#16:第7日 (25) 夜の宮殿
「それなら、何の問題もないじゃないか」
「カメラの制御だけできればいいと思いますか? 私はそれが不満だったのです」
イザドーラが前へ向き直り、向かい側のスタンドを指差す。観客席の間に、放送ブースのようなものがある。あそこがカメラ制御室か。
「違います。あれは審査員席です。ブースの前に、10枚のパネルが架かっているのが見えますか。あれは審査項目です」
「私はカメラ制御システムに、採点システムを組み込んでみたのです。映像と音から解析するのです。もちろん、仕様外の機能として。ですから、それが使えなくなったのは非常に残念でした。とはいえ、仕様外の機能を追加するためにセットトップ・ボックスを置き換えたいなんて、今さら発注元に言えません。だからシステムの更新時期が来るまでは、採点機能はお預けです」
またこちらへ振り向いたイザドーラは、年相応の無邪気な笑顔を浮かべていた。
「お遊びの機能とは言え、国とリオ州のために役に立っただろうな」
「その点をあなたに理解してもらえるのは嬉しいことです」
「でも、
「ここには20台のカメラがあるのですが」
イザドーラが手を振りながら説明する。長いドロモの全てを映し出すには、確かにそれくらいの数が必要だろう。
「メイン・ディスプレイに映すカメラ映像の切り替えは、基本的に数字が付いたボタンを押します。それを、9、19、20、18、9、15の順に押すのです。どうしてそうしたか、解りますか?」
「簡単だ。I、S、T、R、I、Oだろう」
ついさっきまでそういう暗号が出てきそうなゲームをやってたんだよ。
「あなたを見直しました」
「採点機能には俺の論文がきっと役立つぜ。更新版の新しいアプリケイションに活かしてみてくれ」
「そうかもしれません。ここにいて、パレードの秩序と混乱を見ていると、あなたの論文の要旨が頭に浮かんできましたから」
最終的に理解し合えたと理解しておく。この後も楽しんでくれ、と言って握手をして、イザドーラと別れた。
ターゲットにはやはりイザドーラが関係していたか。盗んだ奴は、
もちろん、俺が心配してやる必要はない。しかし、物を盗んでもその使い方まで判らないと獲得と言えないなんて、変わったターゲットだ。
結局、第2組しか見られなかった。第3組を見ていたら、12時を過ぎてしまう。11時にドロモを出た。運よくタクシーが停まっていたので、それを捕まえた。カリナとハファエラに、見送りはいらないと言っておく。二人が互いに牽制し合って、動きが少なかったのが幸いしたな。
二人には空港へ行くふりをして、乗ったら運転手に「宮殿へ」と告げる。
「どこの宮殿です?」
「お前さんが知ってる宮殿ならどこでもいい」
「そうですか」
運転手はどこへ行くかを言わず、車を走らせる。ドロモの北のプレジデンチ・ヴァルガス通りへ出て、西へ走っていたが、そのうちに線路を越えたようだ。
そこから3分と経たないうちに車が停まった。どこだと運転手に尋ねると「サン・クリストヴァン宮殿です」という答え。
「さっきもここまでお客を乗せましてね。白人の、綺麗な女の人でしたが」
宮殿には19世紀のブラジル皇帝が住んでいたそうで、その庭園が今はキンタ・ダ・ボア・ヴィスタという公園になっているらしい。退出ゲートとしてはよさそうなところじゃないか。
公園だから営業時間があるのでは、と思ったが、門の鉄柵は開いている。すこぶる都合がよろしい。門を入って、真っ直ぐの道を歩く。車を降りたばかりで方向感覚を失っているが、どうやら西へ向かっているらしい。
わびしい街灯の中を歩いていくと、左手に水の気配がする。一応、地図で確かめる。大きな池があるようだ。人工の池で、中に小島が浮かんでいて、アポロンの神殿というのが建っているはずだが、真っ暗で見えず。立派な公園なのに、ライティング・アップする気はないようだ。
さらに歩いて行くと、ラウンド・アバウトのような広場に出て、真ん中に銅像が建っていた。台座に“PⅡ”とある。皇帝ペドロ2世であるらしい。その向こうに前庭があり、奥に宮殿が建っているはず。
道路と前庭とは段差があり、階段を上がるのだが、そこに人が立っていた。女だ。こんな夜中に。
なぜ女と判るかというと、月も街灯もないのに、そこだけが薄ぼんやりと明るくなっているように見えるから。そういう特別な女は、この仮想世界に一人しかいないはず。
「
マルーシャに声をかけた。今回は初日と最終日にしか会わなかったな。
「誰か来るかと思って」
いつもどおりの無表情で、素っ気ない答えが返ってきた。
「俺以外を待っていたのなら申し訳ないことだ。例えばスサナとか」
彼女とスサナは互いに面識があるだろうか。もちろん、彼女は他の
「いいえ、あなたが来る可能性が一番高いと思っていたわ」
階段を登り、彼女の近くへ行く。ただ、2ヤードほど離れておく。別に、警戒しているわけではない。単に今夜は、近寄りがたい気がしたというだけ。初日に近付きすぎた。
「ここへ来るのは
「ええ、ここかチラデンテス宮殿が退出ゲート」
やはりそうだったのか。あちらの方がドロモから近かったろうに、どうしてタクシー運転手はこちらを選んだのだろう。確か、さっき女を乗せたと……まさか、彼女を?
「ターゲットを獲得したのは君じゃないのか?」
「先を越されたわ」
「誰に。スサナ?」
「いいえ、ミスター・ハートニーに」
あの軍事評論家が。マルーシャを出し抜くとはたいしたものだな。しかし、奴とイザドーラ・パリスとの接点が見えないなあ。今さらどうでもいいことだが。
「君らしくないな」
「明け方でも間に合うと思っていたの。まさか、初日のパレードの最中に、彼がドロモへ盗みに入ると思っていなくて」
それはよくないな。カーニヴァルがぶち壊しだ。そういうことをしたくないので、明け方を予定するという彼女の気持ちは解らないでもない。
「なら、パレードが始まる前に行けばよかったのに」
「その時間は、行けなかったの。ジョルジーナとして活動する必要があったから」
「本人に活動させればよかったのでは?」
「入れ替わる時間がなくて」
「そこまでして、最終日に変装がバレたのはなぜだ? というか、俺は君が、わざとバレるようにしたと思っているんだが」
「ええ、そう」
「無理矢理協力させられたんだろうな。それに対する復讐というか制裁というか」
初日に襲われたことが関係しているのだろう。ただ、詳しいことまでは聞こうと思わない。
「ええ、そう。あなたはそれを悪く思うかしら?」
「君のキー・パーソンだ。俺は関わらなかったし、君の好きにすればいいと思うよ。ただ、なぜ彼女はそんなことをしようと思ったんだろう」
「売名行為。他にもたくさんのことをしているわ」
「画家として売れたかったからか」
「私の見るところ、彼女の作品に芸術的価値は認められない」
さすがに超一流の芸術家だけあって、厳しい評価だな。しかし芸術は時として、実力なしに戦略で売れることがあるから困りものなんだ。
「俺は君が、ヴォーカル・シンセサイザーのチームに参加していると思ってたんだ」
「あれはミスター・ハートニー」
軍事評論家がどうしてヴォーカル・シンセサイザーなんて愛好してるんだよ。イメージが全く合わない。あれは確か日本の発明品だ。合衆国の軍人は、日本に駐留すると日本文化に嵌まることがあるらしいが、彼は連合王国なのに、なぜだ。
「ゲームでは最終的に負けたが、ターゲットは獲得したと」
「今日は参加しなかったのよ。ターゲットを奪われないために」
なるほど、ゲームの会場に来ていたら、他の
「彼はどうして獲得の宣言をしないんだろう」
「イースター・エッグの起動方法が、まだ判らないのかしら」
「そこまで調べてから盗んだんじゃないのか」
「今日一日かければ判ると思ったんでしょう」
「君は判っている?」
「セニョリータ・パリスの性格から推理しているわ」
「俺は直接彼女に訊いたよ。さっきサンボードロモでカーニヴァルを見ているときに、会ったんだ。機嫌がよかったんで、あっさり教えてくれた」
「彼女が今夜ドロモへ行くのは知っていたわ」
「何なら、今からターゲットを奪いに行く? あと30分ほどある」
「危険だと思う。ゲートはおそらくマラカナンだけど、周りを軍の関係者が取り囲んでいるから」
彼女はターゲットを獲得に行ったから、メインのゲートを案内してもらえたんだろう。
「さっきまでそこでゲームをしてたんじゃないのか。エクシビションの会場だから、君のチームだろう?」
「終わった途端に包囲されて、退去させられて」
「君なら一人でも対抗できそうに思うけど」
「相手の銃が暴発して命を失うこともあるかもしれないから」
近付く奴は殺せ、と指示したらハートニー氏にペナルティーが課せられるが、発砲して脅せと指示しただけ、当たったのは偶然だった、というなら許される……のか? 納得いかないけど。
「君と二人揃って
「そうね。あなたは連敗だけれど、次は頑張って」
「次も君と同じステージになるかもしれんのだぜ。譲ってくれないんだろう?」
「あなたなら私に勝てるわ。余計なキー・パーソンに気を取られなければ」
「そうだな。俺を誘惑しようとする女が多くて困る。だから次は、メグを連れて行こうと思うんだ」
「いいことね。彼女に会えるのなら、私も嬉しいわ」
「君といろんなところで会うことに、不審を抱かないかな?」
「彼女は
どうして
「君はティーラを連れて行かないのか?」
「同伴者必須の時だけにしようと思っているわ」
「君は裏の顔があるから、彼女を危険にさらすかもしれないと思っている」
「ええ、そう」
「もし彼女に連絡する機会があったら、俺が会いたがっていたと伝えてくれ」
「あなたに会うたびに、報告しているわ。だからいつも、次の海外公演には連れて行ってって、せがまれるの」
可哀想に。しかし、そのうちに会えるだろう。マルーシャを促して、宮殿へと歩く。今夜も彼女は、5分前まで退出を待って、と言うだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます