#18:第2日 (4) ベオグラード観光

 あれは、確かにアルテムだった。

 駅のコンコースで、私はその姿を見た。いいえ、アルテムの姿をしているだけで、彼ではないのかもしれない。

 しかし隣にはソフィアがいた。彼の妹のソフィア。勝ち気なソフィア。兄を愛するあまり、私のことを嫌うソフィア。兄の裏の顔に気付いていない、純真なソフィア。ティーラのように清らかな心を持つソフィア。

 彼が本当のアルテムかを確かめるのは、どうすればいいだろう? おそらく偽名を使っていて、素性も隠しているはずだから、私が直接話しかけるしか方法がないのでは……

「どうしたのマルーシャ、知った人がいたの?」

 私はよほど動揺した表情を見せたのだろう。ティーラにまで悟られてしまった。しかし彼女は私が誰を見ていたかまでは、気付かなかったようだ。

「ええ、そんな気がしたけれど、どうやら人違いのようだわ。だってこんなところで会うはずがないもの……」

「あら、でも……」

 そんな偶然だってあり得る、とティーラは言いたいのだろう。既に知った顔に再会したのだから。

「ナイトさんに会えたから? でも、その上さらに知った人に会う確率なんて……」

「そうね、確かにそうだわ」

 ティーラは納得してくれたようだが、それは確率論上の詐術でしかない。10万分の1の確率の出来事が、2日連続で起こる可能性、というと低いようだが、最初の確率が実現した後なら、もう一つが起こる確率は10万分の1のままなのだ。

 ましてや仮想世界では、どんな希有な事象でも起こりうる。そういうシナリオが書かれているのだから。

 だが、実際に起こってみると、動揺せずにいられないものだということが理解できる。現に私の心臓は……

「それで、どこへ行くの?」

 ティーラが屈託なく訊いてくるので、私は思考を中断せざるを得なかった。

「あなたは自然の風景が好きだから、それが見られるところにしましょう。寒いかもしれないけれど……」

「いいえ、寒くても自然を見るのは好きよ。雪景色も綺麗だと思うわ」

「では最初に要塞へ行って……」

 そこから駅へ戻りながら町や建物を見ていけば、と提案する。ゼムン地区へ行ってガルドシュ塔に登るのもいいかもしれない。パンノニア平原にハンガリー人が入植して1000年経ったことを祝うために、1896年に建てられた。さほど高くはないので、大戦争島ヴェリコ・ラトノ・オストルヴォくらいしか見えないが……

「川の流れを見るのは好きよ。でも要塞に行ってから次を考えましょう」

「ああ、待って、ティーラ、私ったらどうしましょう。忘れ物をしたわ。少しだけ待っていて」

 駅前の電停に行く途中で、私はティーラをそこへ待たせて、プラットフォームに戻った。アテネ発ブリュッセル行き車両は既に切り離され、イスタンブールから来た編成に併結されようとしている。私たちが乗ってきた車両は、引き込み線に入れられていた。

 ブリュッセル行きの列車長シェフ・ド・トランを見つけて話しかける。ウクライナの兄妹が乗っていたはずだが?

「兄妹? いいえ、そのようなお客様はお乗りではありませんが」

 ではアルテムの方が偽名を使っている可能性がある。ウクライナ人のペアは。

「いいえ、ウクライナ人のお客様はそれぞれお一人でお乗りです。ムッシュー・コスティアンティン・チェルニアイエフとマドモワゼル・ソフィア・ルスリチェンコです」

 まさかソフィアまで偽名を使っているとは。

「ムッシュー・チェルニアイエフはどこまで乗りますか?」

「ヴェニスです。ですから、お乗りだった車両はあちらの編成へ連結されます。今、作業中ですよ」

 コスティアンティン・チェルニアイエフはアルテムが使う偽名の一つ。ではあれはやはりアルテムだったのか。車掌に礼を言い、ティーラのところへ戻った。

「どうしたの、マルーシャ、顔色が優れないようよ?」

「いいえ、大丈夫よ。きっと走ったからだわ」

 路面電車トラムに乗り、窓から見える聖サワ大聖堂や国立銀行本店、マニェズ公園などの見どころをティーラに説明する。モニュメントとして残っている旧ベオグラード本駅も。

 川沿いのプリスタニシュテ電停で下り、カレメグダン公園に入り、“クラーリの門”から要塞へ。

「黒海からずいぶん遡ってきたはずなのに、ドナウはこんなに広いのね」

 ティーラはドナウ川とサヴァ川の合流点を見て感想を漏らす。私は相槌を打ちながら、あの男性がアルテムかどうかを、どうしたら確かめられるか考える。

 しかし私でない方がいいのではないか? 仮想世界で彼が競争者コンクルサントなら、任務の時のように、私を知らないふりをするのではないか? 現にソフィアとは他人ということになっている。

 それともあれはアルテムではなく、やはり他人の空似――アルテムのアヴァターを持つNPC――なのだろうか。

 例えば、アルテムがティーラを見てどう反応するかを確かめるのはどうか。私に似た女性を見たときに、彼は何を……

「次はどうしましょうか。ガルドシュ塔へ行く?」

「いいえ、古い町並みがあれば見に行きたいわ。そして途中でカフェに入りましょう」

「お腹が空いたのかしら」

「あら、いいえ、マルーシャ、あなたこそお腹が減ってると思ったのよ」

 ティーラは本当にそう思ったのだろうか。それとも私の様子が変なので、さりげなく気遣ってくれたのだろうか。

 ダマト・アリ・パシャの霊廟テュルベ時計塔サハト・クーラを見て、スタンボル門から要塞の外へ。ミハイロ公クネズ・ミハイロヴァ通りを歩き、ベオグラード大学に近いカフェに入った。

「ティーラ、列車に戻ってからのことを少し相談したいの」

「何?」

 私の提案を、ティーラは果たして受け容れてくれるだろうか。



 通りの名になっているミハイロ公クネズ・ミハイロヴァとは、かつてのセルビア公国君主ミハイロ・オブレノヴィチ3世のこと。

 1830年、前君主である兄ミランの死により即位したが、3年後に反乱によって廃位。しかし代わって即位したアレクサンダル・カラジョルジェヴィチが亡くなると、その反対派を味方に付け、1860年に復位。オスマン帝国に対抗してバルカン連邦を構想。モンテネグロやギリシャと同盟を結び、ルーマニアと友好条約を締結した。

 しかし強権的政治と積極的外交策に反発した分権派により68年に暗殺される。現在ではセルビア随一の名君と評価されている。

 そういう近代史の講義を我が妻メグから受けながら歩いているうちに、ミハイロ公クネズ・ミハイロヴァ通りは尽きて、カレメグダン公園に到着。要塞の周囲に広がる緑地だ。

 カレメグダンとはトルコ語で「要塞の広場」の意。二つの川の合流点に向かって岬のように突き出している。西から流れてきたサヴァ川を北東向きに変えるくらいだから、よほど強固な地質から成っているに違いない。要塞化されるのも頷ける。

 公園の中の道には屋台が並び、土産物を売っている。絵はがきや缶バッジ、キーホルダー、絵皿などの他、なぜかサッカーのジャージーが多い。セルビア代表はそんなに強かったのだろうか。なぜオフィシャル・ショップで売らないのかと思う。

 そのうちに“フランスへの感謝の記念碑”が建つ広場に出て、正面に要塞の壁が見えた。しかしそこからは入れず、西側の壁に沿って歩く。無名戦士の墓を過ぎ、“日本の泉”というシシオドシのようなモニュメント――日本からの経済支援に対する感謝の印――の先に、“クラーリの門”がある。意匠は地味で、王の由来はよく判らない。

 空堀を石橋で越えて門をくぐると、“勝利ポペドニク”の像が建つ広場。第1次世界大戦でのセルビア王国の勝利を記念したもの。右手に剣、左手に鳩を持っている男の像だ。ただし46フィートの尖塔の上に立っているので、顔などはよく見えない。

 そこから北西を見るとドナウ川とサヴァ川の合流点。それに大戦争島ヴェリコ・ラトノ・オストルヴォ。合流点にある中州だ。緑の多い島だが、雪で白く覆われている。

 実際にセルビア王国とオーストリア・ハンガリー帝国との戦争の時に、帝国側が砲撃に使ったのだが、足場が悪くてあまり役に立たなかっただろうな、というのは今でも島内に建物がほとんどないことから想像できる。

 それから要塞の真ん中辺りへ。赤い屋根の、六角形の石の小屋が建っている。ダマト・アリ・パシャの霊廟テュルベ

 ダマト・アリ・パシャは18世紀のオスマン帝国の大宰相ヴェズラザム。当時ベオグラードを含むセルビアはオスマン帝国領で、1716年にはオーストリアと戦争が始まった。

 アリ・パシャはベオグラードからオーストリアに攻め入り、北西約70キロメートルのペトロヴァラディンまで侵攻したが、そこで敵将プリンツ・オイゲンの反撃に遭い戦死。軍勢はベオグラードへ敗走した。その死を悼んで建てられたのがこの霊廟テュルベ

 さらに東へ行って時計塔サハト・クーラ。その下に門があり、抜けると軍事博物館へ行けるのだが、そこは見ずに、北東のジンダン門から出ることにする。なぜかというとそこが一番古びていて、門の両脇に建つ二つの太い石塔や、それに続く木の橋がいい味を出しているから、という理由。

 全て我が妻メグの提案に従ったものであり、彼女は一度ここに来たことがあるのではないかと思うほどよく知っている。

 ジンダン門をくぐり、その下のカール6世門へ。ポータルの上に彫られた紋章が壮麗だ。その先のヴィディン門を抜けると、路面電車トラムの電停がある。5系統と10系統の終点。ちょうどやって来た電車に乗って、四つ目で降りると、最後に行くことにしていたスカダルリヤ地区のすぐ横。さすが我が妻メグの計画、見事なものだ。

 スカダルリヤは元は流浪の民が住み着いて、“ボヘミアン地区ボヘムスカ・チェトヴルト”と呼ばれていた。後に水路が造られた際、アーチ橋にスカダル――現在のアルバニアの都市――と名付けられ、それが現在の地名となっている。

 そういう細かい知識はさておき、夕暮れが迫るスカダル通りスカダルスカ・ウリツァを歩いてみる。ミハイロ公クネズ・ミハイロヴァ通りは四角い石畳だったが、ここは丸石を敷き詰めてある。モンマルトルもそうなのか、行ったことのない俺には判らないが、我がパリジェンヌが機嫌よくしているので似たような雰囲気なのだろう。

 レストランやパブが軒を連ね、寒いにもかかわらず屋外席オープン・エアで食事している恋人たちもいたりする。

 ゆっくりすると言っていたからには、どこか店に入るのか、と思っていたらさにあらず、我が妻メグは道端の石の上に捨ててあるかのように置かれた薄汚れたブロンズ像を見つけて、眺めている。

「ジュラ・ヤクシッチという詩人の像よ。画家、作家、劇作家でもあるの。“100人の著名なセルビア人”の一人。ここに住んでいたんですって」

 像が座っている後ろの、うらぶれた感じの家がそれだった。今は記念館にでもなっているのだろうか。

「俺も将来“100人の著名なイリノイ州人イレニワ”に選ばれるように頑張るよ。そうしたらレイク・フォレストの生家の前に像が建つかもしれない」

「下見したいから、合衆国に帰った次の週末に連れて行ってくれる?」

「いや、スーパー・ボウルが終わってからだ」

 昨日だってプレイオフが見られなくてやきもきしてたんだ。もちろん、俺にとっては全て過去のゲームだから、展開も結果もだいたい解ってるんだけど。

 その後も店へは入らず、通りを右往左往しているうちに日が暮れた。ライティング・アップされた光景もなかなかの風情だが、そろそろ駅へ戻ることにする。

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