#17:第3日 (1) 技術ツアー
第3日-2033年10月11日(火)
「
夜中はどんなに乱れていても、朝の
トレーニング・ウェアに着替えて
朝焼けの光が射し始めた砂の上を行く。今朝も静かで、誰もいない……と思っていたら、女がいた。長い黒髪と、白いロング・ドレスの裾を風になびかせ、波打ち際に佇んでいる。まるでギリシャ神話の女神のよう。とはいえ、俺も本物の女神を見たことがあるわけではなく、世間に流布しているイメージでそう思っただけだ。
顔は彫刻のように整っているが、中性的で、しかもどこかで見たことがある気が。もしかして、テオ・クロニスに似ているのか。ということは、彼の妹?
しかしそれを確かめる暇もなく、通り過ぎてしまった。ランニングの途中によそ見をするのはよくないし、じろじろ見つめると相手にも悪い。引き返してきたときに、もう一度見るくらいだな。そこにいれば、だが。
赤い太陽が水平線からじりじりと昇ってくるのを見ながら走り、ビーチの端で引き返して、赤い光を背に浴びながら戻る。
残念ながら、帰りに女神はいなかった。しかし
「ジェイド、彼が
夜に話をした、って、名前しか聞いてないと思うけど。ともあれ「
さっき見た女神と同様に長い黒髪だが、顔は違っている。吊り目、吊り眉で鼻が高く、確かにモデルのような顔立ち。ただし気だるい表情。背もすらりとして、
握手の手を放した途端に、ジェイドはローブの胸元から黒縁の眼鏡を取り出してかけた。どこにでもいそうな
「休暇で来ているそうだが、仕事は?」
「聞かないで欲しいの。休暇中は一切忘れたいのよ。だから
気持ちは解るね。急な案件に対応しなくていい職業なら、そうするのがいいさ。現実世界の俺は貧乏だから
「家の場所くらいは聞いてもいいだろう」
「トロントの西のミシサガ。それ以上は聞かないでね」
「どこに泊まってるんだ」
「あなたたちの隣よ。アポロニア」
ジェイドが振り返って指を差す。アトランティカのすぐ西にあるホテルだった。実は昨日も
「休暇の時はなるべく人を避けてるのよ。でも、せっかくクレタに来たんだから遺跡見学のツアーだけは行こうと思って。そうしたらバスでメグと隣の席になって、私に気を使いながらさりげなく親切にしてくれたので、嬉しくて」
また
「妻が褒められて俺も嬉しいよ」
「あなたは財団の研究者だって聞いたから、挨拶だけはしておこうと思って」
「カナダでも有名なのか」
「もちろんよ。だってトロントに
本当かよ。俺の頭には入ってないぞ。しかしそれを確かめることはできず、彼女は「また明日の朝ね」と言ってビーチを歩いて行った。昨日と同じく散歩だろう。わざわざ人の少なそうな方角を選んでいるわけだ。
「彼女、仕事で仲間から裏切られたんじゃないかしら。それで人を避けるようになっていると思うのよ」
「君にできることがあればしてあげればいいと思うけど、迷惑にならない程度にな」
「もちろん解ってるわ。そうそう、彼女以外にももう一人会った女性がいて」
ホテルの方へ戻りながら
「それもツアーで知り合った?」
「いいえ。でも、ミスター・テオ・クロニスの妹だと思うの。顔がそっくりで、髪の長さだけ違ったわ。ああ、着ている服も違ったけれど」
長い黒髪に、白いロング・ドレス。じゃああの女神は、俺が見かけた後で
「話をしたのか」
「ええ、少しだけ。私の名前と、あなたの名前を聞いてきたわ。でも、彼女は名乗らなかったの」
「どこへ行った?」
「あなたが走っていった方へ。会わなかった?」
「見なかったな」
行きに見かけたのは、言わないでおいた。隠し事、というわけではない。話しても「あら、そうなの」で終わってしまって、それ以上何もできないからだ。
ホテルへ戻り、俺だけ部屋に行って着替えて、朝食会場へ。当然のように
夜中に消費したエネルギーを補給した方がいいという意味と思って、食べることにする。でも、昨日の昼にも喰ったんだよなあ。味もそんなに違わない。
そして今朝も隣のテーブルにミキとナナが来た。
ところで、財団メンバーの部屋割りってどうなってるんだっけ。
「どうしてそんなことを気にするんです?」
ロビーで集合待ちの間にエリックに訊いたら、怪訝な顔をされてしまった。「しかも3日目になって、今さら」と言いたいのを堪えてくれているのが判る。
「急に疑問に思っただけさ。特に意味はないよ。一人一部屋じゃないんだろう?」
「ええ、どこも二人部屋です。フロリダ・メンバーは僕とオリヴァー、アビーとトリッシュ、ミキとナナがそれぞれ同じ部屋」
「他は国が同じ二人で一部屋?」
「まさか。同性どうしですよ」
ドイツとクロアチア、インドと日本という組み合わせで、男どうし、女どうしで同室。なるほど。
「同室の二人で話をしようと思ったら、英語で話さないといけないんだ」
「ええ、ナカジマはチャンドラセカールに寝る直前までずっと話しかけられて、難儀しているそうですよ」
日本人の男はナカジマというのか。彼ともほとんど話してないな。
「可哀想だな。替わってやりなよ。オリヴァーが同部屋なら日本人も気持ちよく過ごせるだろうし、エリック、君は議論好きだからチャンドラセカールも満足するだろう」
「
ご自分でどうぞ、と言われたら俺もやりたくないので、冗談で済ませておく。全員集まったらマイクロ・バスでコンヴェンション・センターへ。俺と
着いたらブースの確認。ジェニーが明るい笑顔で待っていた。「
「昨日はたくさんしゃべったんで、喉の調子が悪くなってないかい」
「いいえ、万全ですよ! 今日も頑張ります」
頼もしいことだ。シミュレイターの動作確認をして、「後は任せた」とみんなに告げて、開場の前に俺と
ツアーのバスを探す。目印はギリシャ国旗、と
「
「
「ツアー・アテンダントが添乗する予定だったんだが、急病でキャンセルになってね。代わりに私が案内をする予定だが、英語を流暢に話せるアシスタントが欲しいんだ。ミセス・ナイトの英語は非常に聞き取りやすいので、アシスタントをしてもらえないか?」
ツアー・アテンダントがキャンセル? 本当か、それ。しかも
嫌な予感はこれか。しかし横目で
「そういうことならぜひお手伝いしますわ! アーティー、あなたは私の横にいてくれて構わないのよ。そうですね、ミスター・クロニス?」
「もちろん、そのとおりだ。それにずっとアシストしてもらう必要はなくて、要所だけなんだ。主にツアー参加者からの質問に答えることをね。今回の参加者は世界中から来ているので、私の英語が聞き取れない人もいるだろうし、私が相手の英語を理解できないかもしれない。そのときにフォローを頼みたいんだ」
英語が通じないのを心配してる?
しかし、
バスに乗り込んだら、クロニス氏は打ち合わせと称して
「ドクター・ナイト?」
後ろから聞き憶えのある声。テオだな。振り返って椅子の後ろを見ると、不思議そうな顔のテオと共に、ポーランド美女が。どうして君らがペアなんだ。
「ミセス・ナイトはどうしたのです?」
「君の兄貴に捕まったんだよ」
ツアー・アテンダントの件を話す。テオが「
「だったら、僕らと一緒に行動しませんか。ミズ・エレンスカはもちろんご存じでしょう? 僕も彼女も一人きりで参加していて、話し相手が欲しかったので」
だから、どうして君らがペアなんだよ。テオはともかくポーランド美女は相手が選び放題のはずだろう? それに俺が加わったら、君ら、俺の取り合いをするんじゃないのか? 『2.5次元』の件で。
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