#17:第1日 (4) 山上の遺跡

 彼とリタは古代アルヘアティラへ向かったようだ。

 イアとティラで、彼以外の競争者コンクルサントを探したが、いなかった。この島がスタート地になったのは、私と彼だけなのか。それは偶然だろうか、作為だろうか。

 たとえどのような理由であっても、ここにヒントはあるはず。他のギリシャの島々に共通するような。他の競争者コンクルサントは、他の島で見つけるのだろう。

 その一つはもちろん遺跡。ほとんどどこの島にもある。彼が古代アルヘアティラへ行ったのなら、私はアクロティリへ行こう。

 他には何か。ギリシャは様々な歴史の宝庫だが、すぐに思い付くのはワイン。サントリーニ島でのワイン造りは3500年の歴史があるとされる。

 だからここにはワイン博物館ミュージアムがある。ティラと空港の間、ヴォトナスの集落に。リタもそこに行きたがっていたが、彼の提案で遺跡に変えたようだ。

 では私がそこへ行くことにしよう。リタの選択の意味を確かめた方がよい。バスを待っていたら、観光客に声をかけられた。

お嬢さんゼスピニザ、もしかしてあの有名なウクライナの歌姫ディーヴァマルーシャでは?」

「いいえ、人違いだわ」

「そうですか。よく似ているのに……」

 現代のギリシャ人はオペラにさほど興味を持っていないのか、こうして声をかけられることが少ない。まだ5人目だ。

 博物館ミュージアムに到着。ワイン造りの歴史は古いが、博物館は新しい。入場して、まず地下の展示室へ。石畳の階段を下りると、かつての貯蔵庫らしい横穴に至る。しかし貯蔵庫らしからぬ明るさ。その中に、人形を使った展示がある。オーディオ・ガイドに従って見て回る。

 畑を耕す様子、収穫した葡萄を運ぶ様子、足で葡萄を潰す様子、袋にいた葡萄の汁を搾る様子。かつての手作業から、機械化されるまでの変遷。そして古くから使われている大きな醸造樽が並ぶ様子も。

 知っていても、こうして見ることは興味深い。過去の風景が活き活きとよみがえり、穴蔵の中に葡萄の香りが漂っている気さえする。

 30分ほどで見終えると、博物館ミュージアム内のバーで試飲をすることができる。最初に買うチケットにより、4種類と8種類があったが、私は8種類にしていた。

 まずこの島の名産である"Vin Santo"をいただく。

お嬢さんゼスピニザ、もしかしてあの有名なウクライナの歌姫ディーヴァマルーシャでは?」

「いいえ、人違いだわ」

「それは失礼。よく似ていたものだから」

 他にいた客も私のことを気にしていたようだが、これで声をかけて来なくなるだろう。

 "Vin Santo"はサントリーニ島に自生するアシルティコという品種から作る。琥珀色をしているが、白ワインで、ドライ・フルーツのような甘い香りが特徴。デザート・ワインとして素晴らしい。この微妙なブーケとアロマを、仮想世界の中でいかにして再現しているのだろうか。

 他の銘柄もいただく。ガバラス、シガラス、イエア、マヴロトラガノ、ヴゾマト・ロゼ……どれも素晴らしい。試飲だけでなく、買いたくなる。11本並んでいる瓶のうち、3本を試飲できないのが残念。

 次はどこに行こう。彼が行かないところ。アクロティリ遺跡の前に、アティニオスの港を見に行くのはどうだろう。ギリシャの島々を結ぶのは船。ターゲットにはきっと船が関係するに違いない。そうでなくても、船が接岸・離岸するところを見るのは楽しいものだ。



 バスに乗って、20分でカマリへ。ここは黒い砂のビーチで有名だそうだ。火山島なのだから、砂が黒いのは当然だろう。ハワイのワイキキ・ビーチなんて、カリフォルニアのロング・ビーチから白い砂を運んだんだぜ。あれはインチキだ。

 それはともかく、バスがターミナルへ着くと、我が妻メグが運転手と何やら会話。聞く限りでは、我が妻メグはギリシャ語を話している。旅行会話を憶えてきたのか! さすがコンシエルジュ、と思うが、俺だって話せると思う。何しろ、同時通訳されるんだ。そして我が妻メグにはそれがギリシャ語に聞こえることだろう。

 すぐに会話は終わり、我が妻メグは運転手に笑顔で礼を言ってから、「こっちよ」と俺をどこやらへ連れて行こうとする。そしてバス・ターミナルのすぐ横の売店へ。"Ancient Thera Tour"という看板が上がっていた。

 我が妻メグは躊躇なく店へ入る。そしてまたギリシャ語で会話。バスに乗るのかと思いきや、車を出してくれと頼んでいるようだ。

「上では2時間くらいでいいかしら?」

 俺に向かって我が妻メグが言う。2時間経ったら迎えに来てくれるよう頼む、ということだろうか。壁を見るとバスのタイムテーブルがあり1時間に1本ということになっている。次のバスは45分後だが、臨時便を出させるのだろうか。贅沢だな。

「それでいいよ」

 再び我が妻メグが交渉して、成立。なぜか彼女のクレジット・カードで支払った。食事の時もそうだったが、サントリーニ島の旅行代金は彼女持ちということらしい。クレタ島に行ったら、そこでの出費はほぼ全て俺の出張旅費として精算することになるからだろう。

 早速車に乗せてもらい、山の上へ。町の南の端から山に登り始めるが、急斜面のせいで、切り返しスウィッチ・バックが多い。リオのゲームで登ったマチュ・ピチュ遺跡のようだ。いや、それ以上か。一般人は運転しない方がいいだろう。

 2ダース以上もスウィッチ・バックして、頂上まで登り詰めた。それでも10分しかかからなかった。

 少し平らになったところに小さなラウンド・アバウトのようなのがあって、車で行けるのはそこまで。すぐそばに売店があったが、閉まっていた。

「オン・ザ・ハウス!」

 若い男の運転手が嬉しそうに言って、ミネラル・ウォーターのボトルを我が妻メグに手渡した。おごりオン・ザ・ハウス、ね。我が妻メグが美人だからかもしれないな。我が妻メグがにっこり微笑んで礼を言うと、運転手は山を下りていった。

 見送る車の向こうは山の下までよく見晴らせて、カマリの集落と、その先の空港も見えている。折しも飛行機が着陸しようとしているのだが、今いる場所よりも低い所を飛んでいた。

 さて、ここは観光地だと思うのだが、どうやら他に観光客はいなさそう。季節外れなのか。ラウンド・アバウトからは簡易舗装の道が、緩やかな坂になって続いている。その坂を行くと門があり、石造りの建物が建っている。遺跡ではない、料金所トル・ゲートだ。

 そして我が妻メグが臨時便を出させた理由が解った。入場が2時45分までで、3時半には出ないといけないのだ。今、2時少し前。次のバスを待っていたら到着が2時半になってしまい、滞在が1時間だけになる。要するに俺たちは来るのが遅かったのだが、我が妻メグが機転を利かせてくれたと。全く有能なコンシエルジュ兼観光ガイドだ。

 料金を払って遺跡の門をくぐる。そこからジグザグになった階段を延々と下りる。今日はこういう階段に縁がある。3回目だ。

 下りきったところにあるのが教会跡。石の壁の一部が残っている。この手の遺跡は仮想世界の中のいろんな所で見ているが、さすがにまだ見飽きるまでには至っていない。

 我が妻メグが石積みを熱心に観察しているが、青いドーム屋根の教会を見るときとは目つきが違っている。古代に思いを馳せるときはこんな感じなのだろう。

 ここからはひたすら砂利の細道が続き、“アルテミドロスの聖所”なる石の壁以外、特に見どころはない。ただし、海は常に綺麗に見えている。

 少し行くとまた階段で、今度は上へ。上がりきったところから“町”が始まっている。ここまで来て、他の観光客の姿が見えた。俺たちが遅れてやって来たので、ようやく追い付いたというわけだろう。

 さて、建物のほとんどは斜面の上に建っている。石積みはかなり綺麗に残っているし、敷地が広くて柱廊があれば、そこが神殿だったろうことも想像できる。

 一部の石にはレリーフが残っている。鳥、ライオン、イルカなど。陸海空が全て揃っているというのも面白い。

 ただ、パルテノン神殿のようにまともな状態で残ってはいない。柱の一部、それも高さがせいぜい5フィートくらいまで。我が妻メグの身長よりも低い。復元中かもしれないが、石の数が絶対的に足りない気がする。期待していたのと違っていて残念だ。

 中心部まで行くと、劇場跡がある。坂の下に半円の舞台があり、それをすり鉢ボウル状に囲むように客席が作られていたのが明らか。残っている部分は少ないが、見晴らしがいいので見栄えもいい。舞台の向こうは海だ。遠く島影も見えて、我が妻メグに訊くと「アナフィ島よ」。なぜそんなことを知っているのかと思う。

 風呂の跡もある。そういえばブダペストの遺跡でも風呂跡を見たんだった。蒸気風呂スダトリウムといったんだっけ。古代人はきれい好きだ。

 ただ、こんな高い所でどうやって水を確保したのかと思う。どこかに巨大な貯水槽でも作ったのだろうか。何しろ最盛期にはここに5千人も住んでいたということだから、風呂だけでなく飲料水も大量に必要だったはず。古代には謎が多い。

 その他にアポロンの神殿、運命の女神テュケーの家、バシリカ、集会所アゴラ運動場ギムナジウム、商店など、隅々まで見て回る。ターゲットのヒントになりそうなものがあったかは、よく判らない。

「こういう所ももちろん計画都市なんでしょう? 研究対象になっているのかしら」

 我が妻メグが訊いてくる。理由は判る。明日からクレタ島で開催されるのは『高度都市計画世界会議』だからだ。古代遺跡を見に来るのは、都市計画の参考になると言えなくもない。

「もちろん、そうだ。ギリシャやローマの古代都市には水道が必ずあって、建物の配置は水路の通し方によって決まるからね。山の斜面や起伏の多い土地で、どのように区画するかは、古代人も経験的に知っていたはずだ。それだけでなく、神殿や重要な建物の配置も方角による規則性があるから、それも考慮して……」

 どうしてこんなことが俺の頭の中から出てくるのかよく解らないが、たぶん仮想記憶というやつのおかげだろう。我が妻メグは聞いて感心してくれているが、俺の本当の知識ではないと言っても理解できないだろう。

 移動と講義を繰り返しているうちに、退場時間になった。遺跡を出て、他の観光客と共にバス・ターミナルで待つ。さっきの男が迎えに来て皆で乗り、山を下りる。

 町に着くと、空港行きのバスが出るまで時間があるので、ビーチを覗く。確かに足元が黒い。そして小石が多い。砂浜サンド・ビーチというよりは、砂利浜ペブル・ビーチだな。

 残念ながら10月では季節外れで、泳いでいる人はいなかった。別に、水着の女が見られないから残念というわけではない。

 ただ、隣に立つ我が妻メグは「ここで泳いでみたかったわ」などと言っている。しかし彼女の水着姿を他の男の目にさらすのは、嫌だ。俺一人だけが我が妻メグを観賞することができるプライヴェイト・ビーチなら水着になることを許す、としたい。黒いビーチに彼女の白い肌は、さぞかし映えることだろう。

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