#16:第6日 (2) 絵画と文章

「やあ、待たせた」

 オーレリーが帰ってから、ファティマの車のドアを開けて声をかけた。しかし、ちょっと思い付いたことがあって、一言断ってから、ホテルのフロントレセプションへ行く。

 アイリスに、調べ物の依頼の追加。ジョルジーナという画家について。言伝てをしたフロント係デスク・クラークもその名を知っていて、「確か、リオ美術館で企画展をやっていたのでは」と言う。なかなか使えるフロント係デスク・クラークだ。美術館のリーフレットをもらって、車に戻った。

「遅くなって済まない」

「いいえ、あなたがお忙しいのは解ってます。道路が空いてるから、10分くらいで着くでしょう」

 ファティマは笑顔でそう言って、車を出す。アトランティカ通りを走りながら、「明日は美術館へ?」と訊いてくる。

「行くかどうか判らない。とにかくいろんな情報を集めていて」

 まるでゲームのようになってきた。

「先ほどの、オーレリーという方は、どういうご関係です?」

 おやおや、ファティマがそんなことに興味を持つと思ってなかったな。

「人捜しを手伝ってもらってるんだ。友人がリオに来ているんだが、連絡が取れなくなってて」

「まさか、誘拐された?」

「リオではそういうのはよくあるのかね」

 マルーシャならそういう心配はないものと思ってたんだが、初日にファヴェーラで襲われたということだし、彼女には酷なシナリオが用意されているのかもしれない。

「普通は、金目の物を奪われてから、すぐに解放されるんですが」

電撃誘拐エクスプレス・キッドナッピングだろう。それじゃあない」

携帯端末ガジェットで連絡できないのなら、少し心配ですね」

「気まぐれで身を隠していたとかなら、いいんだがね」

 とにかくオーレリーのことはこれでごまかせたようだ。ファティマは、今日の“アジェンダ”を話し始めた。彼女の研究説明の続きだけではなく、他に3人も来て話をしてくれると。

「昨日、キャンセルになった分?」

「二人はそうですが、一人は違います。どうしても今日、都合が付かない人がいて、その代わりに」

「休みなのに申し訳ないな」

「いいえ、みんなあなたに話を聞いて欲しいんですよ。私が独占するわけにはいかなくて」

 熱心なことでいいが、どうして俺なんかに。他の奴は聞いてくれないのかね。

 ABCアカデミーに到着。ぴったり8時だったが、入り口を開ける管理人が来ていなかったので、しばらく待つ。さすがブラジル。

 その間に、最初の説明をする研究者が来た。女。長い金髪の、美人。「おはようボン・ヂーア、プロフェソール!」と愛想よく言いながら抱き付いて挨拶。ついでに頬にキスもくれた。

「アリースィ・リーマです。あなたに私の研究を説明する機会が持てて、とても嬉しいです。抽選に外れたときは、ショックを受けていました」

 抽選って何だ。昨日の説明会の人選は、抽選だった? そりゃ、それが一番公平なんだろうけどさ。


 管理人が10分遅れでやって来て、建物に入ることができ、アリースィの研究室へ行く。計算機数学で、画像変換を研究しているとのこと。

 例えば、ということで、まずガウシアン・フィルターによるの原理を聞く。中心となるドットの色と、その周囲の色に、重みを付けて計算すればいいので、これは簡単に解る。

「もちろん、そういう単純なことを研究しているわけではなく、特に絵画の画像から、その芸術性を評価するというのがテーマです」

「芸術の評価というのは、定義が難しいとよく言われるけど」

「いいか悪いかを評価するのは難しいです。しかし、絵画的傾向、いわゆる画風というのを、取り出して評価することができるのですよ」

 画像処理を行うアプリケイションに、“有名な芸術家の画風に似せるよう変換する”というものがある。写真や絵を変換して、ゴッホ、ピカソ、セザンヌ、モネなどが描いた絵画のようにするものだ。

「そういうアプリケイションでは、通常は色を変換することで、絵画風にしています。いわゆる“タッチ”や“色使い”をそれらしく見せるわけです」

 そして実際に画像処理を見せてもらう。なるほど、写真を“ゴッホ・フィルター”にかけると、ゴッホが描いたような感じの絵に変換される。

「しかし実際の絵画というのは、特に写実的なものでなければ、構図を変えているはずです。別の言い方をすると、絵画的に形を歪めるわけです。そしてそれは、画家ごとに特徴があるのですよ」

 なるほど、解る気がする。そこで、セザンヌの『サント・ヴィクトワール山』を例に見せてもらう。セザンヌが描いたと思われる地点から、同じような構図で写真を撮っても、細かい点どころか、大きく違う部分が多々ある。

 それはセザンヌの頭の中に“理想的なサント・ヴィクトワール山”というのが存在し、その特徴となる部分を強調しているから、そうなるのだ。

 そこで、各画家の“特徴的な形の崩し方”を研究した。崩し方とは、位置の移動や角度の変更のこと。そしてその変換まで含めたフィルターを開発した。これにより、他のフィルターよりも、さらに“それらしい”変換ができるようになった。

 それだけはなく、実際の絵を逆変換してみた。

「そうすると実在の風景や人物に近付くはずなのですが」

「そんなにうまくいくものかね」

「いくものと、いかないものがあるのですよ。うまくいく絵は、世間の評価も高いのです。要するに、絵画としての値段が高い!」

「うまくいかない絵は、値段が低いのか」

「おおむねそういう傾向です」

 逆変換した画像を見せてもらった。確かに、“自然”に見えるものとそうでないものがある。

「つまり、それをもって芸術性が評価できると」

「そうです。ただ、逆変換された絵を人間が見て評価するというところがよろしくないので、数値的に評価することが今後の課題です」

 ちなみにピカソの絵はフィルター作りが難しく、ゴッホ、セザンヌ、モネは比較的作りやすいそうだ。さらに、油絵よりも水彩画の方が作りやすい。だから今は主に水彩画の方の研究を進めていると。

「ところで、ジョルジーナという画家を知ってるか」

 運よく水彩画というの言葉が出てきたので、訊いてみる。

「ジョルジーナ・デ・アルブケルケですか。古い時代の画家ですね」

「いや、そうじゃなくて最近の画家らしいんだが」

 同じファースト・ネームの、過去の画家がいるとは知らなかったぞ。19世紀から20世紀の人物で、フランスで絵画を学んだ?

「最近の画家は知りません。どんな絵を描くんですかね」

 俺も知らないので、ウェブで調べてもらった。いくつか絵の画像が出てきたが、アリースィの好みではないらしい。

「芸術的価値があるとはとても思えないですが」

 しかも手厳しい感想まで。たまたま名前を聞いたので、と言い訳しておく。

「そうそう、君が作ったフィルター・アプリケイションに、何か隠し機能はあるかい」

「隠し機能ですか。それはありませんが、いろんなフィルターをかけていると、子供の落書きみたいな絵になることは発見しましたよ。つまり、いろんな画家の画風を入れると、芸術性がなくなってしまうみたいなんです」

 残念ながら、“イースター・エッグ”のヒントにはならないようだ。


 礼を言い、次の研究者のところへ行く。

 やはり計算機数学。30代前半で、羨ましくなるようなハンサム・ガイ。ただし身体は鍛えていなさそう。それはどうでもいい。研究テーマは文章解析。

「文章を冗長化するアルゴリズムを研究している」

「要約するというのはよくあるが、その逆?」

「そう。もちろん、無制限に冗長化するわけではないよ。ちゃんと意味が解る程度に長くする」

 元々は、彼自身が書く論文の文章が冗長であると指摘されたことから。しかし、無駄な語句を付け足しているという認識は彼になく、重要だから丁寧に説明すべきだと考えている部分で、修飾語が多くなったり、同じようなことを繰り返し主張する文章になったりしていた。

 当然、最初は簡潔化を研究した。しかし簡潔な文章は読んでいて“味気ない”だけでなく、時には解りにくくなったりもするらしい。つまり、あるセンテンスを理解するのに、その前の内容をきちんと理解していないといけない、ということがあるのだ。

 だから簡略化にも“適度な冗長さ”が必要になってくる。読み手の理解を助けるために。その適度とは何か? 多すぎると判断されてしまうのは、どれくらいの冗長度か?

 いろいろと考察しているうちに、とりあえず「最大の冗長度」を極めてみようと思い立ったそうだ。

「さて、冗長度が高いとは、どういう文章と思うかい? 既に説明した、文章が長いこと、修飾語が多いこと、同じ内容の繰り返し以外で」

 言語のことで、俺を試さないでくれるかな。俺も説明が回りくどいとよく言われるけど、理由を解明しようとは思ってないんだ。

「代名詞が多い」

「いいね。それが何を指すか解りにくいときだ。他には?」

「関係代名詞による修飾が長い」

「いいね。文章の途中に長いのが挟まると、意味が取りにくくなる。しかし、正しい場所がどこかは非常に難しい問題だ。他には?」

「"of"の連続。ポルトガル語では……」

「"do"だ。それも正しい。感覚的に、許容できるのは二つかな。他には?」

難解なエソテリック単語」

「アッハ、“難しいヂフィシル”をわざわざ難しく言うとは。それもそのとおり。ただ読み手にとっては、平易な言葉では安っぽく、難解な言葉を使うと格調高く感じられるので、繊細な問題だ。他には?」

「強調語。“基本的ベイシカリー”にとか、“いわゆるソー・コールド”とか」

「そう。本当に強調したいところだけに入れるのが正しいが、論文ではつい多めに入れてしまうからね。他には?」

「二重否定」

「それも強調するために入れたくなるね。他には?」

「注釈と参考文献が多い」

「ハ、ハ、ハ! 一つの論文の中に、どれだけの論旨を詰め込むかは、確かに重大な問題だからね。他には?」

「まだあるのか。もう思い付かない」

「評価が難しいことだが、論理展開の濃度というものがある。説明の質は一定している方がいい。強調したい部分だけ、濃くする」

「それをやり始めると、推敲が終わらない。論文校正エンジンにかけても、指摘してくれないんだよ。いつも困ってる」

「僕も推敲をしていると、削るところより増やしたくなるところばかりが目に付くんだ。さて、冗長な文章例を読んでもらうのは、それこそ時間の無駄なので、冗長化アルゴリズムについて聞いてもらおうか」

 冗長な論文を読んで、感想を述べよと言われたら困るなと思っていたので、助かった。

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