#17:第1日 (5) クレタ島へ

 アティニオス行きのバスは本数が少ないが、運よく乗ることができた。

 港へは、カルデラの崖をジグザグジザホポディヴニィに下りる道を通る。その道に入るところで、カルデラの内側の海が見渡せる。イアやフィラとは見る方角が違うだけなのに、全く別の場所の風景のように錯覚してしまう。

 崖に張り付く道を4往復。船着き場には大きな客船が停泊していた。もちろん運がいいのではなく、この世界のシナリオだろう。やはり船が関係しているのだ。ここからは、ギリシャの様々な島を結ぶ船が発着している。もちろん、クレタ島へも。

 アテネへ行く飛行機を逃した場合、ここから船に乗ればいいだろうか。

 バスが港の前に着いた。これから出発する船に乗る人が降りて、さっき着いた船から降りた人が乗ってくる。

 旅客ターミナルで時刻を調べる。クレタ行きは16時発。2時間で着くが、1日1本しかない。もうしばらく待てば乗れるけれど、着くのが早すぎるし、遺跡を見られない。やはり飛行機に乗るしかなさそうだ。

お嬢さんゼスピニザ! もしかしてあの有名なウクライナの歌姫ディーヴァマルーシャでは?」

「いいえ、人違いだわ」

「そうなのかな。よく似ていたので、失礼した!」

 やはり私に気付く人は、何十人かに一人の割合でいるようだ。

 船を見る。カー・フェリーだ。船尾に"SEAJETS"という会社名が入っている。船の旅は好きだから、仮想世界の中でもいいので、また乗りたいと思う。以前のステージでは、メキシコ行きに乗って、ティーラにいい思い出を作ってあげることができた。愛すべきティーラ。次はいつ彼女と会えるだろう。

 波止場を少し歩く。レストラン、旅行代理店、レンタカー屋、土産物屋……その外れに、教会が建っていた。この島に特有の、白い壁。扉がブルーに、窓の周りがブラウンに塗られている。アギオスニコラオス教会。

 同じ名前の教会が、イアにもあった。同じ名前の都市も、ギリシャにはたくさんある。ギリシャの聖人であり、航海者の聖人でもある。このことは、ターゲットと何か関係があるだろうか。

 再びバスに乗り、崖の上のバス停で乗り換えて、アクロティリへ。サントリーニ島の三日月型の一番下。そこまで20分ほど。バスは集落の中心を通り過ぎて、遺跡まで行く。集落は三日月の内側にあるけれど、遺跡は外側に近いところにある。

 バスは遺跡の駐車場に着いた。降りたのは私だけ。他の観光客は車で来るようだ。

 入場料を払い、屋根の下へ入る。発掘中の遺跡の全てが、屋根で覆われているのだ。一部はガラスになっていて、明るい光が降り注いでいる。底上げした板張りの通路から遺跡を見下ろすが、まるで体育館スポルトザルの床をはがしたかのよう。

 他の遺跡ではたいてい、地面のレヴェルから壁や礎石を見られて、街の中を、まるで迷路の中を歩くかのように楽しめるのだが、ここではそれができない。周囲を巡る回廊の他に、真ん中に通路が3本通っているだけ。

 しかし崩れかけた壁を上から眺めるのも趣がある。建物の屋根がないので、立体の迷路を空から眺める面白さとでも言おうか。

 リーフレットによれば、火山灰に埋もれた建物の中から、土器や青銅器、家具が見つかったとある。それらは考古学博物館アルヘオロジコ・ムセイオに収蔵されているはず。

 また、状態のよいフレスコ画も見つかったが、剥がされて、やはり考古学博物館アルヘオロジコ・ムセイオに収蔵されただろう。灰に埋まっていたからこそ綺麗に遺っていたのであって、空気中では劣化してしまう。

お嬢さんゼスピニザ、もしかしてあの有名なウクライナの歌姫ディーヴァマルーシャでは?」

「いいえ、人違いだわ」

「そうだったか。似ているのにな。大変失礼した」

 見ているうちに、閉館時間が来てしまった。飛行機の出発時間にはまだしばらく時間がある。食事をしていこう。移動と調査を優先したので、ずっと空腹を我慢していた。ワインしか飲んでいない。

 駐車場横のカフェよりも、アクロティリの集落へ行ってレストランを探した方がいいだろうか? スヴラキをひたすらたくさん食べたい気分なのだけれど……



 6時過ぎまでカメリの集落で過ごし、バスで空港へ。アテネ行き最終便が7時に出るので、混雑していた。しかしそんな中でも我が妻メグはマルーシャを見つけ出してしまう。そしてまた二人で抱擁。まるで大昔からの親友のよう。

「クレタへはアテネで1泊してから……違うのですか? まあ、今夜の特別便で!」

 我が妻メグがこの後の予定を説明すると、マルーシャは驚いている。仕方ないんだな、これが。明日の会議は朝10時から始まるんだけど、今夜から財団の連中と打ち合わせとか、いろいろあるんでね。

 しかし、名残を惜しむ我が妻メグが「飛行機の中で彼女と話したい」と言うので、俺が席を代わることになってしまった。たかが小一時間だし、その後クレタへ行ってからはずっと一緒にいるから、別に構わないんだけど、どうして俺より彼女を優先したがるのかなあ。

 アテネ空港でマルーシャと別れ、クレタ行き特別便に乗る。周りは当然、会議に出席する連中ばかり。ただし、財団のメンバーは乗っていないはず。特別便ではなく、定期便で先に到着して、準備をするから。論文発表だけでなく、展示もあるのだ。

 俺一人だけ遅れて行くのはおかしい気がするが、他の連中がそれで構わないと同意してくれたので、好意を受け入れることにした……ということになっている。

 近いのでわずか所要時間50分。9時20分、クレタ・イラクリオン国際空港着。

 タクシーで、町の西外れのアトランティカ・ホテルへ。海沿いにある、四つ星のリゾート・タイプ・ホテルであるらしい。出張なのに、贅沢なものだ。まるでヴァケイションじゃないか。

 フロントレセプションへ行くと、我が妻メグが例によってホテルのスタッフのように動き回り、チェックインを済ませる。俺の元に戻ってきた我が妻メグの笑顔は、犬が「褒めて」と尻尾を振るかのよう。寝る前に利子を付けてたっぷり褒めてやることにする。

 ペイジ・ボーイに先導されて、部屋へ。最上階、北東向きの、オーシャン・ビュー・スイートだった。部屋の広さは、ヴァケイションで泊まったヌーメアの部屋より少し狭いかもしれない。

 到着が遅くなったが、これから夕食かと思ったら、我が妻メグがどこかへ電話を架けている。そして「着替えたら下のバンケット・ホールへ行きましょう」と言う。そこで何があるんだ。

「財団の人たちと簡単な夕食会をするのよ。忘れたの?」

 そうだったかな。仮想記憶の中に入ってないよ。とりあえず着替えるか。え、俺って着替える必要があるのか?

「あなたはそれでいいわ。私だけ着替えるから」

 白いドレスではさすがにカジュアルすぎるから、フォーマルな感じにするつもりかね。連絡係、という名目の、秘書のような役割だからな。

 我が妻メグは既に届いていたスーツ・ケースから服を出して、俺が見ているのも気にせずてきぱき着替えているが、カーテンは閉めなくていいのだろうか。海からは誰も覗かないからいいのか。しかしそれでも閉めるものだと思うけどなあ。

 準備を済ませてから、下のバンケット・ホールへ。10時ちょうどだった。他の連中は既に集まっているようだが、人数がやけに多い。マイアミからこんなに来たんだっけ。

 いや、違うな。他の国の研究所からも来てるんだ。確かドイツと日本と……

「グッド・イヴニング、アーティー! 愛妻ユア・ダーリングとサントリーニへ行っていたそうね。どうだった?」

 30代の派手な顔つきの女が馴れ馴れしく話しかけてきたが、俺は彼女を知っていることになっている。確か、マイアミ本部ヘッドクォーターの国際戦略部門リエゾン、ミカエラ・“ミキ”・ゴールド。今回の取りまとめ役。

「ハイ、ミキ。サントリーニはとてもよかったんだが、あまりにもよすぎて我が妻マイ・ワイフが1泊したかったと不満を述べたくらいだよ。ただ泊まってたら、さらにもう1泊と言ったろうがね」

 言いながら、彼女と軽いビズのような挨拶。これくらいの親しさで話していい、と頭の中の記憶が教えてくれている。我が妻メグもミキと同じように挨拶。

 それから他のメンバーと挨拶。といっても、マイアミから来た連中を、俺は知っている……ことになっている。

 まず研究者が4人。オリヴァー・レッドフォード、エリック・ブルーバード、アビー・グレイソン、トリッシュ・グリーンウェル。年齢順だ。

 オリヴァーは30代半ばの落ち着いた穏やかな顔つきで、医者のように見えるが大変真面目で優秀な研究員。そして大規模シミュレイション研究部のサブ・リーダー。つまり、俺のサポート役だ。ジョークを解さないのが唯一の欠点。

 エリックは20代後半。丸いメタル・フレームの眼鏡を掛けていて、目つきが鋭い。短い黒髪をいつもジェルか何かで固めて、山嵐ヘッジホッグのように尖らせているのが見かけの特徴。奇行で有名で、自分のオフィスにいることが少なく、意外な場所に現れて人を驚かす。勤務形態も極端で、2週間ぶっ続けで出勤したと思ったら、無断でぱったり来なくなったり。しかし他では得がたい才能、特に発想力と実行力を持っているのは間違いない。

 アビーも20代後半で、確かエリックより一つ下だったか。東洋風だが目鼻立ちのくっきりした顔つきで、長い黒髪を腰の辺りまで伸ばしている。体格はバランスが取れているが、それが判りにくくなるような服を好んで着ているようだ。東洋風のせいか言動にちょっとミステリアスなところがある。誰からも好かれるタイプだが、俺はなぜか苦手だ。

 トリッシュは20代前半の若手。入社して3年目くらいだったと思う。ゲルマン系の整った顔立ちだが、表情に乏しいところは“人形ドール”を想像させる。おとなしくて口数が少なく、何を考えているか解らないとよく言われてるようだが、研究者にとって他人とのコミュニケイションは必須ではないと思うので、やることさえやってくれれば何も問題ない。ただ、彼女に通じるようなジョークを一度言ってみたい、と個人的に思っている。

 他にもう一人、秘書課からナナ・マツダ。日系アメリカ人だが、明らかに日本人の顔立ち。ただし彼女とは研究所内で縁がないので、性格はよく判っていない。

 で、他の国の研究所から、全部で8人。ミキの説明によれば、ドイツのシュトゥットガルト、クロアチアのザグレブ、インドのハイデラバード、そして日本の神戸から、それぞれ男女一人ずつ。すぐには顔と名前が憶えきれない。我が妻メグに憶えてもらって、後で教えてもらおうと思う。

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