#18:第2日 (5) 駅のトラブル

 路面電車トラムを乗り継いで中央駅へ。列車は降りたのとは違うプラットフォームに停まっていた。車両を組み替えた結果だろう。ウィーン方面行きと乗り間違えないようにしないといけないが、エドワールが「ボンソワール、マダム・エ・ムッシュー」と迎えてくれたから、合っているはず。

 コンパートメントへ戻りかけたが、車内に人が増えている気がする。大柄な車掌を捕まえて聞いてみる。ちなみに彼の名前はジャゾン・ピエール・ポール。やはりフランス人。

「ウィ、ムッシュー、アテネからヴェニスまでキャンセルが出たコンパートメントへ、お客様が入られています。2組だけですが」

「俺のところの隣にも?」

「11・12号ですか? ええ、そうです」

 昨夜はそちらだけでなく、14・15号の方も空いていたので、とても静かだった。11・12号に入るのなら、夕食の後にでも挨拶しておくのがいいだろう。もっとも、俺の考えよりは我が妻メグの判断に従う方がいいと思うけど。

「ウィーン方面行きがそろそろ出発するわ。マドモワゼルへ挨拶に行ってくるわね」

 コートも脱がずに我が妻メグは車を降りてしまった。別れを惜しんでる間にあちらの列車が出発してしまわないことを祈る。別れ別れになるのは最悪だ。

 コートを脱いで、座ってくつろいでいたら、ドアにノック。開けると、フォーリー姉妹シスターズ。作ったように愛想のいい表情をしている。

「ディナーの時間まで、ミセス・ナイトにお話を伺いたくて……」

「残念、ウィーン方面行きに知り合いが乗っていて、そちらへ挨拶に行ってるんだ」

「そうですか。出発までに戻られますよね? ではその時に」

 おとなしく引き下がった。というか、俺の話はもう聞きたくないんだ。

 しばらくしたらまたノック。ドアを開けると見知らぬ若い女が立っていた。……女だよなあ。短い金髪ブロンドで――たぶん染めてると思うが――中性的な顔立ちで、背も高いし、ホワイトシャツにベージュのヴェストに赤い蝶ネクタイボウ・タイ、胸はちゃんとし、パンツ・スタイルだけどスチュワードではないだろうし。

「ハロー、何かワッツ・アップ?」

「ボンソワール、ムッシュー。隣のコンパートメントコンパルティマンに入る者です。ヴェニスで降りるので一晩だけですが、ご挨拶をと思って。シャルロット・メシエといいます。よろしくアンシャンテ

 手を差し出してきた。女らしい白く細い指。握ると柔らかいが冷たい。肌がすべすべ。

こちらこそミー・トゥ。連れは?」

「一人です。そちらは?」

「妻がいる。今、部屋を出ているんだが、すぐに戻ってくるよ」

「そうでしたか。では後で改めて」

「それから、一晩と君は言ったが、俺たちはザグレブで降りる」

「おや、そうでしたか。真夜中に着くはずですね?」

「そう。うっかり乗り過ごさないようにしないといけない。車掌かスチュワードが注意してくれるはずだけど」

「ザグレブの財団研究所と何か共同研究の相談でも?」

 何だと? なぜ財団のことを知っている。

「誰かに俺の仕事のことを聞いた?」

「いいえ。ですが、話し言葉を聞いていると合衆国の方のようですし、休暇でいらしたのではなさそうですし、で研究者に見えますし、ザグレブへ出張なら財団研究所だろうと思っただけですよ」

 澄ました顔でシャーロック・ホームズみたいなことを言うんじゃないって。まさか本当に探偵なのか?

「君こそ、ヴェニスで何か事件でも?」

「まさか。いくら私だって、行く先々で事件が起こったらたまりませんよ」

 いやあ、仮想世界の中に探偵がいるとしたら、それは事件が起こる前兆だから言ってみたまでだよ。しかし、探偵であることは否定しないんだな。「ではまたア・ビアント」と言って去っていった。

 ドアを閉めると、5分も経たないうちにノック。「失礼しますエクスキュゼ・モワ、ムッシュー」。この声はエドワールだな。ドアを開ける。

何かワッツ・アップ?」

「今夜のディナーの時間を伺いに参りました」

 さっき言ってなかったんだっけ。

早い組ファースト・シーティングで頼む」

かしこまりましたセ・アンタンデユ

 ドアを閉める。3分も経たないうちにノック。何なんだよ、千客万来フラット・オヴ・ヴィジターズだな。ドアの外には暗い顔つきのアングロ・サクソンの男。ああ、昨夜食堂車で見たな。

何かワッツ・アップ?」

失礼するエクスキューズ・ミー。ここに妹のジュリアが来ていないか?」

「俺の他には誰もいないよ。妻は他の客のところへ話しに行ってる」

「中を改めさせてもらえるか」

「断る」

 男が更に機嫌を悪くする。俺が女を匿うとでも思ってるのか。冗談じゃないっての。誰より美しい妻がいるのにさ。

 しかし俺がドアの前からどかないでいると、男は諦めたのか無言で立ち去った。「それは失礼したソーリー・アバウト・ザット」くらい言えよ。

 出発の時間になったが、我が妻メグが戻って来ない。そのうちに列車が動き出してしまった。おいおい、まさか乗り遅れたんじゃないだろうな。

 車掌に聞きに行こうとしてドアを開けると、目の前に我が妻メグが立っていた。

「ヘイ、遅かったじゃないか。心配したよ、マイ・ディアー」

「ごめんなさい。マドモワゼルの妹さんが……ミス・ティーラが列車の中にいないというので、一緒に探していたの」

 何だと? 今回はそっちが行方不明になる展開?


 とりあえず、18時半からディナーなので、フォーマルに着替えないといけない。見慣れていても我が妻メグの着替えを見るのは楽しい。特にコンパートメントだと狭いので、手の届くような近さにいる。もちろん、こんな時間帯に手は出さないけど。

「マドモワゼルのコンパートメントへ行ったら、彼女も私たちのところへ挨拶に行こうとしていたところだとおっしゃるのよ。でも妹さんがいらっしゃらないから、探そうとしていたと」

「彼女たち、町には出なかったのか?」

「いいえ、おいでになったって。私たちより少し後に出て、私たちとは逆に要塞へ先に行って、そこから南に下りながらいろんなところを見て、駅へ戻ってきて……ただ妹さんは、駅員に訊きたいことがあるからというので、マドモワゼルだけ先にコンパートメントへお戻りになったの。ところが列車の出発時間が近づいても妹さんが戻ってらっしゃらないので、探しに行こうと……」

 それ、俺も同じように君を探しに行きたかったんだぜ。なのに次から次に人が来てさ。いや、別に全員相手にしなくてもよかったんだが。

「それで、駅員に訊きに行った?」

「ええ、幸い妹さんと話をしたという駅員を見つけたわ。でも、ものの2、3分で話は終わって、その後はどうしたか判らないと……」

「何の話をしたって?」

「ロンドン行きのオリエント急行エクスプレス時間タイムテーブルを尋ねられたんですって。ヴェニスまでの各駅の到着時刻と出発時刻を」

 何だか嫌な予感がしてきたな。

「それでその後……君たちは切符売り場チケット・オフィスへ行った」

「ええ、そう。どうして判ったの?」

 そんなのは初歩的なことだよ、ミセス・ハドスン。

「行ったら何か判った?」

売り場オフィスを探すのに手間取ってしまって、マドモワゼルは出発時刻が近付いたから列車にお戻りになったわ。私は売り場オフィスの係員や案内所に訊いてみたけれど、妹さんのことを憶えている人が誰もいなくて」

 君、やっぱり旅行添乗員ツアー・コンダクターの才能もあるよ。まあコンシエルジュとはやることがよく似てるんだけどさ。

「それでぎりぎりに戻ってきた」

「ええ、列車長シェフ・ド・トランがちゃんと待っていてくださったから、飛び乗らずに済んだわ」

 そういえばニュー・カレドニアでも、飛行機が出発する直前に乗ってきたよな。間に合うかどうかの目算が甚だしく正確だ。

 フットボールのプレイヤーも残り時間には敏感なんだけど、現実の時間ってのは、タイムアウトで止められるゲーム・クロックよりシビアだからなあ。

「今さら訊いてもしかたないことだが、コンパートメントで過ごしている間や観光中に、ティーラの様子が変だった、とマルーシャは言ってなかったか?」

 訊いている間に、我が妻メグが下着姿になってしまった。観光へ行った時はブラウスにスカート、それに上着とコートという姿だったので、そこからドレスに着替えるなら下着姿になるのは当然だが、見るのはとても嬉しい。

「いいえ、特に何もお気付きにならなかったと。ただ、観光から出発時刻ぎりぎりに戻ってくるつもりだったのに、少し早く帰りたいと妹さんが希望した、とはおっしゃって」

 我が妻メグが下着も脱いでしまった! 今夜のイヴニング・ドレスはダーク・ブルーなのだが、それを着るのに白のブラではいけないということか。そういうものなのか。しかしパンティーまで穿き替える必要があるか? 誰にも見えないだろ?

「つまり駅員に物を尋ねる時間が欲しかったと」

「ええ、そう」

「観光中に、それを訊こうと思い付いたんだろうか。列車の中から考えていたのなら、行く前に訊くよな?」

「ええ、そうね。どういうことかしら」

 俺にそれを推理させるのか。探偵が乗ってるから、彼女に考えさせたらどうかな。金を取られるかもしれないけど。

「観光中に、ある人物に出会った。あるいは見かけた。彼女はその人物が、パリ方面行きに乗っていると気付いたか推察した。その人物の今後の行動が気になった。どこへ行くかは判らないが、ヴェニスまでの時間を訊いてみた。こんなところか」

「ヴェニスから先の時間はどうして訊かなかったのかしら」

 我が妻メグが下着を着ける。ブラの中に乳房を入れるのは、そういう姿勢でやるものなのか。何度か見たことあるはずだけど、間近でじっくり観察したのは初めての気がするよ。

「そこから先へ行くには飛行機の方が早いだろう。ヴェニスへは朝に着いて長時間停車するから、ヴェローナやオーストリア、スイスなんかへ行くには飛行機の方が早い」

「素晴らしいわ。きっとそうね!」

 初歩的なことだよ、ミセス・ハドスン。

「マルーシャも気付いてたと思うけど、君に余計な心配をさせないように、言わなかっただけじゃないかな」

 そもそもあのマルーシャが、ティーラに出し抜かれることなんかあり得ないと思うんだよ。全てが予想どおりなんじゃないか。

「そうなのかしら。とても心配そうにしてらっしゃったけれど」

 ああ、そういうの、演技だって。彼女、二重人格者じゃないかと思うほど完璧だぜ。オペラ歌手だけじゃなく、女優も務まるに違いないよ。

「心配には違いないだろうけど、君がティーラを探しても何も判らなかったんだし、そのことをマルーシャに伝えてもさらに余計な心配をさせるだけだよ」

 下着まで着けたら、ドレスを着るのは一瞬なんだなあ。背中のジッパーを上げてほしい? いいとも。ついでに、後で下げる時もお願いしてほしいね。

「そうね。連絡はいつでもできるけれど、何か判るまでそのままにしておくことにするわ」

 んん、連絡できるのか。なぜ? 競争者コンテスタンツは遠距離通信ができないのが仕様だぜ。せいぜい同じ町の中にいるときくらいのはず。こっちから電話しても「電源を切っている」っていう自動応答が返ってくるんじゃないかな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る