#16:第6日 (3) ゲームの評価理論

「さて、簡潔な文章というのを、ネットワークにおける最短経路に例えることにしよう。そうすると冗長な文章というのは“遠回りの経路”に例えることができる」

「なるほど、経由コストの多い道を選択すると、冗長になるというんだな」

「そう。もちろん、同じところを通らない経路とする。そうしないと、際限なく長くなってしまうからね。とはいえ、ネットワークを広げれば、いくらでも経路は長くなる。そうならないために、最短より何%長い経路にするかを決める。その値が冗長度だ。そうすると、同じ冗長度でも、経路が何種類か作れるのは解るね?」

「文章のどこを強調したいかとか、あるいは“格調の高さ”とか、いくつかあるのは解るよ」

「そのとおり。他にもあるが、それらがパラメーターとなる。そのパラメーターは、元の文章を解析することで得る。使われている単語の頻度とか、難易度とかが抽出できる。あるいは、指定した方がいい場合もある。どのセンテンスを強調すべきか。複数になることもあるだろう。注意すべきは、要約は参考にならないということだ。小説のあらすじならともかく、論文の要約は、前提と結論が書かれている。論文本文の主目的はその間を論旨で埋めることなので、前提と結論が強調されても意味がない」

「なるほど。他には、タイトルから強調すべき単語を取り出すくらいかな」

「いい着目点だ。まさにそのとおり。しかし、著者はたいてい違うところを強調したいと思っている。プロフェソール、君の論文なら、シミュレイションのための方程式とパラメーターの選択というところか」

「そのとおりだ」

「だからそれは、パラメーターとして別に指定しなければならない。それに、指定した部分の冗長度と、他の部分のそれを変えるとか」

「濃度が一定では、どこが論文の要点か解らなくなるものな。読んでいても盛り上がりがなくてつまらない」

「それも重要だ。いわゆる演劇構造ドラマティック・ストラクチュア。論文には必要ないという人も多いが、序盤で疑問を提示し、中盤で推論を重ね、後半で解決に至るというのは、読んでいて興味を引くし、解りやすいのは間違いない。別に、映画のように三幕構成にする必要はないがね」

「科学系の論文に、必要とは言わないが、あってもいいだろうな」

「それをするには、元の論文から、論旨の展開順序まで変えなければならないこともあるだろう。しかし、アルゴリズムはそこまで論文の内容を理解できないので、できあがった文章を、注意して読み直す必要がある。論旨が破綻しているかもしれないからね。しかし意外と、冗長なのに元の文章より解りやすくなったりすることもあるんだよ。元のが、僕が書いたものだったりすると、自分の文章能力のなさを情けなく感じることもある」

「しかし、論旨が変わってないのなら、元の文章に、書くべきことが十分に書かれているということなのでは」

「僕もそうやって自分を慰めているんだがね」

「他の論文では?」

「プロフェソール、君の論文ももちろん試したよ」

「結果は?」

「たいてい、元の文章より解りにくくなる。かといって、元の文章が適切な冗長度とは思えないんだが、どうやら内容に関係しているということが判った」

「内容というと?」

「君の論文で冗長化する部分は、さっき言ったとおり、シミュレイションのための方程式とパラメーターの選択についてだ。ところが、方程式を立てたり、変形したり、解いたりする理由が、アルゴリズムには理解できない。方程式の内容そのものも理解できない。人間だからこそ理解できるものだからね。つまり、式と式の間の文章を冗長化しても、意味のない水増しにしかならないんだ。最後の、シミュレイション結果に対する考察も、冗長化する意味がない文章だ」

「なるほど」

「要するに、論理展開が言葉として十分に書かれている論文は、冗長化できるし簡潔化もできる。式や表やグラフが多い論文は、アルゴリズムがその意味を読み取れないので、冗長化は無駄でしかないということだ」

 ハンサム・ガイの研究に、俺の論文が役立たないのは残念だった。内容ではなくて、文章としてだが。

「ところで、根本的なことを訊いていいか。この研究は、具体的に何に役立つ?」

「役立たなければ意味がない、と指摘したいわけではないだろうね?」

 相手はにやりと笑った。そういうところもやはりハンサム。

「もちろんだ」

「当然のことながら、論文の校正に使える。先ほど、格調という言葉を使った。こう言っては変だが、特定の学会では、少々小難しく書かれた論文を高く評価する場合がある。そういう連中を納得させるのに役立つ」

 ハンサム・ガイはそう言って楽しそうに笑った。

「冗長度を最高に上げたら、哲学の論文としても出せるかな?」

「あるいはね。偉い哲学者が、騙されて高く評価してくれるかもしれない」

「ただ、本意ではない使い方のようにも思えるが」

「そのとおり。今のはジョークとしての使い途。他に考えているのは、ある説明を、より詳しく言い直すための文章を作ることだ。君、ファティマの研究を知っているね。コール・センターのオペレイターの補助に使える研究だが、オペレイターというのは客から訊き直されたときに、説明を変える必要があるだろう? 同じことを言っては、相手は怒ってしまう」

「なるほど。より具体的に、あるいは例を挙げて説明する方がいい。それを自動で生成するのに使えると」

「もう一つは、冗長度を上げつつ平易な言葉に変換すれば、子供が読んでも理解できるかもしれない。そうすると子供の科学教育に役立つ。ABCの存在意義の一つだ」

「冗長な研究とは言えなくなってきたな」

「今考えているのは、論文を会話形式に変換できるかどうか。TVの科学サイエンスショーで博士と子供が会話するときのように。博士が一方的に説明するのではなく、子供から質問を挟んだり、相槌の台詞を挟んだりするんだ」

「『やあ、博士、解ったよ! それは何とかブラーブラーということだね』と言わせるわけだ」

「そう。もちろん、そういう冗長化ができる論文は限られていると思うけれど」

「俺のはきっと無理だ」

「君のは会話で説明するより、シミュレイションそのものを動画で見せる方が解りやすいから」

 終わりに彼にも、隠し機能のことを尋ねる。

「論文の中に、ジョークを忍び込ませるアルゴリズムを作りたいんだが、なかなかうまくいかない」

 ハンサム・ガイは、それこそジョークを言うときのように、にやにやしながら答えた。これもどうやら“イースター・エッグ”のヒントにならない。


 3人目はゲーム研究者。もちろん、ヴィデオ・ゲームの研究で、Ludologyルドロジーというそうだ。日系人で、30代後半だがもっと若く見えて、すっきりした容貌の男だが、内面はきっとOtakuオタクだろう。目がそういう感じ。

クソゲークラッピー・ゲームズの研究をしてるんだ」

 大手のゲーム開発会社は、巨費を投じてヴィデオ・ゲームを開発するものだが、その中には稀に、“とてもつまらないゲーム”が作り出されることがある。“つまらない”の定義は少々難しいのだが、基本的には「プレイヤーが感じる面白さが、費やした金銭や時間に甚だしく釣り合わないこと」とされる。

 注意すべきは、開発予算と面白さが見合わない、というのではないこと。少ない予算でも、長くプレイできるゲームを作ることができるから。

 ただ、開発会社は発売にあたって、ゲームが売れるように宣伝を打つ。その中には、開発期間や費用が明示的に含まれることがある。期間が長く、費用が大きいほど、プレイヤーの期待度は増すわけで、わくわくしながら購入し、プレイした結果、期待を遙かに下回るものであったなら、それはクソゲークラッピー・ゲームに分類されるであろうことは、容易に想像できる。

「期間や費用が公開されないことも多いけれど、それはゲームのバイナリ・データを解析すれば、ある程度判る。ステップ数、画面数、シナリオ文字数、音楽・音声データの量なんかからね。面白いかどうかは、ゲーム・レヴュー・サイトの評価を参考にする。特に、面白いか面白くないかの理由がはっきりと、分析的に書かれているものを」

「しかし、それだと個別のゲームを評価するだけになるのでは?」

「それがねえ、いくつかの傾向があるんだ。操作性が悪いとか、シナリオが単純すぎるとかが、評価が低いのは当然として。その他に、登場人物の行動原理に基づく理由というのがあって」

 多くのゲームには“世界観”が用意され、その中での主人公――プレイヤーの分身となる存在――の役割が作られている。それが行動原理。事細かに設定しているゲームもあるが、概して、設定が単純なものの方が、“外れ”が少ない。

 細かい設定があるゲームの、何がいけないのか? それは、行動原理とシナリオに、大きな乖離ができてしまうことがあるためだ。

 要するに、ゲーム世界において主人公には大きな役割や目的が持たされているのに、それを達成するための手段や行動のクオリティーが低いと、評価が低くなる。例えばアドヴェンチャー・ゲームなら、シナリオの作りが甘いとか。

 ただ、難しすぎても評価が低くなることもある。どういった範囲に収まっていれば、高い評価が得られるかは、何とも言えない。しかし、低評価になるものは、いくつかのパターンがあるのは判っている。

「例を一つ挙げよう。それはアドヴェンチャー・ゲームの一種だ。ゲーム世界の中で、三つの宝を探す。それが最終目的。ところが探す理由として、『その世界はある天才プログラマーが作った仮想世界であり、宝を探し出すと、彼の莫大な遺産を得ることができる』とされた。そして『数年間、多くのプレイヤーがそれを探したが、見つからなかった。あなたはそれを探すことができるか?』と。実に壮大な世界観を作ったものだが、これにリアリティーがあると思うかい? 莫大な遺産はともかく、数年間も宝が見つからないなんて、あるだろうか? しかも実際のゲーム内では、ちょっとしたチーティングを発見すれば、宝が見つかるんだよ。プレイした人のほとんどは、『これが数年も見つからないなんて!』と思うわけだ。他のゲームに、もっと難しい謎解きがあるだろう、と。用意した世界観に見合わないシナリオを作ると、そういった低評価につながるってことだよ」

 そういえばフットボールのヴィデオ・ゲームでも、できそうもないプレイをひたすら試したり、ゲーム・システムの“抜け穴”を探し続ける奴がいると聞く。

 そういった連中にかかれば、発売から1ヶ月もしないうちにあらゆるが行われ、開発者が仕組んだシナリオは徹底的に分析され、“イースター・エッグ”やバグすら見つかるというわけだ。「数年間も、誰も解けない謎」など、ゲームの中に存在するはずがない。

 作る側が、プレイする側よりゲームの知識で劣っていると、そういう事態が起こってしまう。

 もっとも、セールスの立場としては、売り口上は壮大であればあるほど売り上げが期待できるというわけで、「もっと大袈裟な設定にしろ」と開発側に指令を出したりするのだろうと思う。クソゲークラッピー・ゲームにおける“乖離”は、そこにもあるということだ。

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