#16:第5日 (3) 学科巡り
昼食の後は学科巡り。まず、情報社会学科。ここでもやはり、若い准教授と学生数人がお出迎え。まずは准教授から情報社会学とは何かを聞く。情報の量と質と伝達手段、それに関わる技術を学ぶところであると。
次にハンサムな男子学生が登場。見せてくれた研究成果は、俺の論文と関係していた。シミュレイションでは、行動の決定は確率的に為されるが、「その決定にあたり、どんな情報を得たのか」をいろいろと考えてみたらしい。
シミュレイションの見かけ上は、一瞬にして決定されている。しかし、実際は幾ばくかの時間をかけて為されるわけであって、そこに確率的な要素――要するに個人の気まぐれ――が入るにしても、決定のための論理というものが存在するはずである。そしてそれは何通りか、あるいは何十通りかのパターンに分類されるであろう。
思考時間中に与えられる情報の量、質、伝達手段をパラメーターとして、決定アルゴリズムが構築できるはずである。
「性格分類のようになったんじゃないのかなあ」
「そういう言葉で表現しても構わないです。多数派は、四つまたは五つのグループに分かれました。残りの少数派は、パラメーターと関係なしにランダムな決定をするとしてもいいくらいで」
そういえば心理学では、性格因子は五つあることになっているという。でも、俺はそれを信用してないんだけどね。
コンピューターで簡易版シミュレイションを見せてもらう。地図上の移動体が六つに色分けされている。もちろん、グループごとの色分け。
同じ色の移動体が、同じような行動をしているかは、これでは判らない。しかしあるポイント――例えば交差点――の統計を見ると、グループごとに傾向がある。
「それは、そうなるようにアルゴリズムを組んだからでは?」
「でも、グループ分けせずにプロフェソールと同じ行動決定アルゴリズムにしても、シミュレイション全体の動きはほぼ同じになるんですよ」
俺のシミュレイションはパラメーターが多すぎる、もっと少なくても同じことできるのだ、と言われている気がする。ただ、“ほぼ同じ”ということはわずかに違いがあるわけで、そこが俺の論文の重要なところだ、と言い訳したいくらいだな。言わないけど。
むしろ彼らの成果は、決定アルゴリズムのパターンをいろいろと考えたことだろう。その試行錯誤に価値があると思う。それが研究なのだから。
続いて、都市社会学科。准教授は若いとは言えない女だったが、本質的ではないので気にしない。1920年代のシカゴ学派から始まる都市社会学の概要を、延々と聞く。専門用語が頻繁に出て来て、その説明や質疑で時間がかかる。
長くなりすぎたため、20世紀後半をすっ飛ばして、現在の研究の説明にようやく至った。俺の論文を参考にして、治安を評価するシミュレイターを作ったという。
ここからは、やはりハンサムな男子学生が説明する。地図を表示したディスプレイと説明パネルで、シミュレイションの概念や要素をいろいろと聞かされる。
「治安の定義は」
「シミュレイターでは、突発事象によって系が大きく乱され、それが収束するまでの時間、としています」
「軽犯罪が起こってから、犯人が逮捕されるまでのイメージか」
そりゃ、シミュレイターでは汚職や収賄なんて再現しようがないものなあ。
突発事象が起きると、二つの要素が動き出す。原因を取り除こうとする要素と、その他の移動体の秩序を回復しようとする要素。もちろん、これは警察官の想定。しかし、短時間で収束するには、“その他の移動体”が秩序の回復に協力しなければならない。協力的な行動にはいくつかのパラメーターが関係するのだが、最も貢献したパラメーターは何か?
「おそらく、謙虚さ。即ち、他者を優先させる」
「やはり簡単に判ってしまいますか……」
「治安といえば日本、日本といえば謙虚だろ。それ以外なら、警察権力を独裁国家並みに強力にするしかないよ」
その他には、“原因を取り除こうとする”ことに協力的な移動体が多いと、やはり秩序回復が早くなるそうだ。そこはもしかしたら、日本より合衆国の方が優れているかもしれない。みんな、ヒーローになるのが好きだから。
ブラジル人の気質で貢献する要素は……“秩序の回復が遅くても気にしないおおらかさ”じゃないかと思うが、どうなのかなあ。
そして三つ目、数理経済学科。経済と数学は切り離せないものだが、数式で経済を語るというのは、どうも好きになれない。ここで出てきたのは他と違って年配の男で、しかも
「聞くところによると、プロフェソール、あんたは経済学に関して全く信用していないということだが」
「いや、最近信用するようになりましたよ。ハンガリーで、ハルシャーニ・ヤーノシュの業績を聞いたので」
「ゲーム理論か。しかし、その研究者は先進国ばかりだということを判っているかね。つまり、ゲーム理論でモデル化されるような経済は、先進国のような理想的環境においてのみ役立つということだよ」
「もちろん、そうでしょう。理論化には経済を阻害する要因が少ない方がいいから」
「しかもゲーム理論を適用することは、富める者にますます富を集めるという要因になり得る。即ち国の中で資産家がより資産を集め、先進国が途上国の財を搾取するということだよ」
「金はあるところに集まるものですから、そうでしょうね」
「しかるに世のほとんどは低所得者であり、富の配分を必要としている。経済学者とは彼らのような層のために理論を構築することが、世の貢献になると思わんかね」
「もちろん思いますとも。私ももう少し所得が高ければ、出張に妻を連れてくることができたと思いますんで」
「あんたは自分が作った理論で自分の所得を増やすこともできんのかね」
「公正としての正義のための研究で、利他的なもののつもりですのでねえ」
以下、ほとんどお説教のような数理経済学の講義が延々と続く。途中でファティマが止めてくれなければ、あと1時間は続いただろう。
不満そうな教授の横で、同じように気難しそうな女子学生が研究について説明。予想どおり、俺のシミュレイションの一つに対して、経済的な評価をしたものだった。もちろん、シミュレイションは計算機リソースの都合で簡易版。
「ご覧のとおり、プロフェソール、あなたのシミュレイションにおける人の移動は、経済的に非効率となっていますので、もっとコストを行動選択に反映させるべきと考えられまして」
「移動コストはいろいろなパターンがあるから、モデルにする都市を決めるときに反映させればいいのであって、この論文のシミュレイションでいろいろ試す必要はないよ」
「しかしこれは合衆国の平均的なモデルであって、それと大きく違う場合には、シミュレイションの結果自体も矛盾するようなことになる可能性もあると考えられまして」
「移動コストには基本的に国や地方自治体のエネルギー政策が反映されるから、論文では典型的と思われるパターンだけを扱っていて、例外があっても俺が責任を取るようなことじゃないよ」
「しかしそれでは、不利な状況にある人々の利益の最大化を図るという、公正としての正義の原則から外れた結果になることが考えられまして」
「では、君はどういうモデルが優れていると思う? リオ・デ・ジャネイロをモデルとしてシミュレイションを構築したら、結果はどうなった?」
「それは今後の研究課題ですが、まずはプロフェソール、あなたの建設的なご意見を参考にしたいと考えていまして」
自らを良くする策を持たない経済学者に、どんな意見を言えばいいというのか。これだから、俺の経済学不信はなくならないんだ。
学科訪問を終え、ファティマの運転する車で
「それだったら、この時間を食事に当てればよかったのに」
「いいえ、
「つまり、2時からと言っていたけれど、到着次第、話をしたいと」
「講演は予定どおり2時15分からですよ」
「それまでの1時間は誰と何の話を?」
「もちろん、私に決まってるじゃないですか!」
それでそんなに嬉しそうな顔をしてるのか。車はラジアウ・オエステ通りからプレジデンチ・ヴァルガス通りへ入り、広い道を快走する。正面にノッサ・セニョーラ・ダ・カンデラリア教会が立ちはだかると、リオ・ブランコ通りへ。
「3階まではオフィス・テナントが入っていて、
こんなところに停めるのは路駐ではないのか、と思うような場所にファティマは平気で車を停め、俺を促してビルディングへ。エレヴェイターに乗り、3階へ行って、まずは型どおり
応接室のソファーに座り、
してみると、予算の半分くらいは国から出ているのだろうか。それでこんなスカスカのスケジュールでは効率が悪すぎる。5日間、毎日9時から6時か7時までやるべきだろう。そうなってないのは、ブラジル側の都合なのか。
こんな余計なことに文句を付けたくなるとは、俺もどうかしている。まるで本物の研究者になったかのようだ。仮想記憶が増えたせいかもしれない。
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