ステージ#18:第5日

#18:第5日 (1) 観光計画

  第5日-2046年1月24日(水)


 今朝も、6時45分起床。

 今日は研究所へ行かないのだが、明日のこともあるので昨日と同じ時間にしておいた。これより早くしても、暗くて走れない。ドゥブロヴニクの夜明けだって、同じ頃だろう。

 我が妻メグはもちろん起きている。昨夜のお楽しみは宣言どおり“多め”だった。“長め”と言うべきかもしれない。とても疲れた。それはともかく、昨日と同じ支度の手続きを踏んで、トミスラヴ王クラリ・トミスラヴ広場へ。

「本当はホテルの前から西へ行っても広場に着くけれど」

 まだ薄暗い通りを歩きながら我が妻メグが言う。

「広場は正面へ行くのが礼儀だよ。裏から入ってそのまま出て行くのは失礼だ」

「そうね。それに中央駅の建物がとても立派だから正面にふさわしいわ」

「北側の建物が見たいのなら、帰りに寄ることにしよう。そこにあるのは……」

「ウミェトニチェキ・パヴィリョン。芸術のパヴィリオンという意味よ。それから北隣の広場には芸術科学アカデミー図書館とシュトロスマイェル美術館」

 中には入らず、外から眺めるだけでいいだろう。どうせまだ開いてない。

 広場に着き、騎馬像の前で準備運動。我が妻メグは30分後から走り始めるのだが、一緒に準備運動をしている。しかしそれでは身体が冷えてしまうので、それまで広場の中を早足で歩いてはどうか、と提案する。

「あなたがここを通り過ぎるのを見落とさないようにしないと。8周したら走り出すつもりなのよ」

 別に毎周必ず我が妻メグに見届けてもらう必要はないのだが、彼女がそうしたいのなら止めることもない。昨日と同じく反時計回りに走り出す。

 走りながら辺りをよく観察する。もちろん、犬を見落とさないように。今日もきっと見かけると思う。昨日と同じ犬とは限らないけれど。

 そしてそれが何のヒントになっているのか、考えないといけない。

 と考えつつ歩道を北へ走っていると、向こうから犬と一緒に女が。ダルメシアン。しかし昨日と一緒なのか、判別が付かない。女の顔も憶えておけばよかった。「ズドラーヴォ!」と挨拶すると「ズドラーヴォ」と返ってくる。

 もしここで立ち止まったら? たぶん犬は俺に吠える。女は恐縮するか、警戒するか。いずれにしても話はできないだろう。ではどういう意味があるのか。

 もしかして、出会った犬を数えておかなければならなかっただろうか。ダルメシアンだけに、101頭……しかし7日間でそれだけの数は難しい。1日14頭以上だ。ペット・ショップにでも行かない限り、あり得ないだろう。

 広場の北端で西へ折れる。左手に見えるのが芸術のパヴィリオン、道路を挟んで右手が図書館だろう。まだ夜が明けきっていないので、造形がよく解らない。

 西側の歩道を南へ。路面電車トラムとすれ違う。車内の電光がとても明るく見える。それはたぶん、がら空きだからだろう。

 騎馬像の前に戻ってきたら、何と我が妻メグがいない。1周目から何たることか。が、広場の中の小道で、ダルメシアンとその飼い主と一緒にいるのが見えた。俺に気付き、笑顔で手を振る。そうか、やはり犬と会うのは我が妻メグの役目なのか、と考える。

 2周目、犬とは会わず。しかし北のパヴィリオンの前を通る時、入り口の階段に女が座っているのが見えた。白い厚手のコートを着て、毛糸のカラフルな帽子を被っている。どこかで見たような気がするのだが、思い出せない。

 騎馬像前に戻ると、我が妻メグがいた。笑顔で手を振ってくる。誰かと話している様子がなくて安心する。彼女は美しすぎるので目立つから困る。代わりにもっと美しい女が――例えばマルーシャが――来て、人目を引いてくれれば我が妻メグが目立たなくなるのに、と思う。

 あるいはオデッサのように、至る所美女だらけ、などという場所であれば、俺は心配しなくて済む。我ながらおかしな妄想をしていると、つくづく思う。

 3周目にも、パヴィリオンの前に女はいた。誰かを待っている風でもない。待つ時は本のような暇つぶしの道具を持ってくるか、そうでないなら相手が来るだろうという方向を見つめているものだ。彼女はそのどちらでもないだけでなく、俺のことを目で追っている節がある。もっとも、動くものに目を奪われるのは人の本性でもある。

 4周目になって、ようやく思い出した。ソフィア・ルスリチェンコだ。一昨日未明、同じ駅で降りて以来、見かけていなかったが、なぜこんなところにいるのか。連れのコスティンはどこへ行ったのか。彼を待っているのか。

 違う。彼は“連れ”ではなく、列車の中で知り合ったと言っていた。しかし同じホテルへ向かったはずで、それ以来どうなっているのか、さっぱり判らない。

 そして騎馬像前に我が妻メグはおらず、公園内でまた別の犬――ダルメシアンではなくコリーだと思う――とじゃれ合っている。俺を見逃さずに手を振ってはくれるけど。

 夜が明けたが、建物に遮られて光は広場に届かない。しかし西側の建物に日が当たり、オレンジ色に輝く。辺りが活気づいた感じがする。

 ソフィアはパヴィリオン前から一歩も動かず、我が妻メグは騎馬像の周辺のどこかにいる、ということを繰り返し、8周目からようやく我が妻メグが走り出す。

 半周してパヴィリオン前を過ぎて――やはりソフィアはそこにいる――西の歩道の途中で我が妻メグとすれ違う。昨日の1周目とだいたい同じ位置。次の周回では東の歩道で行き違う。昨日と同じく5周するペースのようだ。

 そうなるとスピード比は8対5で、すれ違う位置の予想が容易でない。もっとも、予想する必要など全くない。走り終えた時に、騎馬像前にほぼ同時に到着すればハッピー・エンディングというだけだ。

 結局同時にはならず、俺が騎馬像前に着いてから十数秒後に我が妻メグがやって来た。

「とても疲れて、すぐに整理運動ができないわ!」

 両膝に手を付いて、肩で息をしているが、笑顔を作っているのはさすが。白い頬に赤みが差し、とても可愛らしい。

「座って。脚の筋肉をほぐしてあげるよ」

 地べたに膝を抱えた姿勢で座らせ、ふくらはぎの辺りをマッサージする。往来でこうして女の身体をベタベタ触って咎められないのは、ランニングをした後くらいだろう。

 我が妻メグの息が落ち着いたら立たせ、ストレッチングなどをして整理運動終了。予定どおり、広場の北へ行くために、中の小道を通る。

「今日も犬に好かれていたようだな」

「ええ、とてもたくさん散歩していたのよ。昨日は気付かなかったわ」

 そういうシナリオなのだろうか。まあ昨日我が妻メグは前半に走ったので、後半は疲れて騎馬像前から動けず、広場の中を見逃した可能性はある。

 が、二人で歩いていると犬には出会わない。散歩の時間は終わりというわけでもないだろうに。

 パヴィリオン前に来た。美術館らしい造形だが、ターメリックのような濃いイエローに塗られている。多少どぎつい感じがする。

 が、階段のところにソフィアはいなかった。さっきまでいたんだが、と我が妻メグに言う。

「見かけなかったわ」

 不思議そうな表情で我が妻メグが答える。苦しくて周りを見る余裕がなかった、ということではない?

「ええ、逆に、苦しさを紛らすために、なるべく景色を見て走ろうと……でも階段には誰もいなかったと思うの」

 おかしい。俺が通る時だけ座って、我が妻メグが通る時には隠れるなんてことはしないだろう。そんなにうまくタイミングが計れるわけがない。それとも俺には見えて我が妻メグには見えないなんてことがあるのだろうか。仮想世界だから、やろうと思えばできるんだろうけど、何の意味が。

 しかしそんな謎を解明しても仕方ないので、振り返って図書館の方へ。南側は裏なので、北へ回り込む。クリーム色の壁で、貴族の屋敷のようなたたずまい。たぶん、過去にはそうだったに違いない。

 少し北へ歩いて、シュトロスマイェル美術館。やはり南側は裏なので、北側から見る。入り口にコリント式の列柱が立つ、いかにも美術館らしい建物。柱の装飾が見分けられるなんて、俺も少しは美術を見る目ができてきたわけだ。

 中央駅前へは戻らず、ボシュコヴィチェヴァ通りを東へ。真っ直ぐ行くと、一昨日の朝に散歩したアート・ギャラリーがあるのだが、その手前、路面電車トラムの通るドラシュコヴィチェヴァ通りで南へ折れて、シェラトンに戻った。

 二人で仲良くシャワーを浴びてから、出掛けるための服に着替えて、レストランへ。料理を取り、席に着いてから、今日の予定を立てる。空港へ行くまでに、どこを観光するか。

 もちろん我が妻メグが素案を作ってくれているはずなので、俺はそれを聞いて「それはよさそうだ」か「何か他にない?」のどちらかを言うだけ。

 さて、その素案は? 路面電車トラムでまずイェラチッチ広場へ行き、北にあるドラツ市場を覗いて、その東の大聖堂へ。

 広場に戻り、少し西へ行ってケーブル・カーに乗り旧市街地へ。ロトルシュチャク塔、聖マルコ教会を見て、旧市街地を一回りした後で“石の門”から出る。風情のあるトカルチチェヴァ通りを歩き、どこか適当なところで昼食を摂ってから、広場に戻って路面電車トラムで中央バス・ターミナルへ行く。

 もし時間が余るようなら、近くに小規模な博物館がいくつかあるので、どこか面白そうなところへ寄ればいいと。

 素晴らしい。何も文句の付けようがない。3時間の観光なら十分だろう。

「町中にケーブル・カーがあるのが面白いでしょう? 旧市街地が高台なので、そこへ登るためなの。150年以上前から稼働していて、世界で最も距離が短いんですって」

 うむ。面白いけど、行く前からネタを明かさなくていいんじゃないかなあ。

「ところで、デザートは食べないのかい?」

「食べたいものは二つとも食べてしまったのよ」

 何だっけ。クリーム詰めパイと揚げドーナツだろ。でも他にもたくさん並んでたのに。

「今日はたくさん歩くから、エネルギーを使うよ」

「そんなことないわ。飛行機に乗るもの。それにドゥブロヴニクでは夕食会が……」

 それを気にしてるのか。どう言えば食べるのかなあ。オデッサでニュシャに使ったのと同じ手は効かないし。

「五つの地域に特色が、ということだったろう。まだ二つしか食べてない。ドゥブロヴニクではもしかしたら選択肢が少ないかもしれなくて……」

「しかたないわね、スラヴォニア地方のデザートを探してくるわ」

 本当は嬉しいんだろう? もっとありがたそうな顔をしてくれてもいいのに。

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