#18:第3日 (2) 未明のザグレブ

 我が妻メグはすぐに帰ってきた。ちゃんと情報を聞けましたという、満足そうな表情。

「乗降はなかったけれど、プラットフォームでトラブルがあったので、車掌はそれを止めに行ったそうよ」

「つまり一時的に持ち場を離れた」

「そう。それとさっきのスラヴォンスキ・ブロドで、エマニュエル・ウィンストンは運び出されて、病院に送られたそうよ。コンパートメント内の荷物も全部下ろしたって」

「全部って、車内にいないジュリアの分も?」

「もちろん」

「今のでいくつ質問したことになるのかな」

「ヴィンコヴチとスラヴォンスキ・ブロドで、二つね」

 スラヴォンスキ・ブロドのことを訊いてきてくれとは言わなかったんだが、後でもう一度訊きに行く手間を省いてくれたんだから、まあいいか。キス&キス。

「ウィンストン兄妹は外交官だから外交官パスポートを持ってたはずだな」

「もちろん、そうでしょう。国際列車に乗るから、通過国のトランジット・ヴィザも持っていたはずね。私たちはシェンゲン・ヴィザを持っているから不要だけれど」

「国境通過時の出入国審査は……車掌が代行してくれたんだったか」

 乗った後でパスポートとヴィザ一式を預けた。途中下車する時は、降りる前に車掌から返してもらい、乗った後で再度渡す。俺の場合は全て我が妻メグに任せたけれども。

「ベオグラード停車中に、別の列車に乗ってザグレブ方面へ向かうことは?」

「もちろんできるはずよ。スロヴェニア、オーストリアを経由してドイツのミュンヘンへ行く列車があったと思うわ」

「ヴェニスへは?」

「リュブリャナで乗り換えじゃないかしら」

「ジュリア・ウィンストンはそれに乗ったかもしれない」

「調べれば判りそうね。でも、エマニュエル・ウィンストンのことはどうなるのかしら」

「つまり、ジュリアをそそのかした人物がいて、一緒に先行列車に乗った。その仲間がベオグラード出発前後にエマニュエルと争っているうちに怪我をさせてしまった」

「先行列車に乗った人物はどうなったの? 今のところ、ウィンストン兄妹以外、全ての乗客は揃っているようだけれど。それとも、二人ともこの列車の乗客とは関係ないのかしら」

「先行列車に乗った人物は、ヴィンコヴチで降りて、こっちに乗ってきたんじゃないかな。つまりブルックスではないもう一人の合衆国人……」

「ダスティン・マシューズ。でもそれは変よ。ヴィンコヴチへは国境を越えるから、車掌が出入国審査をしたはずだもの。マシューズのパスポートがなければ気付くはず。マシューズは、パスポートをブルックスに預けてしまったら、先行列車に乗っても、国境を越えられないわ」

 なるほど、俺の推理には穴があるな。これって一種の密室犯罪のようなものじゃないか。国という大きな単位の密室。

 うーん、俺が解く必要はなくて、後で我が妻メグかシャルロットから結論を教えてもらえるのかもしれないけど、本当にターゲットのヒントになってるのかな。

「じゃあ、君はどう考える?」

「興味がないわ」

 そんなことを言いながら笑顔。本当に興味がないんだろうか。それとも交換条件を出せば、推理を披露してくれる? キスより上の報酬。さすがにそれを車内でするわけには。

「しかし、ザグレブに着くまでに解決しなかったら、俺たちは降りられないかもしれない」

「『証言が聞きたいなら研究所へ来い、と警察に言うだけ』じゃなかったの?」

 揚げ足を取られてしまった。言ったよ、確かに。君の質問は、予言だったんだな。

「そもそもブルックスとマシューズはどういう人物なんだ」

「俳優よ。ただ、TVや映画では脇役でしかないから、あなたが知らなくても仕方ないわね」

 オーストラリア人の君が、どうして合衆国の脇役俳優に詳しいんだよ。それとも、それとも彼らにポート・ダグラスかパリのホテルで会ったことがあるのか。

「他にイタリア人の男女がいたと思うが」

「グレゴリオ・バロッコとアデライデ・パリーニね。ミスター・バロッコは美術評論家で、ミス・パリーニは彼が後援している彫刻家よ。去年のサロン・ドートンヌに出展して高い評価を受けたはず」

 サロン・ドートンヌって何だ。毎年秋にパリで開催される展覧会? 君、その時点では俺と結婚してることになってるはずだろうに、どうしてそんなにパリの事情に詳しいのさ。

「美術関係者なら外交官とは関係なさそうだ。ところで君、他の車両の乗客のことも知ってるんだったよな」

「全員じゃないわ。特に有名な人だけ、列車長シェフ・ド・トランに教えてもらったの」

「その中に怪しい人物はいないのかな」

「さあ、どうか判らないけれど、他の車両のお客様は関係ないと思うわ」

「どうして?」

「だってベオグラードに着くまで別々だったんだから、ウィンストン兄妹のことを知っているはずがないもの」

 確かに。エマニュエルはベオグラードで降りずにずっと車内にいたそうだが、彼のことを知らない誰かがコンパートメントを訪れるはずがない。コンパートメント外で何かトラブルがあったのなら、誰かが見ていただろうし、それは列車長シェフ・ド・トランやシャルロットの知るところとなっただろう。

 ということは、やはりアテネ-カレー車両の乗客に限定されるというわけか。


 結局、その後は推理ごっこをやめてしまい、1時間半ばかり仮眠してからザグレブで降りた。2時45分だった。シャルロットがわざわざ見送ってくれて「明日の朝、ヴェニスに着く前に真相を発表するつもりだったのですが」と言う。

「食堂車に乗客全員を集めて?」

「いえ、犯人と乗務員だけです」

「国際的なニュースになるだろうか」

「さあ、どうでしょう。イタリアのニュース・サイトをご覧になって下さい、としか」

 我が妻メグにチェックしてもらおう。「よい一日をパッセ・アン・ボン・ジョルネ」に「ありがとうメルスィ君もヴゾスィ」と返す。もちろん、あらかじめ我が妻メグから教えてもらった挨拶だ。

 列車は遅れているのに20分ほど停まるらしい。その間に、俺と我が妻メグ以外にも降りた客がいる。3人、4人……5人か。

 うち、二人はコスティンとソフィア。パリへ行くと聞いていたのだが、途中下車する予定もあったのだろうか。やはり競争者コンテスタンツか、あるいはキー・パーソンズか。サロンでもう少し真面目に話を聞いておけばよかった。どこのホテルに泊まるのか、判ればいいのだが。

 それから、アラビア系の男女。プラットフォームが暗いのにアラビア系だと思ったのは、頭に布――何という呼び名か知らない――を着けていたから。もしかしたらインド系かもしれないが、確かめる術がない。

 もちろんイスタンブールから来たのだろう。そしてここで降りるということは、競争者コンテスタンツか、あるいはキー・パーソンズか。

 そして残る一人……これが何とヴァレンティナ嬢だ。単純な考え方をすると、ティーラはまた俺をつけ回すつもりか、と思われるのだが、変装も含めて何か深い意味があるのかもしれない。あるいは、ティーラが変装しているというのは俺の勘違いで、そっくりだけど全くの別人――本名を隠しているのが怪しいだけ――なのかもしれない。

 ヨーロッパらしい、天井の高い駅舎に入る。がらんとした寒そうなところに、二人ばかり立っている。男と女。そのうちの女の方が、"MR & MRS KNIGHT"のボードを持っていた。ホテルからの迎え? ヴァケイションでもないのに、なぜいるんだ。

 しかし男の方も、"MR & MS Sheikh"のボードを持っている。しかも下にアラビア語併記。おそらくSheikhシャイフと発音するのだろうが、迎えがいるということは競争者コンテスタンツ? 他の3人はどうするつもりだ。

「ミスター・アーティー・ナイトとミセス・マーガレット・スコット・ナイト?」

 女が目を輝かせながら言う。こんな時間帯にする目つきではない。

「そうだ」

「シェラトンからの迎えです。ようこそザグレブへ!」

 またシェラトンか。多いな、マリオット系に泊まることが。

 いや、待てよ。これってもしかして財団のコネクションではなく、我が妻メグのコネクションじゃないのか? だって女は俺よりも我が妻メグの方ばかり見てるし。

 それにヴァケイションより後のステージで、どこのホテルでも世話係が付いて、我が妻メグとやりとりしていたのも、我が妻メグが有名だから? どんな設定だよ。

「こんな時間にわざわざ出迎えていただいてありがとうございます。とても楽しみにしていましたわ」

「こちらこそ、あなたにお会い……いえ、早速ご案内します。どうぞこちらへ。近いのですが、お車を用意しましたから」

 やはり女どうしで解り合っている。

 念のため、他の5人の動向もさりげなく観察しておく。アラビア系はホテルからの迎えに付いていくようだ。コスティンとソフィアはガイド・ブックか何かを見て相談中。ヴァレンティナ嬢はただ立ちつくしているが、もしかしたら俺たちがどこへ行くかを盗み聞きしていたかもしれない。

 迎えの女は駅舎の外へ俺たちを連れ出す。タクシーが待っていたが、君、自己紹介を忘れてないか。まさか“有名なコンシエルジュ”に会えて、舞い上がってるんじゃないだろうな。

 タクシーに乗って走り出すと、ようやく女が「ジョシパ・ペルコヴィチです」と名乗った。

「コンシエルジュです。ご滞在中のご相談ごとはお気軽にお申し付け下さい」

「ありがとうございます。きっと観光のことを伺うと思いますわ」

「ご満足いただけるように努めます。見どころはこの少し北にある旧市街地で……」

 誰が今から観光案内をしろと言ったんだよ。夜中だぜ。しかしほとんど話す暇はなく、2分ほどで着いてしまった。近いだろ。歩いてもよかったくらいだ。

 フロントレセプションへ行くと、若い男の受付係デスク・クラークが「ようこそ、ナイト夫妻」と挨拶し、手続きをする。おそらくは財団ではなく我が妻メグの名声で緊張しているのだろうが、なぜ熟練者エクスパートがやらないのか。教育の一環なのか、それともこんな変な時刻なので熟練者エクスパートは皆寝てしまったのか。

「ロジスティクス・センターからの荷物は既にお部屋に入れています。明日は12時半に財団から迎えが来るとのことですが、こんな時間にご到着になるのは予想外でしょうから、時間の変更のご希望があれば、伝言を承りますが……」

 緊張してるわりに、ずいぶんと気が回るじゃないか。

「約束の時間まで9時間以上あるから、問題ないよ。ところで、迎えの名前は聞いてる?」

「はい、ミス・セヴェリナ・ユリチェヴィチです」

 女か。どうして出迎えは女が多いんだろう。

 夜中なのにやけに元気がありそうなペイジ・ガールに案内されて、部屋へ。4階のクラシック・ツイン・ルーム。ほう。無駄に贅沢じゃなく、出張らしくていいじゃないか。我が妻メグはペイジ・ガールにチップを渡し、部屋の中をあちこちチェックしているのかと思ったら、冷蔵庫からオレンジ・ジュースを取り出している。

「飲み物より先に、シャワーがいいかしら?」

 何、その笑顔。真冬だから汗をほとんどかいてないけど、昨日は浴びなかったから、浴びたい気分ではあるね。こんな時間だけどさ。

「もちろん、浴びるよ。身体を温めた方が早く寝られる」

「時間がないから、一緒に入りましょうね」

 いや、時間があったって今夜は一緒に入るつもりだったんじゃない?

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