#18:第6日 (7) 捜す者と捜される者
シェラトンのレストランで昼食を摂りながら、私はミセス・ナイトに昨日の午後のことを話した。ブンデク公園へ行った時のことを、なるべく詳しく。アルテムに似た人や、ソフィアという女性のことも。
そうなるとマルーシャとアルテムの関係も話さなければならないのだが、私は詳しいことを知らないと言うしかなかった。
ただ、彼が名乗っているコスティアンティン・チェルニアイエフという名前を出すと、ミセス・ナイトはカレー行きに乗っていたことをすぐに思い出してくださった。
「サロン
「ええ、でも彼らがどこへ行ったのか、私は確かめていないのです」
「食事の後で調べてみます。そういえば昨日、午前中の旧市街観光の間、彼らを見かけたような気がしますわ。どこだったか思い出してみます。……確か聖マルコ教会の辺りと、それからグリッチ・トンネルを抜けてラディチェヴァ通りに出た辺りでしょうか」
「そうだったのですか。私は全く気が付きませんでした……」
「これも
「素晴らしい能力だと思いますわ。私はどちらも苦手なのです」
「いいえ、そんな。帽子やサングラスでお顔を隠していると気付かないこともありますし」
それは本当だろうか。ミセス・ナイトはサロン
けれど今は、それを確かめるのはやめよう。マルーシャのことを優先しなければ。
「私が気付いたのですから、きっとお姉さまもお気付きになったでしょう。ただそんな素振りは少しも見られませんでした。一緒にいた私たちに対する配慮でしょう。本当に行き届いた方ですから」
「ええ、そのようなところがありますわ」
「彼らを見かけたのが偶然なのか、それとも意図的にあなたのお姉さまに姿を見せたか、確かめる術は今のところありません。ですが、彼らの所在を調べることも必要ですね」
「それから……」
「他にも何か気になることが?」
自分から言いかけておきながら、私は話すのを躊躇した。しかし、知っていることは全て言うべきだろうと思い直す。
「……アラビア系の方をお見かけして、それを姉が気にしていたように思います。お名前は確か……」
「シャイフとおっしゃるのではありませんか。ご兄妹の……」
「ええ、そうです」
見かけて、気にしていたのは私の方で、マルーシャが彼らと会ったかどうかもよく判らない。それに見かけたのは夜中に一緒に中央駅で降りた時なので、ミセス・ナイトがそれを思い出してくださって助かった。しかも名前までご存じとは。
「ミス・アヤンとはある博物館でお会いして、少しお話をしたのです。数学者だそうですわ。
昼食を終えて、私は部屋に戻った。ミセス・ナイトも自室に戻り、電話でいろいろなところに問い合わせをされているようだ。彼女はなんと積極的で、有能なのだろう。私は電話一本かけるのも躊躇するというのに。
1時間ほどすると、ミセス・ナイトがいらっしゃった。調べたことの報告だけでなく、お茶の用意をしたお盆まで持って。
「五つ星、四つ星のホテルにお姉さまはお泊まりではありませんでした。三つ星は小さなヴィラがたくさんあるので、ホテルのスタッフにご協力をいただいています。ミスター・チェルニアイエフとミス・ルスリチェンコはヒルトンにお泊まりでした。ただし別々の部屋で。シャイフご兄妹はエクセルシオールにお泊まりです」
「とても不思議に思うのですが、ホテルに宿泊客の名前を問い合わせて、答えていただけるものでしょうか?」
「私の以前の肩書きを信用して下さる方がいらっしゃるからですわ」
「あなたはそれほど信用がある方なのですか」
「お気になさるようなことではありません。今はお姉さまのことを優先しましょう」
「ええ、そうでした」
「それと、ヴィラ・プラットにもう一度問い合わせたのですが、お姉さまは食事の後、タクシーを利用されなかったそうです」
「まあ、こんな冬場の、夜遅くなのに? ではその近くに泊まったのでしょうか」
「調べますが、近くのバス停をドゥブロヴニク行きのバスが0時過ぎに通るのです。それにお乗りになったかもしれません」
「運転手が憶えているかもしれないのですね」
「ええ、バス会社に問い合わせましたが、運転手がまだ捉まらないのです。ですが夕方までに判るでしょう。今のところはこれくらいです」
「何から何までしていただいて、どれほど感謝すればいいのか解らないくらいですわ」
「感謝のお言葉をいただけるなら、お姉さまを見つけてからで結構です。この後、夕方まで私も少し行動しようと思います」
「行動とは?」
「この近隣とプラットの小さなヴィラを回って、訊いてみようかと。お姉さまがプラットのレストランを利用されたのは、特別な意図があってのことで、それはこの近くに何かあるからではないかと思いまして」
「それに私も同行させていただけませんか? もはや居ても立ってもいられない気持ちなのです。プラットであなたは姉の名声のことをおっしゃいましたが、それを気にしている場合ではないと思うのです」
私が訴えかけると、ミセス・ナイトはとても優しい目になった。
「お気持ちは十分理解しますわ。では一緒に行きましょう。あなたがいらっしゃる方が、訪問先にも気持ちが伝わるに違いありません」
お茶の片付けが終わるまでお待ちになって、と言って、ミセス・ナイトはお盆を持って自室へ戻っていった。客室清掃係に任せず、何でも自分でしてしまう方なのだろうか。
ティーラとリタが、私を探している。
私が一人でいられる時間は、残り少ないようだ。しかし私は与えられた時間を使ってターゲットのヒントを探さなければならない。
そのために、山に登る。スルジ山。
ドゥブロヴニクの町の北に聳える巨大な岩山。標高412メートル。ロープウェイで登ることができる。乗り場は旧市街のプロチェ門のすぐ近く。冬場だけに、客の数は少ないようだ。上は風があって、大変寒いらしい。
ゴンドラに乗ると、民家の並び立つ中からふわりと浮き上がって、急角度で頂上を目指す。そこから上は、石灰岩の白い山肌に沿って登る。
頂上の駅で降りて、すぐそばの展望台から下を眺める。旧市街だけでなく、西へと広がっている市街地の大部分を見ることができる。風に吹かれながら、しばらく考える。
この町の中から、犬を探す? それは少し難しそうだ。
町は、この山と海の間の、狭い平地にある。最も狭いところは幅200メートルほどだろうか。広くても600メートルほど。そこに町の東西を結ぶ道が2本あるいは3本走っている。空港方面への幹線道は平地を避けて山の斜面に作られているほどだ。その間を、家々と狭い路地が埋め尽くしている。
だから犬を飼っても、散歩する道にすら困るし、遊ばせるための公園もない。飼うなら、市内ではなく郊外がいいだろう。例えば
だからここから私が見るのは、ロクルム島。名前は「酸味のある果物」を意味するラテン語の"acrumen"に由来する。かつては野生のオレンジがたくさん生えていたらしい。
面積は0.7平方キロメートル。細長い形で、山がち。平地は南側に少し。そこに放棄された修道院が建っている。北の低い山の上には古い城塞。島全体が自然公園として保護されており、たくさんの動物が棲んでいる。
そこに犬はいないはずだけれど、この仮想世界ではどうか判らない。島の北部にはかつての検疫所の跡がある。周囲は壁で囲われているはずで、補修した上で密かに犬を飼うことは可能ではないか?
それを今から調べたいのだが……
私の後ろに、男が立った。この足音は聞いたことがある。カミール・シャイフ。
何の用だろうか。
「妹に近付くなと言っておいたはずだ」
「私からではないわ。彼女が声をかけてきたのよ」
私は振り返らずに話すことにした。目を合わせる必要性がない。
「お前はそれを避けることができただろう」
「言い方を変えるわ。彼女が私と話したがっていたの」
そして話したのは私ではなく“マリヤ”だ。歌と数学の話をしただけ。
「だとしても、次からは避けるんだ。当たり障りのない話だったようだから、今回は見逃す。しかし2度目はない」
「あなたこそ、妹から目を離すべきではないわ。彼女は別の
「そのことは既に気付いているさ。お前が心配することではない。とにかく警告した。忘れるなよ」
足音は去った。同じような警告は何度も受けている。気にするようなことではない。警告に反した私を痛い目に遭わせようにも、この世界のルールが許さない。
それよりも気になるのは、アヤンのこと。カミールが彼女の行動を承知しているのなら、彼女がリタに声をかけたのは、あるいは彼の指示だったのではないか。
何のために? もちろん、ターゲットに関する情報を得るために。リタのところには自然に情報が集まってくる。
だから
ではアヤンがリタに近付くことを、阻止すべきだったろうか? それは私には難しい。リタの人を惹き付ける魅力は、私の力でどうにかできるようなものではない。この世界における特別な属性に近い。
せいぜい
山を下りて、ロクルム島へ行こう。この時間なら、他の
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます