#17:第6日 (9) 落ちた駒鳥

 シミュレイション中の駒鳥クックロビンの、意外な挙動について、4人の観察者は固唾を呑んで見守っていた。誰もが「まさか」という思いだったろう。彼女の場合、起こりえないと言ってもよかった。

 だが、アビーは自分の役割を思い出した。ここは、各自の感想を訊くところだ。そしてこの意外な現象が発生した時刻とを、後でパトリシア・オニール博士に報告しなければならない。

 もちろん、今でもできるのだが、エリックが気付くかもしれないので……

駒鳥クックロビンは活動を停止していますから、その間にそれぞれのご意見を伺いましょうか。まずミスター・レッドから」

「油断だろう、と言わせたいですか? うん、そういうことにしておきましょう。ミセス・ボナンザをかばう必要があったとはいえ、多勢に無勢だし、隙が多かったというのもあります」

「隙、ということは、やはり動きに迷いがありましたか?」

 そう、アビーは確かに見た。駒鳥クックロビンの動きは明らかにおかしかった。

 普段の彼女の動きは悠揚としている。それはいかにもオペラ歌手らしいものだ。しかしいざとなると――それはほとんどの場合、格闘の時だが――驚くほど鋭い動きを見せる。真の顔である、諜報員としての体術だ。二つの“顔”の切り替えも一瞬だし、何より迷いがないのが特徴。

 だが今は違った。オリヴァーの言ったとおり、隙があったのだ。ただ、その隙を突かれたというよりは、わざと見せたのではないかという考え方もあるが……

「間違いなくありましたね。視線の動きを確認しましたが、相手を見て躊躇したように思われます。彼女の場合、相手を見てから動きを切り替える時でも、その判断は驚くほど速いのですが、今回は違っていました。思考に何か混乱があったようですね」

「詳しく解説してもらえますかしら」

「私も彼女の思考の全てを理解しているわけじゃないですが」

 オリヴァーは軽く咳払いをしてから続けた。

「例えば突然危機に陥った場合ですね。もちろん相手を殴るなり蹴るなりして、窮地を脱しなければならない。その際、相手に加える打撃の程度まで、彼女はあらかじめ頭の中で準備してから行動していると思うのです。もはや習慣化していて、半ば無意識でしょうね。だからそこに混乱が起こるとすれば、“相手が誰か”ということです」

「想定外の相手がいたということでしょうか?」

「そう。相手が知っている誰かなら、どうするか。知らないなら、こうするとか。全部決めてあると思うのですね。だからその条件に当てはまらない人物を、彼女はそこに認めたということになります。それはつまり彼女の知っている相手であって、しかしその場に絶対にいないはずの誰かであると」

「しかしデータを見る限り、そのような相手がいたとは思えませんが」

「さあ、それですが、彼女が記憶している顔を、我々は全て判っているわけではありません。もしかしたら非常によく似た人物だったのかもしれない。もちろん、アヴァターのことを言っているわけですが」

「なるほど。ではミス・グリーンは何かご意見は?」

 アビーは向かい側のトリッシュに問いかけたが、彼女の顔はホログラムに隠れていて見ることができない。

「思考の混乱……躊躇はしたと思いますが、最終的に彼女は、打撃を受けることを選択したのだと思います」

「判断する間もなしに、ではなくて?」

「はい。元々、彼女は今夜、船の中を探索するつもりだったでしょう。そのために準備をしていました」

「確かにそれは明らかですね。では、人目を盗んでそれを実行するのではなく、囚われの身になったと見せかけて、行動を起こすことを選択したと?」

「そうです」

「どのような利点があるでしょうか」

「利点が必要ですか?」

 訊き返してきたトリッシュの声は、いかにも意外そうだった。

「彼女の動きは基本的に全て計算ずくですし、しかもあなたは“選択した”というご意見ですから、その選択にも何らかの計算が働いたはずですね? それは何でしょうか」

「……それが何かは、私の中でも考えがまとまっていないのですが……」

「どうぞ、今お考えになっていただいて結構ですよ。時間はあります。シミュレイションの中で、駒鳥クックロビンはあと1時間は起きませんから」

「…………」

 しばらくの後に、トリッシュが口を開いた。

「……他の競争者コンテスタンツを油断させるため、でしょうか」

「3人のうち誰を?」

「もちろん、3人全員です」

「襲撃した中折れ帽ブリム・ハットと、後から加担したカラムスは解りますが、事情を知らないボナンザも油断するでしょうか?」

「彼女が適切に釈明すれば、それを信用するでしょう」

「なるほど。ですが、ミセス・ボナンザを巻き添えにしたことについて、釈明が可能でしょうか」

「ボナンザも同じ状況に陥っていることですし……」

「ミスター・ブルー、可能と思いますか?」

「最後までグリーンに訊かず、僕に意見を求めるの?」

 エリックは楽しそうに言った。もちろん、楽しかったに違いない。彼が何かをしたことで、駒鳥クックロビンは思考に混乱をきたし、現在の状況に陥ったはずだから。それは彼の狙いどおりだったろう。

 もちろん、“現在の状況に陥ること”はなく、“思考に混乱を来すこと”が確認できたのが、彼の狙いだ。

 シミュレイションにおいて、競争者コンテスタントの思考を乱すように誘導することは、ままある。しかしそれは、全観察者の合意の元に、という条件が付いている。

 今回は、エリックが独断で、密かに行った行為が原因だ。それは許されることではない。が、アビーとオニール博士の意図どおりでもあった。オリヴァーとトリッシュに気付かれてはならない。

「ブルーとして、どちらの考えを支持しますか?」

「オリヴァー、もとい、レッドだね。今回のは、完全な油断」

「その根拠は」

「打撃を受けた位置が問題。グリーンの言うような、考えた上でなら、もっと適切な位置にしたと思うんだ。脳への影響が少なくなるような位置にね。彼女ならできるはずだよ。何なら急所を外して、気絶したふりをしてもいいしね。でも明らかにそうじゃない」

「なるほど。では何が彼女の思考を乱したかについては?」

「それはレッドと同じ。“そこに幽霊ゴーストを見た”と言い換えてもいいね」

幽霊ゴーストは誰でしょうか」

「さあ? 視線検知をしてみてもいいけど、彼女の場合、常に視野を広く取っているから、誰を見ていたのかは特定できないと思うね」

 しかしアビーは念のために、“問題の瞬間”の駒鳥クックロビンの視界をホログラム・ディスプレイに再現した。複数の人物が映っているが、視線の先が誰とは特定できない。

 ただ、駒鳥クックロビンが見間違うとしたらウクライナ人に違いないのだが、それに類する顔はない。判っているのは、ある時刻に――アビーが再現している時刻に――駒鳥クックロビンが“幽霊ゴーストを見た”ことだけ。

 そしてその瞬間に、エリックが何をしたかも、は判明している。駒鳥クックロビンは人物の顔に反応したのではなく、に反応したのだ。またそれは、その場で誰かが言ったのではなく、エリックが駒鳥クックロビンの仮想記憶に流し込んだものであることも。

「ではこの後の展開を予想していただきましょうか。船を脱出するところまでで結構です。ミス・グリーン?」

「難しいですね。全ての持ち物も、服も奪われた状態ですから」

「本当に、どうしてそんなひどいことをするんでしょう。女性競争者コンテスタントは、特に同性に厳しいことが多いですね」

 そしてアビー自身も、この状況で先を予想させるのは、トリッシュに対して厳しいかも、と思った。

 だが、予想は外れたって構わないのだ。グリーンとしては、楽観的なことを言ってしまえばいい。そして駒鳥クックロビンは必ずや、グリーンだけでなく他の3人の予想を上回る、巧妙な脱出方法を考え出すだろう、と思われる。期待している、と言い換えてもいい。

「まず、縄の切り方ですが、下着に……ブラの後ろの部分に、カミソリの刃が仕込まれていたのでは? それで切るでしょう」

「裸にしてしまわなかったのはカラムスが見せた一片の同情かと思いますが、それを逆用するのですね」

 駒鳥クックロビンは素晴らしく大きな胸の持ち主なので、ブラジャーはそれを支えるために、バック・ベルトの幅が広い。彼女はそこに、カミソリの刃だけでなく、いろいろな小道具ガジェットを装備しているのだった。もちろん、仕込みがあるのはそこだけではない……

「それからドアは……同じくブラのワイヤーで開けられるのではないですか」

「これまでのステージでその実演を見せたことはありませんが、できると考えられますね」

「船室から出られたら、船を出るのも簡単ですから……」

「船の中を探索するつもりだったのでは?」

「もちろん、すると思います」

「アビー、じゃなくてグレイ。グリーンに自由にしゃべらせてあげなよ。今のは、まるで君が誘導しているように聞こえるよ」

「あら、失礼しました。ではしばらく黙りましょう。ミス・グリーン、どうぞお続けになって」

「もちろん、船倉へ下りると思います。そこにターゲットに関する最も重要なヒントがあると、確信しているでしょう。そして……」

 トリッシュは、また考えている。相槌を打ってあげる方が話しやすいのではとアビーは思ったが、黙っていることにした。エリックの動きも続けて観察しなければならない。

「……そして、アリアドネに会うことができるでしょう。その際、他の競争者コンテスタンツと鉢合わせする可能性もありますが……」

「失礼、ミス・グリーン、お忘れですか。船倉は時空間分離領域です。鉢合わせはあり得ません」

 ゲームに使用する仮想空間は、一つではない。一部の領域をコピーして、競争者コンテスタントごとに与え、同時進行でプレイすることが可能になっている。それが時空間分離。そこに登場するNPCノン・プレイヤー・キャラクターは共通だが、競争者コンテスタントごとに別の言動をとる。

 ただし、特定の行動については、時系列のイヴェントに従うこともある。「さっき誰それと会って、こんなことを話した」などだ。シナリオによっては、それが嘘である場合――誰とも会っていないのに「会った」と話す――もある。

 空間がつながっているのは、その出入り口だけだ。

「そうでした。なら、彼女は、よりうまくやるでしょう」

「一つ、指摘したいことが」

 オリヴァーが口を開いた。レッドとして、だろう。役割上、アビーが「何でしょうか?」と発言を促す。

駒鳥クックロビンはボナンザと競合していますから、彼と鉢合わせする可能性はありますね。仕様上そうなっていますし、現にシナリオにもあります」

「あらっ!?」

 アビーは思わず驚きの声を上げてしまった。完全にうっかりしていたのだ。

「鉢合わせしない方が面白いけどね」

 エリックが呟く。彼としては、そうなのだろう。その方が、駒鳥クックロビンの“思考の混乱”の影響を見届けやすいから。ボナンザと一緒だと、駒鳥クックロビンが冷静さを取り戻す可能性が高い。

「大変失礼しました。ミスター・レッドはどうお考えですか。鉢合わせについて」

「同様に、ない方がいいと思いますね。彼女の行動基準が変わってしまいます」

「了解です。では、駒鳥クックロビンの覚醒まで時間を飛ばして、続きを見ていくことにしましょう」

 アビーはシミュレーターの時間を進めた。日付が翌日に変わった。彼女の前に、ボナンザが動き出したようだ。

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