#16:第6日 (24) 恋の仲介者
「挙動監視システムには、大きな興味を持っているよ。その開発担当者、セニョリータ・マシャドの学生時代の論文も読んだ。ただ、文民警察に資料を請求しても『そんなシステムはない』の一言で片付けられてね。もちろんシステムの存在は、世間の噂でしかないからだろう。ドトール、君は警察へも視察に行ったんだってね。そこで話を聞けたのかい。羨ましいことだ」
電話の声を聞く巡査部長を見ていると、まるでドラフト会議で指名を待っている学生のようだ。
「その開発担当者から、相談を受けてね。以前からe-Utopiaの事業に興味を持っていたらしくて、公式ではなく、私的にプレゼンテイションをしたいから、仲介してほしいと」
「君の横にいるのかい?」
巡査部長を見る。彼女が顔を横にぶんぶんと振る。せっかくの直接話をする機会なのに、なぜだ。ああそうか、まだ心の準備ができていないから。
「いや、いないよ。ホテルの部屋で、一人だ」
「そうか。今夜、君はデートと聞いたんでね。それが彼女なのかと」
さすがに勘が鋭い。しかし、俺のデートのことを彼に言ったのはカリナか。なぜそんな余計なことを。行動を監視しろとでも言われたか?
「デートの相手はもう帰ったよ。食事だけでね」
「部屋へ誘うのを失敗したかい? それはそうと、いかんせん今夜は無理だ。今日のゲームの評価をしているんでね。君のチームは、前の2ステージに比べて消極的なところが目立つので、明日は挽回を期待しているよ」
「明日のことは、明日ちゃんとやるよ」
「プレゼンテイションについては、明日のゲーム終了後に時間が取れるだろう。表彰式と、講評発表の終了が8時半を予定しているので、それ以降なら可能だ。別の予定が入ってるんだが、他ならぬ君の頼みだし、君の方を優先するよ。彼女にもそう伝えてくれ」
巡査部長は両手で顔を隠す。その仕草は何だ。照れてるのか? この程度で照れてたら、1対1で論文の説明なんてできやしないぞ。
「では、8時半に彼女をe-Utopiaへ呼ぼう。それで構わないかい」
「もちろんだとも。彼女には、会うのを楽しみにしていると伝えてくれ。それじゃ」
まだ忙しいから、という感じで電話を切られた。巡査部長を見ると、顔を隠した手の指の間から、目を覗かせて、電話の方を見ている。まるで電話そのものがエンリケ氏であるかのようだ。
「というわけで、明日夜8時半にe-Utopia南米支社まで来てくれ」
「
いや、相談と仲介がして欲しくて来たんだろうから、改めて礼を言うことじゃないと思うぞ。
さて、“議論”は1時間で終わってしまったが、残りの2時間はどうするつもりなのだろう。まさか、礼としてベッドを共に、ってわけじゃないんだろう? それはエンリケ氏のために取っておくんだろうから。
「明日のための、予行演習に付き合っていただけませんか?」
「プレゼンテイションの? 警察で、俺にやってくれたのと同じでいいと思うんだが」
「いえ、彼に会って挨拶するところから……」
そこから練習が必要か? それより、想定質問と回答をたくさん用意しておいた方がいいと思うぜ。俺がしなかったような質問を、彼なら思い付くに違いないんだからさ。
「ああ、それ以前の問題が。彼と会うには、どんな服装がよいと思われますか? 警察の礼服を着て行くわけにはいきませんので、ビジネス用のスーツがいいでしょうか。かの社ではどんな型や色合いのスーツが好まれているのでしょう。彼の秘書に尋ねてみた方がいいでしょうか。それとも、あなたや彼に合わせて、カジュアルの方が……」
いや、それくらい自分で考えてくれよ。あと、プレゼンテイションが終わった後で、彼と食事に行ったりホテルに行ったりするときの練習までは、付き合えないからな。
「そうだ、このことの礼として要求するわけじゃないが、君の妹、ハファエラを、どうあしらったらいいか、教えてくれないか。明朝会うんだが、彼女は何が目的で、俺と会うことを望んだんだろう?」
「!? ハファエラですか」
下を向いて物思いにふけっていた巡査部長が、はっとしたように顔を上げた。にやけていたのが真顔に戻り、凜々しさが少しばかり復活している。明日の夜のことをいろいろと想像していたのだろうが、気が早すぎるって。
「彼女こそ、あなたと“お話しすること”が目的です。単純に言うと、あなたのことを狙っているのです。あなたのパートナーになりたいと願っていることでしょう。彼女の好みは知っていますし、私も一時的にですがあなたのパートナーになることを願ったので、彼女の気持ちがよく解ります」
そんなことが解っても対策にならないって。ひとまず、大学での講演と質疑、その後、追いかけてきて再質問をしたことを話す。巡査部長の表情が、“警察官”に戻っている。ものすごく頼もしく感じてしまう。
「彼女は“論理”を愛するが故に哲学科に進学したのですが、そこにはどうやら彼女の知的要求を満たす教師や学生がいなかったようなのですよ。誰と議論しても、それは“議論のための議論”にしかならなくて、彼女が思い描く結論に至らないのです。哲学科は形而上的、抽象的な議論を扱っていますが、実際に彼女の欲しているのは唯物的、具体的なものなので」
何だか、議論らしい議論になってきた。さっきまでの“議論”は何だったんだ。
「そうすると哲学科よりも数学科や物理学科に転向をすることを勧めた方がいいのかな」
「本人にも既にその指向があるので、わざわざ指摘する必要はありません。今は、自身が本当に哲学に向いていないのかを検証しようとしているのです。最近は“愛”についていろいろと思索を巡らせているようです。今一番興味を持っているのは、プラトンの『饗宴』です。きっとその話を持ち出してくるに違いありません。準備をされるとよろしいでしょう」
準備ったって、これから12時まで君の予行演習に付き合わなきゃいけないんだぜ。ビッティーとも話に行かなきゃならないし、どこにそんな時間があるんだよ。おまけに『饗宴』に関する資料もない。
「俺は結婚してるんだが、それを言ったら諦めるかな」
「全く効果はありませんね。私も、あなたに興味を持った瞬間は、パートナーがいようといまいと関係ない、奪えるものなら奪いたい、と思いましたから。おそらく彼女は、私よりもその意志が強いはずです」
そりゃ、わざわざ追いかけてきて質問するくらいだから。しかし、そんな情報を教えてもらっても対策にならないんだって。
「議論の参考になるかどうかは判りませんが、この後、家に戻ってから彼女の書きかけの論文をあなたへ送ります。このホテルは、電子メールが使えますね? 夜中の1時でもこのお部屋へ届けるよう、
「よろしく頼む」
「では、今から予行演習に付き合っていただくということで……」
巡査部長がまた“
予行演習が終わり、12時少し前。まだ興奮気味の巡査部長が、豊満な胸を両手で押さえながら言う。
「明日は、あなたも同席して下さいますね、プロフェソール?」
なぜデートに俺が同席しなきゃならないんだ。いや、違うな。その場でデートの申し込みか。それなら仲介者である俺が立ち会うのは、意味があるだろう。
「もちろん、構わない」
それに、どうせゲーム終了後から3時間くらいは、彼女のために予定を空けるつもりだったし。ただ、その頃にはゲートを探さなきゃいけないんだが、大丈夫なのかなあ。もし判らなかったら、マルーシャに教えてもらおうか。
「ありがとうございます! 私は、あなたがうまくハファエラをあしらうことに、協力いたします。もし彼女があなたとの議論を終わろうとしなかったら、すぐ私に教えて下さい。議論の場所はこの部屋ですか? 何なら下のロビーに待機しますが」
そういうことなら“朝のランニング&トレイニング会”に誘ってもいいんじゃないか。提案すると、巡査部長は嬉しそうに「そういうことなら、早く帰って寝ることにします。ああ、妹の論文の件は忘れませんので」と言い残して、帰っていった。嵐が一つ去ったという気がする。
さて、ビッティーとの通信。屋上へ上がる。今日は雨が降っていなかった。ただ、空は曇っていて星は見えず、今にも雨が降りそうな湿気を感じる。「ヘイ、ビッティー!」で呼び出し、スポット・ライトの中でアヴァター・メグに話しかける。
「プラトンの『饗宴』はどんな話か簡単に教えてくれるか」
「ソクラテスを含む饗宴において、恋愛の神エロスを讃える演説及び議論を行ったことを、ある登場人物が過去の話として友人に語るというものです」
それはさすがに簡単すぎて参考にならないな。
「ソクラテスの演説の部分だけでも、ここで朗読できないか」
「長すぎて、時間が足りません」
「なら、要旨だけでも」
「エロスは神ではなく、美と善を探求する
それでも簡単すぎるな。しかし、これ以上詳しく説明しようとすると、発散するに違いない。要するに、3行で要約できないような内容だと。
「ありがとう。ところで俺は、いまだにターゲットが何だか判っていないんだが、ゲームの中のゲームで遊んでばかりいる俺に、君は幻滅するかい」
ゲームだけじゃなくて、恋愛相談までされてらあ。いったい何をやってるんだか。
「私はあなたの行動について、どのような感想も持ちません」
「愛の言葉はメグの時だけ囁いてくれるのか。おやすみ、ビッティー。明日の午前中に会おう」
「ステージを再開します。おやすみなさい、アーティー」
ライトが消えて、幕が上がる。湿っぽい風が吹いてきたが、外の時間は止まっていたので、まだ雨は降り出していない。
12時を過ぎるまで、ここにいようか、と思っていたら、後ろに人の気配を感じた。いや、俺がここへ来たときから、そこにいたんだ。幕が上がってから、俺に気付かせた。そんな器用なことができるのは……
振り返ると、“美そのもの”が立っていた。闇の中で、光の粒子を纏いながら。
マルーシャ・チュライ。
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