#18:第6日 (8) 計測器のナード
「次が最後です」
言いながら、セヴェリナが階段を降りていく。1階へ。研究室ではなく、実験室が並んでいるところのようだ。支所は実験装置があるところと聞いていたのに、その案内を全く受けていない。あるいはミリヤナが案内してくれるのだろうか。何となく不安を覚えるんだけど。
廊下の一番奥まったところのドアをセヴェリナが開ける。中に入ると、スチール製の棚がたくさん並んでいる。いかにも実験室、あるいはその物置という感じがする。天井が高く、壁際には大型の直流電源装置が置いてあったりする。
その一角の作業机のようなところで、ミリヤナが待っていた。地下室の時とは違って、作業服のようなグレーの上着を羽織っている。ジッパーも首の下まで上げてある。
表情も違っていて、ちょっとけだるい感じ。熱心に研究をしていて、訪問者の割り込みを疎ましく思っているかのような。
もしかして、これが普段の彼女の姿なのだろうか。これなら確かに“真面目な研究員”という印象は正しい。
ただ、けだるい感じながらも「ボック、アーティー」とハスキーな声――それも昨夜や昼休みとは違う――で言い、軽くビズで挨拶をした。作業服を着ていても胸の大きさは感じてしまった。
「では、後は
セヴェリナが型どおりの挨拶をして、握手して去る。彼女がキー・パーソンかと思っていたのだが、違ったか。
「さて、君の研究は?」
ミリヤナの方に向き直る。が、さっきと目つきが違っている。いくぶん、いやかなり輝きを増しているような。
「その前に、ここの主な計測装置について紹介します。本来なら副部長の挨拶の後にでもご覧いただくべきと個人的には思うのですが、なぜか最後になってしまって、大変残念なことですわ」
活き活きとした話し方。昼休みとはちょっと違う感じ。こちらへ、と案内するのでそれに付いて行く。実験室はとても広いが、間に簡易の仕切りとドアを付けて、いくつかの区画に分けているようだ。
「免震装置のことといい、君はここの装置に詳しいのかい」
付いて行きながらミリヤナに訊く。タイト・スカートに包まれた尻の形が、驚くほど素晴らしいことに今さら気付いた。
「はい。私、機械類が好きで、元々は計測装置の保守要員として雇われたんです。でも保守だけでなく現場での設置に協力したり、研究者の意見を聞いて使い勝手や性能の改善をしているうちに、研究自体にも参加するようになって。去年から契約を変えてもらって、保守要員兼研究員補助という肩書きになりました。補助だけでなく独自の研究もするんです」
「それは素晴らしい。装置を使いこなすには、装置に愛情を持つことが大事だからね。愛情を注げばコンピューターですら性能が上がって寿命が延びると、俺も信じてるくらいだよ」
「ありがとうございます。あなたのような理論研究の第一人者にご理解いただけるなんて、光栄の極みですわ」
振り向いて、笑顔になって、後ろ歩きをしながらミリヤナが言う。それでも棚にぶつかったりしない。自分の家の庭のように配置を熟知しているのか。
説明しているミリヤナの表情が活き活きしている。しかしある種の“取り憑かれたような”ところがあるので、彼女はきっと機械の“
「オンブラ川の水中洞窟調査にも協力した?」
「はい、もちろん。現地に行く前に超音波の照射位置や受信位置を計画したり、現地で装置の使い方を指導したり……」
「説明では君がそんなことをしたとは聞かなかったんだけど」
「そうですか。でも構いませんわ、そんなこと。私は作業に協力できたらそれだけで幸せなんですから」
無欲なことだが、それを他の研究者たちに利用されている気がしないでもない。いわゆる“便利使い”。
ミリヤナは隣に置かれた、クリノメーターの説明を始める。地層の傾斜を測定する道具だ。古くからある木製、金属製、プラスチック製から、デジタル式のものまで多種多様。もちろん超音波計測の検証のために使用するのだろう。最近は
それからいろいろなアンテナ。ザグレブで聞いた、雑電波を受信して飛行物体の位置を検出するシステムで、試験に用いたらしい。市販品を改造したものが多数ある。
水流や水位を測定するセンサー。セヴェリナの研究や、アドリア海流シミュレイター、コルチュラ橋の建設に使われたものだろう。
無人航空機や無人潜水機。プリトヴィツェ湖群シミュレイターに使うデータを集めるためのものか。これも改造が施してある。
その他、カメラやマイク、スピーカー、温度計、湿度計、雨量計、風速計、高度計、気圧計、地震計、光量計、オシロスコープ、スペクトラム・アナライザーなどなど。特にカメラのヴァリエイションは多い。設置するための支柱やケーブル類は独自のカタログが作ってあるほど。もちろん彼女が加工したものがほとんど。
ミリヤナはどれもこれも機能・性能から使い方まで懇切丁寧に解説してくれた。メーカーの技術者と同じくらい知っているのではないかと思われるほどに。“機械の
「よく解った。それで、君の研究についても教えてくれると嬉しい」
「はい、これからお話しします。私の研究は……すいません、説明に夢中になって、興奮して、身体が熱くなってしまいました。作業着を脱いでもよろしいでしょうか?」
その下にちゃんとシャツを着ているなら許す。ミリヤナは俺に許可を求めたくせに、俺が返事をする前に作業服のジッパーを下げてしまった。中は昼休みの時と同じく、白い半袖シャツ。それが汗で湿って、身体への密着度をさらに増している。下着はちゃんと着けているようで、それだけは安心した。
「私の研究は、定点カメラ映像による地震の振動計測です」
定点カメラは高い建物の屋上などに設置されているものを使用する。あまり高い建物ではいけない。強風の時に建物ごと揺れてしまうから。免震・制振対策がされても問題ない。その性能から地面の震動は逆算できる。
さて、地震が発生すると、カメラも揺れるので、映像では風景が揺れているように映る。だから映像を解析すれば振幅が判る。この時、カメラの設置方向に対して上下と左右の振幅は映像で判りやすいが、前後方向はどのようにして計測するか?
「考えてみて下さいますか」
ミリヤナが妖しい笑顔で言う。彼女が技術に関して何か説明する時、こういう表情になるのだということが判った。ここの研究員は、この表情を見ても何とも思わないのだろうか。
「カメラを前後に動かすわけだから、特定の被写体の大きさが変わるとか……いや、写る範囲が変わるのか」
「おっしゃるとおりなのですが、映像の拡縮率比較は計算負荷が高いのです。もっと簡単に判る方法があるのです」
「それは映像以外の情報を使用するとか?」
俺が言うと、ミリヤナの笑みがますます怪しくなった。正解に近付いたということだろうか。
「定点カメラは標準レンズか広角レンズを使うものだ。そして焦点はほとんどの場合、固定で無限遠にしている」
「おっしゃるとおりです」
「しかし、中心被写体の焦点は常に計測してるんじゃなかったか。確かCCD
「あぁ……」
ミリヤナが官能的な声を漏らした。表情もまるでエクスタシーを迎えたかのよう。そういうの、やめてくれる?
「……当たってる?」
「もちろんです。測距機能を使って振幅を検出できます。通常の定点カメラのセンサーでは数十メートル離れた被写体までの距離をセンチメートル単位で計測することは無理ですが、高性能のものに取り替えればミリメートル単位で計測できます。しかも超高速で。この建物の屋上のカメラは私が機種を選定したので、高性能のものにしてあります。……ああ、まったく素晴らしいですわ、アーティー。ここの研究所の人は、カメラを使ったセンシング技術には詳しくても、カメラの機能そのものには興味を持ってらっしゃらないんです。だから使い方を説明しても『とにかくこのシステムに合うように調整してくれ』ですもの。張り合いがなくて」
そして安心したような深いため息をついた。その表情も官能的。まるで情事が終わった後のよう。
「俺も実は理論を立てるより道具を使う方が好きでね」
「ではこの装置の弱点ももうお解りでしょう」
「夜には使えない、ということかな。赤外線カメラか光増幅器を使えばいいかもしれないが、コストに見合わないだろう」
「そのとおりです。ただ定点カメラも現在は24時間ライヴ撮影のところが増えていて、夜に真っ暗だとつまらないということで、暗視機能を組み込んだものも多いのです。ただ、増幅した光では粒度が荒いですから計測精度も下がってしまいます」
「それでも興味深いよ。近い将来にはカメラも高性能化かつ低廉化して、君の研究が見直されるようになるかもしれない」
「ありがとうございます。私の他の研究も聞いていただきたいですが、もう時間がないようで……」
気が付いたら5時になっていた。ここでは彼女の話を聞いている時間が一番長かったんじゃないか。それにこの後もあるはずで。
「制震装置の説明がまだ残ってたかな。残業だろう。君はしていいのか」
「30分に限定されているんです。ですから早く見て回らないといけません」
「また地下室?」
「いいえ。制震装置は各フロアの壁に沿って設置してあります。どのフロアも同じ構造ですから、このフロアで説明しますわ」
地下室に閉じ込められなくてよかった。
ミリヤナの案内で壁を見て回る。天井から床に向かって、“筋交い”のように斜めに鉄筋を設置し、間にダンパーを挟む。それによって天井部分の揺れを抑える。その時のダンパーの“気持ち”をミリヤナが代弁するかのように説明する。物の気持ちがわかるなんて、やはり重度の“
「ありがとう。いろいろ参考になった。君の他の研究は、後で論文を読むよ」
「最後に……私には一つ夢があるのですが、聞いてくださいますか」
「もちろん」
「マイアミ本部に行って、あなたがお使いのシミュレイターの保守をしてみたいんです」
使いたいという希望はよく聞くが、まさか保守したいとは。やはりシミュレイターの気持ちになってみたいとか? でもただの大型計算機だぜ。
「保守要員を募集しているか、聞いてみるよ」
「よろしくお願いします!」
目をキラキラ輝かせながら、俺の手を握ってきた。その視線にはなぜか“
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