#17:第6日 (10) 素顔の女

 目を開けたが、何も見えず。後頭部が痛い。

 ひどいもんだ。こんな仕打ち、仮想世界で2度目だ。誰に殴られたんだ?

 背の高さから考えて、中折れ帽ブリム・ハット野郎ガイかなあ。帰ったふりして、どこかに隠れていたのか。

 1度目のことは考えないでおこう。ずっと後の、夜のことまで思い出してしまう。いや、ダメだ、もう思い出してしまった。アリシア上等兵ランス・コーポラル。ああ、あの仕事ジョブ! うーむ。我が妻メグと何度身体を重ねても、忘れられないものなのか。

 ええい、こんなこと考えてる場合じゃない。身体は? 縛られてないな。どこかバネの利いたところに、うつ伏せに寝転がされているだけだ。おそらく、シーツを敷いていないベッドだろう。

 クロニスの船にいたんだったか。じゃあ、使ってない客室だな。埃っぽいから。

 起きて、辺りを見回す。微かな灯り。どこだろう。船室だとすれば、丸窓がある? 手探りでベッドの端を確かめ、床に足を下ろす。低いな。客室用じゃないだろう。とすると、船員室か。なら、舷側じゃなくて内側の、窓のない部屋もあり得る。きっとそうだろう。

 ジャケットの内ポケットを探る。ペン・ライトを入れてきたはずだが、なくなっている。俺を殴ってここへ放り込んだ奴が、抜き取ったんだろう。

 腕時計スマート・ウォッチもなければ、スラックスの尻ポケットの財布もない。財布はともかく、時計を奪われたのは痛いな。あれがないと退出できない。何とかして取り返さないと。

 手探りで部屋の中を調べたいが、うっかり触ると危ないものもありそうで、ちょっと躊躇する。とにかく、灯りを探そう。使っていない部屋で、電源を切ってあるとしても、火災報知器くらいは稼働してるだろう。

 天井を見る。確かに、緑の小さなパイロット・ランプが灯っているが、あんな物では部屋全体が見えるようにならないよな。

 さて、火災報知器で思い出したが、俺はライターを持って来たんだった。マルーシャから「メグを連れて行くな」という忠告を受けたので、いざというときの用意をいろいろとしたんだ。

 もちろん、普通にポケットに入れていたのでは、ペン・ライト同様、抜き取られてしまっただろう。だからちゃんと隠してある。ライターは左の靴の踵。

 靴を脱がされてたら洒落にならないところだったが、ちゃんと履いている。踵を確かめる。あった。STデュポン。このライター、久しぶりに使うよな。点火。ちゃんと灯った。真っ暗だっただけに、目も眩む明るさに見える。

 部屋の中を見回す。狭い。やはり船員用か。OK、いったん消す。

 暗闇の中で、この後の行動を考える。もちろん、この船室から出るのが第一。そしてどのレヴェルにいるのか確かめること。おそらく、使っていないというレベル3以下だろうが、正確に知らなければならない。

 次に、脱出する。当然ながらどこかに階段があって、上がればプロムナード・デッキに出られるはずだが、それだけでいいのか、がポイント。

 何をしていてこうなったのかも、思い出さなきゃならない。我が妻メグを探してたんだよ。上の船室に囚われているかもしれないが、こちらの可能性もあるはずだ。なぜなら、、ぶん殴られたと考えられるから。

 同じ奴の仕業だとすれば、監禁場所を分けるはずはない。そしてそれは、船の関係者ではないかもしれない、ということだ。

 まあ、ソクラテスが我が妻メグを奪うつもりで、俺をこんな目に遭わせたのかもしれないって可能性も、わずかながらあると思うけど。

 とにかく、上に脱出するだけではいけない。このレヴェルも、下も探す。使ってないらしいから、真っ暗だろう。構造も解ってないし、迷路のように入り組んでるかもしれない。部屋もたくさんあるはず。ダンジョンだな。前回のステージの、オンライン・ゲームを思い出す。

 思い出したついでに、この部屋にも何かアイテムがあるか、確認しておこうか。ないとは思うけれども。

 再びライターを点火する。部屋の中にはベッドの他、机と戸棚と簡易洗面のみ。手洗いレストルーム風呂バス・ルームもなさそう。共用だろうな。

 まず机の上。埃だらけ。抽斗を開ける。空だった。戸棚の中も空。探索終了。ゲームにもなりゃしない。せめて非常用の懐中電灯フラッシュ・ライトくらいあってもいいのに。

 ああ、そういうのはベッドの脇とか壁の下の方とかにあるんだったか? その辺りを探す。ベッドのヘッド・ボードの近くの壁から、小さな板状の物が突き出しているが、これが懐中電灯フラッシュ・ライトがあった跡だろう。ここに挿してあって、抜くと電池が接触して点くようになってたんだ。

 だが、船室にはなくとも、廊下にはあるかもしれない。普段は使っていなくても、非常時に備えて消火器などと一緒に残されていることも考えられる。

 というわけで部屋を出たいのだが、ドアの外で誰か見張っているだろうか?

 俺を拘束せずにベッドへ転がしておいたということは、抜け出さないように用心しているということを意味する。第一の用心が見張り、そして第二は……

 とにかく足音を立てないようにドアに近付く。床はリノリウム、俺は革靴なので、どんなに気を付けても微かな音を立てるが、しかたない。

 ドアに耳を近付け、外の様子を探る。3分待つ。息遣いの音さえ聞こえない。洞窟の中のように静かだ。これで船が動いていたら、エンジンの音で何も聞こえないところだったな。今は電源のための最小限に抑えてあるから、静かなのに違いない。

 では、ドアを開けてみよう。ドアノブを捻る。押しても引いても開かない。錠がかかっているようだ。

 ノブの上に鍵穴が? どういうことだ。普通は内側からサムターンでかけるんだろ。

 ははあ、解った。ここは隔離部屋か何かだろう。外からも錠が掛けられるようになってるんだ。

 だとすると、この鍵の構造は簡単。レヴァー・タンブラー錠に決まっている。そしてピッキングで簡単に開くというわけだ。

 ピッキング! ずいぶん久しぶりだ。いつ以来だろう。イタリアか? あの金庫の錠は大変だったなあ。それに比べたらこんな錠なんて、おもちゃのようなものだ。

 そしてピックとテンションも、ちゃんと持って来てるんだよ。右の靴の中に。俺をここへ閉じ込めた奴は、靴を脱がすべきだったな。まあ、念のために靴の中だけじゃなくて、ネクタイとスラックスの裾にも仕込んできたんだが。

 ピックを取り出し、鍵穴を探る。はい、開いた。しかし、錠を掛けたということは、外に見張りはいないよな。

 それでも念のために、ゆっくりとドアを開ける。幸い、音は鳴らなかった。外も真っ暗。だが思ったとおり人はいない。

 ライターは、点けておくとこちらのになってしまうので、いったん消す。

 さて、俺は今どっちを向いているのだろう。廊下は船首から船尾へ続いているとして、前を向いているのか、それとも後ろか。

 これが普通の客室なら、ドアの内側にフロアの見取り図があって、船室の位置と避難経路が明示されていたりするのだが、船員室、まして隔離部屋ではそんなことはあるまい。現にさっき、ドアの内側をライターで照らした時は、一面白塗りの鉄扉にしか見えなかった。

 やはり、誰かに気付かれるかもしれないリスクを抱えながら、ライターを使うしかないのか。

 そもそも、ペン・ライトじゃなくてライターってのが不便なんだよ。ペン・ライトなら口でくわえて両手が使えるけど、ライターじゃそういうわけにはいかないから、必ず片手が塞がる。

 しかたない、一瞬だけ点けよう。ただし、足元を見る。普段使ってないのなら、部屋の中と同じく、廊下にも埃が積もっていたはず。誰かが俺を運んできたということは、そいつらの足跡が付いているということだ。その足跡をたどれば、少なくとも出口へ向かえるだろう。さらに奥へ進むかどうかは、それが判ってから考えればいい。

 しゃがみ込んで、ライターを点け、廊下を照らす。思ったとおり、埃の上に足跡。かなり多いな。当たり前か。俺を運ぶには、二人は必要だったろう。しかし往復を考えても、3人分以上はありそうだ。そして廊下の先で、足跡は隣の部屋へ? その向かい側にもか。

 どちらかに、我が妻メグが監禁されているんじゃないかな。だがもう一人は誰だ。今夜のゲストだろう。マルーシャ? まさか。彼女がそんな下手を打つなんて考えられない。

 とりあえず、どっちから開けるか。向かい側からにしよう。おそらく、そちらは舷側の部屋だろう。うまくすれば、船の中の位置が判るかもしれない。

 ライターを消し、暗闇の中、ドアの位置を手で探る。あんなにわびしい光でも、明るさに目が慣れてしまって、夜目が全く利かない。

 ドアノブの上に、鍵穴。もちろん、真っ暗でも開けられる。ほんの3秒。ゆっくりとドアを押す。

 部屋の中が、薄明るい。思ったとおり舷側で、窓のカーテンの隙間から月明かりが射し込んでいた。

 中に踏み込む。ベッドにシーツが掛けてあり、その中央が膨らんでいるのが判る。誰かがそこに寝かされているということだ。まさか我が妻メグか。

 カーテンを開けて、明るくしよう。我が妻メグでなかったとしても、ここへ監禁されているのなら、助けた方がいい。

「んんー!」

 開けた途端に、明るさを感じたのか、シーツの中から呻き声が聞こえた。声の高さから言って、女。猿ぐつわを噛まされているのか。

 膨らみを見て、頭の辺りに掛けられたシーツを、さっと剥ぐ。短髪で、ギリシャ系だが、女のような男のような……え、テオか?

 なぜテオがこんなところに。とりあえず、猿ぐつわを外してやる。

「み、見ないで下さいっ!」

 ……いきなり何言ってんだ?

「ヘイ、テオだよな?」

「そ、そうですけど、お願いだから、僕を見ないで下さい……」

 だから、何言ってんだって。なぜ見てはいけない。ここは黄泉比良坂の帰り道じゃないんだぜ。

 それにしても、細い肩だな。まるで女のよう。シーツは胸元の辺りまでまくれているが、大胸筋はほとんどないのに、わずかな膨らみ……

 膨らみ? おい、まさか。

「ヘイ、本当にテオだよな?」

「ああっ! お願いだから、そんなに見ないで下さい……」

 何てこったいグレイト・スコット! ハンガリーの時はジゼルが女だってちゃんと判ったのに、ここではどうして気付かなかったんだ?

 男だってことを、徹底的に隠して、俺に近付いてきたのか。どうしてそんなことをしたか知らないが、テオと一緒にいると我が妻メグが嫉妬のような態度を見せた理由が、今ようやく解ったよ。

「OK、テオ、なるべく見ないようにするよ。しかし、手足を縛られてるんじゃないのか? それをほどくためには、シーツを全部まくらなきゃならない」

「それは……もちろん、そうですが……」

「そんなに恥ずかしがることはないじゃないか。昨日や一昨日は、女の姿を俺に見せたかったんだろう? フェードラとして」

ああ、神様オー・セー・モウ! そうですけど、こんな形で知られたくなかったのに……」

「話は後で聞くよ。とりあえず、手足を自由にしなきゃあ」

 気を使って、胸元から膝まではシーツで隠してやる。後ろ手に縛られたのをほどき、足首もほどく。手は細く女らしく、足首からふくらはぎの曲線も美しかった。尻は小さかったけど。

 手は手袋で、脚はスラックスで隠してたんだよな。どうしてそんなことしてたんだか。

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