ステージ#16:第5日
#16:[JAX] 魚は食いついた
ジャクソンヴィル-2065年12月30日(水)
6時40分に起床。今日もまた、マギーとベスが朝食を作りに来る。レストランのコックには、既に言ってある。31日と1日は必ず行くと。どうして俺がコックにまで気を使わねばならんのだ。
7時にチャイムが鳴った。が、ドアから入ってきたのはマギーとベスではなかった。ノーラとリリー。どうして君たちが。
「だってあなたとしばらく食事に行ってないんだもの」
ノーラが答える。いや、そんなことないだろ。君ら、毎晩ジムへ来るんで、トレイニング後に“就寝前のハーブ・ティー”を飲みに連れて行ってるじゃないか。男のメンバーは毎回変えてるけどさ。
「だったら、言い直すわ。あなたとしばらくお話をしてないんだもの。とにかく今朝は、私たちが朝食を作るから」
リリーが言う。そりゃ夜の店では、俺はなるべく話さないようにしてるものな。他の男と仲良くさせるために。
作るのを手伝ってもいけないんだろうし、ダイニング・テーブルで待っておく。二人が楽しそうに話しながら朝食を作る。マギーとベスは、こんなに話さないなあ。もちろん、マギーが無口だからだろうけど。
十数分後、朝食の皿が並ぶ。野菜サラダとコーヒーと……このオープン・サイドウィッチみたいなのは何だ?
「エッグ・ベネディクトよ、知らないの?」
リリーが笑顔で言う。トーストの上に焼いたベーコンを敷き、
オランデーズ・ソースというのがまた知らないので訊く。卵黄にバターとレモン汁、胡椒を混ぜたものだそうだ。
で、エッグ・ベネディクトはリリーの得意料理で、サラダはノーラのスペシャル? レタス、アボカド、トマト、ハム、ブルー・チーズを混ぜ合わせて、ヴィネグレット・ソース。何か名前が付いてるのか。ないのか。じゃあ、ノーラ・スペシャルだな。
二人とも晴れやかな笑顔で座ったまま、俺が料理に手を付けるのを見ている。まさか、どっちを先に食べるかで、何かが決まるんじゃないだろうな? 俺は単に野菜は後から採ることにしてるんで、エッグ・ベネディクトからいただくことにする。
うーむ、見た目から予想できる味そのままという感じ。サラダも同じく。どちらもうまいと感想を述べる。どちらがうまいかは言う必要ないだろう。違う料理の味は比べようがないんだから。
「ところで、どうして今朝は君たちが来たんだ」
「年が明けて、4日まであなたに会えないからよ」
ノーラが答える。さっきと言ってることが違うじゃないか。もう一度訊くが、今朝はなぜ君たちが来たんだ?
「噂の真相を確かめるためよ」
今度はリリーが言う。どうして毎回答えが違うんだ。噂って何のことだ。
「あなたとベスが隠れてデートを繰り返してるって」
そんな噂が、どこから。
「確かに最近何度も会っているが、デートじゃない。ミセス・マギー・ハドソンの悩みの相談のためだ。君らだって、ベスから聞いてるだろ」
「それは言い訳で、っていうことはない?」
ノーラは別に疑わしそうな目もしていないのに、何がそんなに気になるんだ。
「ないね」
「ベスはあなたの好きなタイプじゃないのかしら」
「容姿も能力も性格も素晴らしいけど、誰にでも愛想がいいのは好ましくないな」
「あなただけに愛想がいい女性が好ましいのかしら」
「極端なことを言えばそうだけど、それだけじゃない。他のいろんなこととバランスが取れてこそ、だ」
例えばノーラは少し太めの体型が好ましいし、リリーはおとなしめの性格が好ましい。かといって、身体はノーラで性格がリリーという女がより好ましいかというと、そうでもない。その二つは、軸が違う。
例えるなら……エッグ・ベネディクトとノーラ・スペシャル・サラダはそれぞれに美味しかったが、エッグ・ベネディクトにヴィネグレット・ソースを掛けても、さほど美味しくはならないだろう。それぞれ、合うものが違うからだ。ノーラの容姿には、ノーラの性格、リリーの容姿には、リリーの性格が合っている。
という例えをこの二人に言うわけにもいかないし、どうすれば解ってもらえるかな。
「じゃあ、私とリリーではどっちが好ましいのかしら」
こら、ノーラ、そういうことを訊くんじゃない。たった今、心の中で、言うわけにいかないと思ったばかりなのに。
「君たちとはまだそれほど長く付き合っていないから、どちらとも言えない」
「じゃあ、付き合ってくれる気持ちはあるのね?」
「今はフットボール・シーズンだから、フットボール以外のことはあまり考えたくない」
「でも、シーズンはあと2週で終わるんでしょう? その後なら?」
どうしてそうなる。この前、説明したばかりじゃないか。
「みんなプレイオフへ進出するために頑張ってる。そのために残り2ゲームを必ず勝つ。それ以外のことは雑事だ」
「でも、マギーのことは心配してあげてるじゃないの」
「彼女はチームのスタッフで、とても重要な
「私たちチア・リーダーは?」
「もちろん重要な役割を担っているが、君たちでなければならないということはないだろう? きつい言い方だが」
「あら、いいえ、理解するわ。替えが利かない人と、そうでない人では、重要度が違うものね」
「もちろん君たちが、プレイヤーの誰かにとって、既に重要な存在になっているとか、重要な存在になることが相手から望まれているというのなら“替えが利かない”。が、そのどちらでもないのなら……」
「そうね。おとなしくしている方がいいわね。それも理解するわ」
本当に理解してるんだろうか。そういうことを訊きに来ること自体も控えて欲しいんだけど。というか、彼女たちを餌にして夜のトレイニング・メンバーを集めてるのに、彼女たちが俺に気があることが知れたら、みんな来なくなるじゃないか。それは困る。
「ところで、ベスと俺の噂というのはどこまで広がってるんだ」
遠回しに、噂の伝搬範囲を確認しておく。二人が顔を見合わせる。
「今のところはチア・リーダーと、チーム・スタッフのうちの女性だけじゃないかしら」
「これ以上、特にプレイヤーに広がらないようにして欲しいんだが」
「あら、それは大丈夫よ。女性はこういうことにかけて口が硬いから」
本当に? 女子更衣室や洗面所の中で噂話をしてるんだろうけど、探偵が盗聴器を仕掛けてるかもしれんのだぜ? それに、広めたいのは別の噂なんだ。
「とにかく、朝食を作ってくれてありがとう。今夜、サン・ノゼへ帰るそうだから、ジムへは来ないんだな?」
「そうね。次は月曜日だと思うわ」
それまでに新しい噂を考えておかないといけない。いや、ベスに頼めば年末年始のうちにオフィス・スタッフの間にそれとなく流してくれるのかもしれないが。
そのベスに、また会いに行く。昼前、あの女子更衣室に。もちろん、マギーも来ている。彼女はなぜ、この不自然さに気付かないのだろう。それとも、ベスにうまく言いくるめられたのだろうか。
「魚は食いついたわ」
ベスがにこやかな笑顔で言った。もちろん、マギーには意味が解らない。ベスが丁寧に説明する。
「つまり、私がカリフォルニアへ行ったのは、その人が私を追いかけて来るようにするためですか」
「そうよ。あなたでなければ来なかったはずだわ。だってあなたの夫が、私の依頼者の一味だものね。そのあなたがこっそり調べ回っているように見えたから、食いついたの」
またマギーに夫のことを思い出させてしまったが、もはやつらい思いもしないのか、全く動揺した様子がない。……ように見える。彼女はいつも無表情だが、俺はなんとか微妙な違いを見分けられるようになったからなあ。
「私は全く気が付きませんでした」
「それはそうよ。あなたにバレるようでは、探偵は務まらないわ。でも、私はちゃんと判ったの。そういう人がいるかどうかを注意して見ていたから」
「私はこのまま知らないふりをしていた方がいいのでしょうか」
どうやら魚をしばらく泳がせる方がいいことは、マギーにも理解できているようだ。
「そうね。でも、普段どおりにしていてくれればいいと思うわ。ところで私、今夜からサン・ノゼに帰るけれど、あの部屋であなた一人にしても構わないかしら。鍵はもちろん預けていくわ。それとも、他の部屋がいい?」
他の部屋ってどこだよ。俺の部屋は無理だぞ。
「マギー、君、両親や兄弟は」
「タンパです。ですが、そこへ帰省するわけにはいきません。2日までずっと仕事があります」
そういうことを言いながら、じっと俺の目を見ているのはなぜなんだ。俺の部屋には泊められないってのに。
「あなたの家には帰りたくないでしょうから、我慢してもらえるかしら」
「はい」
「ところで、魚の尾行はどうするんだ」
「今日と明日は自由にさせたらいいと思うの。明日の夜までに、カリフォルニアで魚のことをできるだけ調べて、あなたたちに知らせるわ。その後どうするかは、その時に考えるということで」
「了解」
以上で今日の打ち合わせは終了。しかし、更衣室を出た後で、またベスと密談。
「チア・リーダーとオフィスの女性スタッフの間に、変な噂が流れてるらしいんだが」
「知ってるわ。私が流したのよ」
何だと? 自分で自分の噂を流すのかよ。器用だな。
「何のために」
「依頼者を油断させるため。私に対するあなたの疑いが晴れて、スパイを再開したって思うでしょう?」
「それが狙いか」
「でも余計な副作用もあったわ。今朝、ノーラとリリーがあなたのところへ行ったのは、そのせいなの。悪く思わないでね」
「あの二人、俺に気があるのか」
「大丈夫よ。私じゃなくて、噂に対する嫉妬だから。もちろんそれも、私がスパイをするためにまいた種が原因なんだけど」
「つまり彼女たちも使って俺から情報を探り出そうと」
「あなたが、彼女たちの興味を容易に引きやすいタイプで助かったわ」
「俺は君や彼女たちを使って、プレイヤーを夜のトレイニングに引っ張り込もうと企んでるんだぜ。噂が奴らの耳に入らないようにしてくれよ」
「あら、そうだったの。私に言い寄られると動きにくいから、それとなく避けられるようにしてたんだけど、年明けからはデートを断らないことにするわ」
ベスが屈託のない笑顔で言う。そういうコントロールって、自由自在なんだ。たいしたものだねえ。チア・リーダーじゃなくて、メンタル・トレイニング・コーチに雇いたいくらいだよ。
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