#16:第7日 (23) 別れの挨拶

「変装、つまり不正が発覚した後、彼女は名乗らなかったのだが、スタッフの何人かが彼女のことを知っていて、素性が判った。世界的な有名人らしいね。オペラのソプラノだと」

「そうだ」

「恥ずかしながら僕は知らなかったので、大変失礼したと謝ったよ。彼女の名誉のために公表はしないし、巡査部長サルジャンタにも名前は言わないでおこうと思うが」

「そうしてもらえると俺としても嬉しいことだが、もしかしたら巡査部長サージャントは彼女のことを少しくらい調べたのでは」

 言いながら、巡査部長の顔を見る。巡査部長の視線はずっとエンリケ氏に釘付けになっているが――何という熱っぽい視線であることか――、エンリケ氏から「そうなのかい?」と訊かれて、はっとしたような表情を見せた。

「ええ、素顔をインターネットで容貌検索したら、すぐに出てきましたから。さすがドトールのご友人にふさわしいと思ったくらいで、私も公表するつもりは……」

 その時点ではライヴァル視していたんじゃないかという気がするが、現時点で敵意を持ってないのなら、それでいいことにしようか。

「表彰式でもジョルジーナのことを名指ししなかったのはそのためだ。もちろん、本人は解っているだろうし、後で直接会って話を聞くことにするつもりだがね。とにかく、不正を見つけ出すことができたのは君たち二人がきっかけということで、このとおり礼を申し上げる。それから巡査部長サルジャンタが設計製作した挙動監視システムは不正防止に役立つことが判ったので、今後も利用していきたい。それには警察へ協議を申し込むつもり

「そうしていただければ……」

「しかし、以前の問い合わせでは、警察はその存在を否定した。協力を得るのは難しいかもしれないと考えている。そこで私は、巡査部長サルジャンタ、いや、セニョリータ・アンゲラ・マシャドをe-Utopiaへ引き抜こうと思う」

「!!!」

 これにはさすがの巡査部長も驚いたようだ。はっとして、ソファーの上で座り直した拍子に、胸が大きく揺れた。いや、そんなところを見てどうする。

「今夜これから、セニョリータ・マシャドのプレゼンテイションを聞くことになっているが、議論の中心は、公共の監視カメラの他に、e-Utopiaが適切に監視カメラを追加設営すれば、同じシステムが構築できるかについて、だ。セニョリータ・マシャド、受けてもらえるだろうか」

はいスィン、セニョール。もちろん……」

 それ、俺には使わなかった返事だよな。確か「はいスィン」のみだった。エンリケ氏を上官として認めたということか。

「長い議論になるよ。おそらく今夜は帰れないだろうし、一晩では済まないと思うが、どうだい?」

はいスィン、セニョール。もちろん……」

 答えてから、巡査部長はまたはっとした表情になった。そりゃそうだ、「今夜は帰さない」「毎晩会いたい」って言われてるのと同じことだからな。もちろん、ってことだろうし。

 さて、そうとなったら俺は単なる邪魔者だ。なるべく早く退散しよう。

「ドトール、素晴らしい女性を紹介してくれて、感謝する。また、改めて言うが、君のプレイは素晴らしかった。合衆国へ帰ったら、ぜひ北米版にも挑戦してみてくれ」

「機会があればそうするよ」

 たぶん、ないね。仮想世界で、同じようなステージに当たるはずがないからさ。

「部屋の外でカリナが待っているだろう。賞金の受給手続きをしてくれ。帰りを見送れなくて残念だが、今後の君の活躍を祈っている」

「こちらこそ、e-Utopia社のゲーム事業の成功と繁栄を祈るよ」

 立ち上がってエンリケ氏と握手をし、既に嬉しさで有頂天になっている巡査部長とも握手をして、部屋を出た。予告されたとおり、カリナが待っていた。エレヴェイターで降りながら、カリナが訊いてくる。

「ドトール、あなたへの謝礼支払先として、個人と財団の二つを把握しているのですが、個人の方を使用してよろしいですね?」

 謝礼支払いって何のことだ。ここへ来たのは財団からの“出張”扱いのはずで、謝礼なんか発生することはないはずだが。

「俺の分はもらわなくてもいいんだけどね」

「そうは参りません。返上されると税制上の問題も発生しますし」

 外国人に大金を払うという問題もあるはずだが、それはいいのか。

「いくらだっけ」

「2位の賞金と、1位から没収した賞金の配分を合わせて、60万ドルです」

 後者の方が5倍もあるじゃないかよ。やっぱり500万ドルは大きいなあ。

「どこかへ寄付することは?」

「あなたのお名前を使うことが条件になります」

 できるのか。とはいえ、寄付先がどこも思い付かないんだけど。

「例えば奨学金みたいに使うことはできる?」

「当社が提携する奨学金制度であれば」

「じゃあ、それにしよう」

「それは学生だけでなく、社会人も使える奨学金ですが……」

「いいよ。何か問題でも?」

「私も申請したいと思いますが、よろしいですか?」

 どうして君が。元々は、ベチナやハファエラが合衆国へ留学したいって言い出したから、じゃあ金だけ出してやろう、後は好きにしな、って突っ放すのに使おうと思ったんだぜ。

「支給する人を限定しようとは思わないから、構わないよ」

「では、手続きのために資料を準備します」

 エレヴェイターを降りると、案内されたのはいつも使っている外部会議室だった。

「やあ、ハンニバル。あんたに礼を言ってから帰ろうと思って」

 ウィルたちが待ち受けていた。マヌエラも通常モードに……戻ってない気がするのはなぜだ?

「賞金の支給手続きは終わったのか」

「ああ、僕らみたいに定職を持ってない場合は、方法が決まってるのさ。特定の銀行に預けて、信託制になるんだ。月々に使える額が決まっているとか、大金を使いたいときは申請しなきゃいけないとか。浪費を防ぐだけじゃなくて、犯罪に巻き込まれないためのやり方でね。今までにも莫大な賞金を受け取ったせいで不幸になったプレイヤーの例がいくつもあって、僕らもその点は解ってるつもりさ」

 大金持ちになって浮かれてないのは意外だった。

「とにかく僕らは、あんたに礼を言いたいんだよ。僕らは最初、あんたに悪いことをしたのに、見逃してくれて、その上仕事をくれて、ゲームに参加させてくれてさ。どうしてそんなことをあんたがしようと思ったのか、よく解らないけど」

「楽しいことをやらせりゃ、悪さをしなくなるかと思っただけさ。しかし、それも偶然だよ」

「とにかく礼を言うよ。それと、もうあんな悪いことはしない。金があったら立派な人間になれるわけじゃないだろうけど、次にあんたと会うときには、真っ当なことで名前を知られるようになっていたいね」

 わりあいまともなことを言うじゃないか。ゲームの世界でいろいろなエンディングを見てきて、それなりに悟っているのか。とはいえ、お前らは仮想世界の中のキャラクターなんだけどさ。でも、現実世界からしてきたんだろうし、こういう奴もいるってことだよな。続いてフィル。

ありがとうございましたムイト・オブリガード、プロフェソール。今後のご活躍をお祈りします」

 それからオリヴィア。

「あんたってやっぱりイカすレガル人だったわ。さよならアデウス、ハンニバル」

 俺の本名を忘れたんじゃないだろうな。さて、マヌエラは。

「あなたの名前、ついさっきまで知らなかったんだけど」

 騎士モードじゃないのだけは確定したが、表情は以前とだいぶ違う。不機嫌さがないと、上流階級の令嬢に見えるなあ。

「俺も最初に名乗らなかった気がするよ。改めて名乗ろうか。アーティー・ナイトだ」

「それはもう知ってるわ。それで、私からセニョールに言いたいお礼は、一つだけじゃなくて」

 名前を呼ぶ気がないのなら、名乗るんじゃなかったよ。

「ゲームのことと、もう一つか」

「ええ、私の好きなことを思い出させてくれた、お礼」

「サンバか」

「……あなたって、本当に何でもお見通しなのね」

「カリナがヒントをくれたんだよ」

 マヌエラの視線が、カリナへ移ったが、すぐに戻ってきた。

「彼女には何も話さなかったわ。どうして知ってるのかしら」

「彼女もダンスが得意でね。サンバじゃないらしいが、ダンサーはダンサーのことを見れば解るそうだよ」

「そうだったの。とにかく、サンバが好きだってことを思い出させてくれて、ありがとう。私、ずっと前にサンバで嫌なことがあって、家出したの。今も家出中だけど」

 なかなかハードなシナリオを用意したな。上流階級の家庭から家出して、ファヴェーラに潜り込んでいた? 何ヶ月間、家を出てたんだか。

「家へ帰る気になったか」

「ええ、オリヴィアたちには悪いけど、仲間スクールを抜けることにしたわ。家へ戻って、できればサンバ・スクールにも戻りたいと思って」

「そういうことなら、この後、カーニヴァルを見に行くか」

「今日は……まだ、その気になれない」

 うつむいて、少し暗い顔をしたが、思い直したように顔を上げた。ただし笑顔はなく、神妙な感じ。

「とにかく、お礼を言わせてよ」

「好きなだけ言ってくれ」

 マヌエラは目を閉じ、深く息を吸い込むと、俺の前で片膝を突き、右手を胸に当てた。なんで騎士モードに戻ってるんだよ。

敬愛する我が主メウ・ケリード・メストリ。この度は私の騎士の精神こころを目覚めさせていただき、また配下として戦いにお役立ていただき、ありがたき幸せでした。我が主メウ・メストリに神の祝福がありますように。私はこれからも、我が主メウ・メストリが必要とする限り、いつでも馳せ参ずる所存です」

 言葉は立派だが、本当の騎士モードでないのは、顔色で解った。真っ赤だよ、恥ずかしいんだろうな。ああ、馳せ参ずるってのは、もっと一緒にいたかったっていう思いも兼ねてる? 君の真の気持ちが聞けなくて、残念だよ。

 最後に一人ずつ握手をして、4人は出て行った。さて、賞金に関する手続き。なのだが、テーブルに着くと、向かい側からハファエラが悩ましげな視線で睨んでくる。

 もちろん、朝の議論の続きをしたいのは解っている。ところで、何の議論だっけ。“人工知能と愛情”というテーマで始めて、人工知能に俺への愛情を説明するための言葉を探してる途中だったか。

 しかし、手続きの方が先だ。もちろん、ここでサインを1回書いて終わり、というようなものでもなく、賞金を奨学金制度に使うという契約が最初。運用団体や制度の詳細は今後、e-Utopiaとやりとりして決める、ということにしたが、奨学金の名前だけは最初に決めておかねばならないらしい。

「もちろん“The Z Team スカラーシップ”だ」

「残念ながら、それはもう登録された名前です」

 まさか。

「やっぱりありふれた名前なのかね」

「ええ、eXorkの中では未登録でしたが、一般的に"Z Team"や"Team Z"はありふれた名前のようですので」

 最終とか最高という意味でよく使うからな。最低とか最悪の意味でも使われるけど。

「じゃあ、“AMKスカラーシップ”」

 “アーティー&メグ・ナイト”の略だが、由来は言わなくてもいいだろう。

「その名前は未登録のようですので、登録しておきます」

「奨学金はいつから使えるようになりますか?」

 ハファエラが訊いてきた。早速申請する気か。予想どおりだけど。

「さあね。手続きに1ヶ月や2ヶ月はかかるだろうから、運用は5月くらいからじゃないのかな」

「今から申請を予約してもいいでしょうか」

「それはカリナに訊いてみてくれないか」

「事務局には伝えておきます。私も申請しますから」

「…………」

 ハファエラのカリナを見るあの視線は、“敵視”だよな。一人しか支給されないわけじゃなし、仲良くできないものか。それにどうせ、支給されないんだけどね、この仮想世界では。

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