#17:第2日 (5) チェアマンの仕事

 セッションの合い間に、ブースに戻る。オリヴァーに様子を訊こうとしたが、昼食休憩から戻ってきていなかった。ジェニーの代わりにミキが案内役を務めているが、特に問題はなさそう。

 すぐさまセッションの部屋、A-13にとって返す。発表者はもう来ていたので、挨拶と互いの自己紹介をする。連盟ザ・リーグ評議会ザ・カンファレンスから一人ずつ。連盟ザ・リーグはハンガリー人で、評議会ザ・カンファレンスはトルコ人。他は、イングランド人、フランス人、ポーランド人。ということは全員ヨーロッパ人。

 世界会議の参加者は、開催地域に近い地域に固まる傾向があるのは知っている。どこへも律儀に参加するのは合衆国と日本くらいだが、5人の中にどちらも入っていないというのは珍しいかもしれない。が、そんなことはどうでもいい。

 それにしても、5人中唯一の女性、ポーランド人の美しさは目を見張るものがある。そんなことで研究者を評価してはならないのだが、目に入るものは仕方ない。マルーシャに近い雰囲気が……しかし長い黒髪だし、目の色は違うし、顔の形も違うようだし、何より胸が2インチは小さい。そんなことをいちいち観察しているのを彼女が知ったら、気を悪くするのではないか。

 続いて発表順と内容を軽く確認。ポーランド人は、昨日我が妻メグから教えてもらったリストの中にない。差し替え? 一人キャンセルがあって、別のセッションで追加があって、彼女がスライドでこちらへ来たと。タイトルと概要アブストラクトの斜め読みでは、セッションのテーマと少しずれている気がするが、まあいいか。

 時間になったので、始める。まずは司会チェアマンである俺からの挨拶。「計算機で扱えるデータが大容量化して以来、現実に近いシミュレイションは研究テーマとして人気が高まっているが……」云々。今回のセッションでも都市に関する様々なシミュレイションを見ることができそうで、非常に楽しみにしている。互いに分野は違えど、活発な議論を期待するものである。

 ではまずフランス人から。国立科学研究センターCNRSの研究員ベルナール・エマール氏。タイトルは『リヨン・パール・デュー駅とサン=テグジュペリTGV駅を結ぶTGV短絡線計画と運行シミュレイション』。これも何となくセッションのテーマからずれている気がするが、聞こうか。

 TGVの路線は今やフランス全土に広がっているが、最も利用が多いのはパリとリヨンを結ぶ南東線、及びリヨン近郊から分かれてマルセイユを結ぶローヌ・アルプ線と地中海線である。

 南東線は最初に開通した路線。リヨン側の終点は市南部のペラーシュ駅であるが、パリからの列車は市東部のパール・デュー駅にも停車する。

 ローヌ・アルプ線はリヨン北方から分岐し、市中心部から東へ20キロメートルに位置するサン=テグジュペリ空港の隣接駅、サン=テグジュペリTGV駅を経由して、南のヴァランスへ至る。地中海線はヴァランスとマルセイユを結ぶ。

 よって、パリとマルセイユを結ぶ列車は、リヨン中心部であるペラーシュ駅もパール・デュー駅も通らない。

 一方、リヨンとマルセイユを結ぶ列車もある。リヨン側はパール・デュー駅を起点とし、南部の短絡線を経由してローヌ・アルプ線と合流する。リヨン・ペラーシュ駅は経由しない。

 簡略図にすると以下の通り。


       至パリ

     南東線│

        ├────────┐

     南東線│        │ローヌ・アルプ線

        │        │

        □リヨン・    │

        │ パール・デュー│

        │        □サン=テグジュペリTGV

    ─□──┤  短絡線   │

    リヨン・└────────┤

     ペラーシュ       │

                 □ヴァランス

                 │地中海線

                 □マルセイユ


 パール・デュー駅とサン=テグジュペリTGV駅は高速トラム『ローネキスプレス』で結ばれているが、サン=テグジュペリTGV駅の利用はそれほど多くない。

 また、南東線の終点であるペラーシュ駅からマルセイユ方面の列車に乗れない。これは乗客の問題だけでなく、列車や乗務員の運用が効率化できないという問題も孕んでいる。

 今回、パール・デューからローヌ・アルプ線へ至る短絡線を検討した。北方の分岐点付近に作ることもできるが、そこまで20キロメートル以上あることと、途中に線形の悪い区間を含むことから、所要時間が延びてしまう。

 そこで、パール・デュー駅のすぐ北から分岐している在来線のリヨン・ブール=カン=ブレス線を流用する。リヨンとその北東の町ブール=カン=ブレスを結ぶ路線であり、従来からTGV車両が乗り入れている。そしてパール・デュー駅から約10キロメートルの地点でローヌ・アルプ線と立体交差する。そこに短絡線を作ることとした。


       至パリ

     南東線│

        ├────────┐

     南東線│        │ローヌ・アルプ線

        ├───────┬│── →ブール=カン=ブレス

        □リヨン・   └┤←新短絡線

        │ パール・デュー│

        │        □サン=テグジュペリTGV

    ─□──┤  短絡線   │

    リヨン・└────────┤

     ペラーシュ       │

                 □ヴァランス

                 │地中海線

                 □マルセイユ


 これにより、ペラーシュ駅を起点とし、パール・デュー駅、サン=テグジュペリTGV駅を経由してヴァランス、マルセイユへ至る列車の運行が可能になる。またパリからの列車をペラーシュ駅で折り返してマルセイユ行きとして運行することも可能となる。

 建設した場合の費用が、乗客の増加と運用の効率化による増収に見合うかどうかを検証するために、シミュレイションを作成した。

 ……なかなか壮大な計画とシミュレイションだが、本当に必要性があるのだろうか。この研究者が単に鉄道マニアで、空想の中で短絡線を建設してみたかっただけではないのかという気がする。

 さて、発表が終わったので、質疑応答に移る。すぐに思い付く疑問は、TGV車両に対応しているとはいえ、在来線を経由するのでは所要時間が延びるのではないか、北方の分岐点付近に短絡線を作って、いわゆる三角デルタ線にするのと、どっちが効率的か検討したのか、ということだが。

 ポーランドの美女の手が挙がった。発表者どうしなのに、手加減しないんだな。指名する。

「高速車両に対応しているとはいえ、10キロメートルも在来線を経由するのでは、所要時間が延びるのではないでしょうか。北方の分岐点付近に短絡線を作る場合とどちらが有利か検討されましたか?」

 やっぱりその質問が出たな。さて、フランス人の回答は。

「もちろんですとも。在来線を経由する場合、距離にして10キロメートルも短いので、2分ないし3分早くなります。また短絡線の建設距離も違います。在来線とローヌ・アルプ線は十字ではなくX型の交差で、開きの角度が大きい部分に短絡線を建設しますので2キロメートルほどと短いです。対して北方の分岐付近に短絡線を作る場合、線形の都合から5キロメートルにもなるのです。明らかに在来線を流用する方が有利です」

「リヨン・ペラーシュ駅を始終着とする運用をなくして、パール・デュー駅を経由してパリとマルセイユを結ぶ列車を設定する方が効率的ではないでしょうか?」

「サン=テグジュペリTGV駅を経由する列車の数を増やしたいのですよ。リヨンとマルセイユを結ぶ列車も同駅に停車するとなれば、利用者にとって機会が増えることになり、便利です。またご存じのとおり、リヨンはオルレアンとクレルモン・フェラン経由でパリを結ぶTGVフランス中央線の終点であり、イタリアのトリノとを結ぶ高速鉄道線の起点です。しかしどの列車も、パール・デュー駅かサン=テグジュペリTGV駅か、いずれか一方しか停車しないのですよ。経路を一本化することは乗客にとってもフランス国鉄SNCFにとっても有利に違いないのです」

「であれば、フランス中央線やトリノ高速鉄道線の建設前の時点でフランス国鉄SNCFに提案し、計画を進めるべきだったのではないでしょうか?」

 うーん、ポーランド美女よ、それはいくら何でも厳しい質問だぞ。だってつい最近になってからシミュレイションができるようになったんだろうし。しかもフランス国鉄SNCFから研究費をもらってるわけじゃないだろう。さて、フランス人の反応は。

「おっしゃるとおり、遅きに失したという感はあります。しかし、今からでも間に合うのだということを立証しようとしたのですよ」

 負けを半分認めるのか。フランス人にしては珍しいな。相手が美人だけに、遠慮したか?

 さて、質問の数は十分だと思うが、司会チェアマンも一つは質問すべきという暗黙のルールがある。何を訊こうか。

「南の短絡線と空港を結ぶ新短絡線については検討した?」

「もちろん、検討しました。そこはX型の交差で、開きの角度が小さい部分に新短絡線を作ることになりますから、カーブをきつくして距離を短くするか、緩くして距離を長くするかの二者択一です。どちらにしても不利な条件が付きます。また、リヨンを始終着とする列車は、南の短絡線と新短絡線を通ってサン=テグジュペリTGV駅まで延長運転してはどうかというご提案だと思いますが、それですと同駅に折り返しの設備を増設する必要があります。なおかつトリノ高速鉄道線への列車が同駅を経由する場合、2度の折り返しが必要になってしまいます。不利な点が多すぎるでしょう」

 模範的な答えだな。しかし司会チェアマンの質問者は発表者が答えやすいものにすべしという暗黙のルールもある。発表者を困らせるのは司会チェアマンの役目ではないから。

 次にトルコ人。評議会ザ・カンファレンスの研究員ハサン・タヒンチョグル氏。ウクライナのステージのあいつほどではないが、こいつも鍛えた身体だ。さっきブースを見たときは、こういうのばかりじゃなかったんだけどなあ。

 それはともかく、タイトルは『イスタンブール国際空港における利用客の動線評価』。

 四つのターミナル、6本の滑走路、165本のボーディング・ブリッジを持ち、年間2億人が利用する世界最大級の空港であるイスタンブール国際空港。そこにおける利用客の動きを構内のカメラ映像などから解析し、動線を再構成してシミュレイション。適切な動線が作られているかを評価するというもの。

 複数の映像の中から同一人物の動きを特定する技術は、リオでも見た気がする。あのセクシーすぎる巡査部長サージャント

 そのヴィジュアルまで思い出そうと思っていないのに、トルコ人の発表を聞きながら彼女の姿が頭に浮かんでしまうのはなぜなのだろうか。

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