオリー・オヴ・シオン。もちろん現実世界の組織とは違っているわ」

「なるほど、小説や映画にたまに名前が出てくるな、悪役として。21世紀になるかならないかのあたりで消えたんじゃなかったか」

「所詮、仮想世界のシナリオ上の記号に過ぎないわ」

「彼らは犬の訓練……というか、交配実験をしていた。体力があり、走力があり、帰巣本能あるいは追跡能力に優れた犬の品種を生み出す。国境を越える長距離を走破するような能力を持つ」

「そうよ」

「そんな能力が、この時代に役立つのかね?」

「無駄なことだわ。ただ彼らは、血脈というものを大事に思うだけなのよ」

「なるほど、選ばれし者という意味で」

「ええ」

 秘密結社は人種にもこだわるのが多いからなあ。

「もちろん他の品種でも、あるいは他の動物でも、いろいろな能力について実験と訓練と品種改良を行っていた。ここだけじゃなく、他の国でも。この実験にクロアチアが選ばれたのは、地形的なものなんだろう」

「私もそう思うわ」

「俺たちはターゲットを探す過程で、実験が行われているという事実にたどり着くのがミッションの一部だった」

「同意」

「ターゲットは実験に参加していた犬に関係がある。しかし俺は、まだどの犬かは判っていない。君は知っているのかもしれないが、教えてくれなくてもいいよ」

「そうするわ」

「あとはこの島から脱出して、ゲートへ向かうだけだ。できればターゲットを獲得して」

「そうね」

 このステージの設定については、こんなところかな。アテネからザグレブへ移動して、その後このドゥブロヴニク、という経路になった理由は、よく判らないんだけれども。

「ところでティーラが君のことを心配してるんじゃないのかい。早くホテルに戻らなくていいのか」

「彼女はもう大丈夫よ。一人で行けるわ」

「行くって、どこへ。ウィーンの演奏会コンサートか」

「ええ」

「君の同伴者アカンパニアなのに」

「彼女を一人にすることが、今回、私のしたかったことだから」

「それも愛情の一つの形なのかな」

「そうね」

「俺は最後にもう一度彼女に挨拶をしたいんだけど、何時に島を出られることか」

「いいえ、彼女はあなたに挨拶しなくても大丈夫よ。他にも心の支えを得たから」

「このステージの登場人物を?」

「ええ」

 我が妻メグのことじゃないよな。他の競争者コンテスタントかその同伴者アカンパニアか。次にいつ会えるんだい、そいつと。

「船が来るわ」

「何?」

 唐突にマルーシャが言ったので、何のことか一瞬解らなかった。

「5時に、船着き場に。それに乗ってあなたたちは本土へ戻ってくれていいわ」

「君が呼んだのか。どうやって」

「ここへ来る前に、船主に依頼して」

 港に浮いていたたくさん船の中から、持ち主を一人探し出して、依頼したのか。こういう展開に備えていた? 相変わらず用意周到だな。

「君もそれに乗るのか」

「判らないわ」

「まだここで何かすることが?」

「それも判らないわ」

「ここにはもはや何もなさそうだが」

「そうね」

 全ての部屋を見て回ったわけではないが、他に誰もいないんだから、何もないだろう。マルーシャが連中を全員殺戮したわけじゃないだろうし。

 でも二人はやっちまったんだよな。一人はコートの男、ヘルツォーグ教授。もう一人は誰なのやら。まさかタリアじゃないだろう。競争者コンテスタントかもしれないんだから。

 しかしとにかく、ここにいた連中は頭目たるヘルツォーグ教授を失って、本土へ逃げ帰ったのは間違いないと思う。あるいは大風の中で無理に船を出そうとし、転覆して全滅したかもしれない。

「誰か待っているのか」

「いいえ、ただ時間が過ぎるのを」

「時間が過ぎたら何か状況が変わる?」

「ステージがクローズするわ」

 それじゃあまるで、ゲートから出ずに失格になるつもりに聞こえるじゃないか。彼女らしくないな。

 あるいはこのステージで起こったイヴェントによって、または出会った誰かのせいで、ゲームを続ける動機モティヴェイションをなくしたのか。

 彼女はここで一人で、そのことについて考えていたのではないか。その内容を俺に話してくれることはないだろう。しかももう一度、一人になりたがっているに違いない。俺は邪魔をしに来たようなものだ。

「5時に、船着き場で待ってるよ。きっと来るよな」

 マルーシャは答えなかった。来る気がないのか。

「もし来てくれたら、今まで君に言えなかったことを言うよ。じゃあ、また後でシー・ユー・レイター

気を付けてテイク・ケア

 いつもの彼女の別れの挨拶と違う気がするが、今はこの場を離れるしかないだろう。さっきの言葉で、彼女が船着き場へ来る気になってくれればいいのだが。

 他の部屋を、できる限り見て回る。開けられる扉は全て開けた。洞窟内の造りはほとんど把握できた。しかし予想どおり、誰もおらず、何もなかった。

 最後に、あの部屋の灯りがまだ点いていることだけ確認して、地上へ戻った。



 ティーラの行動は、ほとんど私の予想どおりだった。

 彼女のところへは、ソフィアから電話が架かってきただろう。そしてヒルトンへ行っただろう。そこで、私のことを波止場で見かけた人がいる、と聞いたに違いない。

 この時間、人目がなく、それでいて女性が行けそうなところなど、他にない。ティーラなら、勇気を振り絞って行くに違いないと、私は思っていた。私のために。

 だがそれはコスティアンティン・チェルニアイエフの罠だった。彼は私の素性を知っていた。私が競争者コンクルサントであること、ティーラが同伴者アカンパニアであることを知っていた。彼自身が、競争者コンクルサントだったからに他ならない。そしてターゲットの入手について有利な立場を得ようとした。

 ティーラだけではなく、リタやアヤンのことも罠に掛けようと思っていただろう。リタに関しては失敗した。彼女はЛエルから離れることがなかったから。アヤンについては、カミール・シャイフがターゲットの獲得に失敗したと見て――まだ確定していないが――捨てたのだろう。ティーラと一緒に行動していたのは、計算外だったろうけれど。

 それは私も計算外だった。あの二人が、それほど通じ合うとは思っていなかった。しかしティーラにとっては喜ばしいことだと思う。

 それともう一つの計算外。チェルニアイエフが、無頼漢を仲間に引き入れていたこと。あの時、ティーラが一人でなかったからかもしれない。しかし、なら仲間など要せず、一人で何とかしたに違いないのだ。やはり彼はアルテムではなかった。だから私は彼を撃った。

 私はペナルティーを受けるだろう。他の競争者コンクルサントに重篤な危害を加えた。即刻バックステージに召喚されないのは、彼がまだ息がある状態だからに違いない。弾は頭をかすめただけ。気絶して、海に落ちただけ。しかし誰も彼を助けなければ、間もなくゲーム続行不能になり、私も失格になる。

 それでも構わない。彼がアルテムでないのなら、他のステージでも彼に会う可能性はない。そんな世界に、私がこれ以上留まる必要もない。

 彼がアルテムであっても、記憶を改変され、私のことを忘れているのなら……それは姿がアルテムと同じというだけで、アルテムその人ではないのだ。だからやはり、私がこの世界に留まる理由がなくなる。

 それとも、私はまだゲームを続けるべきなのだろうか? 再び記憶を改変されたアルテムが、現実世界の同じ記憶を持った状態で、私の前に現れるまで。

 あるいは……記憶を改変されているのは、私なのだろうか。私が現実世界でアルテムと共に過ごし、彼を愛したという記憶は、偽りなのだろうか。

 私は本当は誰なのだろう。

 ハンナ・イヴァンチェンコという人格は存在せず、マリヤとティーラという二重人格者の女性に、後から送り込まれた、仮想的な人格なのだろうか?

 “水槽の脳”の中で、私はどうしたら真実を知ることができるだろうか。



 5時少し前に、我が妻メグを起こした。我が妻メグは俺を待つ間に眠ってしまったことを、すごく後悔していた。「二人で徹夜をしたかったのに」と言う。何をして夜明かしをするつもりだったのかは、よく判らない。ここにベッドはないし。

 犬も起こして、船着き場に行くと、ちょうど船が入ってくるところだった。小型のスポーツ・クルーザーで、操舵しているのは俺と同じ年格好の若い男。しかもハンサムでマッチョ。いかにもマルーシャに手玉に取られそうな、というのは言いすぎか。

「ジツァ・ステラは?」

 船乗りセイラーが訊いてくる。それ、マルーシャの別名だよな。我が妻メグには俺が呼んだことにしてあるんだから、余計なことを言わないでくれるか。彼に小声で耳打ちする。

「そのことで相談があるんだ。彼女を探しに行かないといけない」

「もちろんだ」

 船乗りセイラーはやけに気合いが入った態度で、船から降りてきた。マルーシャは何を報酬にして彼を雇ったんだろうか。

 我が妻メグに、犬と一緒に船で待っているように言う。「また一人で待つの」と我が妻メグは不満そう。もう一眠りしていいから、と言ったら本格的に拗ねてしまった。とても可愛らしい。

 船乗りセイラーを連れて、島の中を北へ。彼は夜にこの島へ上陸したことがないらしく、不安そうだ。いい身体をしてるくせに、気が小さいのか。いかんね。

 検疫所跡に入る時もビビっていて、床に開いた穴に下りると言うと本格的に及び腰になった。最初の気合いはどうしたんだよ。

「こんな穴があるなんて全く知らなかった。この下にいったい何があるっていうんだ?」

「地下室だよ。それ以外に何がある」

 俺が先に下りると、おっかなびっくりの態度で付いて来る。「入るなんて嫌だ」と言わないだけマシか。

 例の部屋まで下りてくると、灯りは点いたままだったが、マルーシャは床に倒れていた。誰かにやられたのかと思ったが、違うようだ。怪我はなさそう。もちろん息と脈はある。

「彼女がミス・ステラだろう?」

「あ……ああ、そうだ」

 船乗りセイラーが見とれている。気絶していてこの美しさ。むしろ普段と違う無防備な姿をさらしているだけに、俺まで見とれてしまいそうになる。身体を揺すっても起きない。薬で眠ってしまったのだろうか。

「彼女を船まで運ぼう。君、彼女を背負えるよな」

「あ、ああ、も、もちろんだ」

 船乗りセイラーは最初の気合いを取り戻した。こんな素晴らしい身体に触る機会なんて、めったにないからだろう。マルーシャの身体を持ち上げて、彼が背負うのを手伝ってやる。船まで、彼女の身体の触り心地をゆっくり楽しんでくれ。

 20分ほどかけて運んだ。我が妻メグは待ちくたびれていたが、女の顔を見て「まあ、あの時の」と言う。それでも、顔をヒジャブで隠しているだけでマルーシャと気付かないなんて、不思議なものだ。

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