#18:第2日 (5) 駅のトラブル
コンパートメントへ戻りかけたが、車内に人が増えている気がする。大柄な車掌を捕まえて聞いてみる。ちなみに彼の名前はジャゾン・ピエール・ポール。やはりフランス人。
「ウィ、ムッシュー、アテネからヴェニスまでキャンセルが出たコンパートメントへ、お客様が入られています。2組だけですが」
「俺のところの隣にも?」
「11・12号ですか? ええ、そうです」
昨夜はそちらだけでなく、14・15号の方も空いていたので、とても静かだった。11・12号に入るのなら、夕食の後にでも挨拶しておくのがいいだろう。もっとも、俺の考えよりは
「ウィーン方面行きがそろそろ出発するわ。マドモワゼルへ挨拶に行ってくるわね」
コートも脱がずに
コートを脱いで、座ってくつろいでいたら、ドアにノック。開けると、フォーリー
「ディナーの時間まで、ミセス・ナイトにお話を伺いたくて……」
「残念、ウィーン方面行きに知り合いが乗っていて、そちらへ挨拶に行ってるんだ」
「そうですか。出発までに戻られますよね? ではその時に」
おとなしく引き下がった。というか、俺の話はもう聞きたくないんだ。
しばらくしたらまたノック。ドアを開けると見知らぬ若い女が立っていた。……女だよなあ。短い
「ハロー、
「ボンソワール、ムッシュー。隣の
手を差し出してきた。女らしい白く細い指。握ると柔らかいが冷たい。肌がすべすべ。
「
「一人です。そちらは?」
「妻がいる。今、部屋を出ているんだが、すぐに戻ってくるよ」
「そうでしたか。では後で改めて」
「それから、一晩と君は言ったが、俺たちはザグレブで降りる」
「おや、そうでしたか。真夜中に着くはずですね?」
「そう。うっかり乗り過ごさないようにしないといけない。車掌かスチュワードが注意してくれるはずだけど」
「ザグレブの財団研究所と何か共同研究の相談でも?」
何だと? なぜ財団のことを知っている。
「誰かに俺の仕事のことを聞いた?」
「いいえ。ですが、話し言葉を聞いていると合衆国の方のようですし、休暇でいらしたのではなさそうですし、目が知的で研究者に見えますし、ザグレブへ出張なら財団研究所だろうと思っただけですよ」
澄ました顔でシャーロック・ホームズみたいなことを言うんじゃないって。まさか本当に探偵なのか?
「君こそ、ヴェニスで何か事件でも?」
「まさか。いくら私だって、行く先々で事件が起こったらたまりませんよ」
いやあ、仮想世界の中に探偵がいるとしたら、それは事件が起こる前兆だから言ってみたまでだよ。しかし、探偵であることは否定しないんだな。「
ドアを閉めると、5分も経たないうちにノック。「
「
「今夜のディナーの時間を伺いに参りました」
さっき言ってなかったんだっけ。
「
「
ドアを閉める。3分も経たないうちにノック。何なんだよ、
「
「
「俺の他には誰もいないよ。妻は他の客のところへ話しに行ってる」
「中を改めさせてもらえるか」
「断る」
男が更に機嫌を悪くする。俺が女を匿うとでも思ってるのか。冗談じゃないっての。誰より美しい妻がいるのにさ。
しかし俺がドアの前からどかないでいると、男は諦めたのか無言で立ち去った。「
出発の時間になったが、
車掌に聞きに行こうとしてドアを開けると、目の前に
「ヘイ、遅かったじゃないか。心配したよ、マイ・ディアー」
「ごめんなさい。マドモワゼルの妹さんが……ミス・ティーラが列車の中にいないというので、一緒に探していたの」
何だと? 今回はそっちが行方不明になる展開?
とりあえず、18時半からディナーなので、フォーマルに着替えないといけない。見慣れていても
「マドモワゼルのコンパートメントへ行ったら、彼女も私たちのところへ挨拶に行こうとしていたところだとおっしゃるのよ。でも妹さんがいらっしゃらないから、探そうとしていたと」
「彼女たち、町には出なかったのか?」
「いいえ、おいでになったって。私たちより少し後に出て、私たちとは逆に要塞へ先に行って、そこから南に下りながらいろんなところを見て、駅へ戻ってきて……ただ妹さんは、駅員に訊きたいことがあるからというので、マドモワゼルだけ先にコンパートメントへお戻りになったの。ところが列車の出発時間が近づいても妹さんが戻ってらっしゃらないので、探しに行こうと……」
それ、俺も同じように君を探しに行きたかったんだぜ。なのに次から次に人が来てさ。いや、別に全員相手にしなくてもよかったんだが。
「それで、駅員に訊きに行った?」
「ええ、幸い妹さんと話をしたという駅員を見つけたわ。でも、ものの2、3分で話は終わって、その後はどうしたか判らないと……」
「何の話をしたって?」
「ロンドン行きのオリエント
何だか嫌な予感がしてきたな。
「それでその後……君たちは
「ええ、そう。どうして判ったの?」
そんなのは初歩的なことだよ、ミセス・ハドスン。
「行ったら何か判った?」
「
君、やっぱり
「それでぎりぎりに戻ってきた」
「ええ、
そういえばニュー・カレドニアでも、飛行機が出発する直前に乗ってきたよな。間に合うかどうかの目算が甚だしく正確だ。
フットボールのプレイヤーも残り時間には敏感なんだけど、現実の時間ってのは、タイムアウトで止められるゲーム・クロックよりシビアだからなあ。
「今さら訊いてもしかたないことだが、コンパートメントで過ごしている間や観光中に、ティーラの様子が変だった、とマルーシャは言ってなかったか?」
訊いている間に、
「いいえ、特に何もお気付きにならなかったと。ただ、観光から出発時刻ぎりぎりに戻ってくるつもりだったのに、少し早く帰りたいと妹さんが希望した、とはおっしゃって」
「つまり駅員に物を尋ねる時間が欲しかったと」
「ええ、そう」
「観光中に、それを訊こうと思い付いたんだろうか。列車の中から考えていたのなら、行く前に訊くよな?」
「ええ、そうね。どういうことかしら」
俺にそれを推理させるのか。探偵が乗ってるから、彼女に考えさせたらどうかな。金を取られるかもしれないけど。
「観光中に、ある人物に出会った。あるいは見かけた。彼女はその人物が、パリ方面行きに乗っていると気付いたか推察した。その人物の今後の行動が気になった。どこへ行くかは判らないが、ヴェニスまでの時間を訊いてみた。こんなところか」
「ヴェニスから先の時間はどうして訊かなかったのかしら」
「そこから先へ行くには飛行機の方が早いだろう。ヴェニスへは朝に着いて長時間停車するから、ヴェローナやオーストリア、スイスなんかへ行くには飛行機の方が早い」
「素晴らしいわ。きっとそうね!」
初歩的なことだよ、ミセス・ハドスン。
「マルーシャも気付いてたと思うけど、君に余計な心配をさせないように、言わなかっただけじゃないかな」
そもそもあのマルーシャが、ティーラに出し抜かれることなんかあり得ないと思うんだよ。全てが予想どおりなんじゃないか。
「そうなのかしら。とても心配そうにしてらっしゃったけれど」
ああ、そういうの、演技だって。彼女、二重人格者じゃないかと思うほど完璧だぜ。オペラ歌手だけじゃなく、女優も務まるに違いないよ。
「心配には違いないだろうけど、君がティーラを探しても何も判らなかったんだし、そのことをマルーシャに伝えてもさらに余計な心配をさせるだけだよ」
下着まで着けたら、ドレスを着るのは一瞬なんだなあ。背中のジッパーを上げてほしい? いいとも。ついでに、後で下げる時もお願いしてほしいね。
「そうね。連絡はいつでもできるけれど、何か判るまでそのままにしておくことにするわ」
んん、連絡できるのか。なぜ?
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