#18:第5日 (6) 別れの後に

 12時半に昼食を終え、イェラチッチ広場までマルーシャたちに見送ってもらって、路面電車トラムに乗った。乗り慣れた6系統。ティーラは別れを悲しがっていなかったと思う。

 ちなみにタパスは、俺とマルーシャは全18種類、我が妻メグとティーラは半分の9種類しか食べなかった。俺は最後の一つをマルーシャに譲ろうと目でサインを送ったのだが、逆に「食べて」というサインを受け取ってしまったように思う。

「マイ・ディアー、ずいぶん少食だったな」

 ランニングで何度も走ったトミスラヴ王クラリ・トミスラヴ広場を横に見ながら我が妻メグに言う。

「だって、朝にたくさん食べたし、6時には夕食会があるんだもの」

 満足げな顔で言い訳しているが、朝にデザートを余分に食べさせたことを気にしているに違いない。食べ過ぎたって、体型に影響なんか出るわけないのに。

 12分で中央バス・ターミナル前の電停に着き、1時ちょうどの空港行きバスに乗り継ぐ。路面電車トラムと同じ道を進むが、電車よりよほど速く走る。サヴァ川を渡る前に別の道へ逸れて、工業団地のようなところを走ったかと思ったら急に郊外の景色になり、田園の中を快走して空港に着いた。20分。

 研究所で聞いていたとおり、とても小規模だ。国際空港とは思えない。クレタのイラクリオン空港よりも小さいのではないか。あちらも一応、国際空港だったが、こちらは首都にある空港だというのに。

 5分ほど待っていると、セヴェリナとリディアが現れた。二人とも小さな手提げ鞄一つ。泊まりがけの出張に行くとは信じられない様相だ。

「出張者専用の宿泊室が所内にあるし、着替えや日用品も置いてあるのよ」

 我が妻メグとハグの挨拶をした後で、リディアが平然と言う。俺にハグはなし。セヴェリナは言葉だけの挨拶をしてチェック・イン・カウンターへ。そして俺たちを呼ぶ。

「eチケットですので、みなさん携帯端末ガジェットを……」

「俺、持ってないよ」

「まさか!」

 そんなに驚くようなことか。我が妻メグが「私の携帯端末ガジェットで二人分扱いますから」と笑顔で言い、データを転送してもらっている。いつも思うのだが、どうして飛行機にはペア・チケットがないのだろう。需要があると思うのに。

 ロビーに店すらほとんどないところなので、早々にセキュリティー・チェックを通って搭乗口へ。意外にたくさん人がいる。100人くらいか。これからまだ増えるだろう。使用機材はエアバスの150席級? そんなに需要があるのか。

「研究所でお話ししたとおり、数日前まで欠航続きだった影響で、今は満席続きで」

「まさか帰りの便がまだ取れてないってことはないよな」

「それは大丈夫です」

 そうか、よかった。でもたぶん乗らないと思うけどね。ゲートから退出するだろうし。

「車で行くとどれくらいかかるのですか?」

 これはメグの質問。また天候が悪くなることを予想してる? でも、帰りは気にしなくていいって。

「7時間はかかると思います。ザグレブからプロチェまでは高速道路が通っていますが、その先は断続的にしか開通していなくて」

 ザグレブからプロチェまで500キロメートルを5時間、プロチェからドゥブロヴニクまで100キロメートルを2時間。100キロメートルのうち高速道路が開通しているのは、研究説明で聞いたペリェシャツ橋とその前後約20キロメートルだけ。

 鉄道が通っているのはザグレブからスプリトまで。スプリトはプロチェより120キロメートルも手前。地形が険しいとはいえ、不便なものだ。

 搭乗時間になり、飛行機に乗り込む。我が妻メグとは隣になったが、セヴェリナたちとは離れた。たった1時間のことなので問題ない。

 3人掛けのAB席だったので我が妻メグを窓際へ座らせ、俺は真ん中へ。通路側には暑苦しい感じの大柄な男が座った。たった1時間のことなので我慢する。

 定時に出発し、ディナル・アルプスの雪山の上を飛ぶ。飲み物が1杯出て、直後に着陸態勢に入った。海が見えたのは着陸の10分前から。赤い屋根の町並みが見えたが、それをだいぶ行き過ぎたところに着陸した。

 荷物をピック・アップしなくていいので、すぐに外へ出られる。誰か迎えが来ているのかと思ったら、リディアが車を運転するらしい。駐車場に、研究所の車が置いてあるとのこと。

「言っておくけど、ホテルはドゥブロヴニクの町よりずっと手前だから。研究所はさらにその手前」

 車をスタートさせながら、リディアが言う。空港から町まで20キロメートル。ホテルまではその半分。研究所まではさらに半分。

「ということはホテルから研究所までは5キロメートル? ザグレブより遠くなってるじゃないか」

 あれはたしか直線で2マイル……3キロメートルほどだったはず。

「そうよ。でも指定してきたホテルがシェラトンだから。研究所のすぐ近くにもホテルがたくさんあるのに。三つ星だけど」

 またシェラトンか。誰が指定してるのか、謎だな。我が妻メグは嬉しそうにしてるけど、たぶん彼女のコネクションではない。しかしスタッフの中に、必ずや“ラヴリー・リタ”のことを知っている奴がいるはず。

 対向2車線の細い田舎道を走る。空港の近くでは海が見えなかったが、5分ほど走ると見えてきた。しかし波は届かないような、斜面の上の方だ。

「少し寄り道するわよ」と言って、リディアが山側にステアリングを切る。もちろん研究所を見せようというのだろう。すぐに見えてきて、3階建てで赤い屋根の、リゾート・ホテルのような建物だった。

 少し引き返して海沿いのドライヴを続ける。大きめの集落に入った。いくつかホテルらしき建物が見えるが、その中でひときわ大きい――と思われる――ところへ行くと、そこがシェラトン・ドゥブロヴニク・リヴィエラだった。

 もちろん、降りるのは俺たちだけ。リディアたちは研究所へ引き返す。

「ここから研究所まではどうやって行くんだ?」

「タクシーで来てくれる?」

「今日の夕食会へも?」

「もちろん」

 タクシーはホテルにほぼ常駐しているらしい。ちなみに夕食会は研究所近くの、海の見えるレストランだそうだ。夏場には満員で予約が取りにくいらしいが、今は冬なので問題なく取れたとのこと。

 車を見送ってからチェック・インする。フロントレセプションの、若い男の受付係デスク・クラークの緊張ぶりが、ザグレブの時とそっくり同じ。隣に若い女の受付係デスク・クラークもいるが、“憧れの眼差し”で我が妻メグを見つめている。美しいからというだけでは、もちろんないだろう。

 ロジスティクス・センターからの荷物はまだ着いていないが、ドゥブロヴニク空港に到着したことは確認できているので、間もなく届くだろうとのこと。まあ夕食から帰ってくるまでに届いていれば問題ない。

 部屋に案内される。5階のクラシック・ツイン・ルーム。南向きで、窓から海が見えている。真下はビーチ。夏なら海水浴客で賑わうのだろうが、いまは閑散としている。明るいうちに散歩に行こうか。

 ところで、ランニングのルートはどうしよう。ホテル前のビーチはどう見ても400ヤードない。膝には優しいが、何往復もするのは目に面白くない。

「西に延びている海岸沿いの道を走るのはどうかしら。古いホテルの廃墟がたくさんあるんですって」

 何、廃墟? 我が妻メグはいつの間にそんなことを調べたんだ。見た目は面白いに違いないが、そんなところでは犬を連れて散歩している奴なんていないだろう。集落だから町の中を走るのがよさそうだが、街灯も少ないだろうし、日が出てからないと難しそうだ。



 Лエルとリタは行ってしまった。見送るティーラは、満足げな顔をしている。リタの配慮によってЛエルと少しの間だけ二人きりになり、話をしたり手をつないだりしたからだろう。話を聞いていたが、Лエルは適切にティーラを扱ってくれたと思う。

 しかし、これで私は「ティーラの希望により」ドゥブロヴニクへ行くことができなくなった。

 ただ、焦ることはない。明日中に行けば何とかなる。それまでに方法を考えよう。

 それにはまず、アルテムを使うこと。旧市街を散策する間、常にアルテムまたはソフィアの視線があった。私の他の3人は、気付かなかったに違いない。Лエルとリタが行った後は気配が消えたが、今日中にドゥブロヴニクまで追うことはないだろう。

 だから、彼らを追う理由を作ればよい。

「これからどこへ行きましょうか、ティーラ。旧市街地の中の博物館を見る? 市立博物館などどうかしら」

「いいえ、自然が見たいわ。川を……サヴァ川を見に行けないかしら」

 やはり人混みは疲れたのだろう。たとえЛエルと一緒だったとしても。

「川を? ええ、いいわよ。では、そうね……川の向こうに、ブンデク公園という親水公園があるわ。自然の池と人工の池があるの。人工の池には、水上に小規模な舞台があって……」

「池に舞台ですって? 面白そうだわ。では、川を見て、それから池の周りを散策することでいいかしら」

「そうしましょう」

 まず路面電車トラムで中央駅へ。地下道をくぐり、駅南のバス・ターミナルからバスに乗る。公園前のバス停まで10分で着いた。歩いて河原に出る。

 サヴァ川はザグレブの市街地を、綺麗な弧を描いて流れている。もちろん水害対策のために流路を整えられたからに違いない。そのために河原が広すぎて、堤防からでは川面が見えない。川に架かる自由橋モスト・スロボデの歩道を渡り、流れが見えるところまで行く。

 水は至って平穏に流れている。ティーラは川面に視線を落としているが、その目は焦点が合っていない。頭の中で、先ほどの旧市街散策のことを思い返しているのだろう。

 私はティーラの追想が終わるのを待つだけだ。

 川風に吹かれて30分ほどすると、ティーラは「池を見に行きましょう」と言った。川の南岸へ戻り、堤防を下りて木立の中の小道を歩くと、水辺に出た。周りの木々は、すっかり葉を落としていて、水は冷たく寂しそうな眺めだった。

「夏には賑わうのかしら」

「秋に木々が黄葉こうようする頃も綺麗だわ」

「ええ、きっとそうね」

 池のほとりを歩き、半周すると人工の池に出た。水辺の周りに小石を敷き詰め、浜のようにしてある。もちろん、水のすぐそばまで行ける。そして浜の一部を客席に、水の上に舞台を作った“劇場”がある。見る人も演じる人もいない……はずだったのに、そこにアルテムとソフィアの姿があった。

 ソフィアが舞台に立ち、アルテムが客席から見ているのだ。ソフィアはただ立っているだけで、歌いも踊りもしていないが……

「まあ、あれは?」

 もちろんティーラも気付いた。私がいない間、彼らを監視して欲しいとお願いしたから、顔を憶えている。まさかここに来ているとは――しかも先回りされていたとは――思いもよらなかっただろう。私もそうなのだ。

「……話しかけて、みたら?」

 私が呆然と彼らを見ているのにティーラは気付き、声をかけてくれた。私は言葉を黙って彼らを見つめ続けていた。それは半分が演技で、半分が自然だった。

 彼らは、Лエルとリタのことだけでなく、私たちのことも監視していたのだろうか?

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