#17:第4日 (3) ミコノス島観光

 飛行機は40分ほどでミコノスの空港に着いた。外へ出るとちゃんとバスが用意されていて、それに乗って市街地へ。10分もかからない。市街地、といっても島の西に固まった狭い集落だ。サントリーニ島の集落よりは広いが、白い壁の家が密集して建っているので、景色としては似たようなもの。

 バスを降りて、まずカト・ミリの風車を見に行く。西の海岸沿いの、ちょっと小高くなった丘の上に、白い風車小屋が5基並んでいる。高さは10フィートほどと小さく、藁で葺いた三角錐の屋根が特徴。

 奇妙なのが風車で、自転車の車輪のように、リムスポークがあるだけ。これでは風を受けて回らないではないか。おそらく、かつてはスポークに帆を張っていたのだが、今はもう使っていない、ということではないか。観光のためだけに、残してあるのに違いない。だが、多少でも金をかけて、回るように修復した方がいいと思う。

 しかしツアー客の方は風車が回らずとも、喜んで写真や動画を撮っている。この島独特のものが見られれば、それでいいということか。プラトンも、少しは説明して欲しい。風車が北を向いて建っているのは、何とかいう季節風を受けて回すためである、とか。

「ギリシャ語ではメルテミ、英語ではエテジアという季節風で回るのね。エーゲ海で夏場に吹く、乾燥した強い北風ですって」

 我が妻メグがガイド・ブックを見ながら教えてくれた。その程度なら、プラトンが解説するまでもない、ということか。

 丘の上から北を見る。弓なりの小さな湾になっていて、対岸に建つ十数件の建物が、海岸線ぎりぎりに建っている。リトル・ヴェニスというらしい。建物が薄汚れていて、大した眺めでもないのだが、夕暮れや夜になると、きっとそれっぽく見えるのだろう。

 そのリトル・ヴェニスへ向かって歩く。5分でパナギア・パラポルティアニ教会に着く。教会らしからぬ、崩れかけたような形状の白壁が特徴。さながら、廃墟になった教会に、漆喰を塗って補強しておきました、という感じ。ただ、背景に青い海を入れて写真に撮ると、それなりに様になっている。

 さて、昨夜ビッティーが教えてくれた、二つの名所は見た。他に何か?

「昼食までの1時間、自由に町を見て下さい。近くに考古学博物館もあります」

 プラトンが言った。それで案内してるつもりかよ。集合場所はこの教会の前? 仕方ない、どこか見に行こう。我が妻メグがよきに計らってくれるだろう。

「単に観光で来たんじゃない。技術ツアーだ。町の中心が、どうして島のここにあるのか、考えながら歩こうじゃないか」

 一応、それっぽい注文を付けてみる。

「そうね。それなりの広さの平地と、港に良さそうな海岸と、十分な水源があったのに違いないわ。見て回りましょう」

 さすが我が妻メグは理解が早い。しかし、本当に研究をしながら歩くわけではない。ただ、何も考えずに歩くのはよそう、という意図は通じたということだ。

 では、東へ。100ヤードほどで港に出る。ボートのための小さな船着き場と、砂浜がある。半円を描くような湾になっているが、ここが旧港。大きな客船が着くことができる新港は、1マイル半ほど北にある。こちらの方が当然、のどかな感じでいい。

 ビーチ沿いにぶらぶらと歩いてから、マトジャンニ通りを覗く。狭くて200ヤードほどしかない道だが、島内では珍しく一直線で、石畳の両側に真っ白な建物が整然と並んでいる。ベランダや階段の柵が青や赤の原色で塗られているのが目を引く。ガイド・ブックによれば、買い物できる店もたくさんありそう。

 しかし他の観光客がたくさんうろついているので、そこは避けて、さらに東へ。どこか適当なところを南へ折れて、短く、複雑に入り組んだ道を右往左往する。まるで迷路のようだが、どこを歩いても白い家だらけ。目がチカチカする。

 うろうろしているうちに、風車小屋を発見。しかし、肝心の風車がなく、白い円筒から軸が突き出ているだけ。古いので、破棄したのだろう。

 さらに足の向くまま、気の向くままに歩き、狭い通りに机や椅子を並べたレストランを眺めたり、赤い屋根の教会を見つけたり。この道の狭さと複雑さはトレドを思い出すのだが、我が妻メグには言わないでおく。世界中に行ったことがあると勘違いされても困る。所詮、仮想世界の中の、狭い範囲だけなのだ。

 大学カレッジでフットボールのゲームのために合衆国のいろんな都市へ行ったが、いずれもホテルとスタジアムの周辺しか知らない。これでは全米を知っていることにならないだろう。それと同じことだ。

 ところで、さっきから男の二人組ペアをやけに見かけるのだが、なぜだ。

「ミコノス島はゲイのための施設がたくさんあるの。ゲイ専用ビーチとか、ゲイ専用ホテルとか。だからゲイの旅行者が多いのよ」

 ゲイの聖地かよ! レズビアンの語源はギリシャのレスボス島だというのは知っているが、ゲイもそのうちミコノシアンと呼ばれるようになるのかもな。

 さらに逍遙するうちに、小さな灯台のような建物を見つけた。エーゲ海海洋博物館エイジアン・マリタイム・ミュージアム。このまま歩き回るだけで島に金を落とさないのは申し訳ないので、入ってみる。エーゲ海の海運の歴史。航海士の肖像画や船の模型がたくさん展示されている。模型はかなり精巧で、船好きにはたまらないだろうと思う。

 女性の肖像画もある。マント・マヴロニアスは裕福な商人の娘で、ギリシャ独立戦争のために多額の私費を投じた人物。海賊を撃退するために船を買い、船員を集め、戦闘の指揮もした。港の近くの広場に石像が建っている、ということだが、どうやらさっき通ったときは見逃したらしい。

 もう一人、ラスカリナ・ブブリナ。ギリシャ海軍の司令官。もちろんギリシャ独立戦争でも活躍した。私費で3隻の戦艦を建造し、そのうちの1隻『アガメムノン』は18門の大砲を備え、独立戦争に参加した船の中で最大。死後、ロシアのアレクサンドル1世がロシア海軍の“名誉提督”の称号を与え、世界初の女性提督となった。ギリシャの紙幣と貨幣の両方の肖像になったことがあり、ギリシャの近代史上最も有名な女性の一人。

 こういう画期的エポック・メイキングな歴史を、こんな小さな島の博物館で知ることになるとは思わなかった。合衆国民である俺も、独立戦争のことには興味が湧くから。

 我が妻メグはどうなんだろう。オーストラリアは独立戦争をしてないよなあ? 女性としての共感はもちろん持っているだろうけど。


 昼食の時間になったので、集合場所の風車前へ行く。プラトンの案内で、港の近くのレストランへ入った。戸外オープンエア席がたくさんある。店の名前がギリシャ文字なので読みにくい。面倒なので読まないでおく。我が妻メグが憶えていてくれるだろう。

 代金はこちらクロノスで払うから何でも好きなものを食べてくれ、とプラトンが言うので、一番高いのを食べてやろうと思ってメニューを見たら、リブ・アイ・ステーキだった。しかしギリシャならやはり魚だろうと考え直し、スズキシー・バスのフィレ・ソテーにしておく。我が妻メグも同じものを頼んだ。

 こういうときはたいてい、彼女が先においしそうなものを見つけて「これはどう?」と提案してくるものだが、今日は違った。彼女はメニューを最初から全部読んでいたから時間がかかったのだろう。俺は値段しか見なかったから早かった。

 たくさんの客がいっぺんに入ったせいか、料理が出て来るのが遅かったが、サフランで香り付けしたスズキシー・バスと野菜のソテーはうまかった。満足。



 レンタカーを空港へ返し、タクシーに乗る。12時。予定の時刻にコンヴェンション・センターへ戻ってくることができた。ちょうど昼食の配布が始まっている。

 食事エリアへ行って、普通食のランチ・ボックスを受け取る。食欲をそそる香り。席を探しながら、辺りを観察する。記者ジャーナリストはいるか、テオプラストスはいるか、アリストテレスは……今の時間は、いない方がいい。

 男性に声をかけられた。見たことのない顔。彫りの深いラテン系。イタリア人だろう。ここに座って一緒に食べようと私を誘っている。言葉の訛りがイタリア風。「いいえ、人を探しているの。ごめんなさい」とたどたどしい英語で返す。一緒に探す? いいえ、必要ありません。ごきげんようアリヴェデルチ

 記者ジャーナリストはいるか、テオプラストスはいるか。一回りする間に、1ダース足らずの男性から声をかけられた。もちろん全て断る。記者ジャーナリストはいなかった。他の時間に来るつもりかもしれない。あるいは他の場所へ行っているのかもしれない。

 テオプラストスを見つけた。後ろから、遠慮がちな響きの声をかけてみる。

こんにちはカリメーラ、キリエ・テオプラストス・クロニス……」

「ハロー、ミズ・エレンスカ。あなたもこの時間でしたか」

 私を見上げながらテオプラストスは、力ない笑顔を見せた。

「ええ、1時から聴講したいセッションがあるので。前に座っても構いませんか?」

「もちろん、どうぞ」

 座って、自分のランチ・ボックスを開けながら、テオプラストスのそれも見る。中身がほとんど減っていない。少食なのは知っているが、考えごとをしながら食べていたのだろう。いや、悩みごとだろうか。うつむきがちで、それらしい特有の目の動きをしている。

「私は午前中、聴講しなかったんですが、何か面白いセッションがありましたかしら?」

「聞くには聞いたんですが、ソクラテスから頼まれたもので、僕自身は特に興味のないものでした」

「海運ですの?」

「ええ、そう」

「概要を教えていただけますか」

「いいですとも」

 興味がなかったと言ったはずだが、テオプラストスは発表の内容をよく憶えていて、詳しく教えてくれた。後でソクラテスに訊かれるからだろう。

 私が聞きながらさっさと食べてしまうのを見て、テオプラストスは自分のランチ・ボックスのムサカを――これだけは毎日同じだ――どうかと勧めてきた。手を付けていないから、と言う。ありがたくいただくことにするが、テオプラストスは自身のをうっかり忘れているようだ。

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