#16:第5日 (2) チャーミングな研究者

 ドトール・モイセスは9時半に来た。なるほど、綺麗。というより、チャーミングかな。

 部分的に金色にしたブルネットの長い髪を後ろで丁寧に束ね、知性的な額を出している。目は少し垂れ気味で、その分吊り上がった眉でバランスを取っている。そして形のいい薄い唇。全体的に童顔。しかし博士ドトールなのだから30歳を超えているはず。我が妻メグに並ぶ若々しさ。

 小柄で、身長は5フィートを1インチ超えるかというところ。しかし、出るべきところは出ているし、ウエストは細そう。真っ白のブラウスに、ダーク・ブルーの膝丈のタイトスカート。そして俺が不躾に眺め回しても気にする様子がない。

ようこそベン・ヴィンド、リオ・デ・ジャネイロへ、プロフェソール・ナイト! ABCアカデミア・ブラジレイラ・ヂ・シエンシアスのファティマ・モイセスです。招待を受けて下さり、ありがとうございます。本来ならあなたの出張中、ずっと私が付き添わなければならないところ、本日まで対応できず、まことに失礼しました。急な出張で、昨日までアルゼンチンへ行っていたものですから」

 立派な挨拶をもらってしまった。しかし、確かに今さらという感じはある、日曜日に空港で、彼女に出迎えてもらわないといけなかったんじゃないの、とか。

会えて嬉しいよナイス・トゥ・ミート・ユー、ドトール・モイセス。この度は招聘ありがとう。君に手間をかけないよう、勝手に行動させてもらったが、どこでも面白い研究をたくさん見られて、興味が尽きない。今日はよろしく頼む」

「今日お見せするトピックスも、あなたに満足いただければ嬉しいです」

 それでは車へどうぞと言われて、助手席に乗る。外は綺麗に晴れていた。走り出すと、さっそく質問。

「金曜に予定を入れてない理由は、本当にカーニヴァルのため?」

「そうです。というのは、半分だけ本当です。カーニヴァルは夜からですからね。だから、その日はあなたとデートをしたくて」

 いきなりデートに誘ってくるとは、さては彼女も痴女か。いや、この笑みは違うな。ジョークで言ったんだろう。

「デートの行き先はアカデミー?」

「はい、私の研究を詳しく紹介したくて。それに、あなたにいろいろと質問を」

 金曜は、主だった学校や会社、もちろんアカデミーも、休日になっている。以前は月曜と火曜だけが休日だったのだが、5、6年前からどこも金曜を休日にするようになったそうだ。

 しかし、アカデミーは休日出勤する人がたくさんいる。俺に見せたい研究もたくさんある。だが、休日に公式の視察予定を入れるわけにはいかない。そこで、な視察にしようと考えた。俺が希望したことにすればいいのだ。だから、今日まで金曜の予定が入っていなかった。

「それとも、もう別の予定を入れてしまいましたか?」

「時間は確定していないが、会いたいという人物が3人もいて」

「やはり研究者ですか?」

 そうじゃない。いや、一人は科捜研の技官で、一人は哲学者の卵、もう一人だけは確実に違う……

「もちろん、そうだ」

「今日の視察が3時間になってしまった分、たくさんお見せしたかったのですが、残念です」

「朝早くからすればいいんだ。どうしてどこも10時からなのかな。7時からでも行くよ」

「本当ですか! では、予定を考えておきます」

 その後は、ドトール・モイセスの研究内容を聞く。彼女が応用数学の研究者だということは、かろうじて“仮想記憶”に入っていた。機械学習の一つである、音声認識による電話通話内容認識および回答支援。

「つまりコール・センターのオペレイターの補助のような」

「そうです、そうです。万能の会話はできませんが、分野を限るとかなり高度な受け答えができます」

「もちろん、デモンストレイションを見せてくれるよな」

「はい、楽しみにしていて下さい」

 大学のキャンパスは、もちろんマラカナンの西。確かに、e-Utopiaと目と鼻の先。カリナが見に来ているかもしれない。

 着くと、社会科学の学部長の部屋へ行って挨拶。学部長はドトールとも親しげに挨拶している。

「彼は学部長であると共に、州立大学社会科学研究所の所長でもあります。私の指導教官でした」

 応用数学科は、ここでは社会科学部に属しているらしい。研究所と大学の説明を受け、さっそく講演。もちろん、昨日の連邦大学と全く同じことを話すつもり。

「工学部と工科研究所は、ここから北東へ100キロメートルほど離れたノヴァ・フルブリゴという町にあるのですが、今日はそこからも学生が参加する予定です。もちろん、ウェブでも中継して、学内のどこでも見られるのですが」

 講堂へ歩きながら、ドトールが楽しそうに説明してくれる。

「連邦大学では、ウェブの聴講者は質問ができないという制限付きだったな」

「ここでは誰でも質問できるようにしますから」

 それでも“嘘”をちゃんと見抜く学生はいるかなあ。ちょっと心配になる。ここでは開演前の余計ないたずらはせず、おとなしく演壇に上がって、ドトールの紹介を受ける。聴衆は1000人くらいか。席はほぼ埋まっている。昨日と同じく、中に一つ嘘を含めることを宣言してから話し出す。


 そして終わってから質問を受ける。連邦大学よりは発言が多かった。最も面白かったのは「もしかして、あなたはプロフェソール・ナイトじゃないのでは?」というものだった。

「いい指摘ですね。私は宿泊しているホテルからドトール・モイセスに車でここへ連れて来てもらったのですが、彼女は私のIDを全く確認しませんでした。もしかしたら、彼女が騙されたのかもしれません。ドトール、いかがですか?」

何てことメウ・デウス! 私はプロフェソールを招聘するときに、財団のウェブサイトでお顔を確認しましたし、今朝もちゃんと確認してから迎えに行ったのですよ。間違いなくご本人です」

 いやいや、ドトール、そこはちょっと慌てた感じで「IDを拝見できますか?」ってやるんだよ。そうすれば笑いを取れたのに。

 10人ほどの指摘を退けて、そろそろドトールに責任を取ってもらおうかと思った頃に、「ウェブの聴講者から発言要望が」とドトール。演壇の後ろに大型ディスプレイがあり、そこに発言者の顔が映るというので見上げる。今までは、俺の顔が大映しになっていたのだった。

 映し出されたのは女。ちょっと神経質そうな顔つきだが、美人なのは間違いない。しかしこの顔、もしかして。

「法学部のベチナ・ダ・シウヴァです。数学や心理学は専門ではないのですが、よろしいでしょうか」

 ダ・シウヴァ、ね。やっぱりカリナの妹だったか。

「もちろん、どうぞ。法学の研究者からよく出る意見に『シミュレイションの中の人間に、法を遵守する精神を持たせなさい』というのがあるのです。私は『確率によっては法を犯すこともありますよ。一般社会と同じように』と答えるのですが、『君はコンピューターの犯罪を容認するのか!』と怒られてしまうのですよ。それはさておき、あなたのご意見は」

「その確率なのですが、確か最初は集団の行動を確率問題として話されていたのに、最後はコンピューターの個体の思考の話になってしまいました。その思考が人間と同じになるかどうかは、今のお話だけでは説明できないように思いますが、いかがでしょうか」

「素晴らしい! もちろんそれが、私の“嘘”に対する指摘です。やはり法学科は、集団内の個の行動というものに敏感なようですね。さて、私の理論に合うようにするには、“人間と同様の思考ができるコンピューター”がことは、何をもって証明できればよいでしょう?」

「ええと……確率で動く個体の代わりに、コンピューターに思考させて、その集団としての行動の結果が同じになることが証明できればいいのでは」

「シミュレイションと同じか、それとも現実と同じか」

「それは……どちらでもいいでしょう? あなたの理論がそういうもののはずですから」

「完璧な答えをありがとうございます。他に何か質問か意見があれば」

 ありません、と言ってベチナは回線を切った。目の前の聴衆に向かって、再度質問を呼びかける。もちろん、“嘘”とは関係ない質問を募る。しかし、誰も手を挙げない。なぜだろう。講演と全く関係ないことを訊いてくれてもいいのに。

 時間が来たので、ドトールが締める。学生たちがさっさと帰るのは連邦大学と同じ。演壇にドトールが笑顔で寄ってくる。

「誰も“嘘”が指摘できなかったら、君に振ろうと思っていた」

「そのことですが、私、昨日の連邦大学での講演を入手して、聴いたんです。ですから、答えを知っていて」

「アカデミーで、君以外にも聴いた人がいるかな」

「連邦大学出身の研究者も多いですから、きっと何人もいるでしょう」

「じゃあ、アカデミーの講演では嘘は言わないようにしよう」

「それと、申し訳ありませんが、もう少し短めに。みんな、あなたの講演を聞くよりも、自分の研究発表をしたくて、うずうずしてるんです。時間も足りませんし」

「いっそ講演をなくすかい?」

「聴きたがってる人もたくさんいるんですよ。なくすわけにはいきません」

 ISTが予定を変えたことによるしわ寄せだな。しかし、今さらどうしようもない。


 この後は、三つの学科を回る。情報社会学、都市社会学、数理経済学。最後のは、俺の研究と全く関係ない気がするが、何を見せられるのだろうか。もしかしたら俺のシミュレイションで、人の移動コストが実際と合っていない、とかいう経済学的な指摘を受けるのかもしれない。

「学科を回る前に、昼食へ行きましょう。30分しか時間がありませんが」

 ドトールが嬉々として誘ってくる。昨日は移動中に食事をしたので、まともに昼食を取れるのはありがたい。校内の文化センターセントロ・クルトゥラウの食堂へ行く。コシーニャというブラジル風クロケットと、ライス、サラダの盛り合わせのプレートを食べる。

「学生の時から、これが一番好きだったんです」と言いながら、ドトールが嬉しそうに食べる。何だか、彼女の学校訪問スクール・ヴィジットに付き合ってるような気がしてきた。

「ところで、俺のことはプロフェソールでなくアーティーと呼んでくれ」

「もちろん、学生がいないところではそうしようと思っていました。私のことも、ドトールでなくファティマと呼んで下されば」

 もちろん、そうしようと思っていた。

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