#16:第7日 (24) サンバ鑑賞

「さて、ハファエラ、議論の続きをしようか。1時間ほどある」

 本当は、そんな時間はない。ターゲットを誰かが獲得したと、ビッティーからの連絡がない以上、探しに行くべきだ。しかし、全く当てはない。いや、かろうじて、ISTのイザドーラ・パリスを探して話を聞く、というくらいの手は残っている。

「申し訳ありませんが、この部屋をその議論のために使うことはできません。他でお願いします」

 カリナが横から冷静に言う。確かに、私企業の会議室を目的外使用するわけにはいかないよな。ハファエラがここで待たせてもらっただけでもありがたいと思うべきで。

「解りました。ですが、1分だけ時間を下さいますか。この後のことをプロフェソールと相談したいのです」

 ハファエラは“敵視”をやめて言った。しかし、学究の目ではないな。何だ、その感情は。

「どうぞ」とカリナ。恩情をかけたか。

「プロフェソール、ホテルを辞してから、姉のアンゲラと一緒に、あなたを説明する言葉を探して、いくつも発見しました。その中で最も重要な言葉は“熱情パイション”であるという結論に至りました。あなたの、研究やフットボールに対する熱情です」

 その言葉は、どこか別のところでも聞いた気が。

「それで?」

「その他に見つけた言葉をここで並べることもできますが、それでは十分でないと、アンゲラから示唆を得ました。つまり、まだまだ足りないのです。それを探す時間がないのは認めます。先ほど、奨学金の話が出ましたので、あなたに付いて合衆国へ行くには、それを利用することになるでしょう。ですが、最も足りないのは私の熱情だとアンゲラは言いました。私の、あなたに対する熱情です」

 もう1分経った気がするね。

「それで?」

「この後、帰国するまで、あなたの時間が許す限り、私をそばに置いて下さいませんか。あなたに対する熱情を掻き立てて、思考を活性化させたいのです」

 それはつまりデートして欲しいということだよな。そんな時間、本当ならないんだって。

「そういうことなら、熱情を掻き立てるのにふさわしい場所があるだろう。カリナ」

はいスィン、ドトール」

「今から行って、カーニヴァルが見られるところを紹介してくれないか」

「サンボードロモに当社の予約席があります」

「使ってもいいかい」

「どうぞ。二人ですか? それとも……」

 そういう視線で見られながら訊かれると「もちろん二人だ」とは答えられないじゃないか。

「君も来るかい?」

「喜んで」

「何なら、他の人も呼んで構わないが」

「いいえ、これ以上ライヴァルを増やしたくありませんから、3人で参りましょう」

 どうやらベチナはライヴァルに回ったようだ。奨学金の話が出て、ハファエラに対する共同戦線を張る必要がなくなったからか。しかし、ハファエラの敵視がまた始まったよ。彼女はおとなしそうに見えるけど、そういう場合、代わりに心の中でドロドロしたものが燃えていることが多くて。いや、前例は少ないんだけど。


 カリナがタクシーを呼んで、ドロモの近くまで乗る。e-Utopiaが持っている席は、パレード通路のちょうど中間辺りにある“セクター7”で、最上の席とされるらしい。

 着いたのは9時半。カーニヴァルは8時から始まっているはずだが、席は埋まっていない。こんなものなのか。

「今夜はまだAグループですから」

 カリナが教えてくれた。サンバスクールは“スペシャルエスペシアウ”とAからEでランク付けされており、ドロモでパレードができるのはスペシャル・グループとAグループ。金曜と土曜はAグループで、日曜と月曜がスペシャル・グループであるらしい。だから本格的に盛り上がるのは日曜から月曜にかけてだそうだ。

 煌々とライトが照らす中、サンバスクールがパレードを披露している。あれは今夜の第2組だそうだ。8時から始まって、まだ第2組!

 一つのスクールは持ち時間が65分から75分、人数は2500人から3000人という制限があるらしい。そんな大規模なものとは思っていなかった。ハファエラに訊くと「私も知りませんでした」。

「私には知らないことが多すぎました。ダンスや音楽はもちろん、スポーツも絵画もゲームも。私はこれから、人が熱情を持ちうるものについて、もっとよく知らねばなりません。もちろん、男性についても……」

 そんなことを言いながら、俺に身体をくっつけてこないで欲しい。午前中はちょっとした想像だけでも「ウアゥ!」になってたじゃないか。あの純情さはどこへ行った。やっぱり心の中はドロドロなのか。

 もちろん、ハファエラだけでは不公平なので、カリナにも質問をする。

「君はカルナヴァルを見にドロモへ来たことは?」

「e-Utopiaへ入社してから、毎年見に来ています。私もダンスが好きですから、音楽を聴くと、身体がつい動いてしまいますわ」

 そんなことを言いながら、俺の腕に胸を押し当ててこないで欲しい。午前中にもう十分堪能したんだよ。しかも水着1枚越しで。あの柔らかさは、マルーシャの胸の揉み心地と共に永久に記憶に残りそうな気がする。仮想世界の中だけだろうけど。

 その辺の感触は無視して、サンバスクールの構成について聞く。まず音楽を奏でるバテリア。基本は打楽器で構成されているが、ギターやカヴァキーニョ等の弦楽器もある。スクールの今年のテーマとなる曲を奏で、歌手が唄う。

 ダンサーは、まずコミサン・ヂ・フレンチ。パレードで先頭を務めるパート。審査員や観客にスクールを印象づける役割を持つ。

 ポルタ・バンデイラとメストリ・サラ。午前中にカリナが教えてくれたとおり、スクールの旗を持つ女性と、それをエスコートする男性。エスコーラの名誉を担う。

 アーラ・ダス・バイアナスとアーラ・ダス・クリアンサス。バイーア地方の民族衣装を着て踊る年配の女性グループと、子供だけで構成されるグループ。

 パシスタ。一般的には派手な羽根飾りなどを付けて踊る女性ソロ・ダンサーと理解されているが、リオのカーニヴァルではそうとは限らない。サンバの基本ステップである“ノ・ペ”に優れた、技巧派ダンサーのことを指す。男性もいる。もちろん、花形であるのは間違いない。

 マラバリスタ。タンバリンに似たパンデイロという打楽器を持って曲芸を見せる男性。

 アレゴリア。飾り付けられた山車。もちろん、テーマに沿った装飾が為されている。

 そしてパレードには参加しないが、演出の監督や振付師もいるし、ファンタジアと呼ばれる装飾デザイナーもいる。

 その全ての人が1年間掛けて、この日に備えるわけだ。いやはや、ものすごい規模だ。フットボールのチームとさほど変わりないじゃないか。

 もちろん、小規模なスクールもある。ダンサーすらおらず、十数人のバテリアだけというのも。ただ、そういうスクールはドロモでパレードをすることができず、町のあちこちを練り歩くのみだ。それでも町の人は喜んでいる。


「ブエナス・ノチェス、ドクトル」

 後ろから俺の肩を突きながら、呼ぶ奴がいる。女の声。聞き覚えがある。振り返るとスサナだった。

「やあ、こんばんはグッド・イヴニング、スサナ。君も見に来たのか」

「ええ、スポーツ省の人からお誘いを受けて」

 個人の資格で来ていると思っていたが、スポーツ省からの招待だったのか。見ると、30代くらいのハンサムな男を連れている。とりあえず挨拶しておく。カリナは既に知り合いなので、ハファエラに紹介する。

 彼女もゲームに参加していたはずだが――そしておそらくは3位になったはずだが――それについては何も言わないことにする。出場者のプロファイルはエクシビション・チーム以外、公開されていないらしいので。

「あそこを見て」

 スサナが、観客席の前の方を指差す。いかにも若い一団がいる。大学生くらいか。

「知り合いかい」

「あなたも知ってるはずよ。ISTの人たち」

「じゃあ、イザドーラ・パリスもいるのか」

「ええ、もちろん」

 それはつまり、スサナもイザドーラに会ったということだよな。いったい何の用で。イザドーラがスポーツに興味があるとはとても思えない。

「君は挨拶したかい」

「パレードを楽しんでいるみたいだから、通り過ぎてからにするわ」

 今のスクールが通り過ぎるには、あと1時間くらいかかるぜ。そんなに待ってられるかよ。

 セクター7のいいところは、審査員席に近いので、スクールが一番張り切ってパフォーマンスをするのが見られることだ。なので、パレードの最初から最後まで見ていられる。

 その最後尾が通り過ぎようかというタイミングで席を立ち、カリナとハファエラに断って、観客席を降りた。前の方へ行って、イザドーラ・パリスに声をかける。振り返ったイザドーラは、ISTで会ったときとは別人のように、活き活きとした笑顔だった。

「どなたでしたか。ああ、財団のセニョール・ナイトですね」

 言葉は素っ気ないが、顔はよそよそしくない。

「君もカルナヴァルを見るのが楽しいのかい」

「もちろんですよ。リオにいるからには、カルナヴァルは最も大きな楽しみの一つですから」

 何となく、義務感のように思えるのは気のせいか。

「ここのカメラ制御システムはISTで作ったらしいが、盗まれたそうじゃないか」

「ええ、とても残念なことです。今年のカルナヴァルでお披露目することになっていたので」

「しかし、新しいコンピューターを持って来て、アプリケイションをインストールし直せばいいだけでは?」

「そう簡単ではありません。盗まれたのはコンピューターということになっていましたが、実際はセットトップ・ボックスで、専用基板を積んでいたのです」

「つまり基板を作り直さないといけなかったと」

「ええ、試作品があったのでそれを使い回して緊急納入しましたが、仕様が少し違っていて、チップの能力もメモリーも足りませんでした。ですから、アプリケイションの一部を削除しないといけなくなったのです。とはいえ、それでも本来の機能は果たせるのですが」

 つまり、削ったのは余計な機能だったというわけだ。要するに、イースター・エッグ。それはいったい?

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