#16:第6日 (23) 恋せよ乙女

「……どうしても言わなければなりませんか?」

 素の時の凜々しさが嘘のように、巡査部長の態度が弱々しい。これが恋する女というものか。その点があの悪辣な女軍人アリシアと違うところかも。

「言わずに話を進められるものなのかね」

「いえ、お話しするうちに、いずれは判ることでしょう」

 だったら先に言えばいいのに。あまり気を持たせないで欲しいんだが。

「では、話を進めようか。その悩みはずっと以前からのものか、それとも最近か」

「最近です。この火曜日からです」

 火曜日って、俺が警察へ行った日だぜ。やっぱり俺なのか。

「それまでは全く知らない相手だったのか」

「はい……いえ、名前だけしか知らない存在でした」

「何がきっかけで」

「それが……実は、あなたなのです」

 恋する相手が俺? いや、きっかけが俺っていう意味だよな? そうだよな?

「どういうことなのか、やはり詳しい説明が必要だと思うが」

 俺が少し強めの口調で言うと、巡査部長が目を潤ませた。その一瞬、“女”としての魅力が倍加した。強烈なフェロモンを発散しているような気がする。

「解りました。正直に言います……実は、火曜日のあなたの視察の最後に、議論を申し込んだ時点では、あなたに熱烈な好意を抱いていました。署長室でお会いしたときに、一目で好きになってしまったのです。あなたのように優れた知性と素晴らしい肉体を持つ方は、私の理想の男性像で、これまでに近くにいなかった存在なのです」

 “抱いていました”と過去形で言ったからには、今興味がある存在は俺じゃないんだな? がっかり……いやいやいや、ほっとした。少なくとも彼女は、今夜ここで寝かせて欲しいなんて言ったりしないだろう。そういうことならいくらでも相談に乗れる。

「俺に好意を持ってもらえるのは嬉しいが、俺はその期待に応えられないんで、他に興味が移ったのなら望ましいことだ。それで、何をしているときにその人物を知った?」

「あなたへの興味がなくなったわけではありません。その人とあなたでは、6対4くらいの割合なのです。もしその人への思いが叶いそうにないなら、あなたへ気持ちを打ち明けたいくらいで……」

 いや、そいつの方へ行きなよ。しかも俺に「打ち明けたいくらい」って何だよ。言っちまってるじゃん。第一候補の男に手が届かないから、っていうんじゃ。こっちも興醒めだ。

 しかし、今の彼女は心の中が混乱してるから、つい口走ったんだろうな。いいよ、恋する乙女メイデン・イン・ラヴらしくてさ。ただ処女メイデンに見えないところが惜しいくらいで。

「それは解ったから、俺と会った後で、何をしているときにその人物を知った? もしかして、俺からの依頼を遂行してくれているときか」

「いいえ、その前の時点なのです。あなたがお帰りになった後、あなたが入国してから姿を追えなかった理由を、調べ直していました。それで、あなたが会っていた人物を列挙しているときに、目に留まったのです」

 俺がこのステージに来てから会った男の中にいる、というわけだな。しかし無名のNPCではないだろう。そうするとアルセーヌ、ウィルにフィル、交通局の社員、e-Utopiaの社員、そしてコムブラテルの社員の中にいるわけか。

 その中で巡査部長の興味を引きそうな男というと、アルセーヌかエンリケ氏のどちらかだろうなあ。ウィルやフィルはガキだし、交通局やコムブラテルの主要な社員には会ったことがあるだろう。

「で、そいつのことを調べたのか。行動以外も」

「はい」

「十分調べられたか」

「はい、プロファイルには満足しました」

 とするとエンリケ氏だろう。アルセーヌは、いったいどういう職業の人間なのか、さっぱり判らないから。

「自宅や通勤経路も調べた?」

「はい」

 エンリケ氏で確定。アルセーヌはホテル住まいだし。

「自宅か勤務先のどちらかを見に行ったりしたのか」

「……はい」

 巡査部長は首から胸元まで赤くなり、目に羞じらいを湛えている。恋する相手の自宅を見に行くなんて、まるで中学生だぜ。しかし、これが本当に彼女の初恋なら、やりかねないな。俺にも覚えが、いや、そんなことはどうでもいい。

「その人物の名前を、俺が言ってもいいか?」

「そ、それは……できれば辞めていただきたいと」

 名前を出すのも恥ずかしい! 中学生でもこんな奥手はいないぞ。というか、俺がターゲットだったときは議論という名目に乗じて時間を作ろうとしたくせに、相手が変わるとなぜ積極的でなくなるんだ。

「率直に言って、君の方からその人物へ連絡し、気持ちを素直に打ち明けるのが一番いいと思うね」

「私から一方的に知っているだけなのに、どうしてそんなことができるでしょう!?」

 いや、そんなに恥ずかしがらなくても。相手はその世界での有名人だよ。ウィルみたいなファンがいるくらいだ。メディアに登場したこともあるだろうし、ファン・レターを書くつもりで当たればいいじゃないか。

 警察官という肩書きが邪魔をするとも思わない。むしろ堅い職業だけに、相手も安心するんじゃないか。コンピューターのシステムにも詳しいから、話が合うだろうし。

 というか、彼女と会うのが1日遅かったな。昨日、この話を聞いていれば、今日の昼にエンリケ氏と会ったとき、橋渡しができたかもしれないのに。

「それで結局、何の相談をしたいんだ」

「私が今後どうすべきかを……」

「俺に仲介をしろと?」

「可能ならそうしていただければ……」

「それにはやっぱり名前を聞かないといけないじゃないか」

「そうですね……」

「君が言えないのなら俺が言う。このままでは話が進められない」

「恥ずかしいけれど、仕方ありません……」

 ついに「恥ずかしい」という言葉を口にしたな。全く、純情さは中学生で、身体だけは大人――しかも究極アルティメットグレード――の女の相手なんて、やってられないね。ああ、そうか、彼女自身もどうしていいか判らないから、ワインをあんなにがぶ飲みして。

「e-Utopiaの支社長、マルセロ・エンリケ氏だな?」

 真っ赤な顔でカリナが頷く。返事することさえ恥ずかしいって、どれだけ純情なんだ。というか、俺が相手ならもっと大胆に行動してるんだろうよ。あいつと俺に、そこまでの違いがあるとも思えないんだが。

「念のため、彼に対する君の評価を聞いておこうか」

「彼とお会いになったあなたには理解いただけるでしょうが、彼には知性があります。それだけでなく、彼は実はアスリートなのです。大学時代にはバスケットボールでブラジル代表の候補になったことがあります。今も趣味で、仕事の合間や休日にバスケットボールを楽しみ、身体の鍛練も欠かさないと」

 バスケットボールをやっているようには見えなかったがなあ。身長はそれほど高くないし。しかし、バスケットボールはフットボールに次ぐ「頭脳を使うスポーツ」だ。戦略と戦術が重要。身長のなさは、頭脳である程度まで克服できる。確かPGポイント・ガードがそんなポジションだったはず。

 それにしても、彼女の評価ポイントはあくまでも、知力と体力の共存なんだな。しかしその両方を兼ね備えた人物が、警察内で、彼女の周りにいないはずがないんだが。

 それとも、知性については“世間的に高い評価を受けている”ことが重要なのか。それだと確かにある程度限定される。身体については“見れば判る”し。

「彼はメディアで評されたことがあるだろう。それについては」

「インタヴュー記事をいくつも読みましたが、彼の主張はどれも論理的で、理路整然としています。あなたとお話ししたときもそうでしたが、彼に私のシステムを説明して、評価してもらって、意見を伺いたくなったのです」

 なかなか変わってるな。彼女自身のことではなくて、彼女の作ったシステムを理解してもらいたいと。それはもちろん、彼女の知性を評価して欲しいんだろう。身体は、見てのとおりの究極アルティメットグレードで問題なし。ただし、エンリケ氏が貧乳好きフラット・マンでないことを望むばかりだ。秘書の選択の傾向からは、その反対と思うんだけれども。

「ではまず、彼に君のシステムを見せることからだな」

「警察へ招待できるはずがありません」

「なら、説明だけでも十分だよ。彼はおそらく、交通局のシステムを視察している。そのシステムに対してどのような機能を追加したか説明すればいいだろう。論文もある。もしかしたら、彼はゲーム製作の参考として、君の論文を読んだかもしれない」

「まさか! そんなに私のことを喜ばせないで下さい」

 別に喜ばせてるつもりはないんだけどね。可能性を論じているだけで。

「話すなら早い方がいいから、今から打診してみようか。彼の秘書とすぐに連絡が取れるから、明日の都合くらい聞けるだろう。もしかしたら、今夜にでもという返事がもらえるかもしれない。エンリケ氏は仕事が大好きだそうだから、一晩中会社にいるんじゃないのかね」

「そ……そうなれば嬉しいですが、そんなすぐには心の準備が……」

 いや、相談するなら準備してから来いって。

「とはいえ、明日にすると、エンリケ氏の予定が埋まるかもしれない。俺が仲介できるのは明日までだし、連絡だけは今からする」

「……よろしくお願いします」

 ずいぶんと態度が殊勝になった。警察で説明を聞いたときの、きつい感じもよかったんだがな。ともあれ、カリナに電話。すぐに出た。

「まだ何かご用ですか、ドトール」

「今、食事中かい」

「ええ、5人で楽しくやってますわ。ローナの食欲が控えめなのが気になるくらいで」

 ポンを食べ過ぎたせい、とかじゃないよな。俺との“契約”のことで悩んでるんだ。でもどうせ2人前食べてないとか、そんなのだろう。

「仕事の話をして済まないが、エンリケ氏に連絡できるかい」

「もちろん。まだ社にいると思います」

「じゃあ、まずは一言、文民警察が開発している挙動監視システムに興味はあるか、と聞いてみてくれ」

「それは警察に問い合わせをしたことがあるので、もちろん興味を持っていると思います。詳しい話が聞きたければ、彼からホテルへ電話するということにしてよろしいですか?」

「それで頼む」

 電話を切ると、1分も経たないうちに架かってきた。出て「ハロー」と言うと「ドトールかい? マルセロ・エンリケだ」。

 電話をスピーカー・モードにして、巡査部長にも聞こえるようにしておく。巡査部長が激しく緊張しているのがよく判る。

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