#18:第6日 (3) 水の研究
朝食で
9時15分、予定どおり自転車で出発。たかだか5キロメートルなので楽勝だろう、と思っていたが、最初からいきなり上り坂だったのを見落としていた。電動アシスト付きであって欲しかった。荷物を全く持っていないのだけが幸い。
今に平坦な道に、と思いながら漕ぐが、緩やかに曲がっているので先が見えず、へこみそうになる。半分ほど来たかな、と思われるところでようやく平坦になり、右手の海を眺める余裕ができた。
帰りは下りで楽ができそう、と思うが、よく考えたら景色の見えない時間帯だ。
最後の数百ヤードがまた上りで難儀したが、無事時間どおり到着。中年の門衛は中途半端な時間に自転車で現れた俺を見て怪訝な顔をしたが、IDカードを見せると「マイアミ
とにかく門を通り抜けて研究棟へ。昨日見たとおり、赤い屋根のリゾート・ホテル風。集落から一段上の山の中腹なので、本当にリゾート・ホテルのようだ。ただしホテルなら海まで遠いのがいただけないだろう。
中に入ると受付嬢の横にセヴェリナ。今日も案内役か。IDカード・ホルダーをもらう。
「まず副部長の挨拶から……」
「昨日、夕食会で聞いたのに」
「あれよりもう少し長いのです。それにプレゼンテイション資料もお見せしますから」
3階の、見晴らしのいい会議室に案内される。窓から海が見える。夏場にこんなところで会議をしたら仕事をする気がなくなるかもしれない。かと言って、マイアミ本部がどうなのかと訊かれたら、俺は答えられない。たぶん「内陸にあって海なんて見えない」とごまかすだろう。
昨夜も見たウグレシチ副部長他、数十人が座っている。人はザグレブより圧倒的に少ないはずなのに、ザグレブと同じくらいいるじゃないか。もしかして全員集まってるんじゃないのか。そんなに暇があるのか。「支所はのんびりしている」と副部長も言ってたことだし。
その副部長の挨拶。「ドゥブロヴニクへようこそ」の後、クロアチア研究所開設のあらましから始まったが、本所の紹介は少なめ、支所を多め。確かに昨日の夕食前の挨拶より長かった。プレゼンテイション資料も見せられたけど、予算や人数や論文本数といった数の紹介。頭には残らなかった。
研究内容は地形・地質関係と災害関係。この後のラボ・ツアーもその内容。
「では先週の国際会議の出張報告をドクトル・ヴチュコヴィチから。その合間にドクトル・ナイトの研究内容の説明を挟んでいただくということで」
何だ、それ。聞いてない。でもいいよ、ザグレブと同じこと言うから。
副部長に代わってリディアが前に立つ。俺は出番が来るまで前の席に座っている。リディアが国際会議で展示したシミュレイターのことを説明する。ちゃんと資料を用意してあるのだが、説明内容は俺がザグレブで言ったのとほとんど同じだ。真似してないか?
論文『2.5次元……』のところになると、俺が前に立って説明。ザグレブの時と一言一句同じにしてやった。
「何か質問は?」
「ドクトル・ナイト、それは出張報告全部が終わってからで」
リディアの横槍が入ったので席に戻る。リディアはヴィデオを使って説明を始める。これまた、俺が話したことによく似ている。ポーランド美女について詳しく話すところまでそっくり。“対人賠償保険”のジョークまで
「ではラボ・ツアーを始めます。各説明員は部署に戻って準備を」
リディアが締めると、集まっていた研究員が会議室を出ていく。質問を受け付けないのかよ。まあザグレブでも質疑はなかったけど。必要ならツアー中にすればいいか。
案内役のセヴェリナの他に、若い男が一人残っている。おお、昨夜、犬の研究所のことを教えてくれた君か。名前、何だっけ。改めて自己紹介してくれたので助かった。ダリオ・ロビッチ。
「ツアーの最初は僕の部署なのでご案内がてら残っていたのです」
「ありがとう。ところでここの建物には何か特徴があるのか」
「何ですって?」
ザグレブの研究所の構造のことをダリオに言う。ダリオが不思議そうな顔でセヴェリナを見る。セヴェリナは困惑している。
「……ご興味を引くかどうか判りませんが、ここの耐震構造はちょっと特殊でして」
新開発のアイソレイターやダンパーを使用しているらしい。地下室へ行けば見られるのだが「ツアーのスケジュールが遅れてしまいます」とダリオは及び腰。
「じゃあ、昼休みにでも」
「相談してみますが、誰が説明できるんだろう」
ダリオはぶつぶつと独り言を呟きながら、階段を下りる。そして研究エリアの一角へ。5、6人が集まっている。四角に区切られた少し広めのスペースの周囲に個人用デスクを配し、中央に打ち合わせ用テーブルが置いてある。常駐者が少ないのでデスクはフリー・アドレスだそうだ。
中央のテーブルの表面は大型ディスプレイになっていて、それを使ってダリオが説明開始。
「我々が研究しているのは超音波による地質計測装置です。
「固体の中部の状態を調べる技術だろう」
「そうです。その原理については?」
「物体内に超音波や電磁波を照射して、その反射波を測定することで、内部にある異物や傷を検出する。よく知られている例がレーダーや
「例まで出していただいてありがとうございます」
ガラスの表面で光が反射するように、物質の境界面で“波”は反射する。レーダーは空間へ向けて照射した電波が何かに当たったら跳ね返ってくるので、空中に“何か”あると判る。
非破壊検査も同じで、固体の中に超音波を流し、異物や傷があれば反射波で検出できるというわけ。
地質の計測も同じ原理で、地中に向けて超音波を射出すれば、地層の境界で反射する“はず”。はず、というのは空気、水、固体だと均質なので反射波が測定しやすい。しかし地層における地質は均質ではないし、石やその他の異物がたくさん混じっている。反射波が乱れまくるので、層の境界面の特定すら難しい。
そもそも、地層の境界というのは目で見てすら判りにくいものである。
そこでここの計測装置は、地中の水の流れを検出するのに特化した。流路は境界面や岩石中のひび割れであるから、検出は比較的容易。なおかつ、そこに俺の論文の理論を応用したという。
「3次元地図中の人や車の流れを、水の流れに置き換えてシミュレイションするんです。そこへ光をある方向から照射して、別の位置で計測します。流速や水圧によって反射方向や反射率を変えてやって、計測地点を多数にすると、流れの立体像が復元できることが判ったんです」
照射する光もいろいろな波長を混ぜて、反射率の違いによって立体的に捉えやすくする。なおかつ、このドゥブロブニクは地中の水の流れを計測するのにうってつけの場所がある。
「町の北にリエカ・ドゥブロヴァチュカ湾という細長い入り江があるんですが、その根元にオンブラ川が流れ込んでいます。これが長さ30メートルしかない川なんですが、大量の水が湧き出しているんです。供給源は山を越えたトレビスニカ川。地中に染み込んだ水が山のこちら側に流れ出してくるんです。侵入河川の世界最大の例と言われていまして……」
「面白い川だな。ぜひ見に行ってみたい。連れてってくれないか?」
「え? いやっ、今日は時間がないので、明日の観光の時にでも……」
湧出量は毎秒約24立方メートル。カルスト地形に形成されたいくつもの洞窟を伝わって水が流れてきている。オンブラ川の底には水の湧き出す洞窟があるそうだ。
開発した計測装置により地中の流路地図を作成しているところ。その一部をCGで見せてもらった。流路だけではなく流量もちゃんと測定できている。トレビスニカ川の染み込み口――ポノールという――は多数あり、そこからオンブラ川への集中の様子は、毛細血管を流れる血液が大静脈に集まってくるがごとし。
「山の向こうはボスニア・ヘルツェゴヴィナ?」
「そうです。オンブラ川の源泉から国境まで500メートルほどです」
「一種の国際河川だな」
「そうですね。あるいは地中の運河と言えるかもしれません。トレビスニカ・オンブラ運河」
「地質図も作ればいいのに」
「わずか500メートルのために?」
「当然、隣国と連携するに決まってるじゃないか」
「向こうがまだEUに加盟してないんですよ。国境を越えるのにヴィザが要ります。その上、地中に超音波を照射するなんて許可が下りそうになくて」
「じゃあ他の利用法を考えよう。災害予測とか」
「それはもちろん考えています」
「ヘイ、セヴェリナ、君の研究にも使えるんじゃないのかい」
「ウプス! これをですか。どうやって?」
急に話を振られたセヴェリナが慌てふためく。心の準備が足りんな。
「水量センサーを設置する地点を決めるのに役立つかもしれない」
「はあ」
「ドクトル、じゃなくて、アーティー、このシステムではリアルタイム計測はできませんよ」
ダリオもちょっと困り顔。ただ昨夜「アーティーと呼べ」と俺が言ったのはちゃんと憶えて実行してくれた。
「できるようにならないかな」
「超音波を照射し続けることについては許可が下りないんです。政府の分類によると破壊兵器の一種になっているらしくて。電磁波も同じです」
ふむ。超音波や電磁波は、浴び続けると身体に何らかの悪い影響がある、と心配されているからだろうな。例えば発癌性があるとか。磁気は身体にいいと考える人が多いのに、超音波や電磁波が悪いと考えるのは、俺としては納得行かないものがあるんだけど。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます