#17:第4日 (2) マリア遺跡
ホテルに戻ってくると、テオが待っていた。「部屋でシャワーを浴びてくるからレストランで待っててくれ」と言ったら、なぜかくすぐったそうな顔をした。よく解らない反応だ。
シャワーを浴び、着替えてレストランに行く。テオが一人で座っているが、テーブルの料理は二人分。「君が用意してくれたのか」とテオに訊くと「いいえ」。どうやら俺の分は
その
「式がだいぶできあがってきました。データも集めているところです」
テオがやけに嬉しそうに言いながら、紙に書いた式を見せてくる。タブレットかラップトップを使えばいいのに、と思うが、紙とペンを使うのが好きなのかもしれない。
「ところで今朝、ビーチをランニングしていたら、君によく似た顔の女性を見かけたんだが、あれは君の妹?」
「どこです? この近くですか。なら、妹ではないです。彼女が船から下りることは滅多にありませんから。しかも、ここは船から遠いですし」
じゃあ、あれはいったい誰なんだ。テオに訊いても、「さあ?」と首を捻るだけ。仕方がないので議論を続ける。
スクランブルド・エッグを口に放り込みながら、コンピューターで計算しやすい式への変形をあれこれ教えてやる。テオがそれを書き留める。テオはパン・ケーキを少しかじり、コーヒーを一口すすっただけ。朝も少食だった。
8時45分、会場へ向けて出発するバスを見送る。俺と
「空港からコンヴェンション・センターまでのタクシー代を払わせて申し訳ないが」
「いえ、構いませんよ。……あなたとの議論の方が大事ですから」
なぜテオが照れながらそういうことを言うのか解らない。憧れのフットボール・プレイヤーに接するファンの気持ちだろうか。
タクシーでは
「ここから先はずっと一緒じゃないか。どうしたんだよ」
「あなたとミスター・クロニスが議論をしているのを見ると、何となく羨ましくて」
「君も議論したければするよ。好きだろ、そういうの」
「そうだけど、
俺と財団の連中が話していても拗ねたりしないのに、テオのときだけどうしてなんだ。それに俺は、
集合場所は国内線のクロニス航空のカウンター。行くと、既に十数人が集まっていたが、まだ全員ではないようだ。9時半頃には全員集まったようで、そこへソクラテスとプラトンが現れた。「私も同行する予定だったのですが」とソクラテスは皆に向かって言う。
「急用が入ったので、船で仕事しながら行きます。昼頃にはミコノス島に着く予定です。それまでは弟のプラトンが皆さんを案内します」
そしてソクラテスはさっさと帰っていった。忙しいのに、空港までそれを言いに来たのか。プラトンに伝言だけするのは、ツアー客に失礼、とでも思ったんだろう。実業家はそういうところに気を使わないといけないので大変だ。
「私の自己紹介とツアーの案内は飛行機の中でしますので、まず皆さん搭乗手続きを」
プラトンがてきぱきと指示をするが、態度に多少横柄なところを感じる。兄貴ほど人間ができていないようだ。それとも俺の偏見かな。
手荷物しかないので搭乗手続きはすぐに終わり、
そして登場が終わり次第、すぐに出発! 空港管制すら便宜を図ってくれるとはたいしたものだ。飛行機が滑走路へ移動している間に、プラトンが前に立って、自己紹介をする。乗務員しか席を立ってはいけない時間帯のはずなのに、代表なら何でもありか。
自己紹介の後は、ツアーの概略。といっても、午前中はミコノス島を回り、昼食の後、デロス島へ船で行って、夕方に帰る、と実に簡単な説明。
それで終わりかと思っていたら、プラトンが俺の席へやって来た。
「ナイト夫妻にお願いがあります」
「
「現地での案内を、私と兄でやる予定だったんだが、兄が本当に追い付いてくるか心許ないので、アシストをお願いしたい。ミコノス島は私一人でできると思うんだが、デロス島は広いので二班に分けようと思っている。兄がもし来ないようなら、一班の案内をミセス・ナイトにお願いしたい。兄に依れば、昨日もアシストいただいたそうで、兄はあなたが大変有能で、助かったと言っていました」
「お受けしますわ」
「有能な方だと思うわ」
「依頼の仕方が事務的だったが」
「それはこちらを信頼してくれているからだと思うの」
今日は“彼”がいない。リタと共に
行くこと自体が、ターゲット獲得の条件になるだろうか。それはなさそうだ。少なくとも、スペンサー・ヴァンダービルトはツアーの参加資格がない。であれば、クレタ島にいたままでもよくて、どこかで同様のヒントが得られるということになる。
それはどこか。もちろん遺跡だろう。島の南、ファイストス、ゴルテュス、アヤ・トリアダは手頃な距離だが、考古学者なら初日か二日目には訪れただろう。であれば、マリアはどうか。イラクリオンから東へ35キロメートルほど。やはり手頃な距離だ。私もそこへ行ってみることにする。
他に代表的な遺跡は、島の東端のザクロスがあるが、170キロメートルも離れている。午後にはぜひ聞きたいセッションがあるので、午前中だけで帰って来られるところなら、やはりマリアだ。
イラクリオンからマリアの中心部へは、バスが頻繁に走っているが、遺跡は中心部から東に5キロメートルも離れている。どんな交通手段があるか不明なので、レンタカーを借りることにしよう。
空港前のレンタカー・オフィスでハンナ・エレンスカのパスポートと国際免許証を提示した。世界会議に参加していて、空き時間に遺跡を見に行くのだと言うと、快く車を貸してくれた。
島を東西に走る幹線道、90号線を東へ。わずか20分で到着してしまう。平凡な耕作地の中に、場違いに見える大きな白い屋根が架けられているが、それが遺跡サイト。もちろん駐車場もある。だが、まだ朝が早いから、他の観光客はいないようだ。季節外れでもある。
ミノア文明の特徴である大きな長方形の広場の周りに、建物の礎石が残っている。クノッソスとは異なり、復元はほとんどなされていない。特徴は、宮殿南西にある巨大な
宮殿エリア以外に、居住区もある。そちらへ行くと……スペンサー・ヴァンダービルト。やはり彼はここにいた。以後、彼のことを記号化して、SVとしよう。
屋根の下で、遺跡の脇にしゃがみ込み、構造を調べていたようだが、私の足音を聞きつけて振り向いた。端正な顔。口元に微かな笑みを浮かべているが、何も言葉を発しない。私のことを憶えていないのだろうか? まさか。
「
「私もあなたをお見かけしましたわ、プロフェッサー・ヴァンダービルト。そして私はあなたに名乗りませんでした。私の隣にいた方、ミスター・クロニスが名乗って、あなたとお話をしたのです」
「
「ハンナ・エレンスカです。ポーランド電力
「いい名前だ。それで、ここへは何をしに」
「もちろん、マリアの遺跡を見に」
「一人でかね」
「世界会議へも私は一人で参加したんです。だから一緒に行動してくれる人がいないんですわ」
「それはそうだろう。しかし、遺跡を見に来たとは思えないな」
この時になって、SVはようやく立ち上がった。しかし身体は私の方へ向けず、首だけを向けたまま。
「どういうことでしょう?」
「僕に会いに来たんじゃないのかね」
「いいえ、あなたがここにいるなんて知りませんでしたわ」
「知らなくても、ここにいるんじゃないかと思って来たんだろう?」
「おっしゃることがよく解りません」
「いや、君の目は『解っている』と答えている」
やはり、気付かれていたようだ。
「でも、あなたにお話ししたいことは何もないんです」
「すると僕の行動を監視しに来た? うむ、それならもっと見つかりにくいように行動するだろうな。わざわざ正面切って来るなんて愚を、君のような聡明な女性が冒すはずがない」
SVは顔を遺跡の方へ戻した。俯いてはいるが、目はどこも見ていないだろう。
「そうか、それでも構わないんだな。君は僕がここにいることだけを確認しに来た。ここにあるヒントに、僕が気付きそうか。
「結構なことですわ」
「しかし、僕の邪魔をするつもりもないんだろう。この遺跡に関しては。何しろ僕の方が先に来たんだから。もちろん僕も君の邪魔はしない。ここではね。だが他ではどうか判らない。それは君も解っているだろう」
「
「おやおや、
「遺跡を見てもよろしいですか?」
「さっきそう言ったよ?」
「
SVの後ろを通り過ぎて、もう一つの屋根の下へ行く。ここでもいいし、そこでもいいはず。見ておかなければならないのは、地面のパターンなのだ。
そしてマリアの南にはゼウスが生まれた洞窟がある。ディクテオン洞窟。そこへいっている時間はあるだろうか? 残念ながらなさそうだ。しかし、明日以降でも構わないはず。私はそう信じる。
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