#18:第6日 (4) 災害の研究

 次の会議室へ移動。昨夜の夕食会の状況を思い出すと、俺を囲んだ4人は今日の説明員で、男はダリオだけだった。つまりこの後は女が3人続くことになる。いや、リディアも入れて4人かな。

 女であることと発表の内容には何も相関がないはずだけど、最初に集まっていた面々を見る限り男の方が多いはずなのに、なぜ偏っているのかは気になる。

 ザグレブでは6人中一人だった。テーナ。なぜ名前を憶えているかというと、その後、やらずもがなの『競合対象……』の解説をさせられたからだ。

「次が、私の所属チームです」

 セヴェリナが言う。あまり嬉しそうじゃないな。なぜだ。

「リディアが説明してくれる?」

「そうです」

「クレタで少しだけ聞いたよ。災害時の救援または避難経路のシミュレイションだろう」

「そうです」

「君が代わりに説明しろ、と言われたらできる?」

「ボージェ・モイ……とてもできません」

 そんな情けない顔すんな。

「できるくらい理解しておかなきゃあ」

「でもドクトルは自身の研究の説明を他の人にさせることは決してないので」

 若手の育成に積極的じゃないのかね。女王蜂クイーン・ビー? でも彼女の論文が読めないわけじゃないだろう。勝手に読んで理解しときなよ。

 研究エリアへ行くとリディアの他に男が二人、女が一人。セヴェリナも入れると男二人、女3人になる。やはり女が多い。なぜだ。

「ようこそ、ドクトル・ナイト。これから災害時経路シミュレイションの説明をします」

 わざわざドクトルの肩書きで俺を呼ぶのは、リディア自身もそうされたいからだろう。クレタではアーティーと呼んでくれたんだが。

 それはともかく研究の概要。まずクレタで話してくれたことのおさらい。

 クロアチアのアドリア海沿いの方は独特の地質・地形。沿岸に大小いくつもの断層や褶曲が輻輳し、地震多発地帯で、地滑りによる土砂災害が起こりやすい。カメラやセンサーで地形の変化を常時観測し、災害の予兆を早期に発見するシステムを導入している。

 研究では、実際に災害が起こったときに交通がどのように遮断されるか、それに対して救助に向かうにはどの経路を通ればいいか、をシミュレイションする。陸路が使えなければ海路を使うし、隣国ボスニア・ヘルツェゴビナを経由するルートも考える。

 ここから新しい情報。海路や隣国を経由するのは、当然のことながら陸に迂回路がない場合。それはプロチェより南。ザグレブでペリェシャツ橋のことを聞いたが、あれより南側は、海岸沿いに幹線道が1本あるだけなのだ。北は高速道路と一般道が少なくとも1本ずつある。

 プロチェより南で、隣国と道が通じている町は三つしかない。スラノ、ドゥブロヴニク、そして最南部のプロチツェ。

 地図を見せてくれた。スラノはドゥブロヴニクの北西約30キロメートル、そこからプロチェへ約70キロメートル。プロチツェはドゥブロヴニクから南東へ約40キロメートル。

 この間はどこで道路が途切れても隣国か海への迂回を強いられる。特に困るのが、ドゥブロヴニクから南。大量の物資や作業車両を積めるような、大きな船が着けられる港がない。

「地図を見ていただくと、最も問題がありそうなポイントに気付かれるのでは?」

 リディアが画面にこの付近の地図を表示する。問題がありそう? そんなのは、国土が一番細いところに決まってるじゃないか。って、ちょうどこの研究所がある辺りだよ。海岸線から国境まで1キロメートルないところがある。しかも山の斜面になっていて、角度も急だ。

「この辺りで、例えば崖崩れが起こって道路が封鎖されると、ドゥブロヴニクの町と空港が分離されてしまう……」

「そういうことです。町に物資が届きにくくなります。ご存じのとおり、北からの陸路は時間がかかる上に道が細いですので、その他の流動もあいまって大渋滞を引き起こすでしょう」

「空港より南は、空路と最南部の迂回路によって物資を供給可能だけど、どちらもかなりの迂回を強いられるな」

「それもそのとおりです。そこで、この部分が途絶した場合のシミュレイションについてですが」

「迂回路を強化する方法を考えた、とか?」

「あら、よくお解りになりましたね。そのとおりです。ではドクターならどこに迂回路を作りますか?」

 土砂崩れの影響を受けないようなトンネルを山か海底に掘る、というのが一番確実なのだが、こんな末端部に莫大な資本をかけられるはずがない。現行の設備を強化する程度でなければ。

「南には大きな港がないということだったな。じゃあ港を作ろう」

「どこに?」

「空港の西にある……カヴタット」

cavtatツァブタットです」

「そこ」

 クロアチア語アルファベットの発音は難しい。

「そのとおりです。ここには現在、ヨットなどの小型プレジャー・ボートが着けられる程度の港しかありませんが、埠頭を建設することで大量輸送を可能にすることを検討しました。もちろん検討はシミュレイション上のことで、埠頭の規模を大中小の3種類にして、流動量を比較しました」

 コンクリートで固めて船着き場を作るだけじゃなくて、浚渫しゅんせつとかの保守も必要だからな。その費用は規模によって異なる。万一の災害のためとは言え、過剰な投資にならないようにしないといけないわけだ。

 そのシミュレイションを見せてもらう。埠頭は大中小を接岸可能な船のサイズで分ける。大が1000トン級カー・フェリー、中が200トン級カー・フェリー、小が災害救助艇つまり車両輸送なし。ちなみに結ぶ先はドゥブロヴニク市街の西部にあるフェリー・ターミナル。もちろん大型船接岸可能。

 しかし要するに、空港と市街地を結ぶ道路の輸送量を70~80%程度補完できればいいと考えられるので、“中”が一番効率がよさそうというのは勘で解る。何しろ自転車で走って体感してきたから。

「この結果をドゥブロヴニク市当局か、国へ提案した?」

「いいえ。まだ必要性が低いと判断されそうですので、他のシミュレイションで実績を作ってからと考えています」

 1000年に一度の災害に備えるのが防災の基本なんだが、たいていは痛い目に遭ってからじゃないと解らないんだよなあ。


 説明が終わると昼食休憩。デリのサンドウィッチ。それをこの場にいる5人と一緒に食べることになったが、そこへダリオがやって来た。

「昼食中にすいません。建物の耐震構造について説明するので、30分後くらいに地下へ来てもらえますか。階段を下りたところです」

「君が説明するのか」

「いえ、ミリヤナ・バビッチが」

「彼女が専門なのか」

「そうではないですが、彼女が説明できると言うので」

 何、それ。何となく嫌な予感。昨夜のこともあるし、暗闇で迫って来るんじゃないか。 解った、ありがとう、と言ってダリオを帰した後で、ミリヤナのことをリディアに訊く。どういう研究員か。

「彼女、後で説明員をするんじゃないかしら」

「そうだと思うよ」

「カメラを用いたセンシング・システムが専門で、勤務態度はとても真面目よ」

 真面目? 本当に? セヴェリナと他の3人にも聞く。みんな同意する。じゃあ昨夜だけが変だったのかなあ。

 とにかくさっさと昼食を摂って30分後に地下へ。灯りが点いていない。ミリヤナはまだ来ていないのか。いや、今、点いた。

「お待ちしていました」

 1ヤードほど奥の、青く塗られた鉄扉の前にミリヤナが立っている。昨夜と違って、細い横長の眼鏡をかけている。服は、Uネックの白い半袖シャツに、膝上丈の黒いタイト・スカート。冬なのに、ずいぶん薄着だな。シャツが身体のラインにぴったりで、胸の盛り上がりが生々しすぎるよ。研究者の服装じゃないだろ。

「耐震装置の説明をしてくれるんだって? 昼休みなのに、すまないな」

「いいえ、これくらいたいしたことありませんわ。私も久しぶりに見られるのでとても嬉しいんです」

 久しぶり? 嬉しい? 君はいったい何を言ってるんだ。しかしミリヤナは鍵で錠を外し、ドアを開けて「どうぞ」と俺を中へ誘った。いつでも逃げられるようにしておかないといけない気がする。

 中は暗い。ヘイ、ミリヤナ、早く灯りを点けろよ。点いた。

 天井が低く、無数の四角い柱が立ち並んでいる、広い空間だった。ギリシャの神殿を連想するが、円い柱ではない。

 その柱の一本を前にして、ミリヤナが妖しい笑顔で話しかけてくる。

「ダリオはたぶん、あなたに耐震レジスタンス構造と言ったと思いますが」

「そう」

「正確には耐震レジスタンスは建物自体の強度に対して使う言葉です。それは柱や壁の構造のことですから、中を見ることができません。私がこれから説明するのは免震アイソレイション装置と制震コントロール装置です。違いはお解りになりますか?」

免震アイソレイションは建物自体を揺れにくくすることで、制震コントロールは揺れを吸収することだったんじゃないか」

「さすがですわ。専門外のことでもよくご存じなのですね」

 そんなに褒められるほどのことでもない。マイアミ大の日本人留学生から何かの弾みで、法隆寺の免震構造を教えてもらっただけだ。

「ではこちらの柱をご覧下さい。床との間に何か挟まっていますでしょう?」

 ミリヤナが柱の下を指差しながら前屈みになる。Uネックの襟元から谷間が覗いているのだが、あえて見ない。

「これが免震装置?」

「はい。アイソレイターです。この建物には3種類使われていまして、これは積層ゴム支承です。ゴムと鋼板を幾層にも重ねたものです。この上に柱を載せると、地震が起こった時にどうなると思われますか?」

「地面の動きは軽減されて、あるいは遅れて上に伝わることになるから、揺れが抑えられる」

「そのとおりです! 建物は重いですから、慣性の法則によって元々動きにくいので、それを利用するわけです。ただそれでも上には少し伝わりますから、ダンパーでその揺れを吸収するのです。そしてこちらが滑り支承です」

 隣の柱に移動。表面に特殊処理をした鋼板の上に柱が載っているだけ。揺れの伝わり具合は積層ゴム支承よりもさらに小さい。

 さらに隣、転がり支承。床にレールを敷き、柱の下にはそれと直角になるようレールを付ける。間にボール・ベアリング付きの台車を噛ませる。やはり、地面の振動は上に伝わりにくくなる。

 この3種類、普通は上部構造物の種類、形状、重量、そして想定震度などによって使い分けるのだが、ここでは三つを組み合わせたのが特別なことなのだそうだ。

 ところでミリヤナは、「しゃがんだ方がよく見えますわ」などと言いながら、しゃがんだ俺の背中に胸をくっつけてくる。実はこれが目的なのだろうか。この程度は我慢できるけど、もしこれ以上のことをされたら……

「免震装置はよく解った。ありがとう。では制震装置は?」

「それもご覧になりたいですか?」

「できれば」

「でももう時間がありませんわ。続きはラボ・ツアーが終わった後で。ああ、ツアーの最後の説明員は私ですから、ご心配なく」

 いや、心配だ。とても心配だ。また閉じ込められたらどうしようかと思う。

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